モノツキ | ナノ


思えば、彼女と共に暮らす以前からの問題だ。


終わりの見えない激務に喘いだ時、睡魔に見舞われ船を漕いでいた時、何となくやる気が出ない時、茶々子はいつも気を遣ってくれていた。

では彼女が同じような時、自分はどうしていたか。何もしていないのである。ぞっとさせられる程に。

文句の一つも言われないので今日まで気が付かずにいたが、そういう所が彼女を追い詰めたのではないかと、サカナはがっくりと項垂れた。


其処に見返りを求める気持ちが無くても、それが純然たる厚意だけで齎された物であっても、自分は応えるべきだったのだ。

彼女が自分に良くしてくれたのと同じだけ、彼女に返していかなければならなかったのだ。そうしたら、茶々子の心に出来た罅にもすぐ気が付けたのに――彼女があんな風に壊れてしまうまで自分は、何も出来なかった。


こんな奴が救われて、どうして自分がと思うのは、至極当然の事だろう。

嗚呼本当に――己の無神経さがほとほと嫌になると、サカナはショーウィンドウに映った自分の顔をくさくさとした目で睨め付けた、その時。モードなワンピースを纏ったマネキンから、脚が生えた。


「はぐぁっ?!」


無論、錯覚である。正しくは、マネキンと重なるようにして誰かの脚が伸びてきて、赤いハイヒールを履いたそれに、サカナは尻を蹴り付けられたのであった。


「い、痛ああぁ!」


人の往来がある事も忘れ、サカナが素っ頓狂な声を上げながら前方に倒れる。

一体全体、誰がこんな事をと刺されたような尻の痛みに悶えていると、背後からケタケタと笑う少女の声が降ってきた。


「シケた面して歩いてるネ。思わず蹴り飛ばしちゃったヨ」


その独特の訛りと、蜜に毒を溶かしたような声には憶えがあった。

振り向くまでもなく、自分の尻を蹴り付けた人物を理解したサカナが顔を上げると、大きなサングラスを着けていても分かる程よく知った顔が嗤っていた。


「ひ、火縄ぁ……」

「ヨッ、久しぶりネ」


軽くずらしたサングラスから覗くサーモンピンクの瞳を、見紛う筈もない。しかし、顔を合わせる機会が減った為か、ここ最近急激に大人びてきたせいか、時たま疑問に思う。彼女は本当に、自分の知る火縄ガンなのかと。

蹴られた尻を抑えながら、サカナは立ち上がり、猫を彷彿とさせる笑顔を見せる火縄ガンに向き直った。


前に会ったのは、二、三ヶ月前だったか。あの時も、よく見知った筈の彼女を別人のように感じたが、また同じような所感を覚えたのはきっと、成長期だけの話ではない。

盛大に転げた自分に向かって集まった人目を気にしながら、サカナは密談めいた声量で火縄ガンに囁いた。


「どうしたの、こんな所に……てか、こんな普通に外出て大丈――」

「ねぇ、あれ……」

「も、もしかして、ミラベル……?」


が、時既に遅し。街を行き交っていた人々の一部が、彼女の存在に気が付いた。

無理もない。ただでさえ目を引く出で立ちに加え、答え合わせかのように、背後の巨大な広告看板に彼女の姿がでかでかと写されているのだ。

鮮やかなリップを手に持った看板の彼女と、其処に居る彼女を交互に見比べて賑わい立つ人々を一瞥し、火縄ガン――もとい、今最も話題のスーパーファッションモデル、ミラベル・キルシュタインは小さく肩を竦めた。


「ンー。お前のせいで目立ったネ」

「えぇっ?!僕の非が一切見当たらないんだけど?!」

「声とリアクションとケツがデカいネ、お前」

「声とリアクションはまだしても、お尻は絶対デカくないよ!!」

「いいから、移動するヨ」


徐々に大きくなるどよめきを肌で感じ、戸惑うサカナの手を引いて、火縄ガンが走り出す。

ハイヒールを履いているとは思えぬ軽快な足取りは、無邪気に裏町を駆け回る拳銃頭の少女を彷彿とさせた。


「スーパーモデル・ミラベルが男と密会なんてあらぬこと書かれる前にネ」


prev next

back









×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -