楽園のシラベ | ナノ
食後。何となく、三人と一羽は別行動を取っていた。
シラベは「やることがあるのを思い出した」と言って、一人何処かへ行き、シソツクネはそれに同行。
残されたリヴェルとクルィークは、二人で海に来ていた。
――こんな気分で戻ることになるのなら、駄々を捏ねてでも、居続けておけばよかった。
そんなことを思いながら、リヴェルは砂浜に座り込み、クルィークはその傍らで、足首だけを波に浸していた。
「……ごめんっす、リヴェルちゃん」
「何が」
「俺が、あんなこと言ったから、なんか空気ヘンになっちゃって……」
「……クルィークのせいじゃないさ」
徒に足を動かし、海水でぱちゃぱちゃと戯れながら、リヴェルは溜め息を吐いた。
そう、あれは、クルィークのせいではない。最後の昼食が嫌な静けさの中で終わったことを、彼を責任にする理由はない。
慰めではなく、本心で、リヴェルはそう思っていた。
「あいつ……なんか今日は、らしくないっつーか……いつもと違うから。多分、クルィークが何も言わなくても、あんな風になってたと思う」
最初にささくれを作ったのは、シラベだった。
彼らしくもない気の利かない冗談を言って、茶を濁すこともせず黙り込んで、彼はそのまま何処かへ行ってしまった。
やることがあると言っていたが、それが本当なのかさえ、疑わしい。
自分達から離れる時の彼の背中は、いつか見た時と同じものだというのに、何故か恐ろしく小さく見えた。
まるで、何かを恐れて、逃げ出すような。
自分のよく知るシラベは、あんな弱々しいものだったろうかと、リヴェルは目を伏せた。
「……シラベさんも、これが最後だってこと、気にしてるんっすかね」
「……そうかなぁ」
何もかもが不確実で、不明瞭だった。
こんなにも澄んだ美しい海でさえも、濁り、底が見えなく思える程に。杳として掴めないシラベの心は、リヴェルを曇らせていた。
「思えば私……結局此処まで、シラベのこと殆ど何にも知らないで来たからさ……。あいつが何考えてるのかとか、何思ってるのかとか……今になっても、分かんないし、自信ねぇや。
シラベが、私達と別れることを寂しいと思ってんのか、せいせいすると思ってんのか……さっぱりだ」
これまで意識しないようにしてきたことが、一気に皺寄せてきたようだと、リヴェルは自嘲した。
旅の終わりも、シラベの素性も。それに触れたら、全てが崩れてしまうような気がして、手を引っ込め、胸の奥にしまい込んできた。
その果てに、最後の最後で、仄暗い曇天の下、今にも降ってきそうな雨に怯えるような――そんな不安に見舞われることになろうとは。
長かった旅も、こんな風に終わってしまうのかと、リヴェルは感傷に眉を顰める。
それを見てクルィークは、暫し沈黙した後。此処まで来たのならというように、口を開いた。
「……前々から思ってたこと、言ってもいいっすか?」
「最後だから、どーぞ」
「リヴェルちゃんって、シラベさんのこと好きっすよね」
「………………!!?」
予期せぬ爆弾発言の処理に、些か時間を要した後、リヴェルはボッと爆ぜるように顔を赤くし、目を見開いた。
この際、何を言われても構わないという気構えでいたのに、とんだ不意打ちだと戸惑い、あたふたと返事を模索し。
至って平然とした様子のクルィークに、リヴェルはどうにか言葉を返す。
「な……ッ、おま、クルィーク、何言ってんだ!!」
「アレ、違うんっすか?」
「ちが……う、ことは……ない、ような……そうじゃなくないような……」
自分で言っていて、意味が分からない。
けれど、濁した言葉の先にある本心は、嫌と言うほど理解している。
「……そうだな。うん……アンタの言う通りだよ」
これも、見ないよう、触れないようにしてきたことだった。
クルィークに指摘されるまで、リヴェル自身、はっきりそうだと言えなかったのだが。
それは、この想いを形にしてしまうことで、現状を壊したくないと、無自覚の内に背を向けてきたからだろう。
知っていた筈だ、分かっていた筈だ、驚くことなんてなかった筈だ。他ならぬ、自分の気持ちなのだから。
リヴェルは、もう認めざるを得ないと小さく頷いて、観念したように呟いた。
「私……シラベのことが好きだ。多分……あいつに手を差し伸べてもらった時から、ずっと」
あの日、自分をキャラバンに乗せてくれた時から、リヴェルにとって、シラベの存在は光だった。
先の見えない暗がりを照らし、孤独で冷えた心を温め、様々なものを見せてくれた。
