十一月七日

5



 十一月七日。午前十一時半。

「こういう事はプロに任せな」

 杯戸町ショッピングモール・大観覧車。
 松田は焦る同僚たちに不適に笑ってみせてから、七十二個あるゴンドラの一つに乗り込んだ。

 松田の睨んでいた通り、数分前犯人からこの場所を知らせるFAXが送られてきたのだ。
 現場に到着した瞬間、制御盤が爆発して観覧車の制御が効かなくなり、松田を乗せたゴンドラが頂上に着いたところで再度爆発。
 松田と爆弾を頂上に取り残した観覧車は完全に止まってしまった。

『もしもし松田君? 松田君!? 大丈夫?』
「ああ…だが今の振動で妙なスイッチが入っちまったぜ…水銀レバーだ」

 松田は相棒の佐藤に電話で状況を報告をしながら、水銀の上でプカプカ浮く銀の玉を睨んだ。
 少しでも振動が加わると玉が動き、ソレが剥き出しのコードに少しでも触れたら爆発してしまうだろう。

「俺の肉片を見たくなきゃ、こいつを解体するまでゴンドラを動かすんじゃねーぞ!」
『で、でも爆発まであと五分もないわよ!』

 電話口でヒステリックに叫ぶ佐藤の言葉に「フン」と鼻で笑う。
 焦りこそ最大のトラップ。いつもの自分なら三分もかからず解体できる単純な仕掛けだ。

 が、しかし──。

「勇敢なる警察官よ…=v

 爆弾のパネルに流れた文章を読みあげて、松田は諦めたみたいに笑った。

 犯人が仕掛けた爆弾はもう一つあるという。ここにある爆弾よりももっと大きなものが。
 そしてソレの在処は、この爆弾の爆発三秒前に表示されるというのだ。

「…おっと、もう電池が切れそうだ。じゃあな」

 狼狽える佐藤との通話を一方的に切った。
 パネルの残り時間を確認して、それから松田はゆっくり立ち上がると胸ポケットからタバコを取り出して火をつける。

 ──これ以上に大きな爆弾がどこかにある。
 きっとソレが爆発したら、大勢の罪のない人たちが死んでしまうだろう。

 松田は既に、覚悟≠決めていた。
 自分が犠牲になり、大勢の人間を救うという覚悟が。

「………」

 眼下に広がるのは数年前と同じゴチャゴチャした繁華街。
 あの時と違うのは、自分が大勢の警察官に見上げられていることと、一人ぼっちでゴンドラに乗っていることくらいだ。

 ──あの時は。

『この街の平和を私が守るぞっていう決意』

 そう言って胸を張る愛しい女が横にいたのだ。

「死にたくねぇな…」

 低い声でボソリと呟いた。
 心残りはたった一つ。誰よりも愛しいあの女のことだった。



『来週からは警視庁のマドンナちゃん≠ノなるの』

 自分を見上げて言い退けた自信満々の顔。

『だって、これが私のお守りだもん』

 自分が渡した模造ダイヤのネックレスを嬉しそうに撫でる笑顔。

『素直じゃない男』

 身を捩って自分のキスを受け入れてくれた恥ずかしそうな顔。
 

 もうあれから数年も経つのに、彼女が見せてくれた全ての表情を鮮明に覚えていた。

 あの桜色の唇を。強く輝く瞳を。もう一度だけ見て、触れたかった。

「…畜生」

 もうあと数分で自分の命は尽きようというのに。
 自分の脳内を占めるのは、大勢の人間の命でも、足元の爆弾でもなく、ここにはいないたった一人の女のことだけだ。

 本当は今すぐに爆弾を解体してしまいたい。
 その足で愛しいカノジョの元に走っていって、腕の中に閉じ込めて、二度と離さず仕舞っておきたい。

 でも、それは刑事≠ナある以上できなかった。
 日本国民を守るのが己の責務だから。

 それに、あの女のカレシとしてもこの状況で情けなく尻尾を丸めて逃げるワケにはいかなかった。
 もしここにいるのが自分じゃなくて警視庁のマドンナちゃん≠ナも、絶対に自分と同じ結論に辿り着いていたと思ったから。

「最期に…」

 最期に一つだけ、ワガママを言えたら。

 一目だけでもいいから、あの美貌をもう一度だけ見たかった。
 一言だけでもいいから、自分の名前を呼ぶ声が聞きたかった。
 そしてどうしても、あの女に伝えたいことがあった。


