もう拙者の前だけにしてね






目覚まし時計が鳴る前にすっきりと目が覚めた。
思いきり伸びをして、顔を洗うため部屋に備え付けの洗面台に軽い足取りで向かう。
鏡に映るわたしは、いつもより元気な顔色をしていた。

一晩経っても 幸せで満ちた気持ちは変わらなかった。

シュラウド先輩から、好きだと言われた。
シュラウド先輩を、好きだと気づいた。
アズールくんが、幸せになれと言ってくれた。

顔を洗って、いつもより丁寧にメイクをする。
わたしを愛してくれていた人たちの最後の記憶と、想いが通じ合った人の最初の記憶に焼き付けられるわたしは 一番可愛くありたかったから。
チークもオレンジからピンクに変えて、少しだけ手首に香水を振った。
鏡にうつるわたしは、いつもより少しだけ 綺麗になっているような気がした。
鏡に向かって笑いかけると まだぎこちないけれどちゃんと笑顔が出来ていることが分かった。

今日は、やらないといけない事がたくさんある。

わたしは制服を着て準備を終えると、駆け足で部屋を飛び出した。



△▽



「珍しいッスね、ナマエくんからオレに会いに来てくれるなんて。
それともレオナさんに用事ッスか?」
「うん、二人ともに用事。…レオナ先輩はまだ寝てる?」
「いや、今日は珍しく起きてるッスよ。
レオナさーん」

サバナクロー寮の入口にて、ナマエはラギーを呼び出した。
ラギーの声に「やっぱり来たか」とレオナが顔を出す。

「レオナ先輩、ラギーくん、わたし 売りを辞めることにしました」
「えっ、」
「…フン、そんなことだろうと思った」

頭を下げた彼女の言葉に驚くラギーを他所に レオナは軽く笑った。
昨日ナマエから言われた、酷くして欲しいという言葉や 意識を失う直前の言葉に 「彼女の中で何かが変わりはじめたのだ」と予感していた。

「理由、聞いてもいいッスか」
「…すきなひとが、できたの」
「シュラウドか」
「…はい」
「ええっ!?あの・・、イグニハイドの寮長ッスか!?」

ラギーが驚くのも無理はない。
昨日の、意識を失う前の彼女の言葉は酷く小さく レオナでさえ聞き取るのが精一杯だったのだから。
それに、相手はあの・・イグニハイド寮の寮長 イデア・シュラウドである。
ミス・プリンセスと呼ばれる彼女が 人と馴れ合うことを嫌うイデアと知り合いということすら容易に信じられることではない。

しかし、イデアの名前を出した途端 仄かに頬を染めて微笑んだナマエに ラギーはそれ以上詮索するのを辞めざるを得なかった。

「…マジ、なんスね」
「うん」
「幸せになれよ」
「…ありがとうございます」

ラギーとレオナにもう一度頭を頭を下げると、「…じゃあ、これで。今までありがとうございました」と背を向けて再び走り出したのだった。

「あーあ。レオナさーん いいんスか?あの子、お気に入りだったのに」
「…寝る」
「えー?…オレも、今日の授業サボっちゃおうかな」



△▽



「朝早くにごめんね」
「いやいや!オレたちは普段このくらいに起きてるから!な?ジャミル」
「ああ…それで、好きな奴が出来たっていうのは本当なのか?」

走ったことで汗ばんだ身体に スカラビア寮の熱気が更に彼女をあつくさせた。
ジャミルの言葉に彼女は眉を下げて笑った。

「うん、本当だよ」

はじめて見るナマエの笑顔に二人は呆気にとられた。
暑いのだろうか 少しだけ赤らんだ頬から視線が離せない。
じわりと額に汗をかく彼女にハンカチを差し出したカリムは スカラビア寮を照らす太陽のような眩しい笑顔で笑った。

「お前は笑顔の方がいいと思うぞ」
「…ありがとう」
「幸せになれよ!」
「…うん」

カリムの言葉にもう一度笑うと、彼女はまた駆け出した。

「ジャミル」
「…なんだ」
「胸、貸すか?」
「…遠慮しておく」



△▽



エースくんもケイト先輩も「売りを辞める」というわたしに 「わかった」と優しく言ってくれた。

残すはあと一人。
わたしは オクタヴィネル寮に戻り、まだ寝ているであろう彼の部屋に向かった。
数回扉をノックする。
「…だれー?」予想に反して 彼は起きているようだった。

「フロイドくん、開けてもいい?」
「誰かと思えばナマコちゃんじゃない。
入っていーよ」
「お邪魔します」

フロイドくんと話すのは、バスルームで無理矢理されて以来だった。
あれから数週間が経つ。
少しだけ前髪が伸びた彼に、久しぶりだな なんて感じた。

「…なんか用」
「フロイドくんに 言いたいことがあって、」
「…もう、オレのこと嫌いになった?」
「え?」

フロイドくんはそっぽを向きながらそんなことを言った。
どうして、というわたしの言葉に「…だって、結構激しくしちゃったし アレ以来ナマコちゃん元気なさそうだったじゃん」と続けた。

ああ、そうか。と思い出す。
フロイドくんは荒々しく抱いた翌日はひたすら優しく抱いてくるのだった。
きっと、あの日もわたしを待っていたのだろう。
わたしを優しく抱くために 彼は何時に帰ってくるかわからないわたしを待ってくれていたのだろう。

しかしわたしはあの日 中庭で星を見た後、アズールくんの部屋に行ってしまった。
それから色々あって、わたしは全くフロイドくんを気遣う余裕がなかった。

「…ごめんなさい、避けていた訳じゃないの」
「…ふうん。だったら、」
「でも、もう指名を取ることはやめるの」

わたし、売りを辞めることにしたの。わたしの言葉にフロイドくんは驚いたようにこちらを見た。
久しぶりに 目が合った。

「別に フロイドくんを嫌いになったとかじゃないの」と続けて、安心させるように ぎこちない笑顔を浮かべた。

「あのね、好きな人が、できたの」
「………」
「だからね、今まで ありがとう」
「…なんで、」
「え?……ッ!?」

なんで、オレじゃないの。という言葉と共に強く腕を引かれてそのままベッドに押し倒された。
ガリ、と首筋を噛まれて目を見開く。
どうして と問えば、オレが聞きたいんだけど と返された。

「誰のモノにもならないなら、いいと思ってた。
…でも、誰かのモノになるんだったら、オレのモノに なってよ」
「え、」

すきだよ。耳元でそう言われて心臓が跳ねる。
縋るようにわたしを抱きしめる力は 今迄で一番強かった気がした。

「…ありがとう」
「だったら、」
「…でも、ごめんね」

フロイドくんの気持ちは 素直に嬉しいと思った。
「すき」という気持ちも 言葉にする勇気も その気持ちを向けられることがどれだけ幸せなのかも、知っているから。
でも、ごめんなさい。わたし フロイドくんの気持ちには 応えられないの。

「わたし、シュラウド先輩が すきなの」

わたしの言葉に フロイドくんは無言でわたしを抱きしめ続けた。
浅い呼吸音だけが聞こえる。
ごめんなさい。フロイドくんの背中をゆるりと撫でた。
ありがとう。こんなに想ってもらえるなんて きっとわたしは幸せ者なんだ。

何分経ったのだろうか。
フロイドくんは小さな声で「あーあ」と言いながら起き上がった。

「よりにもよって ホタルイカ先輩 ねえ」

ナマコちゃんシュミ悪くなーい?なんて言いながらフロイドくんはへらりと笑った。
そのまま、わたしの額に軽く口付けた。チュッ という軽いリップ音が聞こえる。

きっと これが、フロイドくんとの最後のキス。

「ま、ホタルイカ先輩に飽きたら戻ってきなよ」
「飽きないよ」
「どーだか……ねー、ナマコちゃん」
「なに?」

これからも 友達だからね。
ポン とわたしの頭に手を置いたフロイドくんに、わたしは笑って頷いた。



△▽



『放課後、中庭でお待ちしてます。』

彼女から送られてきた簡素なメッセージに イデアは授業どころではなかった。
昨日の放課後から 未だに心臓がばくばくと鳴り止まない。
拙者 そろそろ死ぬのでは?イヤイヤ 今死んだら絶対成仏できない 未練しかない…という脳内会話は既に数十回に達している。

心ここに在らずの状態で何とか授業を消化したイデアは 終業のチャイムの音と共に教室を飛び出した。



「シュラウド先輩」
「お、お待たせ…」

全速力で向かった中庭のベンチに ナマエは既に座っていた。
待った?と聞くと彼女は笑って首を振った。

薄らボンヤリと射し込む夕日にキラキラと彼女の髪が反射する。
綺麗だ と何度目になるか分からない感想をイデアは抱いた。

この 綺麗な人が、学園中からミス・プリンセスなんて呼ばれるこの人が、昨日自分のことを好きだと言ってくれたのだ。
イデアは頬を抓って その痛さに夢ではないと知った。

