カナリヤ・カラス | ナノ


「た、大変ご迷惑をおかけしました……」


小一時間後。少女は意識を取り戻すや否や、深々と頭を下げ、畳に額を付けた。実に堂に入った謝罪だと感心させられる程の土下座の後、少女はおずおずと頭を上げ「も、申し遅れましたが……」と自己紹介を始めた。


「あの、えと、あの……わ、私、迷鳥亭(めいちょうてい)でお世話になっていています、せ、芹上小鈴(せりがみ・こすず)と申します……っ」

「迷鳥亭って……確か極楽街の娼館ですよね」

「ナリを見る限り新造ってとこか?」

「は、はい。ら、来月水揚になります……!」


迷鳥亭は、マダム・パーロット直下の高級娼館だ。

家畜同然に扱われ、腐りかけの残飯以外には何も与えられない。そんな娼婦達が大多数を占めるこの町に於いて、迷鳥亭は至極まっとうな娼館だ。衣食住の保障は当然のこと、娼婦達は人としての尊厳に加え、自ら客を選ぶ権限すら有している。未だ初潮すら迎えていない時分から路上で客を取らされ、座敷牢に黴臭い茣蓙を敷いて眠る娼婦達からすれば、楽園のような場所だろう。

マダム・パーロットに才覚を認められた、ほんの一握りの娼婦達だけが辿り着ける最高級娼館。その一つが、迷鳥亭だ。この如何にも純朴そうな少女も、選ばれし娼婦の一人だと言うから、やはり先入観はアテにならない。
未だ水揚げ前とのことだが、かの鸚鵡太夫が認めた”器”を有しているに違いないと、鴉は雛鳴子が休暇中に大量生産した焼き菓子を齧る。


「で、娼婦見習いがうちに何の用だ?足抜け費用が欲しいってんならお断わりだ」

「い、いえ!め、迷鳥亭から逃げる気なんて、ま、全くありません!!」


金を借りたいと言う娼婦の大半は、足抜け目的だ。

何処か遠く、亡八の手も届かぬ場所へ、愛する人と逃避行。そんな甘い夢に酔いしれて此処の戸を叩く娼婦を、鴉は悉く娼館へ突き返した。
基本、来る者拒まずが金成屋のモットーだが、どうしたって取り合わない案件というのも存在している。その一つが娼婦の足抜け幇助だ。

体を売ることで金を稼ぐしかない女と、身請け金も払えない男。そんな人間に金を貸すということは、札束をドブに捨てるのと同義だと鴉は言う。

何をしてでも金を返す覚悟と誠意がある人間は、そも、足抜けを選択しない。己に科せられた責務に向き合わず、感情任せに逃げ遂せようとする人間の必ず返すなんて言葉は水で書いた誓いと同じ。時間が経てば、消えて無くなる。

だから鴉は、身請け金の為に金は貸すが、足抜けの為にはビタ一文たりとて渡さない。
娼館には黙っててやるから帰れと釘を打つ。相手の態度次第では亡八に通告する。虫の居所が悪いと、店の許可を取った上で極地へ売り飛ばす。

そんな話が流布している為、昨今は虚偽の借用理由を引っさげて金を借りようとする娼婦もいるらしいが、それで騙し通せる相手なら誰も苦労はしていない。


女っておっかねーなァと口にしながら、樽に詰めた娼婦を徒に転がす輩を相手に、この少女は如何なるカードを持って此処に来たのか。

固唾を飲んで見守る雛鳴子達の前で、小鈴は足抜けなんて天地が引っくり返っても有り得ないと首を横に振る。


「マ、マダムも姐さん達も、こんな私に本当に良くしてくれて……か、感謝しかない、です。きょ、今日だって……私が此処に来ることを許してくれて……」


あちらとて、足抜けの可能性は頭にあっただろう。それでもマダム達は、自分を信じて金成屋に赴く許可をくれたのだ。

そう、だから、自分は何が何でも成し遂げなければならない。例え死んだ方がマシかもしれないという想いに押し潰されたって、言わなければならないのだ。


何の為に此処に来たのか。何の為に金を借りるのか。

震える拳を握り固め、小鈴は再び畳の上に伏せた。


「お……お願いします!!何百万でも何千万でも、何億でも契約します!!」


元より、自分の生きる道は他にない。背負う借金がどれだけ膨らもうと、何も変わらない。

幾らでも借りる。幾らでも返す。自分が欲しいものには、それだけの価値があるのだと、小鈴は小上がりの向こうから此方を眺めていた彼を真っ直ぐに見据えた。


「だから、そ、その契約条件として…………わ、私を抱いてください、鷹彦さん!!」

「…………」

「…………」


暫し、痛ましい程の静寂。

そんな気はしていたが、と言いたげな二人の視線だけが物を言う中、咥えかけた煙草を落した鷹彦は、本日二度目の驚きを口にした。


「…………マジか」

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