「…愛してる」


 瞳を閉じて呟いた。
 一筋だけ、透明な雫が頬を伝って落ちた。

 愛してる。愛してるんだよ。
 今までも。これからも。
 永遠にお前を愛してる。

 俺がいなくなっても泣かないで欲しい、と思う。
 もう俺はその涙を拭ってやれないのだから。
 
 俺がいなくなっても笑っていて欲しい、と思う。
 強く輝く宝石みたいな笑顔が、俺は何よりも好きで、愛しているのだから。

「なまえ………」

 ゆっくりと瞳を開く。
 もう涙は零れない。
 再び覚悟を決めて、残り二分を切った爆弾を強く睨んだ。



 その時。


 けたたましい音で松田のスマホが鳴った。
 また佐藤か…今ちょうど感慨に浸り終わったところなんだから邪魔すんなよ。と拒否ボタンを押そうと画面を見た松田は。

「…は?」

 スマホに表示されている愛しい女の名前に、素っ頓狂な声を漏らして通話ボタンを押した。

「お前、どうして…」
『陣平! その爆弾、今すぐ解体して!』
「は、待て、な、なん…は!?」
『うるさい! もう一つの方を特定したの! いま萩原くんが向かってる。──だから、死ぬな!』

 涙混じりのそれはスグに切れた。

 松田はたっぷり三秒フリーズし、イカンイカンと頭を振ってペンチを構えた。

 誰よりも愛しい女が「解体して」と言ったのだ。
 従わないワケがなかった。

 それに。
 松田の脳裏にはいつぞや交わしたカノジョとの約束が過ぎっていた。

『俺からは連絡するからな。ソレをしねぇとお前、俺のことなんてすっぽり忘れちまいそうだから。お前が大丈夫になったら、返してくれればいいから。…頼むよ』

 あの時、縋るように言った自分の言葉にあの女は頷いた。
 そしてたった今、あの女から連絡がきた。

 ──つまり。

「覚えとけよ…」

 残り時間はもう僅か。
 にも関わらず、松田は全く焦ることなく、何なら口元に笑みをたたえながらコードをテンポよくパチパチ切断していくのだった。

 だってコレさえ解除すれば、自分は生きて帰れる。
 生きて帰れば、誰よりも愛しい彼女に会える。

 たった今、その権利を貰ったのだから。



△▽



「…これで、大丈夫。だよね…」

 ピ、と通話を切った女は、胸元で揺れるネックレスをゆるりと撫でた。

 ここは薄暗いマンションの一角。大きく開いた窓からは、綺麗にあの・・大観覧車が見えた。
 観覧車の下で蠢く同僚たちの声はここまで聞こえてきて、その声に喜色が混じるのを確認して漸く肩の力が抜けた。

「解体できてよかった…」

 ちょうどそのタイミングでスマホが震え、【解体完了】と書かれたメッセージを受信した。
 自分の指示を受けた萩原が、たった今もう一つの爆弾の解体に成功したのだと知った。

 この瞬間。彼女が自分自身に誓ったやり遂げたいこと≠ノ王手をかけている状態だと知る。
 あとは、この足元に転がる男を警視庁に連れて行きさえすればミッションコンプリートだ。



 さてここがどこで、どうやって彼女がもう一つの爆弾の在処を知ったのか。
 そして、この四年間彼女が何を思い、何をやってきたのか。

 それは四年前に遡る。



 萩原に元気付けられ、松田に一時の別れを告げた直後である。

『私にできること…私が、やらなくちゃいけないこと…』

 薄暗い部屋の中で一人。なまえは椅子の上で三角座りをしながら考えていた。
 机の上には真っ白のノートが見開きの状態で置いてあり、とりあえずそこに「私がやりたいこと」「できること」と丸こい文字でチマチマ書いた。

 文字を書きながら頭の整理をするのが彼女の癖だった。
 その証拠に、机の上にあるブックスタンドには左から「高校@~D」「大学@~E」「警察学校@~B」「交番実習」「警視庁@」とラベルがついたノートが整然と並んでいる。
 どれも、自分に求められていることは何か・自分が何をしたいのか・それを達成するために何をすべきか…などがビッシリ書いてあるのだ。

 例えば、「警察学校@」には、

・伊達くんと付き合うためには?
 →今まで通り完璧な女の子で居続ける。
・そのためには?
 →女子首席のキープ。輪の中心に居続ける。
・そのためには?
 →毎日予習と復習一時間。ロードワーク継続。全員に平等に振る舞う。常に笑顔。
・そのためには?
 →…………

 みたいなことが最初のページにダーッと書いてあり、あとのページには実際に挑戦したこと・調べたこと・出てきた課題・その課題を達成するために何をすべきか・その結果及び考察・次のアクション…というのが永遠に続いているのだ。
 意識高い系コンサル企業がよく言うような、RG―PDCAサイクルを素で回しているのである。