「なに、してるんですか」
「イ、イヤ、何でもないよ…」

彼女は少しだけ笑うと、ベンチの横をするりと撫でて「座りませんか」と問うた。
イデアはコクコクと頷いて 彼女の横に座る。
ふわり、彼女の甘い香りと 仄かな香水の香りが鼻腔を擽った。

「…今日、香水つけてる、ンです、か」と問うた後、イデアは「(待って、拙者キモくない!?いつもと違う匂いですねえフヒヒwとかキッショ!)」と心の中で叫ぶ。
そんなイデアの心境など露知らず、彼女は恥ずかしそうに頷いた。

「…今日は、特別に香水をつけてみたんです」

シュラウド先輩に、会おうと思ってたから。
彼女の台詞に ぼぼぼ、とイデアの頬に朱色がさす。

「(何コレ何コレ可愛すぎませんかこの子。
拙者に会うからとか何その理由。
あぁ^〜心がぴょんぴょんするんじゃぁ^〜)」
「…シュラウド先輩、」
「な、なに?」
「わたし、売りを辞めることにしました」
「…え、」

唐突な宣言にイデアは目を見開く。
そんなイデアの目をしっかりと見つめながら、今朝 関係を持っていた生徒全員に売りを辞めることを伝えてきたことを話した。

「…もう学費分は稼いでいたので。
これからの生活費は、今持っている貯金と モストロ・ラウンジのアルバイトでなんとかなると思います。
シフト、ちょっと増えちゃいますけど」
「…そっか」
「…だから、その、」
「え?」
「わたしの身体はまだ汚れているけれど、…その、シュラウド先輩が、綺麗にしてくれたし…もう、これ以上汚れないつもり、なので…」

シュラウド先輩の 特別な人に、なれますか。
急に声のトーンを落としながら彼女は呟いて、ローファーの先をモジモジと重ねた。
彼女の髪の間から見える耳は僅かに赤く染まっていて、そのいじらしさに イデアの中で何かが爆発した。

ナマエの肩を抱き寄せ 腕の中に閉じ込める。
サラリと揺れる髪を撫でる。
腕の中の彼女は、今にも泣きそうで放っておけなくなるような、そんな顔をしていた。ずっと離したくなくなるような。

「僕は、はじめて会った時から 君を意識してたんだと思う。
もちろん、衝撃的な場面を見たっていうのもあったんだけど、それ以上に、君があまりにも綺麗だったから」

ここでイデアは言葉を切り、ゆっくりと息を吐いた。

「保健室で君と話して、君の笑顔に見惚れて、君の闇を垣間見て…気づいたらこんなにも 好きになってたんだ」

彼女を抱きしめる力を強くする。
どくどく と聞こえる二つ分の心臓の音。
イデアはゆるりと彼女の頭に手を乗せ しっかりと目を合わせた。

「僕と 付き合ってくれますか?」
「…はい、!」

ナマエの目から一筋の涙が零れ落ちた。
目を瞑って零れた涙を拭う彼女を眩しそうに見つめると、イデアは反射的に彼女の右腕を引っ張った。

「シュラウドせんぱ、」
「……」

幸せの味がした。
彼女とイデアの初めてのキス。
彼女の、初めて好きな人とするキスだった。

時間にして数秒経っただろうか。
二人の唇がゆっくりと離れた。

「ご、ごめん、我慢 できなくて…」
「いえ、わたし 嬉しかったです。
シュラウド先輩…イデア先輩と、はじめてキス できて」

はじめて彼女にファーストネームで呼ばれ、イデアの顔に再び朱色がさした。
破壊力抜群の其れに、イデアは視線をウロウロさせながら「…ナマエ、ちゃん」と小声で彼女のファーストネームを呼んだ。

「…なんか、照れますね。
名前で呼ばれるの」
「…そう、だね」

二人して顔を見合わせて笑った。
ちょうどその時、部活終了を知らせるチャイムが鳴り響く。
普段この中庭に人は来ないのだが、この時間だけは教員室が近いこともあり 教師たちが通るのだ。

「…そろそろ、寮に戻ります」
「送ってく、よ。
彼氏、なんだから」
「…嬉しい」

同時にベンチから立ち上がって歩き出す。
きゅ、と彼女がイデアの袖を掴んだ。

半歩先を歩いていたイデアが振り返る。
彼女は目を瞑って背伸びをしていた。

「そういうの 可愛すぎるから、もう拙者の前だけにしてね」

イデアは吸い寄せられるように口づけた。
イデアの手は彼女の腰と頭に、彼女の手はイデアの服を握りしめて。


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