楽園のシラベ | ナノ
人類が栄華と繁栄を、まさに極め始めたという頃。この星は、巨大隕石の来襲によって一度滅びた。
山は火を吹き、森は灰と化し、海は荒れ狂い、津波と土砂が全てを呑み込み、世界は瞬く間に地獄へと変貌した。
殆どの生物は死に絶え、人類もまた、絶滅の一途を辿る筈であった――が、全ての生命が無くなるその前に、星は奇跡的に蘇った。
大地を燃やし尽くした炎は消え、唸る海は鎮まり、消えた文明に代わり、原始的な自然が世界を覆うようになった。
そうして生まれ変わった星では、環境が激変したことで新たに生まれた生命、荒れ果てた世界で生き延びる為に進化を遂げた生命が誕生した。
それらは、あらゆる種をまとめて新生物――その中で、人類に区分されるものは、新人類と呼ばれており。
一方、滅びる前の世界から変わらぬ姿のままでいる生物は旧生物。内、人類は旧人類と呼ばれている。
現在、星に存在する人類は六割が新人類、三割が旧人類という割合で、残りの一割は少女のような新旧人類の混血であった。
「お前、名前は?」
「……リヴェル・ペコレーラ」
「リヴェル、ね。可愛い名前してんじゃねぇか」
体を座席に打った拍子に穴が開いてしまった帽子を握りながら、少女リヴェルは憎々しげな眼で男を睨んだ。
車内が薄暗かったのと、少女が緊張していたのとで気付けずにいたのだが、よくよく見れば男は、旧人類とは微妙に異なる容姿をしていた。
銀色の髪は金属質の光沢を帯び、肌はリヴェルのそれよりも白い…というより、青白く、陶磁器のような質感をしている。
サングラスをしていたので分からなかったが、眼球は真っ黒で、瞳孔は金色と、危険色を思わせる。
極め付けは、リヴェルの銃を斬ってくれた手だ。
今ハンドルを握っている男の手は、リヴェルのものと変わらないが、それはついさっきまで、恐ろしく鋭利な刃物のように変形していた。
それが、散弾銃をまるで野菜でも切るかのように輪切りにしてくれたのだと察したところで、リヴェルは白旗を上げた。
新人類は、旧人類とは肌の色や骨格、手足や眼の数など外見が異なっている。
そして、凡そ旧人類から逸脱した姿をしている新人類は、身体能力も旧人類と比較にならない程に優れているものが多い。
その為、リヴェルは相手取るのに些か楽であろう旧人類にハイジャックしようと画策していたのだが――抜かった。
旧人類にかなり近い見た目をしている新人類もいるというのに、よく確認しなかったがばかりに反撃を喰らい、武器を失うことになった。痛手である。
足元で横たわる銃の亡骸を蹴っ飛ばし、リヴェルは短く溜め息を吐くが、男は悪びれた様子もなく話を続ける。
「その角からするに、出身はバンビット山辺りか? あの辺りには、角持ちの新人類が多く住んでたと思うんだが」
「……グラーノ村、つっても分かんねぇだろ。すっげー山奥の田舎村だから」
「あぁ、見事に初耳だ。そんな秘境からこんなとこまで来るたぁ、スペクタクル・ロマンだ。大した子羊チャンだぜ、お前」
リヴェルが帽子を被り、男が子羊と比喩した所以。それは、彼女の頭部に生えた、くるんと巻いた二つの角にあった。
彼女の父親は、反り返った形の立派な角と、靴要らずの頑丈な蹄が生えた脚、草食動物のように広い視野を持つ眼を有する新人類。角持ち、と呼ばれる種である。
混血は旧人類をベースに、体の何処か一部に親の新人類の特徴を継いで生まれるのだが、リヴェルが父親から遺伝したのは角であった。
リヴェルの帽子は、それを隠す為にあったのだが、先のごたつきで脱げてしまったことで、現状ただのボロ布になっていた。
元々ボロっちいのものだが、事情を知らぬ者にこれを見せたら、雑巾だろうと返され兼ねない。意味を無くした帽子を見ていると、そんな気にさえなってくる。
リヴェルは深く溜め息を吐きながら、気を晴らすように呟いた。
「……お前は、シラベっていうのか」