『私は、私が大好きなみんなと笑っていたい。大勢の人の役に立ちたい。でもできない…なぜ? 萩原くんがああ≠ネったから。…そんでもって、私が木偶の坊だから』

 なまえはブツブツ呟きながらノートに文字を刻んでいく。
 自分の感情の赴くまま、自分がやりたいこと・すべきことの大枠を作り、その下に今の自分ができること・できないこと・できるようになるために何をすべきかを埋めていく。

『…じゃあ私は萩原くんの仇を討てばいい。そうしたらきっと陣平の役にも立てる。だってきっと陣平もそうしたい≠ニ思っているはずだから。…でもそのためには情報が必要で…その情報を手に入れるためには…』

 時計の秒針が大きく三周回り、空が白み始めた頃。
 自分が今からすべきことをまとめ終わったマドンナちゃんは目の下に薄い隈を作りながら満足げに笑った。

 目標@:萩原の仇討ち
 目標A:自分のチカラを最大限発揮できる環境の整備

 今まさにたて終わった目標は、きっととてつもない努力をしないと叶わない。
 でも、自分には絶対やり遂げる決意があった。
 
 だって自分はマドンナちゃん≠ネのだから。



 それからの彼女は、死に物狂いで情報を取りに行った。
 刑事部・地域部・はたまた警察庁の人間とコネクションを作り、当該事件の詳細な情報・現在の捜査状況を知った。
 また情報セキュリティチームの人間ともコネクションを作り、情報収集のノウハウや(これはバレたら始末書モノだが)ハッキングのやり方を教わった。


 学んだスキルでガーッとありったけの情報を集め、そこからあの事件に関わるもの∞関わらないもの≠ノ分類し、必要な情報だけを吸い上げてカタチにしていく。
 そこから犯人の潜伏先や動機・次に犯人が起こすであろうアクションを推理した。

 ──また、これは余談ではあるが。
 なまえは入手した情報の中に存在するあの事件には関わらないもの≠燉L効活用するべきだと考えた。
 あの事件には直接関わらなくても、警視庁にとっては有益な情報もたくさん入手したのだ。
 ので、スキマ時間にそれらをさらに分類し、まとめ、自分なりの推理も添えたりして、然るべき部署・チームにその情報を流した。
 マドンナちゃん流・情報のSDGsプロジェクトだ。
 これは目標Aに大きく関わってくるが、マァ今の主題である目標@には関係ないのでここら辺で置いておくとして。


 なまえは、情報を集める中で知ったこと・推理したことを新しいノートにまとめた。
 この時点でノートのラベルは「警視庁I」になっていた。

・犯人は二人組だった。そのうちの一人が事件当日に死亡。
・死因は事故死。だが、警察から逃げようとした最中での死である。
・きっと犯人は、警察を逆恨みしているはず。【動機】
・毎年FAXで数字が送られてくるのは次の事件までのカウントダウンだ。
・次の事件は、今年の十一月七日。
・犯人の潜伏先は、杯戸町駅から半径一キロメートル圏内。
・ローラー作戦はNG。
・爆弾は既に仕掛けられている可能性がある。取り逃がすと一巻の終わり。




『犯人は、警察を恨んでいる…』

 ボソリと呟き、「これだ」と思った。
 自分が、警察の顔≠ナあることを思い出したからだ。

 警察を恨んでいる犯人にとって、自分ほど見せしめにしたい¢カ在はいないと思ったのだ。

 ので、運命の十一月七日。
偶然#ニ人の潜伏する杯戸町駅付近を阿呆のような顔をしてふらつき、周りからの視線を集めまくった。
 自分を取り囲むファンの人間たちに愛想を振りまき、サインに応じ、薄暗い路地に入ったところで。

『…ッ!?』

 背後から近付いてきた男に突然′布を嗅がされ、パタリとその場に倒れたのだった。

 薄れゆく意識の中で、「作戦開始」と心の中で呟きながら。



『…こ、こは…? あれ…?』

 目を覚ますと、なまえは見知らぬ部屋の地べたに横になっていた。
 乱雑に床に散らばる工具や配線・何かの設計図面が視界に映り、起きあがろうとしたところで後ろ手が結束バンドで縛られていることを知る。

『目が覚めたかな? 警視庁のマドンナさん』
『…あ、あなたは…?』
『名乗るほどの者じゃないさ』

 頭上から声をかけられた。
 眼鏡をかけた四十過ぎの男が、神経質そうに何かのスイッチを弄りながらコチラを見下ろしていた。

『あの、どうして…それに私のことを知って…』
『うるさい! キャンキャン喚くな国家の犬風情が!』
『ひッ…ご、ごめんなさい…!』
『何が警視庁のマドンナ≠セ。一丁前に正義ヅラしやがって…マァいい。アソコでキミを拉致できたのは降って沸いた幸運だ。ヤケに外が騒がしいと思えば警察の顔≠ェ近くに来てるときたもんだ』
『…私に、乱暴するつもりですか……?』
『ハ? 乱暴? 思い上がるのも大概にしてくれたまえ。キミには爆発後、愚鈍な警察をおちょくるパフォーマンスの一部になってもらう』

