モノツキ | ナノ


ビルの間から吹き抜けてきた風が過ぎり、辺りの木々がざわめくが、その音も景色も、遥か遠くのことのようで、ヨリコの頭には届かなかった。

渾身の力で撲られたような衝撃が、いつまでも響いている。
前以て警告を出され、不穏の匂いを嗅ぎ取って、腹を決めても尚、受けたショックは大きく、ヨリコは茫然自失に陥った。

何を言われたのか、脳が受け入れようとせず、思考がちりぢりに乱れる。
それでも、胸の奥底にまで突き刺さったすすぎあらいの言葉を引き抜くことは出来ず。
ヨリコは穿たれた胸を抱きながら、彼が見据えた事の全貌に、耳を傾けた。


「本当に社長がアマガハラ・ヒナミを殺そうとしたのなら、未遂で終わらせたり、自分しか使わないような得物を凶器にしたりなんて、絶対にしない。
殺す気があったなら、もっと上手く殺している筈だ。だから、社長が犯人ってことは無い。それを確信出来るから俺は、じゃあ真犯人は誰なんだって考えて……ふと思った。
仮に真犯人がいたとして、そいつが何故社長に容疑を着せようとしたのか……って」


レイラが、ヒナミ殺害未遂の容疑を昼行灯に掛けてきた時から、すすぎあらいは謀略の気配を感じていた。

昼行灯がヒナミを殺す動機は、決して無い訳ではない。だが、旨味が無いのも事実だ。怨恨にしたって、今更過ぎる。

何より疑わしきは、ヒナミが殺されていないことだ。
もし昼行灯が犯人だったなら、ヒナミは確実に命を落していただろう。姉への情が……なんてことがあるなら、そもそも殺そうとさえしない筈だ。
アマテラス側も、昼行灯のそうした一面をよく知っているだろうに。そこに至らないものか。

すすぎあらいの疑念は、そこで芽吹き出した。


「アマテラス程でかい会社なら、怨恨を持つ奴は、うじゃうじゃいる筈だ。
容疑者に社長がカウントされるのも納得いくけど……そもそも、社長がアマガハラ・ヒナミを、しかも自宅で殺すなんて、無理がある。
いくら弟だからって、ハイいらっしゃいって簡単に通してもらえる訳がないし……第一、あの頭は目立ち過ぎる。
なのに、どうしてレイラ達は真っ先に社長を疑ってきたのか……。考えられるのは、あいつらが社長を犯人に仕立て上げようとしているってことだ」

「……!」


一つめのピースが嵌ったような感覚に、ヨリコは瞠目した。

彼を犯人と決め付けて、とレイラに言っておきながら、彼女らが、アマテラスが昼行灯に罪を着せようとしていることなど、考えてもみなかった。
だが言われてみれば、レイラのあの過剰とも言える自信も、最初から彼を陥れる為のことだと思えば納得だ。

しかし、何の為にアマテラスは、ヒナミを手に掛け、その罪を昼行灯に擦り付けようとしているのか。

その疑問に衝突してから、すすぎあらいの思考は実によく回った。


「恐らく……連中の目的は社長を犯人として表に引き摺り出すこと。それによって、アマガハラ・ヒナミを完全に失脚させることにあると思う」

「ヒナミさんを、失脚……?」

「アマガハラ・ヒナミを襲ったのは、死んだと思われていた実弟、アマガハラ・テルヒサ。
動機は、自分が継ぐ筈であったアマテラス社長の地位を奪い、裏社会へ追いやった姉への怨恨……なんて報道されたら、アマガハラ・ヒナミの名声は地に落ちるだろう。
あの完全にして完璧な人が、裏ではそんなことをしていたなんて、と。彼女が高潔であっただけ、人々の評価は一変する。
そうして、あの姉弟に全ての罪を被せた上で、空いた社長の椅子に座り込み、『今後は人の為、社会の為のアマテラスをを作ってまいります』……なんて、耳障りのいいことを言って、社員や民間の支持を得よう……。
そんなことを目論んだ奴が、今回の仕掛け人だと、俺は考えている」


アマガハラ・テルヒサこと昼行灯の存在は、アマテラスにとって隠し通していたい汚点の筈だ。
それを、ヒナミ殺人未遂なんて大事件の犯人に仕立て上げてるなど、彼の存在を世に知らしめるも同然のこと。

わざわざそんなことをしてくる理由として、考えられるのは一つ。アマテラスから追いやられたという昼行灯の立場を使い、ヒナミを落し込むこと。
そして、彼女の座っていたアマテラスカンパニー社長の椅子を、乗っ取ることだ。


――では、誰がこれを謀ったのか。

すすぎあらいは、今回の主犯として、最も疑わしい人物を洗い出していた。


「……アマガハラ・ヒナミは、予てから叔父であるアマガハラ・カゲヨシに、その地位を狙われていた」


アマテラス内部に主犯がいるとして、最も疑わしい者は誰か。
すすぎあらいは、アマテラス上層部と、ヒナミとレイラの対人関係を調べ、彼に辿り着いた。


「アマテラス・カンパニーは、代々アマガハラの長男が継いできた。
ところが、社長……アマガハラ・テルヒサがモノツキになり失脚し、先代テルヨシは病に伏せたことで……アマテラスは、長女であるヒナミが継ぐことになった。
けど、これまで女性がアマテラスの社長になったことはなく……彼女がその地位に就くことに反対している人間も多かった。その代表が、アマガハラ・カゲヨシだ」


