楽園のシラベ | ナノ


巨大隕石によって滅びかけた星が息を吹き返し、今の形に至ったのは、自然の力もあるが、人の手が加えられていたこともまた、大きな要因であった。

灼けた大地と、荒ぶる海、崩れた文明によって、殆どが成す術なく散って逝った人類だが。
彼等の中のほんの一握り。まさに選ばれた者、というべき存在が、神にも匹敵する叡智と技術の粋を以てして、破滅へと向かっていたこの星を救った。

そうして、再び星に溢れんばかりの生命を齎した者達は、この世界の何処かに存在する、澄みきった青い海に囲まれた、緑の孤島に居住を構えているという。


その孤島の名は、≪アガルタ≫。

何処の地図にも載っていない。実際に存在しているのを確かめた者もいない。
そんな不確かで、不透明で、不明瞭な場所。今の時代を生きる人類の間で語り継がれている古の、お伽話にも近い伝承の地が、リヴェルの目指す場所であった。


「お前、旅商人やってんなら、聞いたことくらいあんだろ……。≪アガルタ≫と、≪銀の星≫のこと……」

「まぁ、有名な話だな。東西南北何処に行っても、どっちの名前も絶対に聞く」


≪アガルタ≫に住まう者達は、今も星と、星に生きとし生けるものを正しく導いていく為の術を模索している。

突然の災害や疫病、隕石の再来。そうした次の厄災に備え、救世主達は日夜、世界の何処かで研究に励んでいると、新世代になってからずっと、人々の間で語り継がれていた。

≪銀の星≫というのは、そんないるかいないかも分からないメシア達の総称。星を管理し、生命を見守っていく為の、研究機関の名前だ。

誰も真実を突き止めたこともないのに、何故か世界の何処にいっても聞くのは同じ話と同じ名前。
≪アガルタ≫と呼ばれる楽園に住まう救世主達が、今も≪銀の星≫という名前で活動し、星や動植物や人々を救い給うていると。
北でも南でも西でも東でも、そんな夢物語が、当たり前のように蔓延しているのだ。


「……≪アガルタ≫には、≪銀の星≫が造った奇跡で溢れている。この星一つ救ってみせるくらいの、とてつもない発明が。私は……それが欲しくて、≪アガルタ≫を目指してんだ」

「つーことは、何か? お前は、この星の何処にあるかも分からない場所に辿り着くまで、俺を銃で脅し続け、車を走らせてくつもりだったのか?」

「ついでに衣食住の世話と、≪アガルタ≫の情報集めもさせるつもりだったよ」

「素晴らしいクソ度胸だ。感服したぜ、俺ぁ」


シラベは、リヴェルのことを嗤わなかったし、否定もしなかった。だが、同情も肯定もしなかった。

ほぼ、お伽話と同格の存在を目指していると。そう言われても、彼女が真剣なことを汲んでくれているのだろう。
それでも、変な慰めをして、希望を持たせようとしてきたりしないのが、リヴェルには幾らか救いだった。

リヴェルは、口汚い応答をしてくるシラベに、少しだけ口角を上げると、前のめりがちになっていた体を思い切り背凭れに預けた。


「馬鹿げてるってのは、分かってる。それでも……私にはもう、≪アガルタ≫に行く以外に宛てがないんだ」


彼女とて、夢物語を心の底から信じられるような性分ではない。
本気で≪アガルタ≫を目指し、其処にある奇跡に縋る理由が出来るまで、この世に楽園があるなんて、リヴェルは信じていなかった。

けれど。もし、本当にあるかもしれないというのなら。僅かでも一握りでも、希望があるかもしれないなら、リヴェルはそれに託すしかなくて。
故に、彼女は疑心を抱きながらも、真摯に≪アガルタ≫を探し、放浪していた。

その覚悟があったからだろう。シラベが、まともに彼女の話を聞いて、受け答えしてくれていたのは。


「誰になんて言われても、この眼で確かめるまで諦める気はない。私は、最後の最後まで、≪アガルタ≫を探し続ける。そういう覚悟で、旅してんだ。……笑いたいなら笑えよ」

「言っただろ、笑いやしねぇってよ」


≪アガルタ≫を追うことを嗤うというのは、リヴェルの決意をも嘲ることに等しい。

シラベくらいの年齢の者ならば、凡そ誰もが悪意なく、微笑ましいことだなんて言ってしまうだろう。
彼女がどんな気持ちで、楽園に縋っているのかも知らず、アガルタはお伽話だとか、見付かったらいいねだとか、そんなことを平然と吐き捨ててしまうだろう。