 ──ビンゴ。

 なまえは怯えた仕草をしながら、心の中でガッツポーズをした。
 賭けに勝った瞬間である。

 潜伏先の近くでウロつく自分の存在を知った犯人は、間違いなく自分を拉致するだろう。
 そして、爆弾にやられて右往左往する警察をひとしきり高みの見物してから、切り札的に自分の存在を公にしたがるだろう。
 国民の前で犯行の一部始終を語らせ、如何に警察が無能であるかを知らしめたがるだろう──と。

 ので、眠らされたとしても、確実に犯行前には起きることができると踏んで賭けに出たのだ。

 犯人の口ぶりから察するに、賭けは成功した。
 まだ、誰も死んでいないのだ。

『爆発…って、何のことですか…?』
『おや、本当にキミは何も知らないのか? あんなに丁寧にカウントダウンのFAXを送ってやってたのに。…あぁそうか。所詮キミはただのお飾り≠ノ過ぎないだけか』
『……お、教えてください! 貴方が何をしようとしているのか』
『フン、いいだろう…ボクは今機嫌がいい。今からやるのは警察を相手にした度胸試しさ』
『度胸試し…?』
『あの大観覧車に爆弾を仕掛けた』
『!?』

 なまえは本心を悟られないよう、細心の注意を払いながら怯えた子ウサギのように震えた。
 ──まだだ。まだ動くな。油断させろ。
 犯人の顔を見て、手に持っているスイッチを見て、背後の大きな窓から見える大観覧車を見て、再び犯人を見た。

『今から警察に犯行声明を出す。バカな警察はまんまと罠に引っかかり、あの72番のゴンドラに乗る。そして爆弾を解体しようとした時、パネルにボクからのメッセージが流れる』
『…メッセージ…?』

 犯人の男は「そう、メッセージさ」と得意げに繰り返した。
 まるで小学生が自分の描いた絵を自慢するように。

『メッセージの内容は、…マァ要約すると「ここより大きな爆弾があります。その場所はこの爆弾が爆発する三秒前に分かります」ってところかな』
『……そんな…』
『最高だろう? 解体すれば次の爆弾の場所は分からずじまい。見も知らぬ人のために自分の命を捨てられる勇敢なニンゲンなど愚鈍な警察にはいないだろう? だからキミは全部が終わった後にテレビに向かって言うんだ。警察は大勢の人よりも自分の命を優先するクズ組織です≠チて。キミには警察の無能さを語ってもらった後、ボクの身の安全が保証されるまでの人質になってもらう。あぁ、今スグ逃げてこのことを知らせに行こうなんて考えるなよ。…マァ、お飾りのキミには、その手枷すら外せないと思うけれど』

 怯えるなまえを優越感たっぷりに見下ろした犯人は、神経質そうに腕時計を見て「おっとすまない、時間だ」と口の端を吊り上げて笑った。
 逆探知防止のついた家庭用電話から一通のFAXを送り、その数分後遠くから聞こえてきたサイレンの音にパッと顔を輝かせてスイッチを押した。

『きゃッ!』

 ドン! と目の前の大観覧車の麓から凄まじい音が鳴り、数秒後に白い煙が立ち上った。

『騒ぐなよ。騒いだらその瞬間殺す』
『ご、ごめんなさい…』
『そしてその目に焼き付けろ。今から最高のパフォーマンスが始まるんだから…』

 犯人は下卑た笑みを浮かべてなまえを一瞬見下ろすと、徐々に大きくなるサイレンの音にワクワクしたように窓の外を見た。

『………』

 その瞬間、なまえは結束バンドで縛られた手を何とか動かし、タイトスカートのポケットに入っているライターを取り出した。
 音を立てないように細心の注意を払いながら火をつけ、火傷を負うことも構わずに結束バンドごと自分の手首に火を押しつけた。

『…っ!』

 灼けるような痛みが手首に走り、咄嗟に出そうになる悲鳴を歯を食いしばって耐えた。
 思いきり両手を逆方向に引っ張る。結束バンドはいとも容易く千切れた。

 犯人は興奮した面持ちで窓の外を見ている。
 コチラに気付く様子は全くない。

 マドンナちゃんはゆっくりと立ち上がった。

『ハハ…見ろ、バカな警察が引っかかりやがった!』
『そうね』
『は!? …ヴッ…!』

 犯人が再びスイッチを押し、コチラを振り返ろうとした瞬間。
 再び鳴り響く爆発音が聞こえるのとほぼ同じタイミングで、犯人の首筋になまえの手刀がめり込んだのだった。



『陣平…!』

 なまえは崩れ落ちる犯人には目もくれずに観覧車のてっぺんを見据えた。

 どこか諦めた表情で空を見る彼と、目があった気がした。

『死なせない…死なせないから…!』

 なまえは部屋中に散らばる図面を掻き分け、もう一つの爆弾の手がかりを探した。
 きっとこの図面の海の中に、爆弾の設置場所も書いてあると思ったからだ。

『…あった!』

 胸ポケットからスマホを乱暴に取り出す。完全に舐められていたのか、連絡手段を取り上げられなかったのが救いだった。

 震える手で萩原の携帯番号を呼び出す。
 待機していた萩原がワンコールもしないうちに出た。

『萩原くん! 米花中央病院!』
『まかせちゃって!』

 萩原からの返答を聞く時間すら惜しく、スグに通話終了ボタンを押して電話帳のお気に入り欄から松田の携帯を呼び出した。

 ──お願い。
 ──出て。
 ──陣平。

 窓の向こうで覚悟≠決めた顔をする男を、祈るように見つめた。

 男がスマホを取り出し、驚いた顔をする。

 出た。

『お前、どうして…』
『陣平! その爆弾、今すぐ解体して!』
『は、待て、な、なん…は!?』
『うるさい! もう一つの方を特定したの! いま萩原くんが向かってる。──だから、死ぬな!』



「よかった…よかった…」

 なまえは、気絶する犯人が起きても抵抗できないように後ろ手を結束バンドで縛り、左右の靴紐同士をかたく結んだ。
 外から聞こえる歓声に耳を澄まし、もう一度萩原から届いたメール目を通して夢じゃないことを知る。

 ──緊張の糸が、ぷつりと切れた。

「あ、やば…」

 一気に力が抜け、ヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
 無理もない。この四年間張り詰めていた糸が切れたのだ。

 随分無茶をした。
 特に最近はほとんど睡眠が取れておらず、昨日も別の爆弾魔相手に大立ち回りを演じていたのだ。

 目の前に横たわる犯人が二重に見え、思わず目を擦る。
 床に散らばる工具が、配線が、図面が徐々に近付いてくる感覚。

「陣平、私、やりきったよ…」

 マドンナちゃんの意識は、そこで途切れた。



△▽



「松田君!」
「おい英雄が降りてきたぞ!」
「囲め囲め!!」

「やめろ! 触んな!」

 観覧車を降りた松田は大勢の同僚たちに囲まれた。
 爆弾を解体し終わってからスグ佐藤に電話で報告していたからだ。

「…で、松田君、もう一つの爆弾は本当に…」
「あぁ、俺の同期が解体に向かってる」
「でもどうして分かったの? 爆発三秒前まで分からないはずじゃ…」
「………あー…」

 駆け寄ってきた佐藤から鋭い質問が飛んできて、さてどうやって答えるか…とめんどくさそうに癖毛をガシガシ掻いたところで。

「オイ! 機動隊から連絡きたぞ! もう一つの爆弾の解体に成功したそうだ!」
「「オーーーーー!!」」

 聞こえてきた歓声に同調するように片手を上げ、やんややんやと騒ぐ同僚たちの輪の中に逃げるのだった。
 背後から聞こえる「もう! まだ話は終わってないわよ!」という佐藤の声をガン無視して。

「松田すげぇな!」
「お前ヒヤヒヤさせんなよこの…!」
「悪ぃ悪ぃ。俺が恋しくなったか?」
「恋しいなんてモンじゃない。愛しい」
「ダハハハ」
「ハグしていい?」
「ぜってぇヤだ。男に抱きつかれても嬉しくねぇし」
「は? キスすんぞ」
「やめろ離せ!」
「照れるな照れるな」

 捜査一課の同僚たちに囲まれ、モミクチャにされ、顔をイ゛ーッとさせる。
 それでも、やり遂げたという達成感で気分は高揚し、手近なところにいた同僚のちまこい男の子の頭をウリウリやった。
 男の子は松田よりも先輩なのだが、先ほどまでの勇姿を見て「松田くんすごい…!」となっていたので全くイヤな顔をせず、むしろ興奮した面持ちで「わぁ><」と叫んだ。

「オイ見ろよ松田に恋したカオしてる」
「あ? マジ? 抱いてやろうか」
「ダハハハ」
「クレバーに抱いてやれ! クレバーに抱いてやれ!」
「お、お手柔らかにお願いしましゅ…」
「本気にしてんじゃねぇよ」

 大声で騒ぐ男子たちを見て、佐藤は呆れた顔で「ほんっと、男の子っていくつになってもバカなんだから…」と呟く。
 輪の中心にいる男は中々帰ってきそうにない。後でみっちり締め上げてやるんだから…と決意を固めた。


「…あ、ワリ、電話」

 ポケットで震えたスマホに、松田は騒ぐ同僚たちの輪から抜け出して通話ボタンを押した。
 着信相手は唯一無二の親友であり、今日の一連を乗り切った戦友だ。

『陣平ちゃん、無事!?』
「オウ、お陰さまでな」
『良かった…』

 いつもの低い無愛想な声を聞いた萩原はホッ…と安堵の息を吐いた。
 松田も、電話口から聞こえてくるいつもの甘ったるい声に良かった…と胸を撫で下ろし、でもそれを言葉にするのは恥ずかしかったので「お疲れさん」といつもみたいにぶっきらぼうに告げた。

『マドンナちゃん、近くにいるだろ? 代わって。さっきかけたんだけど通じなくて』
「あ? いねぇけど…」
『は?』

 周囲を見渡す。
 大輪の牡丹の乙女はどこにもいなかった。

「どうせ警視庁に詰めてんだろ? そうだハギ、アイツのこと逃げないように捕まえといてくれ。もうお前警視庁戻ってんだろ?」
『…いない』
「………あ?」

 しかし萩原は一転、硬い声で呟いた。

『俺もさっきマドンナちゃんに会いに行ったんだよ。でも今日、マドンナちゃん有給取ってた。だからてっきり、陣平ちゃんの近くで捜査しているものだとばかり…』
「は? じゃあアイツ、一体どこで何してんだ」

 もう一度周囲を見渡す。
 喜びを分かち合う同僚たち。呆れたように彼らを見る佐藤。ちょっと混ざりたそうにしている目暮。その他諸々。
 表情は様々だが、誰もが事件解決に喜んでいた。

「…待てよ。事件解決?」

 松田は僅かな引っかかりを覚え、眉を顰めた。


 ──違う。まだ事件は解決していないだろ。


「…犯人は、どうした」

 ボソリと呟く。
 電話口の萩原が、息を呑む音が聞こえた。

『! 陣平ちゃん、きっとマドンナちゃんは…』
「切る。なんか分かったら連絡くれ!」
『ああ!』

 返事も聞かずに電話を切り、ポケットに仕舞う。

 スー…とゆっくり息を吸い、目を閉じる。

 あのバカ女はきっと、単身で犯人の元へ乗り込んだ。
 そして何らかのトラブルに巻き込まれた。
 萩原からの電話に出なかった、ということが何よりの証拠だ。

「…くそ、」

 松田はその場をグルリと見渡し、聳え立つ建物たちを睨んだ。

 あの電話は、きっと犯人の近くでかけてきたのだ。
 では、犯人はどこにいた──?

 先ほどの、観覧車での一連の記憶を手繰り寄せる。

 自分が頂上に辿り着いた時、二度目の爆破が起きた。
 つまり、犯人はこの観覧車が見える位置に潜伏している。

 電話の音声を思い出す。
 彼女の声の後ろに微かにパトカーのサイレンの音が聞こえていたことを、思い出した。

「ッ!!」

 弾かれたように頭上を見上げ、再びグルリと見渡す。

 幸いなことに、この近辺はブティックやカフェなどが多い。
 サイレンの音が届く範囲で、大観覧車の頂点が見渡せる場所は限られていた。

「…アソコか!」

 松田の目が一点で止まった。
 なんの変哲もないマンションである。

 そのうちの一室の窓が全開になっていた。
 カーテンすらない室内は薄暗く、中の様子はわからない。

 ──が、しかし。

「松田!? どこ行くんだ?」
「松田君!?」

 脇目も振らずに駆け出した。
 背後で慌てる同僚たちには目もくれない。

「(待ってろ。スグに行くからよ…!)」

 絶対そうだ、という確信はなかったが、動く身体を止めることなどできなかったのだ。

 命を助けてもらったんだ。
 今度は俺が助けてやる番だろ。

 必死に足を動かし、野次馬を掻き分け、一直線に駆け抜けた。

 たった一人のお姫様を助けるために。



△▽



 ゆらゆら揺れる。
 あったかい陽だまりの中にいるような不思議な心地だった。

「なァ、なまえ」

 光の向こうから、優しい声がした。
 誰かに、名前を呼ばれた気がした。

「…オイ……オイ! しっかりしろ!」
「……、」
「頼む…なぁ頼むよ! 目を開けてくれ!」

 肩を揺さぶられてゆっくりと目を開いた。いつの間にか眠っていたらしい。

「…じん、ぺ?」
「ッ!」

 視界に映ったのは大好きな群青色だった。
 徐々にピントが合ってきて、ソレが彼の瞳だと理解した。

 汗だくの松田が、必死な表情で自分を見下ろしていた。

「お、おおお前大丈夫か!? どうした!? なん、何があった」
「落ち着いて。…ごめん、寝ちゃってたみたい」
「は?」
「え?」
「…ま、」
「ま?」
「紛らわしいことしてんじゃねぇ!!」

 松田は能天気に目を擦る女に人生最大ボリュームの声で怒鳴った。
 本気で死んでるんじゃないかと思ったからだ。


 この部屋のドアを蹴破って入った松田の目に映ったのは、床に倒れる一組の男女の姿。

 後ろ手を縛られて転がるのはおそらく犯人だろう。
 そんなことはどうでもいい。
 問題は、その奥でうつ伏せに倒れている女だった。

 艶やかな髪が汚い床に散らばり、硬く閉じた睫毛はピクリとも動かない。
 咄嗟に抱き上げて名前を呼んでも身じろぎ一つしない。

 ので、本気の本気で焦り散らかしていたのだ。


「ご、ごめんって…」

 今しがた怒鳴られた女は目をバッテンにして縮こまった。
 まさか開口一番怒らりるとは思っていなかったのだから。

「…ひ、久しぶり…」
「昨日も会っただろマヌケ」
「お、怒ってる…!」

 先ほどまでの大立ち回りから一転、なまえは「キュウ」と叱られたウサギの声を出した。
 それ程、額に青筋を立てる松田が怖かったのだ。

「…つーかお前、めちゃくちゃ怪我してんじゃねぇか」
「え? どこ?」
「ここ」

 松田がツン、と頬をつついた。
 昨日、vsプラーミャ戦でついた傷である。
 昨晩シャワーを浴びた時にキュアビューティーの絆創膏は剥がれてしまったしもう血は止まっていたので、今日は絆創膏を貼っていない。

「あ、それは昨日の傷だから大丈夫よ。萩原くんがね、手当てしてくれたの」
「……昨日、だと?」
「あ」

 墓穴を掘った瞬間である。

「待て、お前今萩原≠チつったか?」
「い、言ってない…」

 松田の脳裏に、昨日の萩原の言動が過ぎる。

『お姫さんを待たせてるんでね』

 ヒラヒラ右手を振りながら去っていく背中が憎らしく光った。

「そういうことかよ…」
「ひ」

 このバカ女、昨日の犯人確保に一枚噛んでやがるな。
 その上で、俺には黙っているように降谷と諸伏に頼んだ。
 ドーリであの二人が何か言いたげな顔をしていたワケだ。

 ──全ては、今日のことで頭がいっぱいな自分に、余計なことを考えさせないようにするためだろう。

 瞬時に全てを理解し、深いため息が口から飛び出た。
 
「あとはどこだ。怪我したとこ」
「…え、えと、足の裏…」
「何で」
「ヒールが邪魔で、裸足で走ったから…」

 なまえはお母さんに叱られた小学生男子みたいにしょもしょも言った。
 正直、お母さんよりも今目の前にいる男の方が百倍怖い。

「…この火傷みてぇな跡は」
「……そ、それは、あの、さっきかな?」
「あ゛?」

 手首を持った松田が再びギロ、と睨んできた。
 なまえは「ピィッ!」と縮こまって涙混じりの言い訳をした。

「だ、だって私、アイツに結束バンドで縛られたんだもん! だからライターでこう…」
「炙ったのか。手首を」
「しょうがないでしょ! だってそうしないと陣平が死んじゃうとこだったのよ!」

 ゲームのやりすぎでお母さんに叱られた小学生男子が「しょうがないだろ! オレが魔王を倒さないと世界が平和にならないんだぞ!」と逆ギレする言い方である。

 松田はそんな小学生男児に再びため息を吐いて、「…っとに…」と吐き捨てた。

「死ぬかと思った…」
「そうよ。危うく陣平が死ぬところだったのよ」
「違ぇって。お前が死んでんじゃねぇかと思って、心臓止まって死ぬかと思ったって言ってんだ」
「それはごめんって。でも陣平も…っ、!」

 それ以上、声が出なかった。
 強い力で抱きしめられたからだ。

「じん、ぺ…」
「…頑張ったな、お前」
「!!」

 その掠れ声と鼻を擽る大好きな人の匂いに、なまえの瞳には一瞬で透明な膜が張った。
 この四年間の努力が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、涙とともに零れ落ちる。

「が、がんばった…わたし、」
「ああ、頑張った」
「やり遂げたの…」
「…ああ」

 松田はゆっくり肩の力を抜き、少しだけ身体を離す。
 ぽろぽろ流れる透明な雫を長い指で優しく拭い、小さな頭をゆるりと撫ぜた。

「待たせて、ごめん」
「そうだな…すげぇ待ったわ」
「…まだ、間に合う?」

 不安そうに自分を見上げる大きな澄んだ瞳に、松田は漸く笑みを零した。
 この女、あれだけのことを成し遂げたクセに。
 自分のこととなるとてんでダメなのだ。

「間に合うも何も、俺たち何も終わってねぇだろ」
「…それ、って」
「俺はまだ、お前のことを好きで好きで堪んねぇんだけど?」


 ──お前は違ぇのかよ。


 続いた松田の問いに、なまえは今度こそ大粒の涙を流して首を振った。

「す、好き…ずっと、ずっと好き…!」
「…オウ、知ってる」
「む、むかつく!」
「ウソ。俺も不安で仕方なかった」

 泣きじゃくる彼女の涙を拭い、頬を撫で、髪の毛を撫でた。

「なァ…目、瞑れ」
「……う、うん」

 優しく聞こえた掠れ声に、なまえはゆっくりと目を瞑る。
 近付いてくる彼の気配・大好きな匂いに期待するように、涙で束になった長い睫毛が震えた。


 松田の薄い唇が、彼女のふっくらとした唇に触れようとした、その時。

「…あ、」
「…チッ」

 けたたましい音で着信音が鳴り響いた。
 舌打ちを零した松田がポケットからスマホを取り出して──再度舌打ちを零した。

「…ハイ」
『陣平ちゃん!? マドンナちゃん見つかった!?』
「…あー、忘れてた」
『何言ってんの!?』
「バァカ。連絡すんのを、だっつの。…見つかりましたが何か?」
『…あ、もしかしてお取り込み中だった?』

 松田の声色から全てを察した萩原が「俺、邪魔しちゃったカナ😅💦」とおじさん構文みたいに言った。

「イヤ…いい。どっちにしても犯人コイツどうにかしねーといけねぇし」
『ん? なんのこと?』
「何でもねぇ。…苦労かけたなハギ。また連絡する」
『りょーかい。あ、今度マドンナちゃんとどうなったのか聞かせてよ。オジサン、気になっちゃ…』
「うるせぇ切るぞ」

 おじさん構文の萩原のボケを完封し、続いて佐藤──はまた怒られて面倒なことになりそうだったので目暮に電話をかけた。
 犯人を確保したことと、このマンションの住所を伝える。

「…はい、…はい、頼んます…じゃ」

 電話を切り、再び腕の中に収まる女の頭をゆるく撫でた。

「悪ぃ。五分もしねぇ内に捜一の連中が来ちまう。…立てるか?」
「うん、大丈夫…私帰るね。私がいると話がややこしくなるでしょ」
「一人で帰れるか?」
「大丈夫、タクシー呼ぶもの」

 マドンナちゃんは松田の手を借りずにゆっくり立ち上がり、スーツのシワを伸ばす。
 凛と立つその姿は、先ほどまで泣きじゃくっていた女とは別人のようだった。

 もう、一人の力で立てるようになったのよ。と言っているようなその佇まいに、

「………」

 松田は少しだけ瞳を細め、眩しそうに見つめた。
 薄暗い部屋の中なのに、その女だけがスポットライトに照らされたみたいに眩しくて・綺麗で・カッコ良かったから。

「なぁに? …わっ」
「ワリ、ちょっとだけ」

 彼女の華奢な腕を引っ張り、再び腕の中に閉じ込める。
 鼻を擽る甘ったるい匂いを肺一杯に吸い込んだ。

「…まだ、住所変わってないよな?」
「え?」
「お前ん家」
「…うん、変わってない」
「今日、行っていいか」
「……待ってる」

 腕の中で聞こえた囁き声に、松田は満足げに笑う。

「もう行かなきゃ」
「分かってる」
「…じゃ、また」
「待て」
「えっ…、っ、」

 彼女を腕から解放し、グ、と高い背を丸めて掠めるようなキスを落とす。
 一瞬で茹で蛸みたいに顔を真っ赤にする女に喉を震わせて笑った。

! 何するの!」
「怒るなって」
「帰る!」
「オウ、続きは後でな」

 なまえはそんな松田をキッと睨み、足音荒く部屋を出ようとして。
 部屋の入り口でピタ、と立ち止まり…振り返って捨て台詞みたいに叫んだ。

「待ってるから早く帰ってきなさい!」

 と。

 松田は彼女の背中を肩を震わせながら見送り、彼女の足音が聞こえなくなったところで声を出して笑った。

 真っ赤な顔、羞恥で潤んだ瞳、強がって震えた唇。

 どれをとっても、愛おしくて仕方がなかったのだから。







次話はR18の予定です。
18歳未満の人はすみません。また来てね。
アップ時期はツイッターで告知します。


Modoru Back Susumu
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -