カナリヤ・カラス | ナノ


「さ、先程も申し上げました通り……わ、私、来月からお客さんを取ることになりまして……そ、その前に、水揚を済ませないといけなくて」

「成る程。凡そ見えてきたな」


羞恥心で死にそう、と畳の上で狂い悶える小鈴を宥め終えた後、概ね事情を把握した鴉は愉しげに目を細めて笑った。


「詰まる所、アレだろ?初めては好きな人が良いってヤツ。いやー、泣かせるな。その為に長引く奉公期間のことを思えば、たかが一発に何百何千万の借金作るなんて普通出来ねぇよ」

「鴉さん」

「マ……マダム達にも、そ、そう言われました。ア、アイツは言い寄ってくる女なら九割抱くから、わざわざ借金増やしてまで抱かれにいくことないとか……確かにアイツは顔が良いけど性格はクソだから絶対やめとけとか……」

「鷹彦さん、女性に好かれるのと同じだけ女性に嫌われてますよね」

「初めて知った」


ただ一度きりの処女を愛する人に捧げる。その健気な願いは、言ってしまえば何も生まない。

鴉の言う通り、たかが一発だ。小鈴に残るものはたった一晩の思い出と身請け金相当の借金だけ。年季奉公の延長が齎すものを考慮すれば、自分の肢体を貪る男は愛しいあの人なのだと夢想する方がきっとマシだ。

誰もが口を揃えて、そう説いた。それでも小鈴は、金成屋に来た。


「で、でも私……や、やっぱり、ど、どうしても!は、初めては鷹彦さんがいいんです!!た、鷹彦さんに抱いていただけたなら、私……何年でも何十年でも働ける、から、だから!」


一年も二年も十年も変わらない。好きでもない男に抱かれる日々は、等しく地獄だ。

とうに割り切っている。諦めている。それでも、地獄に旅立つその前に、たった一つの救いが欲しかった。


その鋭い瞳が熱を持って、自分を見つめる時が欲しい。
その大きな手が自分の肌に触れて、二人分の体温が溶け合う感覚が欲しい。
その低い声が吐息を伴って、自分の名を呼んでくれる喜びが欲しい。


ただの一度でいい。愛が無くても情が無くても構わない。胸の奥に仕舞い込んで、目蓋の裏に浮かべる夢を、どうか――。


許しを乞うように頭を垂れる小鈴に、雛鳴子は掛ける言葉を見付けられずにいる中、鴉の無遠慮な憫笑が天井を擽った。


「カカカ、いいじゃねーか鷹彦。一晩相手してやれよ」

「お前なぁ……」

「処女は面倒くせぇから嫌ってか?その手間賃が云百云千万だ、割に合った仕事だろ」

「鴉さん!」

「仕事の話だ。お前が俺に口出し出来る案件じゃねーぞ、雛鳴子」


小鈴の想いを知りながら、どうしてそんな言い方が出来るのだと雛鳴子は鴉を睥睨した。
もう何度目になるかも分からぬ、嫌悪と侮蔑。だが、今日のそれが最も痛烈で強烈だろう。それでも雛鳴子が押し黙るしかなかったのは、これが仕事の話だからだ。

鴉に雇ってもらっている身である雛鳴子に、仕事のことで彼に口出し出来る権利は無い。
発言権が欲しいなら、小鈴の借金を肩代わりするくらいのことをするべきだ。それも出来ないのに、安易に同情などするなと鴉は流し目で雛鳴子に釘を刺す。

話を遮るものは無くなった。では、ビジネスを続けようと鴉は鷹彦の肩を叩いた。


「あれは分かってるタイプだ。一回寝たくらいで彼女面してくることもねぇし、お前にとって都合の悪いこたねぇよ」

「……そういう問題じゃないと分かって言っているな、お前」


鴉の言うことは徹頭徹尾正しい。間違っているが、正しいのだ。

小鈴は愚かだが馬鹿ではない。自分が請け負うものを理解しているし、金で買える範疇も弁えている。不都合は何も無い。よって鷹彦が断る理由も――無くは無いのだが。


「…………分かった。その条件で契約だ」

「鷹彦さん、」


裏切られたような雛鳴子の眼差しから顔を逸らすように、鷹彦は小鈴の前に足を運ぶ。

彼女の想いを知って尚、仕事としてこれを引き受けるなと、雛鳴子はそう言いたいのだろう。
たかが一発でしかないのなら、憐れんでやったっていい筈だ。馬鹿なことをするなと慈しんでやるべきだ。

彼の中にも、葛藤があった。それでも鷹彦は、金成屋として彼女に応えることを選んだ。


「額については、迷鳥亭の方と話し合って決める。君を抱くのは契約締結後。……それでいいか?」

「は、はいっ!あ……ありがとうございます!!本当に……ありがとうございます!!」


失望に浚われた雛鳴子の前で、小鈴は何度も深々と頭を下げながら、目に歓喜の涙を浮かべる。


何も嘆くことなど無かった。鷹彦が最初の男になることが彼女の唯一の望みであり、それが叶えられるならどんな形だって構わなかったのだから。

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