モノツキ | ナノ


「出社ってクソじゃないですか?」

「それは全人類が思ってる事だな」


午前の小休憩中、デスクに突っ伏して深い溜め息を吐くサカナに、薄紅が適当に相槌を打つ。

もう何度似たような嗟嘆を聴いた事か。最初の頃は、めでたい悩みだと笑っていたが、いい加減辟易する。
サカナをこうも悩ませている茶々子も、この時間は家に居ないだろうにと薄紅が眉を顰めると、横で煙草を燻らせていたシグナルから頬を打つような一言が飛んできた。


「お前が家に居ても、茶々子が出てくだろぉ」

「出てくとか言わないでください!!そういうの敏感なんですよ僕ぁ!!」


アマガハラ・ヒナミによるウライチ開発が始まって間もなく、家に篭っているだけではいけないからと茶々子は仕事を始めた。
モノツキの雇用と、表の人間との交流を目的に構えられたウライチの案内所。其処が、今の彼女の職場だ。

案内所には彼女含め十人程のモノツキと、同じくらいの数の人間が務めて居るが、職場の空気は良好で、皆良くしてくれていると茶々子は言う。
特にパート雇用の奥様方が、何かと面倒を見てくれるのだと嬉しさ半分、申し訳なさ半分で話していた茶々子の事を思い出しながら、サカナはデスクに置いている彼女の写真を掴み取った。

随分前に携帯で撮影した写真をプリントして、写真立てに入れて飾り、時たまこうして祈るように手に取っては唸ったり、悶えたりするその様は、誰の目から見ても奇行である。
そうなるだけの理由があるとはいえ、結局彼の不安は杞憂に終わり続けているのだ。そう思い悩む事もないだろうと口にしたのも一度や二度ではない。


「もう、定期的に夢に見るんですよ……朝起きたり、仕事終わって家帰ったりしたら茶々子さんが居なくなってる夢……」

「重症だな。そのレベルは通院をオススメする」

「えぇ〜〜〜ん早く家に帰りたいよぉ〜〜〜」

「そんなに心配なら、茶々子の仕事場に転職したらどうだぁ?十中八九うざがられるだろうけどよぉ」

「何度も真剣に検討しましたよ、それ。でも絶対茶々子さんの負担になるので、職場の人を密偵として雇う事で妥協しました」

「しれっと最悪だな」

「だって心配なんですもん〜〜〜!!」


ウライチ案内所には、何度か仕事で赴いている。

ヒナミからの依頼や案内所側からの要請で、ウライチ内のごたごたに介入したり、区画整理の相談を受けたり、それなりの頻度で顔を出しているので、凡そ従業員の事は把握している。

一体誰を雇ったのかとそれらしい人物を思い浮かべつつ、しかし幾ら不安とは言え此処までやるかという眼差し向けられながら、サカナはうじうじと人差し指で机を撫でた。


「それに、職場の人にしか話せない事ってあると思うんですよ。僕への不満とか……色々……」

「実際あったの?」

「今の所は無いです……というか、まず僕の話を全然してないです……」

「説明に困るからだろうな」

「彼氏でも何でもない元同僚だもんなぁ、お前」

「そうやって僕をいじめるの止めてもらえます?!自分が今幸せ絶頂だからって調子乗り腐ってこの野郎!!」

「僻むな僻むなぁ〜。お前も何れ、良い出会いあるぜぇサカナ」

「殺!!」

「落ち着け、サカナ。お前も煽るな、シグナル」


めでたく髑髏路と結ばれ、少し前から同棲を始めたシグナルが、煽るように赤いランプを点滅させる。

”憑坐”を剥がせば、其処にはさぞ鼻を高くした憎たらしい男の顔があるのだろう。その鼻っ面目掛けて頭突きでも食らわせてやろうかと唸るサカナを、薄紅はどうどうと宥めた。


「不安になるのも分かるが……そういうものは思っていたより相手に伝わるものだ。お前が、茶々子の後ろ暗い気持ちを感じ取っているようにな」

「う、」

「だから不安になるな……というのも難しい話だが、過度に憂慮していても互いに気負うだけだ。そういうのが溜まっていくと、思いがけずデカい歪が生まれる。口にはし難いだろうが、そろそろ腹を割って話してみたらどうだ?」

「話すって……何を」

「それはお前が考えるべきだ」


また意地の悪い事を言うと眉を顰めつつも、至極その通りであるが為に文句も言えず、サカナは唇を尖らせた。

流石、先人の言葉だ。経験に物を言われては、反論の余地が無いと不貞腐れるサカナの頭を書類で軽く小突くと、薄紅は休憩は終いだと業務再開を促した。


「さぁ、仕事に戻るぞ。お前らの進捗がどうあれ、俺は定時に帰らせてもらうからな」

「はい出た、パワハラ〜。妻子持ちを盾にテメェだけ早く帰ろうとしやがって。俺だって早く帰ってスミレとイチャつきてぇんだよ」

「スミ……あぁ、髑髏路か」


どうもその呼び方は馴染みが無い、とすすぎあらいは真名と素顔を取り戻した同僚と、骨格標本頭であった頃の彼女を脳内で照らし合わせた。


「今日は髑髏路休み?」

「そ。帝都管理局の方もようやく落ち着いてきたってよ。とはいえ、クソ忙しいが忙しいになった程度だから、まだ当面は残業続くだろうってよぉ」


髑髏路――もとい、ロクドー・スミレは現在、帝都管理局で技術者として働いている。


彼女を見出したのはやはりというべきか、アマガハラ・ヒナミであった。

予てより彼女の卓抜した技術力に着目していたヒナミは、より良い世界創造の為に是非その手腕が欲しいと半ばっ攫うような形でスミレを帝都管理局に勧誘。
三日で全て教え込めとLANに霊術式を教えさせ、その間に帝都管理局技術部を新設。あろうことか、スミレを其処の部長に任命した。


斯くしてスミレは、LANと同じく籍自体は未だツキカゲに置いてこそいるが、三百六十五日の殆どを帝都管理局で過ごしている。

何ともヒナミらしい、凄まじく無茶苦茶な話だが、当のスミレは霊術式という未知の力によって生まれた全く新しい技術に触れる日々に、大きなやり甲斐を感じているらしい。
目が回るほど忙しいが、毎日とても楽しいと嬉しそうに語る恋人を前にすると、寂しいだなんだと言ってはいられない。

とはいえ、イチャイチャしたい気持ちはある。それはもう、無尽蔵にある。
今日だって有給を取って彼女と一日過ごしたかったくらいなのだ。それを堪え忍んで出社してきたのだから、こっちも定時で上がらせろとシグナルはつくもデブリ討伐の報告書作成に戻る。


「だから、今日も早く帰って飯作ってやりてぇの。定時過ぎるとスーパーの値引き商品殆ど残らねぇしよぉ」

「お前、そういう所は昔からしっかりしてるよな」

「お前らも偶には台所立てよ。居間でふんぞり返って飯が出てくるの待ってる奴が、葬式で嫁に泣いてもらえると思うなよ」

「至言だな」


修治がからからと笑う声を聴きながら、サカナはのっそりと上体を起こし、気もそぞろにパソコンに向かった。

もし今も茶々子が此処に居たのなら、しゃきっとしなさいと背中を叩いたり、気付けの一杯にとコーヒーを淹れてくれたりしていたのだろう。
そんな事を思いながら、ぬるくなったペットボトルのカフェラテに口を付けた所で、シグナルの放った言葉が今になって刺さった。


「……台所、かぁ」


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