ちゃんと幸せにならないと怒りますからね






「(あああヤバい!ヤバいヤバいヤバすぎる 拙者キモいですよね分かってます 否、今日くらいはキモくてもいいのでは?ああもうむり好き…)」

寮に戻ったイデアはベッドの上でひたすらゴロゴロとのたうち回っていた。
ナマエを好きだと伝えることができた。
そして彼女もまた、自分を好きだと言ってくれた。
これを幸せと呼ばずして何を幸せと呼ぶのだろう。

「わたし、シュラウド先輩が、好きよ」

ナマエの言葉を頭の中で何回も反芻する。
嗚咽混じりで 震えた声で だけどしっかりとイデアの目を見て言ってくれた言葉。
好きな人と想いが通じ合う というのはこんなにも満ち足りて 幸せな気持ちになるのだ、と知った。
もちろん想いが通じたからといって 手放しでハイ付き合いましょう とはいかなかったが、今日はその言葉を聞けただけで充分だった。

「もう少しだけ、わたしに 時間をください」ナマエは最後にそう言った。
もちろん、とイデアは頷いた。
過去に雁字搦めになっていた彼女が漸く一歩踏み出したのだ。
それはたったの一歩だったけれど、大きな前進だとイデアは感じていた。

ゆっくりでいい。焦らなくてもいい。
彼女の無理のない範囲で 少しずつ進んでくれたら。

「(僕は、いつまででも待ってるから。なんてカッコつけすぎたかな。)」



△▽



「…シュラウド先輩が、すき」

寮に併設されたバスルーム。
広いバスタブに浸かりながら 思わず独り言を呟いた。
むず痒いその響きに 反射的に唇を抑える。

今まで何度か「すき」という気持ちをぶつけられる事はあったけれど、その「すき」がどういう意味を示しているのか理解出来ていなかった。
友達でもなく 家族でもない、特別な人に送るための「すき」。
それを今日 はじめて知ることが出来た。

「君の特別な人≠ノなりたいんだ」

シュラウド先輩の言葉を何度も頭の中で反芻する。
優しく細められた黄色い目と わたしの頬を撫でたひんやりとした指先も同時に思い出す。
きゅうきゅうと胸の奥が切なく疼く。
この疼きが「すき」という気持ちだ、とはじめて知った。

「(のぼせた…)」

バスタブからあがって シャワーのコックを捻る。
鏡に映る 赤い跡が点々と付いた身体に 急に現実に戻された。

鏡に手をついて 鏡越しに赤い跡をなぞる。
人の気持ちを弄んで 自分の身体を売って生きてきたことを忘れるな、と言われている気分になる。
消えても消えてもまた新しい跡が付いてしまう。
それはまるで、わたしを戒める鎖のようだった。

「…こんな汚れたわたしでも いい、なんて」

人の欲に塗れたわたしの身体は、どう見ても綺麗 なんてものではなかった。
シュラウド先輩は わたしのこの身体を見ても 綺麗だと言ってくれるのか、言い様のない不安に駆られた。

「こんなに綺麗なのに」そう言って笑いかけてくれたシュラウド先輩こそ、綺麗な人だと思う。
外見は勿論のこと、内面が 特に綺麗だと思った。
そんなシュラウド先輩は、何を間違えたのかわたしのことを好きだと言った。

決してシュラウド先輩の気持ちを疑っている訳ではないけれど。
ただ、そんな綺麗なひとを わたしという女で汚してしまっていいのだろうかと不安になる。
わたしなんかと違って、綺麗で優しいシュラウド先輩なら きっともっといい女性がいるんじゃないか とすら考えてしまう。
それこそ、ちゃんとした家柄で 自分の身体を大切にしていて 明るくて 綺麗な人が。

