モノツキ | ナノ


酷く冷たい声でそう言い放つと、昼行灯は席を立った。

まさか、そのまま行ってしまうのかと思えど、ヨリコの体は冷水を浴びせられたかのように驚き、竦み、身動き一つ出来ずにいて。
ただ彼が、コツコツと靴音を鳴らしながら、自分のもとへ来るのを見ているだけで精一杯で。
そんな微弱な意識でどうにか持っていた体がソファに沈められるまで、ヨリコは声一つ出せずにいた。


「ひ、昼さ……」


ヨリコの肩を押し、ソファに倒してみせた手に体重を乗せながら、昼行灯はランプを煌々と光らせながら、頭を近付けた。

夕陽に透けるガラスが、内側で燃える蝋燭の火と相俟って、悍ましい程の緋色に染まっている。
其処に映る、戸惑い、怯えた自分の顔を見て、眼前の彼が口を吊り上げたような気がして、ヨリコは息を飲む。

その様を見て一層赤く光るランプは、さながら獣の瞳のようだった。


「えぇ、そうです。私は、貴方の想像など容易く上回る程、汚れた人間……いや、化け物です」


自嘲するようにそう言うと、昼行灯はヨリコの顎を持ち上げた。

これから見せる化け物の本性から、彼女が目を逸らせないよう。彼女の瞳に、己の全てを刻み付けるよう。固定したヨリコの顔に距離を詰ながら、昼行灯は饒舌に語る。
きっとこれが、最後になるのだからと。


「怨みで武器を振るい、怒りのままに人を傷付け……かつて愛した女性すら、手に掛けた。
……仕方ないなんて言葉で片付けられることではありません。私はいつだって自分の為に……身勝手な理由で人を殺してきました」


弱々しく握られた小さな手が、自分を押し退ける前にと、もう片方の手を伸ばして指を絡めれば、ヨリコの体が僅かに跳ねた。

そのいじらしい怯え様にますます口角を上げながら、昼行灯は貪るように手を重ね、ヨリコの抗いを握り込んでいく。


「どうして私ばかりが虐げられるのか、どうして私が報われないのか、どうして私が傷付かなければならないのか……。
そんな言葉で自分を正当化して、罪を犯し……いつか、誰かが自分を救ってくれるだろうと、日々を凌いできました。
これまでこの手で潰してきたもの、壊してきたもの……その全てに見合うだけの価値が、自分にはないと分かっていながら……私は尚も罪を重ね、この生き難い世界にしがみ付いてきた。
その結果が……このザマです」


世界の全てに見放され、否定され、甚振られ――行き場のない憤りや悲しみ、恨み辛みが、彼を本当の罪人にした。

誰もが自分を苛むのなら、自分も同様に人を食い潰していくだけだと。そんな言い訳をしながら手を汚し、自らを貶めてきた。
救われたいくせに、許されたいくせに、正しく生きることなんて出来なくて。理不尽犇くこの箱庭で、少しでも傷が付かないようにと、狡猾に、陰惨に生き抜いてきた。

そうして気が付いた時には、彼はただ救われたいと吠えるばかりの化け物になってしまっていた。

自分が報われないと分かった刹那に、愛した人に憎悪を抱き、歯牙に掛けるような――。そんな、救いようのない化け物に。


「ヨリコさん。私は、貴方が思うような”人間”ではありません。私は……貴方が思ってるよりも遥かに愚かで、醜く、卑俗な化け物です。
貴方に拒まれるくらいなら……いっそこの場で貴方を殺してしまった方がいいとさえ考えている……そんな奴なんですよ、私は」


言いながら、昼行灯は両の手を離して、ヨリコのか細い首を緩く掴んだ。

それは、空虚な脅しだった。
誰にでも分かる嘘を吐いてまで、自分を大きく見せようとする子供のような、馬鹿げた虚勢。

そんなものを振り翳しながら、昼行灯は必死に、ヨリコを恐れさせようとしていた。


「それでも貴方は、私を許すことが出来ますか。こんな私のことを……受け入れることが出来ますか」


抑えの効かない、荒れ狂う化け物のそれに成り果てたこの心。
これをヨリコに拒まれたら――自分は本当に、この手に力を入れて、彼女の喉を絞め上げてしまうだろう。

だから、嘘でも頷いてほしい。

助かりたい一心でいい。逃れる機を窺う為でもいい。
この場だけでも取り繕って、平気な顔をしながら裏切って、二度と姿を見せずにいてくれたら。それで今度こそ、何もかも諦めることが出来るから。

どうか、恐れてくれ。慄いてくれ。逃げてくれ。
自分という化け物が、貴方を殺してしまうその前に。もう二度と同じ過ちを繰り返してしまわぬよう、今此処で終わらせてくれ――と。昼行灯は酷く冷たい両手で、ヨリコの喉を握った。


彼女が微かに息を飲み込む動きが、酷く鮮明に感じられる。不穏に掻き鳴らされる心臓の鼓動も、頭が潰されてしまいそうなくらいよく聴こえる。

なのに、目と鼻の先にいるヨリコの表情だけが、どうしても分からなくて。
怯えさせようとしていながら、誰より恐れながら彼女の言葉を待つ昼行灯は、思わず眼を閉じてしまった。

次に目蓋を開けた時に、ヨリコが此処にいなければ――なんて。そんな馬鹿げた彼の祈りは次の瞬間、唇に触れた温度によって溶かされた。


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