誰にでも幸せになる権利はあるんだ






オープンキャンパス一日目。
大勢のミドルスクール生や在校生の保護者の来校で ナイトレイブンカレッジ内は朝から活気付いていた。

「(すごい人…)」

今日の授業は飛行術と魔法史。
キラキラした目で授業を見学するミドルスクール生を微笑ましく感じていた。
きっと魔法を授業で扱うのが新鮮だからだろう。
殆どのミドルスクールで学ぶのは一般教養ばかりで、本格的に魔法≠ノ触れるのはハイスクールに上がってからだ。



「あの、スミマセン」
「…はい?」

放課後、モストロ・ラウンジのアルバイトに行こうと廊下に出たところで 校外の制服を纏った生徒に声をかけられた。

「ちょっと来ていただけませんか?」
「わたし?」

見学に来ていたミドルスクール生だろうか、まだ少しだけ幼さの残る顔が「あなたに会いたいという人がいて」と告げた。
わたしに会いたい人?誰かしら?もしかしてこの子誰かの親族?と彼の顔をまじまじ見ようとして、ナマエはぎょっと背筋を凍らせた。

「あなたに会いたいという人がいるので着いて来ていただけませんか」
「、ひ、っ!」

目の前の男子生徒の表情を見て息を飲んだ。
酷く虚ろで、焦点のあっていない目が此方を窺っていた。
目の奥の真っ黒な闇に呑まれそうになる。
今までガヤガヤとした喧騒の中に居たはずなのに、その音さえも耳に入ってこない。

「早く、来ていただけませんか」壊れたカセットテープのように何度も同じことを繰り返す彼に、無意識に後退りをする。
声を出そうとしても出てくるのははくはくという呼吸音だけ。
目の前の彼は じりじりとナマエとの距離を縮めた。
───段々と近くなっていく彼の気配に、強く目を瞑った。



「何をしている」

凛とした声が聞こえた。
その声と微かに鳴った鈴の音に ハッと意識を取り戻す。

恐る恐る目を開けると、チャコールグレーの瞳と目が合った。
心配そうに此方を窺う彼──ジャミル・バイパーに、少しだけ肩の力が抜ける。

「ジャミルくん…」
「大丈夫か?何かされて……はいないようだな」
「うん 大丈夫、ありがとう…それより、」

彼女の視線の先には先程まで此方ににじり寄ってきた男子生徒。
先程までの虚ろな目と 何とも言い難い迫力はどこへやら、「…あれ?僕は何を……?」と呆けた表情で辺りを見回していた。

その目が「…あ、」とナマエを捉えた。
途端、耳まで赤く染めた彼は「わ、わ、スミマセン!!」とかぶりを振って俯いた。

さっきまでと全く違う雰囲気を醸し出す彼に戸惑いを隠せず 怖ず怖ずとジャミルを見上げる。
ジャミルは怒ったような顔をして目の前の男子生徒を睨んでいた。

「…ジャミルくん?」
「っ、あ、ああ…すまない 何でもない。君 バイトの時間はいいのか?」
「あ、たいへん」
「ここは俺が何とかしておく」

ジャミルの言葉に慌てて腕時計を見ると シフト開始の五分前を指していた。
チラチラと此方に目を向けながら顔を染める男子生徒に「ごめんね、」とだけ声をかけるとジャミルに目だけで会釈を一つ残し、海の底のモストロ・ラウンジに向かって走り出した。

そんなナマエの背中を難しげな顔でジャミルが見送ったことに気付く者は 誰ひとりとしていなかった。



△▽



「すみませーん、注文いいですか?」
「はい、少々お待ちください!」

予想通り、モストロ・ラウンジ内は通常の倍以上の客で賑わっていた。
新規客の案内やオーダー受け 料理の提供 会計と、ホールの仕事は意外と多い。

「フロイドくん、四十番卓のお客様のオーダー取りに行った?」
「んー?あー、オレ 休憩
「ちょっと…」

ラウンジ内を慌ただしく動き回りながらも、店の隅でぼんやり突っ立ってサボり──本人曰く休憩──をするフロイドに声をかけるのは忘れない。

「今日お客様多いんだから ちゃんと動かなきゃだめですよってアズールくんからも言われてるでしょ」
「じゃあアズールがオレの分も働けばいいのに」
「アズールくんはボードゲーム部の方に顔出すって言ってたじゃない」
「ジェイドも山を愛する会に顔出すって言ってたし…はーやだやだ」

フロイドは大きく伸びをするとその場にドカリと腰を下ろした。
──端的に言うと 飽きたのである。

「ふ、フロイドくん…」
「やーめた、フロイド配達はもう時間外
「もう……!」

幾ら彼を説得しようとしても無駄なことは身に染みて分かっていた。
新規客の来店を知らせるチャイムの音に、ナマエはフロイドへの説得を諦め「後でアズールくんに言いつけるからね!」と捨て台詞を吐いてラウンジ入口に駆け出した。



「いらっしゃいませ 三名様ですね、こちらへどうぞ」
「あー やっぱここにいるんだ」

ラウンジ入口に立つ新規の三人客に声をかける。
右手を店の中に示し案内をしようとしたナマエの姿を確認した三人は下卑た笑みを浮かべた。

「あの……?」

ニタニタと品定めするように此方を見つめる三人に戸惑ったように声を出す。
向けられる邪な目線に既視感を覚えた。

──わたし この人たち、知ってる。

どこかで見たことがある顔ぶれに どこだっけ…と首を傾げたその時、その中の一人が彼女の顔の前で手を広げた。

──あれ、何考えてたっけ…忘れちゃった…



案内に出向いたナマエを見送ったフロイドは 所在無さげにぼんやりとラウンジ内の水槽を眺めていた。
別に彼女を困らせたい訳ではなかった。しかしその気持ちとは裏腹に素直になれない自分にウンザリとため息を吐く。

イデアのことが好きだとキッパリ振られたというのに、未だ何処かで期待している自分がいる。
その気持ちを試すように我儘に振る舞い 結果として彼女を困らせてしまう悪循環だ。

「ダッセ」

自嘲気味に笑ってよっこらせと立ち上がる。
これ以上あの子を困らせないように。アズールに怒られんのもイヤだしね。

ナマエに命じられた卓のオーダーを取りに行こうと席を見回したところで、入口付近で三人組の客と話す彼女の後ろ姿が目に入った。
ナンパでもされているのか と眉を顰める。客の格好から考えるに外部の生徒だろうか。
戸惑ったように首を傾げている彼女を助けに行ってやるか とゆっくり歩みを進めたところで、再びその足は止まることとなった。

「───、」

三人組の一人が何かを呟きながらナマエの眼前に手を翳した。
彼女が一瞬ふらついた。
そしてその後、あろうことか三人組と彼女が連れ立って店を出ていったのだった。

「ちょっと、何してんの、!」

慌てて追いかけて店を飛び出したフロイドだったが、店の前の通路も沢山の在校生や来校者で混雑していたためあっという間に彼らを見失ってしまった。
とりあえずアズールに連絡しないと とスマホを取り出したフロイドは、先程彼女を連れて行った三人組を思い浮かべて呟いた。

「…あの三人、どこかで…」



△▽



ボードゲーム部部室にて。
部室棟の端という立地の所為かボードゲームというジャンルの所為か、オープンキャンパスだというのに全く見学者が来ない。
イデアとアズールはいつも通り一つの机に向かい合わせになって部活動に勤しんでいた。

「てかアズール氏ラウンジいかなくていいの」
「僕が行ったらイデアさん一人になってしまいますが」
「それは困る…」

頼みの綱のオルトは大勢の来校者に目を輝かせながら「僕出かけてくるね!」と数十分前に出かけたきり帰ってこない。
見学者対応を一人でする自分の姿を思い浮かべて顔を青くさせるイデアに苦笑を一つ、「そういえば、」とアズールはずっと気になっていたことを思い出した。

「ナマエさんとの仲 隠さないんですね。イデアさんのことですからてっきり隠すつもりかと」
「あ、やっぱりそう思う?」

リア充爆発しろ、と常日頃零していたイデアの性格的に 彼女との仲は絶対に隠すと思っていた。
しかし予想とは裏腹に イデアは堂々とナマエと付き合っていることを隠すことなく振舞っている。

「…ま、拙者の彼女は中々人気者ゆえ 牽制になればと思って…」

恥ずかしくなったのか早口にモゴモゴと零すイデアにアズールは再び苦笑する。
背を丸めながら視線を右往左往させる目の前の親友のことは何でも知っていると思っていたが まだまだだったようだ。

「早く皆さんに分かって欲しいですね」
「ホントだよアズール氏の情報操作でそこんところ何とかならないの」
「…ふむ。イデアさんとナマエさんのためならば格安で引き受けてもいいですが」

机の上で組んだ両手に顎を乗せ不敵な笑みを浮かべるアズールに冷や汗が一つ頬を伝った。
格安って金とるんかーい。イヤ、アズール氏のことだからもっとトンデモないものを対価として請求するのでは??
グルグルとそこまで考えてイデアは深いため息を吐いた。