リヴェルも、そういう扱いを受けることが分かっていたから、頑なに目的地を口にしなかったのだが。
自棄になって白状した結果、シラベが自分の真剣味を正しく受け取ってくれたので、リヴェルは安堵していた。

この旅を始めて、最初の理解者を得たようで。自分がアガルタを探すことは、愚行ではないと言ってもらえたようで。
リヴェルは、ちらりとシラベを横目で見つつ、またほんの少しだけ笑んだ――が。シラベが口にした言葉によって、綻びかけていたリヴェルの顔と心は、再び凍り付いた。


「ただ……一言だけ言わせてもらうぜリヴェル。お前、何がそんなに欲しいのか知らねぇが、やっぱり帰るべきだ」


シラベがしてくれたのは、激励でも後押しでもなく、忠告であった。

誰にも言えない、言える訳がないと思っていた行く先を口にしても、嗤わずにいてくれた最初の理解者。そんな彼にさえ、リヴェルは後戻りを推奨させれてしまった。

それが、彼女にとってどれだけ重く、苦しく、憎たらしいくらいに悲しいことか。
シラベがそこまで分かるには、時間と情報が少な過ぎたし、リヴェルが彼の言い分を受け入れる為にも、それらは余りに不足していた。


「ママとパパも心配してるぜ? 年頃の可愛い娘が、単身で物騒な世の中ほっつき回ってるってのは、よくねぇことだ。
今回は運よく、俺みてぇなイイ人に拾われたからいいものの……乗せてやるフリして、あんなことこんなことしようとする輩に、この先エンカウントしちまうかもしれねぇぞ。
そうなる前に、一回家に帰って考え直してみろ。何が自分にとって本当に必要なのか、なぁ」


シラベは、老婆心でリヴェルを窘めていた。

夢物語の存在を追うこと自体は嗤わないし、止めもしない。しかし、リヴェルが今、一人でそれを行うことについては眼を瞑っていられない。
まだうら若き乙女が一人、何かと物騒な世の中を、何処にあるのかも分からぬ場所を目指して放浪するなど危険過ぎると、シラベは説いた。

リヴェルは、≪アガルタ≫以外に宛てがないと言ったが、それは彼女が切羽詰って盲目がちになっているせいかもしれない。
冷静になってもう一度考えてみれば、別の道が見えることだってあり得るのだし、今回は家に戻るのがベストだ。

シラベは、そういう意味で言い聞かせていたのだが、リヴェルの心にそれは、虚しく響くだけだった。


「さぁ、着いたぞ」


そうこうしている内に、約束のパーキングエリアに到着した。

シラベは、車を乗っ取られるのを回避すべく、先にリヴェルに降車させんと助手席側の扉を開けた。


「最初に言った通り、帰る気がねぇんなら此処でお別れだ、リヴェル。バンビット山なら、車で三日四日すりゃあ戻れる。後悔する前に……」


と、シラベが言い切るその前に、リヴェルはドアを蹴破るようにして開けると、車から飛び降りてしまった。

それからはまさに脱兎の如く。パーキングエリアのだだっ広い駐車場の彼方へと、リヴェルは凄まじい速さで駆けて行く。


「オイ、スモークチキンサンドはいいのか?!」


呼び掛けに一切応じることも、振り返ることもなく。リヴェルは瞬く間に姿を消してしまった。

忙しない足音の残響さえも失せ、暫し風の音だけが耳を打つ閑寂。
その中で置き去りにされたように佇んだままでいると、肩にぴょんと飛び乗ってきたシソツクネが、此方を覗き込むように小首を傾げて嘴を開いてきた。


「コーナルダロウト思ッタゼ」


シソツクネのその言葉が、リヴェルに対してではなく、自分に宛てられたものだというのが、呆れたような声の調子で分かってしまった。

シラベは、仕方ないだろうと言うようにシソツクネを見たが、すぐにそれで許してくれそうにもないと悟り、溜め息を落とした。


「善意が受け取られねぇってのは、中々にショックなことだな」


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