先代社長、アマガハラ・テルヨシの弟、カゲヨシ。

兄の存在がある故に、生まれながらにアマテラスカンパニー社長の椅子に付くこと叶わず。
長らく渇望してきた彼に与えられた、唯一にして最大の好機。それが、直後継者アマガハラ・テルヒサの消失であった。

座るものを失った、社長の椅子。決して手が届かぬものと知りながら求め続けたその席を、カゲヨシは何としてでも我が物にしようとしていた。
並々ならぬ、狂気にも等しい熱意を以てして、カゲヨシはあらゆる手を尽し、全てを賭して社長の座に就こうと励んでいた。

だが、健闘虚しく、アマテラス社長として君臨したのは、女であることを理由に後継者から外されていたヒナミであった。


「先代の娘であるヒナミ、弟であるカゲヨシ……継承権は、どちらに与えられてもおかしくはない。
長男が何等かの理由で会社を継げず、次男が社長になった前例もあるし……先代引退後、子供がその地位に就くことも、自然なことだ。
だから、ヒナミにもカゲヨシにも、どちらにも社長になることは可能だった。
他にも候補者はいたけれど、社長に就任するのはこの二人のどちらかだろうと言われ……結果、勝利したのはヒナミだった。
反対も多かったけど、それ以上に彼女を支持する人間が多かったのが、アマテラス初の女性社長誕生の大きな理由だ。
あんたも知ってるだろうけど……あの人は、正し過ぎるくらい正しい。その姿勢がたくさんの人間を付き従えさせ、圧倒的カリスマ性と手腕で、ヒナミは社長の座を勝ち取った」


テルヒサの存在に埋められていたが、ヒナミは人の頂点に立つ為に生まれてきたような人物だ。
強く正しく美しい、不世出の傑物。その輝きに惹かれ、彼女の下には多くの人が集まり、ヒナミを崇め、祭り上げた。

カゲヨシも、社長として遜色ない手腕と頭脳を持ち合わせてはいたが、相手が悪かった。
立場上は有利、勢力も拮抗していながら、最終的にカゲヨシは敗北した。

その憎しみは深く、カゲヨシはヒナミに殺意さえ抱いていたという。


「二番手を脱却する最大の機会を奪われ、カゲヨシはヒナミを酷く恨み、彼女の失脚を狙っていたそうだが……ついに限界が来たんだろう。
奴は、全ての罪を社長に……アマガハラ・テルヒサに擦り付け、ヒナミ殺しの犯人として仕立て上げ、彼女の地位を強奪する作戦を決行した。
その為に、ヒナミの秘書一人と、甥の部下を買収したんだろうと、俺は考えている」

「甥の、部下」

「社長の武器を盗んでいったり、社長のアリバイが不成立の時間帯を指定してアマガハラ・ヒナミを狙ったりなんて……内通者にしか出来ないだろう。
カゲヨシ一派に買収され、もしもの時は全ての罪を引っ被るつもりで、社長を陥れる作戦に加担したのは……ツキカゲの誰かに違いない」


ここでようやく、最初の言葉に繋がった。

主犯がアマガハラ・カゲヨシと見て間違いないと判断した後、すすぎあらいは彼等がどのようにして昼行灯を犯人たらしめんと画策したのかと考えた。

虚実である以上、歪は生まれる。そこから言い逃れされぬよう、あちらは随分丁寧なシナリオを作ってきた。
その完成度が、すすぎあらいに、共犯者がツキカゲの中にいるという疑念を齎したのである。


「副社長は、事件当日にシオネさん達といたってアリバイがある。それに、あの”人斬りシザークロス”が実行犯じゃ……アマガハラ・ヒナミは確実に死んでいただろう。
社長もそうだけど、殺せと言われてやったのに、殺し損ねるような奴は、この事件の犯人じゃないと思う」


一つ一つ、削ぎ落とされていく翳り。その中に身を潜めている、裏切り者。

すすぎあらいには、それが誰なのか見えている。
そしてヨリコもまた、彼が言わんとしている人物の正体に、気付き始めていた。


「だから真犯人は、人を殺したことのない奴だ。人を殺せる匙加減を知らず、ヒナミに部屋まで招き入れられるような人間像を持ち、当日アリバイを持っていないツキカゲ社員……」


脳裏に浮かぶシルエットは、他の誰のものでもない、呪われた頭部。

そんな訳がないと拭い去ろうとしても、掻き消そうともがく度に、その姿は鮮明になっていって――。
思わず耳を塞ぎたく手を抑えながら、ヨリコは、すすぎあらいが導き出した答えと、自分が思い浮かべたその人が重なるのを、聞き届けるしかなかった。


「…………俺は、茶々子が真犯人だと思っている」


心が裂かれるような痛みが、金切り声を上げた。


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