モノツキ | ナノ


「…何?どうかした?」

ボドっと床にゴミ袋を落としたヨリコだけでなく シグナルは煙草を灰皿に、髑髏路も手に握っていたドライバーを落とし。何一つ表情が汲み取れないその無機質な頭から、まるで最大限顔を顰めているようなオーラを醸し出していた。

その対象はドアを開けて入ってきた件の人物――すすぎあらいである。

本人は此方に向かって注がれる異様な視線の意味に気付いておらず、何事かと後頭部に当たるだろう辺りを掻いているが。
彼の現状を見た者ならば、一目でシグナル達と同じような反応をするだろう。
それ程に際立っている明白な異常は――


「なんっだすすぎあらい?!その汚ぇ服!!」

「…いつも通りだと思うけど」

「いつも……って、お前その芋ジャージどんだけ着てんだよ!!」

「……さあ」


ごうんごうんと音を立てる洗濯機の頭など二の次と思える程に、汚れきったその服であった。

常日頃すすぎあらいの着用しているジャージは、汚いに分類される汚れっぷりだが 今日のそれはまた一塩。
確か元の色は青だった筈が、何が付着してそうなったのかあちこち茶色く変色し、裾や袖口は乾いた泥のような物がカサカサとへばり付いている。
おまけに所々が擦れて色褪せ、中に着ているシャツもまた、使い古しのタオルをリメイクしたのかと疑いたくなるボロさときている。

一言で言うなら汚い。ただひたすらに汚い。思わず一歩下がって距離を置き、蝿を払う動作をして退けたくなる汚さだ。

普段から小奇麗とは言えない格好をしているとはいえ、ここまで来ると唖然とする程に不衛生である。
まだ雨にずぶ濡れた野良犬の方がマシだ。

あんぐりと口を開けている一同を前に、未だにすすぎあらい本人が堪えていないのが疑問である。


「まぁ、そんなこといいじゃん…どうせ服なんか汚れるんだし」

「にしったてそれはねぇよ!!お前、スペアとか持ってねぇのか?!!」

「……茶々子に『ボロ過ぎる』って捨てられた」

「なら買い足せよ!金あんだろ?!」

「……面倒臭い」

「面倒臭いぃい?!!臭ぇのはてめぇの服だけにしとけよ!!」


シグナルは普段であればツッコミついでに殴り飛ばしてやりたいところだったが、あまりにも今のすすぎあらいが汚いので触れたくないと拳を控えた。

この世界から暴力を無くすには、人類全て不潔であればいいのではないかと、そんなバカな考えが過ぎる程、戦意を削ぎ落とすボロジャージ。
まさかそれが狙いなのではないか。それ以外こんな汚いジャージを着る利点があるのか。
当然、現在進行形で平和を乱している男が、そんなことを考えている訳もなかった。


「まず服売ってるとこまで行くのが気怠いし…買ってもどうせ汚れてボロくなって捨てられると思うとだるい。…あぁ、でも……これ洗濯に出すとその間着るのがないんだった」

「パンツ一丁で仕事行く気かてめぇはよ!」

「…パンツだけだと寒いから、流石に困る」


すすぎあらいはまるで困っていなそうな口調で言って、何処か遠くでも見ているのだろう、あらぬ方へ頭を向けている。

シグナルの話をまともに聞く気がにないのは明白で、これに関して流石の髑髏路も何か物申せねば、と機械を置いて席を立とうとした。その時だ。


「す、すすぎあらいさん…いつもどこでお洋服買ってるんですか?」


いつの間に近くにいたのか。すすぎあらいがふと気付くと、それなりに長い間同僚として過ごしているシグナルですら触るのを拒否した彼の手首を、ヨリコががしっと掴んでいた。
無論、問題のジャージごと、しっかりと。

シグナルが思わず「うぉっ」と半歩退くが、それも気にすることなくヨリコは無駄に力強い眼で、すすぎあらいに訴えかけた。


「今すぐ買いにいきましょう!面倒だなって思うことは、早めに片付けちゃうに限りますよ!」

「……どうしたの、急に」


すすぎあらいは驚く、というより唖然としていた。

いきなり手首を掴んできたと思ったら、やたら力の入った口調で服の購入を勧められたので、彼の反応も尤もと言えば尤もだが。
先程の流れを知っているシグナル達は、ピンときた。


(それでも、我慢できないってことがあったらちゃんと言いますから!)