眩しく、輝かしく、離れがたい。
嗚呼、だから今、こんなにも自分はどんよりしてしまっているのだとリヴェルが苦笑すると、クルィークはまた、少し考えてから問い掛けた。
「それ、シラベさんには伝えないんっすか?」
「言えるかよ」
手元に落ちていた小石を一つ拾い上げて、リヴェルはそれを、適当に波間へ投げた。
弧を描いたと思えば、瞬く間にぽちゃんと沈んで、海に呑まれていくそれのように、自分の想いも何処かへ流してしまえばいい。
苦々しい作り笑いを浮かべながら、リヴェルはもう一つ、と手にした小石を、軽く握った。
「あいつは、私に同情して此処まで連れてきてくれただけで……一緒にいれるのは《アガルタ》までって、最初から決まってたんだ。それ以上を望んだって、あいつは困るだけだし、私は母さんを探さなきゃいけないし……そこまでシラベを巻き込むことは出来ないし……」
まるで、自分に言い聞かせるようにしながら、リヴェルはまた、小石を海へと放る。
言いながら、息が詰まりそうだった。
望み過ぎてはいけない。シラベが自分の手を引いて、此処まで連れてきてくれただけで、十分過ぎるくらいなのだ。これ以上を求めてはいけない。
自分は、母親を救う力を求めて楽園を目指していたのだから、その目的を果たすことだけを考えるべきだ。
だから、この想いは、無かったことにすべきなのだと。リヴェルはまた、見て見ぬふりをしようとしていた。
こうしていれば、もうすぐに、シラベとの別れが来る。そうしたら、諦めも付くから、と。
「……だから、私があいつのことを好きだってことも……本当は、ずっと一緒に旅していたいことも……ぜんぶ、黙ったままでいい」
「……本当に、そう思うんっすか?」
「…………ああ」
そういえば、これが初めての恋だったなと、リヴェルは目を細めた。
初恋は実らないと、いつか何処かで聞いた時は、色恋など他人事だと思っていたのに――本当に、人生は何があるか分からない。
達観するにはまだ若過ぎるだろうにと、自分で自分を笑うように、口角を上げた。
「最後にわざわざ、痛い思いなんかしたくねぇしさ。……もしいつか、どっかで会えることがあったら……その時に言うよ。礼とか色々ひっくるめて、さ」
「……そうっすか」
無理に諦めを付けようとしているリヴェルの背中を、押してやるべきかと悩んで、クルィークは、やめた。
彼女には、彼女なりの考えと理由があって、シラベへの想いを手放そうとしているのだ。
きっと、忘れることなど出来ないし、後になって悔やむことも。離ればなれになったら最後、それこそ奇跡でもなければ再会出来ないことも。
全部分かっていて、それでもリヴェルは、心を押し込めることを決めた。
母親を救うという自ら背負った使命の為、此処まで付き合ってくれたシラベの為、自分自身の為――。
リヴェルは、シラベに想いを告げることなく、彼との旅を終えることを決意したのだ。
自分がこれ以上何を言っても、酷なだけだと、クルィークは視線を海の彼方へと向けた。
「ありがとな、クルィーク」
「何がっすか」
「これまでと、今のこと。色々気に掛けてくれたり、助けてくれたり……世話になったなって思って」
今日は、自分もシラベもらしくないと思ったら、リヴェルまでこんなしおらしいことを言うとはと、クルィークは小さく笑った。
共に旅をしてきた数ヶ月。長いようで短いその間で見えなかった仲間達の一面が、ここにきて露になっているのは、これが最後だからだろう。
もう明日には終わる、三人と一羽の旅。
こんな体験をすることも、こんなメンバーに出会うことも、もう二度とないだろう。
クルィークは、やっぱり寂しいなと思いながら、身を屈めて、リヴェルに手を伸ばした。
「此方こそ。リヴェルちゃんがいたから、俺は皆と旅が出来て……感謝してるっす」
此方に応じるように差し出されたリヴェルの手を握り、クルィークはあっという間に過ぎ去った数ヶ月のことを回顧した。
ロックベイで行き倒れたとこを、シラベ達に助けられた日から今日まで、本当に楽しかった。
奇跡を求めて故郷を出て、艱難辛苦を乗り越えてきた甲斐があったと思える程、この旅は素晴らしいものだった。
例え《アガルタ》に、何があっても、何も無くても。シラベ達と旅してきたことを、後悔したりしないだろう。
リヴェルにも、そう思ってもらえたらいいなと思いながら、クルィークは彼女の手をしっかりと握った。
「お互い、奇跡を手に入れられるといいっすね」
「あぁ。有っても無くても、お互い、頑張ろうな」
「はい」