モノツキ | ナノ
「…………」
「…………」
いつの間にか抱かれていた頭から、ゆっくりと腕がほどけていく。
昼行灯の頭を引き寄せていたそれが離れたかと思えば、頬に、ランプのガラスに手が宛がわれて。
「………全部、受け入れさせてください」
もう一度。ガラスの中に閉じ込められた小さな炎に息を吹き込むように、唇が寄せられた。
それは拙くも懸命な、ほんの一瞬の口付け。まるで夢幻の中にいるかのようなその感覚に、昼行灯が言葉を失う中。ヨリコは、僅かに震える唇で、言葉を紡ぐ。
「人を傷付けてきたことも、それに苦しんでいる心も、犯した罪も……拒絶されることが恐ろしい気持ちも、ぜんぶ。昼さんのぜんぶを……私にください」
自身を化け物とし、心を黒い檻の中に閉じ込めてきた彼に、もう何も恐れることはないのだと言い聞かせるように。
ヨリコは、込み上げそうになる嗚咽を抑えながら、ありったけの言葉を彼に捧げた。
「……好きです」
自ら浅ましい、いやらしいと感じるような想いを口にするのは、とても恐ろしい。
彼に幻滅されたり、否定されたりしたらと、考えるだけでどうにかなってしまいそうだ。
けれど、もし。こんな言葉でも、こんな想いでも、彼を救うことが出来るなら。彼を苛む、本当の呪いを解くことが出来るなら。
誰よりも救われたいと望みながら、誰よりも報われず。傷付いて、傷付いて、何度も打ちのめされていく内に、希望を見失ってしまった彼に、与えられるものがあるのなら――。
ヨリコは、涙で滲む昼行灯の顔を真っ直ぐに見つめながら、震える声を振り絞った。
「私、昼さんが……貴方のことが、大好きです……っ」
生きているだけで誰かを傷付け、自らも痛みを負い、幾つもの想いを砕き、砕かれてきた。
そんな日々を過ごす内に、いつしか自分は、救われてはならない者なのだと思うようになっていた。
犯した罪のせいか、己の本質のせいか――分からないが、きっと自分が許されることはないのだろうと、昼行灯は全てを手放そうとしていた。
元より、誰かの犠牲の上に立って、光を浴びるような価値のある者ではないのだ。もうこれ以上、救いも望みもない自分の為に、誰かを傷付けるのは止めよう。
また、愛する人を身勝手な想いで傷付けてしまわぬ内に。今日まで自分の傍にいてくれた優しい彼女を、裏切ってしまわぬ内に。
此処で、何もかも終わらせてしまおうと。そう、思っていたのに。
「……っ…………」
曝け出した醜い本音も、いじましい心根も、身勝手極まりない殺意ですらも、受け入れられてしまった。
本当に怖いのは、貴方なのでしょうと言うように。細い腕で抱き締めて、欲しくて堪らなかった言葉を注がれてしまった。
繰り返してしまわぬよう、諦めたかったのに。彼女だけは壊したくないからと、覚悟していたのに。
なのに。心身共に汚れきった化け物と知って尚、その小さな体で、受け止めようと言われたら――また、望んでしまう。求めてしまう。
「う、うぅ……ああああ……っ」
昼行灯は、まるで子供のように泣きながら、ヨリコの体に縋り付いた。
これが今だけの嘘や夢であったなら、こんなにも胸が痛むことは無かっただろう。
ヨリコが心から自分を愛し、受け入れると言ってくれたからこそ、心臓が潰れてしまいそうなくらい苦しくて、涙が止め処なく溢れてしまう。
ずっと、ただ、この言葉だけが欲しかった。惨めで愚かで、とても弱い自分自身を、見つめてもらいたかった。
この呪いを授かるよりも前から。彼が欲していたのは”真実の愛”だったのだ。
「……愛してます、昼さん」
まるで子供をあやすように囁かれたその言葉に、昼行灯は頷くことしか出来なかったが、ヨリコはそれでも微笑んでいた。