モノツキ | ナノ


「わぁ、久し振りだなぁ」


その場の勢いで、すすぎあらいの気が変わらぬ内にと出て来てしまったが為に、つなぎ姿のままヨリコは懐かしきウライチへとやってきた。

思い返せば半年前。昼行灯と共に食事に来てから一度も来てはいなかった、弾かれ者達の町。
相変らず薄暗く、提灯の明かりがぼうと浮き上がっている不可思議な地下街に、こんな形で来るとは思ってもいなかった。

ヨリコは妙に感慨深い気分になったが、善は急げとすすぎあらいを連れてきたのでそうのんびり物思いに耽ってもいられない。


「それで、お店はどっちにあるんですか?すすぎあらいさん」

「……あー、確かあっち」


すすぎあらいが力なく道の向こうを指差すと、「じゃあ、行きましょう!」とヨリコがぐいと手を引いて、気が付いた。

オフィスを出てから此処までずっと、すすぎあらいの手首を掴んだままだということに。


「あ、す…すみません!私さっきからぐいぐい引っ張っちゃって!!」

「…あぁ、気付いてなかったのか」


ヨリコは慌てて手を離し、ぺこぺこと頭を下げた。
本人は気付いていないが、今日は悪いことをした訳でもないのにやたらと頭を下げてばかりいる日である。

すすぎあらいはようやっと解放された手首を少し回して、ふぅと溜め息を吐いたが。
先程あれだけシグナルに罵声を浴びせられようともビクともしなかった沸点の低い彼が、これ位のことで怒ることもなかった。
かと言って、快く思っていないのもまた事実だが。


「…別に引っ張らなくても、此処まで来たら戻るのが面倒だから、もういいよ」

「は、はい…すみません」

「……謝ることはないと思うけど」

「あ、はい!すみま……あれ?」


すっかり頭を下げるのが板についたヨリコが、堂々巡りに到達したところで、すすぎあらいがまた一つ溜め息を零した。

呆れ半分疲労半分だが、不思議と嫌味めいたものではない溜め息だった。


「……何というか、あんたも大概変わり者だよな」


そう言ってすすぎあらいは、きょとんとしたヨリコを置いて、さっさと先に進んで行ってしまった。

慌てて追いかけてくるヨリコを横目に、彼はだらりと力の入らない腕をズボンのポケットに突っこんで、何とも気だるげに道を行く。



一方その頃、ツキカゲでは。


「はぁああああああああ?!!い、いいい、今何と言いましたシグナル?!!」

「ヒャッハハハハハハハハ!!思った通りまんまのリアクションすんなよ昼行灯!!」


ヨリコの戻りが遅い、と集中力が散漫しがちだったところ、突如やってきたシグナルから受けた報告に、昼行灯が悲鳴にも似た声を上げていた。

その反応があまりにも想像通りだったが為にシグナルが腹を抱えて笑うが、昼行灯にとっては笑い事ではない。


「ホ、ホントにすすぎくんとヨリちゃんが買い物に行ったの?あのキング・オブ・出不精のすすぎくんが?ヨリちゃんと?」

「あぁ、その通りだぜぇ。二人揃ってお手て繋いでなァ」

「嘘でしょう?!嘘なんでしょうシグナル!!
またそんな冗談を言って、ドッキリでしたって言うパターンなのでしょう?!!!」

「落ち着いて社長!体が繋がってない内はまだチャンスありますから!」

「お前は黙っていろサカナぁああああああ!!」

「ふべっ!!」


昼行灯の容赦ない顔面ストレート(八つ当たり)を食らったサカナが奇怪な声を上げて倒れたところで、シグナルが咳き込み出した。笑い過ぎて気管支に何かつっかえたらしい。

しかし、しつこいようだが昼行灯にとっては笑い事ではないのだ。


「何が…何がどうしてこうなったって言うんですか……」

「…おいシグナル、そろそろ真相を説明してやってくれ。このままじゃ我らが社長が自決しかねないぞ」

「ッハー…OK、OK。こんっだけ笑かしてもらったし、きっちりネタ明かししてやんぜぇ。まぁ、限りなく話したまんまなんだがよぉお」


壁に頭をガンとぶつけ、これ以上となく項垂れる昼行灯を指差し、修治がシグナルの肩をぽんと叩いたところで。
すすぎあらいの服があんまりにもあんまりだったことと、それを見兼ねたヨリコが彼の手首を引っ張って行ったことが説明された。