「……いや、やめとく」
「賢明です」

ふふふ、と不敵な笑い声をあげたアズールに「やっぱりアズール氏って抜け目ない…」と冷や汗を流すイデアだったが、突然ガラリと開いた扉に目を向けた。

「オルト おかえりー。ってジャミル氏?」
「おや、ジャミルさんどうされました?」

突然の来訪者に思わず顔を見合わせる。
そんな二人に「アズール、イデア先輩、ちょっと耳に入れておきたい話が」とジャミルは先程自分が目にした状況を伝えたのだった。

「ナマエさんが何者かに狙われているかも、ということでしょうか」
「ああ……俺のユニーク魔法程じゃないが 一種の支配魔法を使ってアイツを呼び出そうとした奴がいることは確かだ」
「ソレ、いつの話」
「二十分程前です」

ジャミルの言葉にイデアはイエローアンバーの目をすっと細めた。
嫌な予感で心臓が早鐘を打つ。彼女の身に危険が及んでいるかもしれない。

「拙者、モストロ・ラウンジの様子見に行くよ」
「僕も向かいます。ジャミルさんも来ていただけますか?」
「ああ、そのつもりだ」

立ち上がり部室を出ようとした三人だったが、不意にアズールのスマホに着信を知らせる通知が入った。

「…失礼。おや、フロイドですか、少し急いでいるので手短に用件をお願いします。…イデアさんですか?目の前に居ますが…はい、…はい……は?」

二人に断りを入れて電話に出たアズールは電話の向こうのフロイドの声に相槌を打つ。
訝しげな表情で此方を見やるアズールと目が合った。
嫌な予感が大きくなる。電話の向こうの声は聞こえないが、アズールの表情と呼ばれた自分の名前に、その予感は確信に変わっていく。

──今まさに、ナマエに何かが合ったのかもしれないという嫌な予感。

「…わかりました。とにかくフロイドはそのまま待機。何かありましたらまた連絡します」
「何があったの」

電話を切ったアズールに半ば食い気味に質問を投げかける。ガタン、机の上の盤面が小さく揺れた。
アズールは「イデアさん、落ち着いて聞いてください」と今にも飛びかかってきそうなイデアを制すると、掠れた声で一言だけ告げた。

「ナマエさんが、危ない」



▽▽



ボーッとする頭の中連れて来られたのはひとけのない校舎裏だった。
パチン、と男が指を鳴らす。その音にナマエの意識は覚醒した。

「なん、ですか…それにあなたたち…」
「あれ、俺たちのこと覚えてたんだ?久しぶりプリンセスちゃん」

声を震わせて後ずさる。思い出した。目の前に立つ彼らは、以前ナマエが入浴中のバスルームに入り込み よからぬ事を企てようとしていた三人組だった。

「俺たち、寮長とクルーウェルのせいで退学になっちゃったんだよね
「お前の所為で俺なんて家族から勘当されたんだ」
「俺たちずっとお前に復讐するチャンスを待ってたんだ…こんなに早く来るなんて思ってなかったけど」
「オープンキャンパスって身分確認とか何もないのな。ちょろすぎて笑ったわ」
「そんな……」

びしびしと向けられる悪意に足が竦んだ。
こんなに悪意をぶつけられたのはいつ以来だろうか、暖かい気持ちに慣れ始めた身体は酷く敏感にその悪意を感じ取っていた。
狼と対峙した子兎のように目を見開いて身体を震わせる彼女を見て目の前の男達は更に笑みを深くした。

「驚いたよ。お前彼氏出来たんだって?」
「あの、お高くとまったミス・プリンセスに彼氏が出来てみんなガッカリしてる」
「お前だけ幸せになろうなんて許さねえよ」
「責任取れよ。なァ?」

漸く足が少しだけ動いた。早く。はやく。
その場から逃げ出そうとする彼女だったが、男の一人が再び彼女の顔の前に手を翳したことにより その逃げ道を塞がれた。

「おっと、逃げられるとか思うなよ。スカラビアの副寮長程じゃないが俺は支配魔法が得意なんだ」
「だ、れか…」
「助けも来ねえよ。人払いの魔法もかけてある」

制服の上着に手をかけられた。薄れゆく意識の中、ナマエの心の中にはたった一人の男の姿。

「イデア、先輩…」



▽△



人でごったがえす廊下を走りながら、イデアは先程アズールから聞いた情報を反芻していた。

モストロ・ラウンジに来た客にナマエが連れ去られたこと。
恐らくジャミルが目撃したミドルスクール生と同じ支配魔法をかけられていること。
そして、連れ去った彼らはおそらく、以前 彼女によからぬ事をしようとして退学処分になった面々だということ。

恐らく彼らはナマエに復讐するつもりだ。復讐方法も想像に難くない。吐きそうになる。
きっと彼らは、ナマエを痛ぶるために人目につかない場所に彼女を連れ込んでいるはず。人払いの魔法もかけているかもしれない。
イデアは走りながら、傍らの髑髏に手を翳し反対呪文を唱える。

早く、早くナマエを見つけなければ。イデアは焦っていた。オルトを呼び出し、彼らが彼女を連れていくであろう場所を特定してもらうのが確実だと分かっていたが、その時間すらも惜しかった。
頭と身体をフル稼働させて走り続けた。チリチリと脳内が焼けつくように痺れる。ゼェゼェと肺が悲鳴をあげる。
くそ、こんなことなら引きこもってばかりいないで身体を鍛えればよかった。いつもいつも、脳内を占めるのは後悔ばかりだ。

「…こんどからちゃんとバルカス氏の授業を受けよう」

そんなことを呟いて、イデアは 校舎裏に辿り着いたのだった。



△▽



トン、という軽い衝撃とともにナマエの意識は現実に引き戻された。
途中まで脱がされた制服と、目の前に広がったのは大好きな彼の青。

「…イデア、せんぱ、」
「遅れてごめん」

イデアは恐る恐る彼女を見やる。地面に落ちているのは彼女の上着だけ。未遂であると判断し、少しだけ安堵する。
しかし半分開いたブラウスと隙間から覗く白い肌に再び腹の底から怒りが湧き起こった。

「とりあえずこれ、着てて」自分の上着を彼女に被せ、頭を撫でて安心させるように微笑む。

「しばらく目、瞑ってて」

彼女に背を向け 彼らと対峙したイデアの目には、先程までの優しさは微塵も残っていなかった。

「ふひ、」

ヴィランさながらの笑顔を浮かべたイデアに、目の前の三人は怖気づいた。
ゆらゆらと揺れる青白い炎の髪が根元からじわじわと橙色に染まる。憤怒の色に染まる髪はうねうねとまるで意思を持っているかのように三人に向かって威嚇するように広がった。

「…いま謝れば、四分の三殺しで許してやらなくもないけど…あー、やっぱウソ。ワンターンでサクッと終わらす」



一瞬だった。

「終わったよ」というイデアの声に恐る恐る閉じていた目を開いたナマエが目にしたのは、地面に倒れ伏す三人の姿。

「…殺して、ないですよね」

怖ず怖ずとイデアを見やる彼女にイデアはフッと力を抜いて笑う。
既に髪色はいつもの青に戻っていた。

「君、優しいよね。一歩間違えたら取り返しつかないことをやられようとしてたんだよ」
「で、でも…」
「大丈夫 安心して。しばらく入院するレベルの怪我だけ負わせただけだよ。…さて」

イデアはポケットからスマホを取り出し通話をかける。

「…もしもしアズール氏?無事任務完了。校舎裏。あと頼んでいい?
…契約?はいはい、分かってますって。魔法工学のレポート一年分ね。りょ。」

通話を切ったイデアは「はい、一件落着」と彼女に微笑みかける。
途端、現実に引き戻された意識で、彼女はぶるりと身体を震わせた。

「…こわ、かった」

ぽたり、透明な雫が大きな目から零れ落ちた。
怖かったのだ。襲われた恐怖も充分怖かったが、それ以上に。

「お前だけ幸せになろうなんて許さねえよ」

先程彼らから言われた言葉が深く深く心に突き刺さった。
アア、そうだ。陽だまりのような暖かさに慣れ始めて忘れかけていた。これは、わたしの罪。沢山の人の気持ちを弄んだわたしは、

「やっぱり、わたしは幸せになってはいけない」

涙を零すナマエをオロオロと見つめていたイデアだが、彼女が呟いたその言葉に眉を顰めた。
肩を震わせる彼女は酷くちっぽけで、いつかの中庭の姿と重なった。
あの時は。そう、あの時は 為す術なく呆然と、去っていく彼女の背中を見送ることしかできなかった。不甲斐ない自分を責めることしかできなかったのだ。

でも、今は。

「そんなことない」

震える肩をゆっくりと包むように抱きしめた。
大丈夫。誰にでも幸せになる権利はあるんだ。だって僕は、君と出会ってこんなにも幸せなんだから。
噛み締めるように一言ひとこと言葉を紡ぐ。ねえ、僕がどれだけ幸せか 君は分かってないでしょう。君をどれだけ愛しいと感じているか 君の笑顔がどれだけ僕を救ったか 君は何も知らないんだ。
イデアの言葉にナマエは更に肩を震わせた。ごめんなさい、ありがとう。小さくて今にも消え入りそうな声だったけれど、イデアの耳にはしっかりと届いていた。

「離さないで…怖いの…」

当たり前でしょ、イデアは笑った。
抱きしめる力が 少しだけ強くなった。


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