恐らく先刻の宣誓通り、すすぎあらいの惨状とも言える姿に耐え兼ね、物申すことを実行しているのだろう。

事情を知っていれば何とも分かり易い有言実行だが、何も知らないすすぎあらいは、
どうしたらいいものか、と微妙に戸惑うばかりである。本当に、微妙に。


「このままじゃすすぎあらいさん、ホントにパンツだけで出社することになっちゃいそうですから!
その前に新しいお洋服を買って、気持ちよくお仕事しましょう!私もお付き合いしますから!ね!」

「いや、あんたがついてきたとこでなんだけど……」


そんなすすぎあらいの困惑に比例して、ヨリコの言葉はより熱意を増していく。
だが、熱意というのは大抵いつも空振りするもので。
ヨリコがどれだけ熱心になろうとも、すすぎあらいの面倒臭いという思いは変えられない。

彼の重い腰を上げるだけのカードを彼女は持っていない。
それはシグナルや髑髏路も同じで、故にすすぎあらいは惰性に甘え切っている訳なのだ。
この手強い怠惰心を動かすに辺り、必要なのは熱意ではない。そうせざるを得ない理由だ。
例えヨリコが一時間説得したところで無駄である。

すすぎあらいがどうしてもそうしなければならなくなるまでは、梃でも彼を動かせはしない。しないのだが。


「いいじゃねぇの、行って来いよすすぎぃい」


時にその無意味な熱意も、誰かの思わぬ手札になる。

すすぎあらいは、もう匙を投げたと思っていたシグナルから思わぬ勧告を食らい、嘘だろと言いたげに此方に頭を向けた。

無駄だと分かっているのは彼も承知の筈なのに、何故このタイミングで押してくるのか。
理解出来ていないだろうすすぎあらいに対し、シグナルはランプの赤をちかちかさせて続ける。


「お前がそのホームレスも真っ青なボロジャージ姿でいると俺らも気分悪いしよぉ。
どうせ行かなきゃなんねぇんだ。道連れが一人出来てる間に行って来い」

「……でも、」

「それによぉお、早い内に替えの服買っとかねぇと昼行灯がうるせぇぞ。
…何より、嬢ちゃんと行っておけば茶々子だサカナだに、
ジャージ以外の服を選ばれては着替えさせられる地獄のファッションショーショッピングが回避出来んぞ?」


重度の出不精は、自分が何故こんなことをしなければならないのか、という思いから腰を上げないことが多く。
そこに一人同行者が出来ると、仕方ないと割り切る思いが作用してくることがある。

自分がその道連れになることは真っ平御免だったシグナルだが、その役をヨリコが買って出たことで手札は揃った。

思わぬ犠牲者が出てきてくれたことに、これ幸いと便乗し、すすぎあらいに追い討ちを掛けたシグナルは、相当揺らいできた彼に止めと言わんばかりにもう一言お見舞いしてやった。


「お前は馬鹿だが、賢明だと俺は思ってんだが…どうだぁあ?すすぎあらいよぉ」

「…………分かっ、た」


すすぎあらいは心底嫌そうに、だが、背に腹は代えられないといった調子で了承した。

隣でヨリコがぱぁっと顔を明るくするが、すすぎあらいのテンションは急降下していくのが、がくりと落ちた彼の肩から窺える。

シグナルはざまぁみろと言いたげに「カカカ」と笑い、箱から取り出した煙草に火を点けた。


「っつー訳だぁ、嬢ちゃん。ゴミはこっちで処分して、昼行灯にも俺が言っておくからよぉぉ、その汚ぇのよろしく頼むぜ」

「はい!お願いします、シグナルさん!」


ヨリコはまた丁寧に頭を下げ、隣でどっと溜め息を吐くすすぎあらいの手をぐいと引いた。

そう言えばまだ捕まったままだった、とすすぎあらいは、はしゃぐ幼児のように此方を引っ張るヨリコの方へと、力なく足を運んだ。


「それじゃ、行きましょうすすぎあらいさん!お店まで案内、よろしくお願いしますね!」

「……はいはい」


地を這うような声を残し、ヨリコに連行されるようにすすぎあらいはオフィスから退却した。

そして、慌ただしく響いて行く足音が消え、すっかり室内が静まり返った頃。
シグナルが堪え切れない、と膝をバシバシ叩いて大声で笑い出した。

馬鹿丁寧に頭を下げて行ったヨリコは彼の思惑の片鱗にすら気付いていなかっただろう。
巻き添えを食らうのを嫌い、誰かが犠牲になるのを待ってましたと言わんばかりに畳みかけてきた彼が、善意で自ら後始末を買ってきた訳がないのだ。


「ヒャッハハハハ!!こりゃ面白ぇ展開になってきたなぁあああ!
昼行灯の野郎がどんな雄叫び上げるか楽しみだぜ!!なぁ髑髏路ぃい!!」


後始末の手間賃は、後から後から込み上げてくるこの笑いに限る。

ヨリコがすすぎあらいと二人で出かけて行った、と言えば、彼女に御熱心なあの男はどんな反応を示すのか――全く、想像しただけで笑いが止まらない。

思わぬ方向に事が進んだことにヒーヒー言いながら笑うシグナルを見ながら、くすりとも笑っていない髑髏路は


「……シグが楽しそうで、何より」


と、妙に嬉しそうな声色で一言呟いて 止まっていた作業を再開した。


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