「…やっぱり、わたし、」

悪い考えが頭をよぎる。
フルフルと頭を振って其れを必死で追い出した。
だめ。わたしは今度こそ 変わらなくちゃいけない。

はじめて好きな人ができた。
「すき」という気持ちを知った。
その人が、わたしを好きだと 特別な人≠ノなりたい、と言ってくれた。

わたしがすべき事は ネガティブに自分を責めることじゃない。
今 すべき事は、前に一歩でも進むこと。
誰の力も借りず、自分自身の力で進むこと。

「(売りを やめよう)」

もう、とうに限界だった。
自分の身体はもうボロボロだったし、人の気持ちをお金で買っていることに精神的にも疲れ果ててしまった。

ずっと気づかないフリをしていた。
でも、今まで何人かのお客さんから言われた「すきだ」という気持ちの意味を知ってしまった今 これ以上続けられそうになかった。

それに、デイヴィスおじさまとの約束【涙を流さない】を今日破ってしまった。
もしかしたらおじさまは 近いうちにわたしがこうなることを予想していたのかもしれない。

「…明日、みんなに話そう」

シュラウド先輩は、いつまででも待ってる と言ってくれたけれど、それに甘えてはだめ。自分で蒔いた種だもの。ちゃんと自分でケジメをつけないと。
わたしをお金で買ってくれていた人たちにも、自分の口でなるべく早く伝えるべきだと思った。
それが、わたしを愛してくれた人たちへの せめてもの礼儀だ。



△▽



「おや、まだ起きていたんですか」
「…アズールくん、」

忘れ物をしたことに気づいたアズールがモストロ・ラウンジを訪れると、夜はとうに更けているというのに ラウンジの照明はうっすらとついていた。
消し忘れか と近づいたアズールは、その照明の下でボンヤリと座りながら水槽の海月を眺めるナマエを見つけた。

「なんだか、眠れなくて」
「もしよろしければ、ホットミルクでも淹れましょうか」
「…ありがとう」

彼女は 何か言いたそうな顔をしながら頷いた。
アズールは何となく予想がついていた。…が、それに気付かないフリをしながら 温めた牛乳を二つのマグカップに注いだ。

「どうぞ、」
「ありがとう…いい匂い」
「落ち着きますよね」
「うん…わ、美味しい」
「それは良かった」

軽く会話を交わしながら彼女を見やる。
ホットミルクを二口ほど飲んで ふぅ と息を吐いたナマエは、何かを決心したようにアズールの目を見た。

「アズールくん、わたし、アズールくんに言わなきゃいけないことがあるの」
「はい」
「…わたし、売りを やめようと思うの」

やはり。彼女の目の奥に灯った決意の色に、アズールは微笑んだ。
今まで闇しか映さなかったその目は とても綺麗な色をしていた。

「理由を、聞いてもいいですか?」
「すきなひとが できたの」

そう言うとナマエは少しだけ頬を染めて俯いた。
はじめて見るその表情に 少しだけ胸が鳴った。
分かっている、彼女の想い人が誰であるのか。
それでも、彼女のその表情は アズールの心を捉えるには充分だった。

「イデアさんですね?」
「…うん。気付いてたの?」
「なんとなくは」
「そっか…やっぱりアズールくんはすごいや」

彼女が微かに笑った。
アズールは思わずマグカップを落としそうになったが 何とか耐えることに成功した。

まさか 彼女の笑顔を見ることが出来るなんて。
自分が幾ら努力をしても成し得なかったこと。
その表情を引き出すことができたイデアに心の底から感心した。

「わたしね、今日 はじめて好きって気持ちがわかったの」
「……」
「それと同時に、相手に好きって伝えることがどれだけ勇気がいることなのかもわかったわ」
「そう、ですか」
「だからね アズールくん、」

わたしを好きって言ってくれて、ありがとう。ナマエは微笑みながらそう言った。

好き、という気持ちを知って その気持ちを伝えられることがこんなに嬉しいことなのだと知った。
その気持ちに応えることは出来なかったけれど、改めて 謝罪ではなく感謝の気持ちを伝えたかった。

「わたしのはじめてのお客さんが、アズールくんで良かった」
「…っ!」

彼女のその言葉に アズールは言葉を失った。
何度も後悔していた。
彼女が身体を売ると決めた時 引き止められなかったこと、お金を払っている間だけでも彼女を独占しようとしていたことを。
しかし、いつしかその後悔が麻痺を起こし はじめての客≠ニいう事実に 自分が彼女にとって特別な人間になれるのでは と驕ってしまっていた。
尤も、彼女に告白をして フラれたあの日にその驕りは消えていたのだが。

彼女の言葉は 後悔で雁字搦めになっていたアズールを救ってくれたような気がした。

「…ちゃんと幸せにならないと怒りますからね」
「アズールくんに怒られるのは嫌だなぁ」

アズールの笑顔に ナマエも釣られて笑顔になる。

今まで幸せと縁がなかった彼女が 少しでも笑顔で過ごせますように。
アズールはそう願ってやまなかった。

「( …いい、失恋をした )」


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