真相というのも馬鹿らしいことだが、ともあれ、全貌が見えたこの騒動に、三階オフィスにいた一同は安堵しつつも、一部「面白くなりそうだったのにな」と、口にすれば間違いなく昼行灯の鉄拳を食らいそうなことを思った。


「っつー、訳だ。俺は嘘を言った訳でもなく、ただ見たままを伝えただけだからな。
嬢ちゃんとすすぎが二人でウライチに行ったのは紛れもない事実だ」

「……そうですか」


昼行灯は窓を突き破って外にダイビングしたい思いこそ払拭出来たが、未だ立ち直ることは出来ていなかった。
寧ろ、彼に圧し掛かる影はより一層濃くなったようにも思える。

その様子を見て、社員達は揃って「まぁ、そりゃそうだろうな」と思った。


半年前のあの騒動から、昼行灯はヨリコを何処かに誘いたくても誘えない状況にあった。

またウライチで思わぬ人物に遭遇し、彼女を巻き込んでしまったらという思いに苛まれ、
彼女と二人きり、夢のようだったあの一時をもう一度過ごしたいという気持ちに蓋をしてきたというのに。
すすぎあらいは服が痛烈なまでに汚いという理由で、こうも唐突に、そしてあっさりと彼女と(形式上)デートに漕ぎ着けてみせたのだ。落ち込むなという方が無理な話である。

例えすすぎあらいにその気が無くとも、彼の状況は、昼行灯が渇望していたものであることに変わりない。
彼を責めることは出来ないが、それでも羨ましい、妬ましいと思う気持ちは、昼行灯の身に痛い程に降り注ぐ。

社員達の同情めいた視線が、彼の丸くなった背に向けられた。
だが、シグナルだけは彼を別のベクトルで哀れんでいた。まるで、泥の中でもがく虫でも見るかのような。そんな調子で。


「すすぎを羨む前に、てめぇは何かしたのかよ。昼行灯」


ざぁっと。昼行灯に圧し掛かる憂鬱が消えた。

それに代わり、何かが逆立つような殺気が立ち上り 社員達が揃ってシグナルを咎める視線を彼に投げかけた。

それでも、シグナルはチカチカと、挑発的にランプを点滅させて嗤う。


「半年の間、お前がしたことと言えば自己満足の消火活動だ。
道端に落ちた、その内消える煙草の吸殻の火を踏み消すような。誰にも評価されない慈善…いや、偽善行為だ。
それが嬢ちゃんの為だ、とお前は自分自身の為に矮小な火を消して回っていた。
そうして、肝心の嬢ちゃんからは眼を逸らしていた。そうだろ、なァ?」

「シグくん、いい加減に――」


茶々子が制止しようとした瞬間、眼前を影が過ぎり、次の瞬間にはシグナルが壁に叩き付けられていた。

ガァン!と鈍い音が響くと共に、シグナルのつまらなそうな暗さの赤い光に、昼行灯の頭の硝子が染まっていた。
まるで溢れる殺意が燃えているかのように、ごうごうと蝋燭を燃やす昼行灯を、サカナ達が止めようと一歩踏み出す。


「貴方に――」


その足を、昼行灯の擦れた声が縫い付けた。

首を絞められているかのように弱々しく。泣き叫び枯れてしまったかのように悲しい色で。


「貴方に、何が分かるって言うんですか……!」


されど、強い怒りに震えた声を、昼行灯は胸倉を掴み上げたシグナルに突き立てた。

心の奥底に仕舞い込んでいたものを曝され、蹂躙されたことに対して拳を固め。
そして、彼の言うことを自覚していながら、まんまと激情に流された自己嫌悪で 彼に殴りかかることを止めて。

不様極まりなく項垂れた昼行灯の手を、シグナルは容易く払い除けた。


「腑抜けの考えてることなんざ、分からねぇよ」


呆れと、憐れみの混じった声が、静まり返ったオフィスに響いた。
先程までの、嘲るような声ではなく。心底、可哀想だと同情を向けた残響が、力を無くした昼行灯の背中を緩やかに打つ。


「…ただ、これだけは分かるぜ昼行灯」


目も当てられない様だった。打ちのめされ、反逆の意志も潰され、其処に立ち尽くすだけの男の、沈みきった姿は。

暴力を以てすればシグナルを叩き伏せることも出来るだろう力を持っていながら、行使することも出来ずにいる昼行灯に、シグナルが抱く感情は、薄っぺらくも破り難き憐憫と、少しの失望と、微弱ながらも確かな不安だった。


「このままじゃお前は、確実に嬢ちゃんを殺す」


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