モノツキ | ナノ
拾っては捨て、拾っては捨てた物の中には、絶対に中身を開けてはならないような雰囲気を醸し出すものが多く。
横面の賞味期限が信じられない日付を叩き出している箱や、パッケージの品が入っているとは思えない色に中身が変わり果てている瓶などに当たるとダメージが大きい。
大体の物は笑って流してくれていたヨリコも、流石に泥水のような物は入ったタッパーが出て来た時は顔を強張らせていたし、またゴミだと拾い上げた物から、何かが動く音がした時は、二人揃って悲鳴を上げた。
それでも、負けてなるものかと必死にゴミをまとめて、ようやく床が見えた時。思わずヨリコとすすぎあらいは軍手をした手でハイタッチを決めた。
そこで、洗濯機がピーピーと鳴き出したので、二人は一度ベランダに出て、洗濯物を干した。
ハンガーと洗濯バサミは、何故か部屋の中に転がっていて、奇跡的に汚れていなかったのでそれを使用する。
青天の空にはためく洗濯物を眺めているだけで、充実感を覚えてしまうが、まだまだやることは山積みだ。
残った衣類を押し込んで洗濯機を回し、二人はまたゴミ捨てに没頭した。
「あ、すすぎあらいさんもこの本読んでるんですか?」
「ん……あぁ、これか。作家が好きで、これ以外にもいくつか持ってる。確か、その辺に……」
「もう!ダメですよ、すすぎあらいさん!本は本棚に……」
「……そういや、うちに本棚あった筈なんだけど……」
「…………すすぎあらいさんのお部屋が、食べちゃったんですかね?」
「どうせ食べるなら、さっきの饅頭食べてくれたらよかったのに」
「お部屋に食べさせちゃダメです!」
「……すみません」
いつだか、ヨリコはやたら謝るクセがあると思っていたすすぎあらいだが、そのヨリコに頭が上がらないようでは。
少し可笑しくなりながら、反省しなければとすすぎあらいは本棚の捜索がてら、物の分別を続ける。
存外、早い内に本棚が出てきてくれたのは僥倖と言うべきか。いや、そう大きな物ではないとはいえ、本棚なのだから、すぐに見付かってくれなければ困るのだが。
「あぁ、あったあった」
「アイロン台で隠れてたんですね…………うわぁ、からっぽだ」
「というか、なんで横向きになってるんだ……?」
向きに合わせるように首を傾げながらも、取り敢えず起こしてやらねばと、どれだけ横になっていたのかさえ思い出せない本棚を縦にする。
出したら出しっぱなしの精神により、ものの見事にすっからかんとなった本棚の中に溜まった埃をダスターで拭い、重ねて置いていた本を、丁寧に並べていく。
そう数がある訳でもないので、みるみる内に棚の中身は充実し、綺麗に並んだ背表紙を見ているだけで満足感を覚える。
すすぎあらいは、きちんと作者別・タイトル順に並べられた本を横目に、また不要物の片付けにあたった。
「しかし、ヨリコも読むんだね、ウタフジ・セイショウ」
なんとなく、黙って片付けるのが憚られて、先程流れた会話を拾い直してみる。
部屋の片付けに於いて、思わぬところから出て来た本というのは、その後の作業妨害に繋がるものだが、こうして話しをする分には問題ないだろうと、すすぎあらいはゴミ袋を部屋の隅に運びながら尋ね。
ヨリコもまた、雑巾で床をせっせとを拭いながら、すすぎあらいの話に乗ってきた。
「はい!さっきの本……”ディア・カサブランカ”を読んでからファンになって……図書室で借りたり、自分で買ったりして、色々読んでます。
”ひまわり畑”とか、”トラヴィアータ”とか……あと、”ダフネの冠”も大好きです!」
ウタフジ・セイショウは、花を題材にした作品と、繊細な心理描写で有名な小説家である。
デビューからヒットまでに長い年月を要し、”遅咲き作家”と呼ばれていたが、咲いてからの彼は発表する作品は立て続けにベストセラーとなり。
今や、帝都の現代文学にこの人ありと言われる程の作家と呼ばれている。
著名人ではあるが、最初のヒット作は二十年以上も前のもので、ウタフジ作品にあまり若い層のファンというのは珍しい。
映画やドラマになった作品が多々あるので、タイトルを言えば、聞いたことがあると答える者は多いが、実際読んだことがある者はあまりいない。
ツキカゲでも、原作本を手に取ったことがあると言っていたのは昼行灯くらいだったかと。
すすぎあらいは何度も読み返したページを捲るように回顧しながら、本棚の中で一際古びたカバーの本に目をやった。
「……俺も、そうだった」
此処にあるウタフジ作品は、どれも家から持ってきたものだった。
ただただ幸福であった清らかな日々と、それを塗り潰した血生臭い悪夢の記憶が詰まった、彼の育った家。
今や跡形もないあの場所から持ち出した、少ない荷物の一つ。その中でも一番古く、一番愛着のあるものを視線でなぞりながら、すすぎあらいは懐かしむような声で呟いた。
「俺の父親が好きだったんだ、”ディア・カサブランカ”。絶対に読めって勧められて……それから、あんたと同じように」
”ディア・カサブランカ”は、ウタフジ・セイショウの代表作とも言える短編小説だ。
舞台は海辺に建つ、ある資産家の屋敷。
其処で庭師をしている男は、白百合のように身も心も美しい、生まれつき体が弱い令嬢に恋をしてしまう。
男は、自身の名と身分を偽って令嬢と文通をするが、病に蝕まれ、余命僅かとなった令嬢に、一度でいいから会って話がしたいと嘆願されてしまう…という話だ。
ウタフジ作品の中で、最も清らかで、最も切ない物語と称されているこの物語を、すすぎあらいの――キヨツグの父親は、愛読書としていた。
ちょうど、彼が若かった頃にウタフジ作品は火が点いたように人気が出ていて。
”ディア・カサブランカ”が発表された当時、キヨツグの父親は本屋に駆け込んでこれを購入し。以来、この作品の題材である百合の花が好きになったという。
現在、本棚に納められているそれは、彼が購入後ずっと大切に持ち続け、キヨツグが中学生の頃、絶対に読めと半ば押し付けるような形で譲られた物で。
仕方なしに読んでみたところ、見事にのめり込んだキヨツグも、家族のものだしと返却することもなく、本棚に置いて。ふとした時に何度も読み返してきていた。
そんな”ディア・カサブランカ”も、最後に読んだ日がいつかさえ、分からなくなっていた。
処分しきれず持ち込んできたものの、惰性に身を任せ、ただ穢れを纏い続けていく日々の中で、本を開くこと自体が無くなってきていて。
あのまま過ごしていたのなら、父の形見とも言えるこの本でさえ、ゴミと化してしまっていただろう。
すすぎあらいは、それはとても恐ろしいことだったと、無事にあるべき場所に納まった”ディア・カサブランカ”から、目を逸らした。
「最近は、あまり読んでなかったけど……また何か読もうかな、ウタフジ作品」
「あ、じゃあ最新作もまだ読んでないですか?『冬知らず』って本なんですけど……」
「……読んでないし、買ってもいない、な」
「それなら、今度持ってきますね!すごくいいお話だったので、是非読んでください!」
「……いいの?」
「勿論!」
「……そっか。なら、無くさないよう……部屋の片付け頑張らなきゃだ」
「ふふふ、そうですね。あともうちょっと、頑張りましょう!」