「ん……あぁ、そうか。そういやさっき、シソツクネが言ってたな」
現在、後部座席から移動し、座席の背凭れに止まって羽根繕いしている鸚鵡・シソツクネ。
彼――先程自らを俺、と言っていたので、恐らく雄だろうとリヴェルは判断した――が口にした名は、男のもので合っていたらしい。
男は、備え付けの灰皿に咥えていた煙草を捩じ込むと、素っ気なく自己紹介を始めた。
「そう。俺の名前は、シラベ。旅商人のシラベだ」
「旅商人、」
「西で仕入れたものを東へ、東で仕入れたものを北へ……と、世界を回って商売してる。向こうじゃ何処の家にもあるようなブツが、こっちじゃ物珍しいと馬鹿売れしたりするからよ」
シソツクネもそうだが、男の名前もまた、リヴェルの住んでいた辺りでは、まるで馴染みのない響きをしていた。
キャラバンに乗っていたので、何処か遠くから来たのだろうとは思っていたが。もしかしたら、自分が想像も出来ないような場所が、彼の故郷なのではなかろうか。
淡々とハンドルを切っていく男・シラベを横目で見つつ、リヴェルは、手持無沙汰に足を軽くぱたつかせながら、あれこれと尋ねることにした。
「シラベは、どっから来たんだ」
「わりと北の方から」
「これから何処に行くつもりだったんだ」
「南の方。仕入れた鉱石や工芸品なんかを売りながら、また色んなモン集めてこうとしてた」
「シラベは、世界中を回ってんだよな」
「まぁな」
「行ったことのない場所ってあるのか」
「そりゃあるさ。車で行けねぇとこ、人が行けねぇとこ、行く意味のねぇとこ……そーいうとこには行ったことがねぇ」
「そう、か」
「で、お前は俺を巻き込んで、何処に行くつもりだったんだ? 銃で脅してまで行きてぇなんて、よっぽどだろ」
再び質問側が変わったところで、車内に微妙な静寂が広がった。
返答を待つシラベが、座席と座席の間に置かれたミックスナッツの袋に片手を突っ込み、胡桃やカシューナッツを頬張る音。それと、ガタコトと車体が揺れる音が、虚しく響く。
シラベはナッツを噛み砕き、ボトルに入れた水で口を潤して、何も言わない。有態に、車を走らせながら、リヴェルの答えを待っていた。
しつこく問い詰められるより、そうされる方がいっそ堪えて、リヴェルは一層強い力を込めて、布きれのような帽子を握り固めた。
「……絶対笑うから、言わない」
「笑わねぇよ」
「いいや、絶対笑う」
「そんな面白愉快な場所に行くのにハイジャックまでしたのかお前? とんだエンターテイナーだな」
「…………」
「あー……よし、分かった。俺がもし、お前の目的地を聞いて笑ったら、行き先を町が見えるまでに延長してやる」
「ほ……本当、か?」
「指切りげんまんしてやろうか? それでも不安なら、契約書にサインと捺印してやるよ」
興味や関心、というのは然程ないのだろう。それでも、此方の行く末について尋ねてきているのは、懸念と気遣いだ。
少女が一人で、ヒッチハイク改めハイジャックをすることも辞さずに、旅をしているのだ。
そうしてまで目指す場所に、何があるのか。
態度こそ飄々としているが、至極真剣に問い質してくるシラベに、ついにリヴェルは折れてしまった。
もうどうにでもなれ、という自棄半分。それと、もしかしたらという期待半分。
そんな心情が固く閉ざすことを選んでいた筈の口をこじ開けてきて、リヴェルは小さく息を吸い込んだ後、シラベに目的地を告げた。
「…………≪アガルタ≫」
その名前を聞いた瞬間、サングラスに隠れたシラベの眼が大きく見開かれたことに、リヴェルは気付かなかった。
あぁ、ついに言ってしまったという後悔や気恥ずかしさと、それでもこれは前進に繋がる一手になるかもしれないのだという真摯な想いでいっぱいで。
リヴェルは、ただ、目指している場所の名前を口にするだけしか出来なかったのだった。
「私は……≪アガルタ≫に行きたいんだ」