モノツキ | ナノ


聞き覚えのある声に、ゆっくりと顔を上げて、ヨリコは「あ……」と声を漏らした。


其処にいたのは、すすぎあらいだった。

普段、仕事以外では出歩くことなど殆どない筈の彼が、何故此処にいるのか。そも、見付けた、とは。
何だか夢を見ているようで、頭の中に流し込まれた困惑を、緩やかに感じる。

そんなヨリコの混迷を、すすぎあらいは予想していたのか。思った通りの反応をされたことを小さく笑って、やがて、自ら口を開いた。


「あんたのことだから、一人で真犯人を探して、社長の無実を証明しようとしてるんじゃって思った。
そこから家を出て、アマテラスの近くまで行こうとして、さてどうしようかと思い悩んで考えるなら、この辺りかなっ……て」

「……プロファイリングですか?」

「するまでもない、かな。これは、予想」


茶化すようにそう言うと、すすぎあらいはヨリコの隣に腰掛けた。

彼が、プロファイリングするまでもない、と言ったのは、ヨリコの単純さを嗤ってのことではない。
ヨリコならそうするだろうという、彼女への信頼にも等しい直感が的中したことが、無性に可笑しくなって、彼は笑ってしまったのだ。

そんなすすぎあらいの心情を何となく嗅ぎ取れていたので、ヨリコは心を荒立てることもなく、また、下を向いていた。


プロファイリングするまでもなく、予想だけで、彼は自分の居場所をぴしゃりと当ててみせた。
もし自分に、すすぎあらいのような聡さがあったなら、こんな所で往生していないで、昼行灯の為に何か出来ていただろうに。

再び、己の無力さを痛感して、ヨリコは鬱いだ。

そうしてみるみる萎んでいく彼女を見て、すすぎあらいも悟ったのだろう。
軽く回していた洗濯機の音を止め、暫し静寂に身を置くと、改まって、自分が此処に来た目的を話し始めた。


「……社長、あれから帰ってないんだ」


ヨリコは、冷水を浴びせられたように肩を震わせた。

その、可哀想なくらい怯えた様を目の当たりにして、すすぎあらいはらしくもなく、少し慌てて取り繕った。


「あの人のことだから、もうアマテラスにとっ捕まってるってことはないと思う。けど、そうなってしまう前に、俺達もどうにかしないとって、動いてるとこ」

「……そうだったんですか」


未だ、希望を持たせられるような物言いをしてみても、ヨリコは顔を上げてくれなかった。
そこで会話は途絶え、重く圧し掛かるような沈黙の訪れ。その冷え切った静寂の中で、すすぎあらいは後悔し始めた。

自分がこれから口にする言葉は、ヨリコの心に出来た切り傷に、深く爪を立てるだろう。
それはとても残酷なことで、いっそここで打ち止めにしてやった方がいいのでは、とさえ思えてくる。

だが、きっとそれは、彼女にとって本意ではないだろう。

例え真実が茨犇く道の先にあろうとも。その先に昼行灯がいる以上、ヨリコは自らが傷付くことも厭わず、進むことを選ぶ。
そう確信したから、自分はこの状況下で、彼女を探して此処に来たのだろう、と。すすぎあらいは自らに言い聞かせ、もう一度、重々しい口を開いた。


「……あんたに、話さなきゃならないと思うことがあるんだ」


ヨリコは俯いたまま。それでも、視線だけは此方に向けてくれた。

何故すすぎあらいが、自分を探して此処に来たのか。その答えが、ほんの一筋でも光になるかもしれないと、感じてくれたのか。
その、微かな兆しを目にして、すすぎあらいは喜ぶに喜べず。洗濯機を小さく唸らせた。

彼がヨリコに伝えんとしていることは、この現状を打破する、起死回生の一手に繋がる可能性がある。


――そう。あくまで可能性があるだけで、確実ではない。


すすぎあらいの推察が外れていれば、最悪、状況はより一層悪化する。
ハイリスクハイリターンの賭け。そんなものに身を任せる性分では無かったのにと思いながら、すすぎあらいは丁寧に予防線を張った。


「これは未だ、確実なこととは言えない。もしかしたら、俺の思い過ごしかもしれない。おまけに……あんたにとってとてもいい話とは言えない。
けど俺は、確信に近いものを抱いていて……。だから、ヨリコに覚悟があるのなら、聞いてもらいたい……そう思って、俺は此処に来た」


自分でも、なんて馬鹿げたことをと思っている。誰かに否定してほしいとさえ、感じている。こんなことを口にして、罵倒されてもおかしくないだろうとまで、考えている。

それでも、すすぎあらいは聞いてほしかった。

誰でもなく、他ならぬヨリコに。これが正しいか否かの判を、押してもらいたかったのだ。


「……どうする?ヨリコ」


今なら引き下がれるぞ、というようなすすぎあらいの言い方で、ヨリコは察した。

頷いた先で待ち受けているのは、身を裂かれるような痛みと、気が狂いそうなくらい残酷な未来。
それに打ちのめされる自分の姿が見えているから、すすぎあらいは前以て、忠告してくれたのだろう。
引き下がるなら、今だ。耳を塞いだってどうにもならなくなる前に、遠くへ逃げてしまえと。

だが、今また逃げたところで、結果は同じ――いや。逃げた分だけ、後悔が上乗せされるに違いない。

ならば、自分がすべきことは決まっている。


「………聞かせてください」


ヨリコは、擡げそうな首を上げて、すすぎあらいを真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、今にも零れ落ちそうな涙で潤んでいながら、とても強い光を帯びていて。


「すすぎあらいさんも……私にお話する覚悟をして、此処に来てくれたんですよね。だったら……私も、ちゃんと聞きたいです」


やはり愚問であったかと、すすぎあらいは目を細めた。


思えば、こうなることを信じていたから、自分は此処に来たのだ。何も不安になる必要は無かったろうに――。

それでも、すすぎあらいは、最後に躊躇った。

覚悟の上であろうと、これから伝えることは、自分にとっても彼女にとっても、残酷だ。
彼女がこれまで乗り越えてきた、どんな悲劇よりも、きっと。


すすぎあらいは、それでもこれは、自分達が避けては通れぬ道なのだと、腹を括った。

いつだって、救いは絶望の先にしかない。これまでだって、そうだった筈だ。
だから、今回も辛苦の果てに救済がある筈だと、祈るような想いを携えて、すすぎあらいは切り出した。


「ヨリコ、俺は…………アマガハラ・ヒナミを襲った実行犯は、ツキカゲの誰かだと思ってる」

「………え」

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