モノツキ | ナノ


「そうですか……。執行、一週間後になったんですね」


ガラス壁の向こうで、不遜に脚を組みながらパイプ椅子に腰掛ける男に、少女は眼を細めた。


この姿も見納めになるのだと思うと、妙な寂しさを覚える。

かつては、もう二度と見ることもないだろうと思っていたというのに。こうして何度か繰り返し対面していく内に、別れが惜しくなってしまうとは。
先の事というのは、つくづく分からないものだなと、少女は七日後に死刑執行を控える男に、苦々しい笑みを見せた。


「じゃあ、これが本当の本当に、最後になりますね」

「ああ。全く、清々する。見たくもない顔を見るのも、聞きたくもない声を聞くにも、これで最後だ」

「むぅ。ひどいこと言いますね、インキさん」

「俺の心を完膚無きまでに叩き壊しておきながら、ぬけぬけと顔を出したお前が言えた台詞か?なぁ、ホシムラ・ヨリコ」

「そ……それについては、もう何回も謝ってるじゃないですか!」

「謝って済むなら警察も死刑制度もいらん。よって、俺は地獄の底までこの恨みを持っていく。そして、獄卒共の耳にタコが出来るまで話してやる。ホシムラ・ヨリコは大悪党だとな」


そのプリンター頭から、無数の紙も、耳を劈くような罵詈雑言も吐き出されることはなく。
死刑執行が間際に迫っていながら、嫌に穏やかな声色で、男――インキは、ヨリコの胸をチクチクと針で刺すような言葉を、排紙トレイから出していく。


彼がこうして、まともな会話をしてくれるようになったのは一年前。

この小さな世界が、創造主であるつくも神の支配から解放され、人の手に渡ったすぐ後のことであった。


「そうですね。神様を八百万も殺したんですもん。私、大悪党に違いありません」


ヨリコが八百万の神々を皆殺し、”真実の民”が企てた人類救済計画・ラグナロクを遂行しようとしたあの日。
創造主を失い、滅びへ向かっていた世界を支えるべく、人柱になろうとしていた彼女の為に、ヨリコと縁を持つ者達が帝都中から集められた。

彼女と何等かの繋がりがあり、且つ、彼女を救いたいと願う有志者達。一夜の内に掻き集められたその中に、インキもいた。

最も、彼の場合は志願ではなく、強制で。
すすぎあらい伝てに話を聞いたクロサワ刑事に、悪縁もまた縁だろうと連れていかれた末、彼は先のない命を削り、ヨリコ救済計画に不承不承、助力してしまった。

どうせ、そうは長くない命だ。
帝都クロガネ始まって以来の、最低最悪のテロリストとして死刑執行が決まった身では、寿命が幾ら削られたところで、惜しむ理由にならない、と。


だが、後からそれを聞いたヨリコは、居ても立っても居られないと、二度と顔を見せるどころか、思考の端にすら止めることはないとまで宣言したインキの前に、再び姿を現した。
例え残り僅かな命でも、死刑が確定している身だとしてでも。自分の為に無理矢理連れ出され、命を削られたインキに、詫びなければならないと思ったのだ。

どれだけ酷く叱責されようと、罵倒されようと、生かしてもらった身として全て受け入れる責務がある、と。ヨリコは再び、彼に会いに行くことを決めた。

最初で最後だと思っていた面会日。あんなにも酷い言葉を置いていった自分を、インキはさぞ恨んでいるだろう。
その上、自分の為に体につくも神の力を受けることにまでなって。
ガラス壁の向こうが、恨み言をびっしり綴った紙で満たされても仕方ない。

そう思って、二度目の面会に臨んだヨリコを迎えたのは、恐ろしい程の沈黙であった。


「……因果だな。世界を変えたいと願った俺の手によって命を落していた女が、神殺しとなってこの世界を土台から変えるだなんて」

「……そうですね。運命の悪戯…………いえ。悪ふざけのように思えます」


二度目の面会で、インキはただ黙って、ヨリコの言葉を聞いていた。

呻くことも、喚き立てることもせず。轡を噛まされている訳でもないのに口を閉ざして。コピー用紙の一枚も出すことなく、彼は沈黙していた。

もう、自分と話すことはなにもないという、彼の意志表示なのか。
元より、会話など出来やしないだろうとは思っていたが、これはこれで堪えるものだとヨリコが沈痛な面持ちをしながら、自分を救う計画に加えられてしまったことへの謝辞と、無理強いでも強要でも、自分の為に命を差し出してくれたことへの感謝を、ありのまま述べた。


何一つとして取り繕うことも、包み隠すことも許されない。
そうでなければ、本当に、自分はどの面下げて彼に会いに来たのだと、他ならぬ自分自身に咎められる。
申し訳ないと思うなら、それだけ正直になるべきだ。
彼に届かなくても、聞き入れられなくても、そうすべきだと心が声を荒げるなら――。

そう自らに言い聞かせながら、彼に伝えなければと思っていたことを全て言い終えたところで、インキは初めてプリンターの稼動音を上げて、一枚の紙を吐き出した。

其処に印刷された文字に――インキの言葉に従って、三回目の面会を果たした時から、彼はヨリコと会話をしてくれるようになった。
こんな風に。互いに殺し、殺された間柄であることを踏まえた上で。


「あの日、私は偶然あそこにいて、貴方に偶然殺されて……そして、偶然”真実の民”の目について、偶然神殺しの力を手に入れて……。此処に一つとして、貴方の意思も意図も介入していないのに、私は結果的に、貴方の望みを……世界を変えるという願いを、果たしてしまいました。こんなの、運命の悪ふざけとしかいいようがありません」

「……お前、言葉に棘を含めるのが上手くなったな」

「貴方と何回もお喋りしていたので、伝染ったんだと思います」

「言ってくれる」


全ての始まりは、ある意味、インキに起因していた。

彼が人を恨み、世界を引っくり返そうと目論まなければ。その先で、件の事故を起こさなければ、ヨリコは帝都に生きる二千万人の中に埋もれる、ただ優しいだけの少女で在り続けた筈だ。

何処にでもいるような、ごく有り触れた、普通を絵に描いたような少女。
それをイレギュラーたらしめたのは、あのトラック事故だ。

あれに巻き込まれることがなければ。巻き込まれたとしても、両親と同じく、原型さえ止めぬような姿で命を落していれば。
仮に綺麗なままで死んでいても、神殺しの力が馴染まなければ。ヨリコは、八百万の神を殺す力も、この小さな世界を変える力も得ることはなかった。

そう。全ては偶然の産物で、悪ふざけのような奇跡の所業で。何か一つでもズレが生じていたのなら、こんなことにはならなかっただろう。


それなのに、どうしてか。

他ならぬ自分自身と、最愛の両親を殺めた相手を前にしても尚、わざとらしく頬を膨らませたり、悪戯っぽく笑ってみせたりする彼女を見ていると、運命というのは、天の気まぐれだけで出来ているものでもないという気になってくる。

インキは、いるのかいないのかも分からない不確かな存在の作為を感じながら、深く息を吸い込んだ。


「…………なぁ、ホシムラ・ヨリコ」

「はい」

「……俺は、今も何一つとして、間違ったことをしたとは思ってはいない」


改まってみせたのは、これが正真正銘、最後になるからだ。

あと少し、時計の針が進めば、面会時間は終わる。
死刑執行まで残り一週間。この間に、彼女と再び相見えることは不可能だ。

だから、自分も。伝えるべきことがあるのなら、文字一つ残さず吐き出すべきだろうと、インキはインクカートリッジを動かしながら、一つ一つ、言葉を紡いでいった。

最後の最後に再び、全てを忘却の彼方へ追い遣ることを宣告されたとしても。
どうせ七日後には死んでしまうのだからと、インキは自らの胸中を、ヨリコに開示する。


prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -