十一月六日

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 十一月六日。
 警視庁刑事部捜査一課強行犯三係の女刑事・佐藤美和子は、目を△にしながら車を走らせていた。
 捜査一課の華である彼女がこの表情になっているのは全て助手席に偉そうに座る男が原因だった。

「ちょっと何よ、さっきの説得の仕方…」

 先ほど飛び降り自殺志願者の静止を行ったのだが、横の男が火に油を注ぐ言い方をしたため危うく大事件に発展するところだったのだ。
 ので、彼の相棒であり刑事歴として先輩でもある彼女が注意をしているというワケだ。

 この男──松田陣平が捜査一課に配属になったのはほんの数日前。態度がデカく口も悪い松田の相棒になってしまった哀れな佐藤はこの数日間苦労の連続だった。
 放っておくと先程の自殺志願者への物言いのように失礼な発言を連発し、目を離すとスグに喫煙所警備に行ってしまう。
 警察学校では優秀な成績を納め、交番勤務をすっ飛ばして機動隊に配属される実力も備えているクセに。頭はキレるし腕っ節も強いが、圧倒的に問題児≠セったのだ。問題児という表現は二十後半の男に対するものとしては少々不釣り合いな気もするが、マァ実際そうなのだから仕方ない。

 がしかし。彼はまだ捜査一課にきてから数日しか経っていないにも関わらず、同じフロアの女子職員たちからの人気は凄まじいものだった。
 ぶっきらぼうな口調は裏を返せばちょいワル≠ナあり、デカい態度や問題行動はワイルド≠ナあり、威圧感のあるサングラスはミステリアス≠ノなる。

 なぜ松田がそこまで優良誤認されているかというと、マァ彼の顔面が圧倒的に整っているから、としか言いようがない。
 サングラス越しでも分かる綺麗な深い色の瞳。すっと通った鼻筋と薄い唇が完璧な配置で収まり、ふわふわの癖毛を遊ばせる美男子。オマケに脚は股下五メートル(概算値)もあり、機動隊で鍛え上げられた鋼の肉体が濃紺のスーツの下に隠されている。
 彼が醸し出すドーベルマンのような威圧感に直接的なアプローチをする人間こそいないものの、「松田さんカコイイ…」「目の保養…」と遠巻きに桃色の吐息を零す乙女は何人もいたのだ。

 さて松田は、文句を言い続ける佐藤をガン無視してスマホを弄っていた。彼女の棘を孕んだ声は届いておらず、素早い動きで文字を打ち込んでいたのだ。

「メール? 早いわね」
「…あぁ。人より指先が器用なんでな」

 先程までの文句は何処へやら、感心したような声を出す佐藤に松田は漸く返事をした。
 尚も目線はスマホ画面から離さないし指先も動きっぱなし。松田にとってその作業は何よりも大事なのだ。

「…もしかして、カノジョかしら」

 佐藤はニヤ…と笑いながら揶揄うように問うた。この、態度がデカくて口も悪いデリカシー皆無な男に、毎日警視庁に泊まり込みアホ面を晒して寝こけるような男に、カノジョなんているハズがないと思ったからだ。カノジョが欲しければまずその態度をやめることね、なんてイヤミを言ってやろうと思ったのである。

 が、しかし。

「……だと、俺はまだ、ずっと思ってる」

 聞こえた低い声に、佐藤は運転中にも関わらず「え?」と視線を横にズラした。
 横に座る松田は、見たこともない表情でスマホを弄っていた。サングラスの隙間から見える群青の瞳は甘さを孕んで揺れ、いつもへの字型になっている口は緩くカーブを描いているのだ。

 初めて見る表情に佐藤は「あ、これはやばいわ」と思う。普段の横柄な態度とのギャップに少しだけクラッときたのだ。

『松田さん、普段はあんな怖い雰囲気なのにこないだ鑑識の芹沢さん? って人と笑顔で話してて、その顔がめーっちゃ可愛かったの! ギャップ萌えよ』
『意味が分からないわ』

 先日、松田に一目惚れをしたという総務部の同期の女に佐藤は冷めた目で返事をしていた。
 が、たった今急に彼女が言っていた意味が分かったのだった。

「ん? まだ=H」
「あぁ、なんでもねぇよ。コッチの話」

 松田はバツが悪そうな顔で肩を竦めた。
 これ以上聞くな。という仕草である。
 今しがたメッセージを送っていた相手は、「美しい」という名詞を擬人化したみたいな女である。
 その女は、警視庁のマドンナちゃん≠ネんて仰々しいニックネームで呼ばれ、警視庁内だけでなくお茶の間から愛される、謂わば警視庁のマスコット的存在になっている女だった。
 知っている人間はごく少ないが、彼女は松田の警察学校時代の同期であり、恋人であり、四年前に突然松田の前から姿を消した。

 まだ別れてはいない。ハズだった。
 距離を置く時、散々「別れねぇからな」と念押ししたし、テレビに映る彼女は未だに自分があげたネックレスをつけているのだから。
 が、四年間という月日・一向に返ってこないメッセージに不安になっているのも事実。
 もしかしたら、彼女は既に自分のことなんか忘れて新しい恋をしているのかもしれない。
 あの模造ダイヤのネックレスを誰からもらったのかすらも忘れているのかもしれない。
 いつか飽きるだろうと松田からのメッセージを放置しているだけかもしれない。
 ので、その事実を知るのが怖くて「まだ俺たちって付き合ってるよな?」とメッセージを送ることだけができなかった。

「………」

 さっきの表情から一転、切ない色を灯す群青色を横目で見た佐藤は「大変だわ」と思った。
 あの・・松田がここまで表情を変えるということは、それだけそのカノジョに本気だということ。
 遠巻きに彼を想う女の子たちにカノジョ持ち≠ニいうことがバレたら確実に地獄絵図になるだろう。

『米花町三丁目で殺人事件発生。犯人はバイクで逃走中』
「了解。追跡します」

 ピピ、という電子音とともに聞こえた無線に返事をしてから、

「(今のは聞かなかったことにしましょう…知らぬ存ぜぬが一番ね)」

 と、佐藤はこの五分間の記憶を失うことにしたのだった。



△▽



 夕方、松田は渋谷からほど近いところに建つ都立病院に来ていた。
 昨日の夜、いつメンのグループラインに萩原が「集合!」と投稿したからだ。

【明日リハビリしてる病院で最後の検査があるんだ。その検査結果次第では、また機動隊員として復帰できるかもしれねーんだよ】
【マジか! よかったな!😁】
【というわけで誰か俺の復帰祝いして】
【もちろん。飲み会でいいか? 今週末なら僕は空いているよ】
【あ、それでもいいんだけど、】
【?】
【病院の前で胴上げされたい】
【は?】
【え、ナニ?】
【明日病院まで来て欲しいってこと? >萩原】
【だって俺四年間もリハビリ頑張ったんだからそんくらいしてくれても良くない!?】
【キレちゃった】

 という萩原のワガママにより、来れるメンバーのみ集合したというワケだ。
 集まったのは松田・伊達・降谷・諸伏。旧伊達班<<塔oーだった。

「遅刻だぞ」
「久しぶりだね、松田」
「悪ぃ悪ぃ。事件事件で抜け出せなくってよ」
「捜一に移ったんだってな。居心地はどうなんだ?」
「まぁまぁってとこかね」
「俺も来月から警視庁に配属が決まったから、下手打って追い出されないでくれよ、センパイ」
「バァカ、刑事としてはお前の方がセンパイだろうがよ」

 集合時間から少し遅れてやってきた松田をかつての同期たちが出迎えた。この数年間、お互い忙しくて中々全員が集まる機会がなかったのだ。
 それこそ、先日の飲み会が本当に数年ぶりに一堂に会する場だったのだ。尤も松田とマドンナちゃんが来なかったため、いつメン全員で揃ったのはあの・・四年前の事件の直前が最後だったのだが。

「ハギは? まだ出てこねぇのか?」
「さっきメッセージが来ていたけど、前の人の診察が伸びているらしいよ」
「…あ、確かに連絡きてるわ」
「でも、松田が来てくれて萩原も喜ぶだろうな」
「来ねぇワケねーだろ。アイツの復帰を誰よりも願ってんのは俺なんだからよ」

 諸伏の言葉に松田は強い瞳で答えた。
 四年前、萩原に大怪我を負わせた犯人に対して一番憤りを感じていたのは松田であり、未だにあの事件を追っているのも松田だった。
 上手く動かない身体に絶望する萩原を何度も励まし、ここまでやってきたのだ。
 ので、今日という日を誰よりも松田が心待ちにしてきたのだ。

 そして、松田と同じくらい萩原の復帰を心待ちにしていた人物がもう一人──。

「…あの、久しぶり……」
「ッ!」
「えっ」
「あ」
「うぇ?」

 後ろからソプラノの声が聞こえて、四人全員が弾かれたように振り向いた。
 大輪の薔薇のような乙女がそこに立っていたからだ。

 ちょうど松田に「彼女とは最近どうだ?」と聞こうとしていた降谷・諸伏・伊達はアホの声をあげて固まり、松田もまた同様に固まっていた。
 まさか、このタイミングで再会するとは思ってもいなかったからだ。
 だってこの女はグループラインにも【仕事抜けれないかも…🥺】と投稿していたし。

 マァしかし。マドンナちゃんは誰よりもクソ真面目で律儀な女だった。
 ここに来るために、鬼のスピードで仕事をこなし、有無を言わさぬ笑顔でマスコミからの質問を黙殺し、文字通り蹴散らして時間を作ったのだ。
 もちろん、自分一人の力で何かを成し遂げるまでは松田に会わない。距離を置く≠ニいう決意を反故にしてしまったワケだが、それとこれとは話が違うのだ。

 さて松田は。ピッタリ十秒固まって、それからゆっくりと息を吐いた。
 彼女は四年前よりもグッと綺麗になっていた。テレビで見るよりも何十倍も綺麗なのだ。
 陽の光を浴びて白い頬はキラキラと輝き、切れ長の瞳はそれ以上に眩い光を放っていた。

「…久しぶり、だね」
「オウ…」

 なまえと松田が話しているのを三人はジ…と黙って眺めていた。
 この二人が何やら訳ありだろうということは察していた。ので、何も口を挟めず見守ることしかできなかったのだ。

「あの、よ…」

 松田は大きく深呼吸をしてから、意を決して目の前の女に話しかけた。

 元気だったか?
 またそんな綺麗になっちまって。
 なぁ、まだ俺たちって付き合ってるんだよな?
 俺はまだ、お前のことが好きで好きで堪んねぇんだけど。

 溢れた想いに溺れそうになりながら、さてどれから伝えようと一瞬迷った時である。

「萩原くん…」

 マドンナちゃんが松田から視線を外した。
 病院の入り口に立つ男の姿を視界の端に捉えたからだ。

 その男は、四年前の凄惨な事件で生死を分かつ大怪我を負ったにも関わらず、事件前と変わらない甘いマスクで此方を窺っていた。
 自慢の長い脚でもってゆっくり院内から出てくる様子は、まるでハリウッドスターがレッドカーペットを歩く様を見ているようだった。

 萩原研二が、いた=B

「ハギ…」
「萩原、どうだった? 結果は…」

 松田と降谷が同時に呟く。
 萩原は集まった同期たちに順番に微笑みかけ、最後に親友の顔を見て満面の笑みを浮かべ、

「来週から、現場復帰できるって」

 つい先程、院長から告げられた朗報を伝えたのだった。

「えッ!」
「マジか!」
「良かったじゃないか!」

 萩原の言葉に、諸伏・伊達・降谷が口々に萩原の肩をバシバシ叩いた。
 この四年間、死ぬ気でリハビリをこなしてきた努力が実った瞬間に誰もが「やったな」という顔でガッシリした肩を撫でくり回す。
 幼なじみ兼親友であり、誰よりも萩原の努力を近くで見てきた松田は「ほ、本当か…マジで…?」と何回か呟き──、

「ッッシャ!!」

 吠えるように叫んで、親友の復帰を喜ぶのだった。
 この四年間の親友の姿が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、苦しかったことや歯痒かった想いが溢れ出し、こみ上げてきた得体のしれない感情に思わず泣きそうになり、それらをグッと堪えて目に力を入れた。
 男たるもの人前で泣くわけにはいかないのだから。

「オイ胴上げすんぞ」
「は? え、マジ?」
「お前が言い出したんだろ萩原ァ」
「ヤ冗談。冗談だった! マジで今日集まってもらえたらなんでもよかっただけ。あ、待て触んな」
「萩原、自分の言葉には責任を持て」
「班長足の方持って」
「応。任せろ」
「エッマジでやんの? 周りの目が痛、ア、ィヤメテェッ!」

 あっという間に萩原は屈強な男たちに持ち上げられた。「待って」「やめて」は今更通用しない。全員が満面の笑みで「頑張ったなぁ」「よくやった!」と叫びながら胴上げしてくるのだ。
 …マァそれ以上に「心配かけやがってテメェこの野郎」という嫌がらせ目的もあった。ので、どんなに「もうよして!」と叫んでも、

「あ? 聞こえねぇわ」
「ホラ、高低差があるから」
「違いねぇな。良かったな萩原!」
「頑張ったねぇ~。為になったねぇ~(もう中学生)」

 と、四人が飽きるまで萩原は宙に浮いているのだった。



△▽



「…あー、ひどい目にあった」
「自業自得だろ」

 十分後、萩原は漸く地面に両足をつけることができた。エンドレスに宙に放り投げられ「あ、俺このままここで死ぬんかな」「落ちたらまたリハビリしなきゃいけなくなる?」と遠い目をした萩原を救ったのは目を△にした看護師のお姉さんだった。

『病院の前で胴上げは禁止です!』
『アッ…』
『すいませ…』
『…めんなさい』
『スグやめます…』
『だからやめろって言ったのに! 早くおろせよ!』
『萩原さんもですよ! 何考えてるんですか!』
『…ごめんさい…』

 ぷりぷり怒る白衣の天使に、男たちは一気に「すいません…」「怒られた…」とショボショボになり、なぜか被害者の萩原も怒られて目をバッテンにして「ごめんさい…」を言わされた。マァ彼に関しては言い出しっぺなので仕方がない。

 と、そこで。

「…あれ、アイツは?」
「マドンナちゃんのこと? 胴上げ始まってすぐに帰ったよ」
「は!? 何でソレ早く言わねぇんだよ!」
「胴上げでそれどころじゃなかったんだよ!」

 先ほどまでいたはずの大輪の薔薇の姿がないことに気付き、松田は大袈裟に狼狽えた。
 忘れていたわけではないが、萩原の復帰に興奮しすぎて視野が狭くなっていたのだ。

 数年ぶりに会えた愛しいカノジョに聞きたいことも言いたいことだってたくさんあった。
 胴上げが終わったらじっくり話そうと思っていた矢先である。

「あンのアマッ!」
「彼女は忙しいんだから。しょうがないさ」
「警視庁の顔だもんな」
「そもそも今日来たことが奇跡だよ。あの課は彼女ナシじゃもう回らないくらい彼女に頼りっぱなしらしいし」
「何で諸伏がそんなこと知ってんだ?」
「オレ公安」
「コワ」
「…マァ、また機会はあるでしょ」
「………そう、だな」

 項垂れる松田の肩に手を置いた萩原は、ポケットから取り出したスマホに視線を落とした。メッセージの通知で震えたからだ。
 一瞬目を見張り、スグになんてことない顔で再びポケットに仕舞って同期たちに笑いかけた。

「じゃ、俺はまだ手続きがあるから先帰っててよ」
「送ってくか? 俺も駅までゼロに乗せてってもらうから」
「松田、ソレは送ってく≠ニは言わない。同乗する≠ニ言え。それにそもそもお前を乗せるなんて言ってないぞ」
「ケチケチすんなって」
「イヤ大丈夫、一人で帰れるよ。ていうかそれよりも…」

 萩原は松田の肩に置きっぱなしの手にグッと力を入れ、内緒話をするかのように耳元に顔を近付けた。

「あんまり根詰めんなよ」
「…何のことだか分からねぇな」
「アララすっとぼけちゃう感じ?」

 研二くん悲しいぴえん。と嘘泣きをする萩原に、松田は「ほんとヤダこいつ」という顔で舌打ちをした。
 萩原にはバレているのだ。自分が萩原の仇打ちに躍起になっていることも、その日≠ェ近付いてピリピリしていることも、オマケに愛しのカノジョとうまくいっていないことが余計そのピリピリに拍車をかけていることも。

 マァしかし、親友に何を言われようと松田のアクセルは止まらない。
 カノジョが一人で頑張っているのだ。だから松田もひたすら前を見て走り続けることしかできない。

「つーか近ぇ。勘違いされんだろ」
「は? 勘違いって何よ! アタシのことは遊びだったワケ!?」
「やめろ気色悪ぃ」
「松田、イチャイチャしてるとこ悪いけど、もうゼロ行っちゃったよ」
「してねぇよ! つーかアイツもうあんな遠くにいんじゃねーか」
「ああ≠ネった降谷は容赦無く置いてくぞ。今すぐ追いかけた方がいい」
「あの野郎…! …じゃあなハギ。俺行くわ。…ゼロ! 置いてくな!」
「班長、オレたちも行こうか」
「オウ。じゃ萩原、またな」
「…あぁ、ありがとな」

 猛ダッシュで降谷を追いかけた松田と、それを見て笑いながら歩き出した諸伏と伊達を見送った萩原は、

「…お待たせ、もうみんな行っちまったぜ」

 後ろを振り返ってニコ! と笑った。
 植え込みの死角から出てきたのは一人の女の姿。ずっと息を潜めて彼らがいなくなるのを待っていたのだ。

「ごめんね萩原くん、急に話したい≠ネんてメッセージ送っちゃって」
「いーのいーの! マドンナちゃんの話なら大歓迎! その代わり警視庁まで送ってってくんね?」
「そのつもり。…車、こっちだから」

 細っこいヒールをカツカツさせる女を追いかけながら、萩原は心の中でため息を零した。

 どいつもこいつも、大きい荷物背負ってんねぇ…と。



△▽



「ヒロ!」
「ゼロは無事!?」
「スマン、助かった」
「ヤツがぶっ壊した車のドアを持ってきて正解だったなァ」

 さてその十数分後。
 萩原に別れを告げた四人は、病院からほど近いところに建つ廃ビルの中にいた。

 廃ビル前に止まっていたパトカーに気付いた降谷と松田(何とか降谷の車に乗り込むことに成功した)が警官に事情を聞き、念の為諸伏と伊達を応援に呼んだ。
 先にビル内に入った二人は縛られた外国人と二液混合式の爆弾、ガスマスクをして爆弾を弄る人間を見つけたのだった。

 ガスマスクをしているため、男か女か分からない。
 年齢も国籍も不明だが、この人間が爆弾を設置し、外国人の男を縛り上げた犯人だということは一目瞭然だった。

『僕は奴を追う。松田は早く爆弾を!』
『あぁ…そっちこそ頼むぜ』

 逃げた犯人を追う降谷と爆弾解体に勤しむ松田だったが、降谷を撒いた犯人が松田を銃で殺そうとしたところに諸伏と伊達が間一髪助けに来た、という構図である。

 持っていた銃を構える降谷・犯人から奪った銃の撃鉄を起こす諸伏・車のドアを持って凄む伊達・今にも飛びかかってきそうな殺気を放つ松田。
 四人の男たちに睨まれた犯人は己の分の悪さを悟ったのか、軽やかに身体を捻って逃げ出したのだった。

「ッ! 待て!」

 爆弾解体を続行する松田だけ残し、諸伏・伊達・降谷が猛スピードで追いかける。
 ガスマスクの犯人は、普段から鍛えている彼らよりも軽やかに走り──、

「!」
「クソッ!」

 廃ビルの非常階段から隣のビルにワイヤーを引っ掛け、勢いよく飛び出した。
 勢い余って階段から落ちそうになる諸伏のジャケットを伊達が引っ張り、宙に浮く犯人を呆然とした表情で見上げる。

「二人とも避けろ!」

 そんな二人の後ろで、降谷が銃を構えて叫んだ。照準は犯人の命綱であるワイヤーにピタリと合っている。

「逃がさないよ」

 警視庁警察学校総代・トップを走り続けたこの男の拳銃の腕は全くもって鈍ってなどおらず、降谷の撃った弾丸は綺麗にワイヤーを切断した。
 しかし既にガスマスクの犯人は隣のビルの近くまで飛んでいた。ので、ギリギリ非常階段のコンクリートに手を引っ掛けて隣ビルに転がり込んだのだ。
 諸伏が撃った弾丸がギリギリのところで外れ、コンクリートに虚しくめり込んだ。

 降谷はチッと舌打ちを零し、灰色の脳細胞をフル回転させる。
 今からこのビルを降り、隣ビルの敷地に入り、あの犯人のところまで全力疾走したとして、少なく見積っても三十秒はかかる。その時間があれば確実にヤツを取り逃がすだろう。

 どうすればいい? どうすれば、あの犯人に追いつく?
 クソ、僕に翼が生えていればこんな距離ひとっ飛びなのに──!

「…あ、」

 今しがた思い浮かんだ翼≠ニいう言葉に。
 降谷は衝動的に走り出していた。

『伊達くんッ!』
『任せろ!』

 脳裏に、真っ赤なハチマキをキティちゃんみたいに結んだ女が空を飛ぶ光景が過ったからだ。
 降谷が昔、淡い恋心を抱いていたかわゆい女の子が、大勢の人間に見守られながら空を飛んだ光景だ。

 そうだ。僕もアレ・・をやれば──。

「班長! 頼むッ!」

 邪魔なジャケットを脱ぎ捨て、トップスピードで伊達に駆け寄る。
 その光景に、伊達は瞬時に降谷の思惑を察し、「マジかッ!」と叫んで構えた。

「よッ!」

 降谷の左足が伊達の両手の上に乗る。
 伊達はその両手を降谷の左足ごと一気に宙に跳ね上げた。

 伊達の手を踏み台に、降谷は空を飛んだのだ。

 それは数年前、警察学校対抗体育祭の棒倒しで、歴代初の女子大将を担った女が相手チームの大将を落とすためにやったことと全く同じだった。

 身体を弓なりに反らして飛んだ降谷はあっという間に隣ビルの非常階段に着地した。奇しくも犯人のワンフロア下だったのだが。

「…どいつもこいつも無茶しやがって…。首席ってのは人を踏み台にしなきゃやってられねぇのか?」

 確かに伊達を踏み台にした二人ともが首席である。
 マァ人の手の上から空に飛び立つなんて芸当は、強靭な精神力・身体能力が備わっていないとできない。
 つまり、交番勤務を余裕ですっ飛ばし国家公務員試験でフルスコアをとるような例外中の例外≠フみができる芸当なのだ。

「ヒロ! 班長! まだこいつの仲間が潜んでいるかもしれない! 松田を頼む!」
「応! お前も気をつけろよ!」
「ああ!」

 降谷が階段を駆け上りながら叫ぶ。
 松田の元に向かおうとした伊達を「班長」と諸伏が呼び止めた。

「オレはゼロの援護にまわるよ。ヤツは只者じゃない。一人で相手するにはキツいと思う」
「応、じゃあ頼むぞ」
「ああ」

 そこからお互い別の方向に走り出す。
 伊達は松田の元へ。諸伏は降谷の元へ。



 そんな彼らは、下からの視線に気付かなかった。
 ぽかんと口を開けてコチラを窺う一組の男女の視線に。

「い、今、降谷くん空飛んでた?」
「飛んでたね…」
「ていうかその前に、ガスマスクの人が飛んでた?」
「飛んでたね…」
「諸伏くん、発砲してた?」
「してたね…」

 なまえと萩原だった。

『…で、マドンナちゃん。俺に話したいことって何?』
『えっとね。……あれ?』
『どうした?』
『あれ、降谷くんの車じゃない?』
『…ほんとだ』

 漆黒のクラウンの助手席に萩原を乗せて警視庁に帰る道の途中で。
 路肩に止まる降谷の愛車を見つけたのだ。

『何? 事件かな』
『様子見に行く?』
『え?』
『心配なんでしょ? 陣平ちゃんのこと』
『……まぁ…』

 悪戯っぽく笑った萩原になまえは少しだけ顔を赤らめて、それでも自分の気持ちに嘘はつけずに頷いた。

『素直でいいねぇ』
『うるさいわよ萩原くん。ここに置いて帰るわよ』
『徹頭徹尾ごめんなさい』

 ぷんすか怒る乙女に九十度のお辞儀をしてから車を降りた。
 路地に聳える廃ビルの真ん前にパトカーが止まっていて、思わず二人して顔を見合わせた。

『事件? 事故?』
『分かんない…ちょっと俺聞いてくるよ。マドンナちゃんはソコいて』
『え?』
『ほらキミ有名人だし。これつけてていいから』

 萩原が胸元にぶら下げていたグッチのサングラスをマドンナちゃんの頭の上にチョン、と乗せた。

『あ、ありがと…』

 なまえは律儀にお礼を言って、頭上のサングラスをチャキリと耳に引っ掛けて装着した。
 視界のトーンが一気にセピア色のフィルター加工をしたみたいに柔らかくなる。乙女の顔は小さいので、男性用のサングラスをつけた彼女は一昔前のアユみたいな風貌になった。
 サングラスで顔の半分は隠れているが、余計に引き立つ顔の小ささに「え、あれ芸能人?」なんて声が野次馬の中から聞こえてきた。

『ビルの中でうめき声がするって通報。刑事二組が十分くらい前に入ったって。で、発砲音が何回かと、何かが割れる物音が聞こえたって』

 さて警官に話を聞いて戻ってきた萩原は神妙な顔でアユに話しかけた。野次馬から彼女が気付かれないように盾になりながら。
 気遣いのできるモテ男・萩原研二の真骨頂だった。

『どうする? 俺たちも入る?』
『いや…この狭いビルに私たちまで入ったら降谷くんたちが身動き取りづらいでしょ』
『確かに』

 警官が言う「刑事二組」は十中八九あの四人のことだろう。
 アユは難しげな顔で「今、私にできること…」と呟き、ビルの中で聞こえたパァン、という発砲音にピクリと眉を動かした。

『っ!』

 その瞬間。彼女の頭の中にはダーッと緑の計算式が浮かんだ。よくアニメとかで見る、真っ黒の空間に緑のデジタル文字がビッシリ蠢くアレである。
 音の反響具合・こもり具合・伸び・余韻から、発砲した場所が自分を原点とした時のXYZ軸方向のどこに当たるのかを瞬時に割り出し──、

『……ッ!』

 その方向に向かって一気に駆け出した。

『萩原くん、こっち!』
『なんつー耳してんだ!』

 今の発砲音は萩原の耳にも届いていた。が、ビルの中から聞こえるなぁ程度のもので、その正確な場所は当たり前だが分からなかったのだ。
 マドンナちゃんの計算によると、発砲場所は(X、Y、Z)=(0、4、3)の地点。つまりビルの真裏の上層階にあった。

 案の定二人はビルの裏手──非常階段付近で止まり、そこに止めてある車が上から落ちてきたロッカーによって大破しているのに目を見開き、頭上の遥か上を飛ぶガスマスクと、それを追いかけるように飛んだ降谷に驚愕し、

「い、今、降谷くん空飛んでた?」

 冒頭の会話に戻るというワケだ。

「どうする?」
「どうするも何もないでしょ。行かなきゃ。…あれ、諸伏くん?」
「えっ二人ともなんでここに?」

 と、そこに。
 非常階段から駆け降りてきた諸伏が目を丸くして二人を見ていた。
 右手に銃を構えているあたり、状況はあまりよくないようだ。

「走りながらでいい! 状況は!?」
「爆弾。犯人は隣ビルに逃走。ゼロが一人で追跡中。松田と班長が残って爆弾解体中」
「了解。萩原くん、向こうに行ってあげて!」
「任された!」

 マドンナちゃんと萩原は諸伏と並走しながら状況を確認し、萩原のみ途中で引き返して廃ビルの方に向かう。
 残った二人は隣ビルのコンクリートの階段を駆け上がり──、

「きゃッ!」
「大丈夫!?」

 屋上の方から聞こえた爆音と凄まじい揺れに、二人して顔を見合わせた。
 ぐらついたピンヒールによろめいたマドンナちゃんを咄嗟に支えた諸伏は、一瞬鼻を掠めた甘い香りに目を見開き、

「いいから行って! 降谷くんが危ない!」
「…わかった!」

 腕の中から聞こえた鋭い声に、力強く頷いて再び階段を駆け上がった。
 唯一無二の親友の無事を願いながら。



「…もう、役立たずは嫌」

 残された女はその場にピンヒールを脱ぎ捨て、胸元で揺れるネックレスを撫でた。

 一度だけ深呼吸をして、甘く細められた群青色を思い浮かべた。

『いつでも俺がついてるって証拠』

 脳内を駆け巡るのは低い掠れ声。いつも心が折れそうな時に励まされてきた声だった。

 ──大丈夫。誰も死なせない。
 ──もう迷わない。
 ──だってあなたも、近くで戦ってくれてるんだもの。

 小さく口をすぼめてフーッと息を吐いてからサングラスを外してポケットに入れ、グッ…とアキレス腱を伸ばす。
 強い目でまっすぐ前を睨み、それからトップスピードで駆け上がった。

 ストッキングが破れるのも構わない。
 石やガラス片を踏んでも全く痛くない。
 爆発の衝撃で飛び出た釘に、服や手を引っ掛けても走る足を止めない。

 自分が役立たずの木偶の坊の方が、よっぽど心が痛むのだから。



△▽



「まだ逃げてるだって?」
「仲間がいるかもしれんしな」

 さてその頃。廃ビル内・爆弾解体現場では。
 テンポよくコードを切断する松田と、それを見守る伊達の姿があった。

「いねぇよ」
「え?」
「いたら俺を殺そうと戻ってこねぇだろ」

 松田の推理に伊達が「そ、そうだな…」と唸る。
 さすが捜査一課の刑事。推理力はダテじゃないのだ。

 松田は一瞬爆弾から目を離して伊達を見上げた。

「…班長、ガム持ってねぇか? 噛むと集中できる」

 爆弾に向かっていた時の真剣な顔が少しだけ緩み、あどけなくも整った顔面が懐中電灯で照らされて眩しく光る。
 伊達はその眩しさ一瞬目を見張り、「どいつもこいつも…」と呆れたように笑ってから、ポケットに常備してあるガムを取り出そうとした。

 ちょうどその時。

「と思って、研二くんがガムのウーバーイーツに来たぜ」
「ハギ!?」
「萩原!? なんでここに」

 ここにいるはずのない第三者の声が聞こえ、松田と伊達は同時にのけ反った。
 甘いマスク・やわこい声・抜群のスタイルという三種の神器を兼ね備えた同期イチのモテ男の姿がそこにあったからだ。

「詳しいことは後。とにかくガムやるからこれ食って…ッ!」
「あッ?」
「何だ!?」

 萩原から差し出されたガムを取ろうとした時、大きな爆発音と衝撃にビル全体が揺れた。大の男が少しだけよろめき、液体火薬がチャプ…と音を立てる程度の揺れだ。

「この揺れだと、隣のビルだな…ゼロと諸伏大丈夫か?」
「あの二人ならマァ大丈夫だろ。ハギ、ガムくれ。…ハギ?」
「どうした?」
「………」

 ドォン! という凄まじい音の割に揺れが小さいことから、爆発が起きたのはこのビルではなく隣のビル。隣には我らが総代のバケモノとそのズッ友がいる。
 あのバケモノがいるなら大丈夫だろうと楽観視していた松田・伊達はしかし、ガムを持ったままフリーズする萩原を見て「どした?」という顔で首を傾げた。
 もしや四年前のトラウマが蘇ってきたのでは…と心配する顔である。

 が、しかし萩原は「まずいな…」と呟いて唇を噛んだ。
 この二人は知らないのだ。自分が、ここに誰と来たのかを。

 向こうのビルにいるのは降谷と諸伏だけではない。
 目の前の親友が心の底から愛してやまない女がいるのだ。

「…何でもねーわ! ほら、ガム」
「オウ。サンキュ」

 暫く迷った後、萩原はペカ! と笑って松田にガムを手渡した。
 今ここで、彼女の存在を明かすことは松田の集中力を削ぐ原因になると思ったのだ。
焦りこそ最大のトラップ≠信条に生きている松田だが、ヤツの心を乱す唯一の因子が彼女だと確信していたから。

「(頼むぜマドンナちゃん…無事でいてくれよ)」

 萩原は爆弾を解体する松田の広い背中と器用に動く指先を眺めながら、縋るように天に祈った。





 パァン、と発砲音が聞こえた。
 犯人が放った手榴弾の爆風にやられ地面に伏していた降谷は、頭上から向けられた銃口に強く目を瞑って死≠受け入れようとしていた。

「…?」

 が、銃声は聞こえたもののいつまで経っても衝撃は来ず。
 薄らと目を開いたところで、犯人が右手に構えていた銃を落とし、唯一無二の親友が肩で息をしながら銃口をヤツに向けている光景が飛び込んできた。
 ガスマスクが降谷を撃つよりも先に、諸伏がヤツの右肩を撃ったのだとスグに分かった。

「ゼロ、無事か?」

 諸伏が苦しそうなゼェハァという呼吸混じりに問うた。
 降谷は未だ動かぬ身体を焦ったく捩ろうとしながら「…ヒロ」と掠れ声で呟いた。

 このままではまずい。
 自分は手負い。諸伏も未だ呼吸がおさまっていない。
 目の前で右肩を抑える犯人を捕まえられる人間はここには居らず、このままでは確実に取り逃がしてしまうことは目に見えていた。

 ──が、しかし。

「ッ!?」
「えッ!」

 諸伏の影から、弾丸のように飛び出してきた女がいた。
 否、女かどうかスグにはわからなかった。
 ただ、弾丸のように飛び出してきた人間はあっという間に降谷の元まで距離を詰め、逃げようと身を捩ったガスマスクに飛び付き──、

「ッが、!」

 瞬きをする間もなくその頭をコンクリートに叩きつけたのだった。
 間髪入れずに犯人の右腕を捻り上げた人間の、ブワッと広がった長い髪がふよふよと空気を孕みながら元あったカタチに戻るのを見て、漸くヤツが女だ≠ニ理解できたのである。それと同時に、その女が見知った人間だということにも。

「…キミは、」
「おまたせ」

 女は首だけで振り返って降谷を見やり、彼の無事を確認すると整った瞳を細めた。降谷が恋焦がれていたマドンナちゃん≠フ笑顔である。
 着ていたジャケットは所々擦り切れていて、靴を履いてない足は石やガラス片で血が滲んでいる。犯人に馬乗りになっているためタイトスカートは太ももまで捲れ、ガーターベルトが誘惑するようにチラついていた。

 息を呑む降谷に再びニコ! と笑いかけたなまえはスグに真剣な表情に戻って視線をガスマスクに落とした。右肩を撃たれたとは思えない力で抵抗してきたからだ。

「クソ、離せ!」
「…あら、女の子なのね」

 ガスマスクの下から聞こえてきたのは女の声。なまえは冷たく言い放つと、尚も暴れる犯人を押さえつけながら無理矢理マスクを剥ぎ取った。
 額の部分の革をむんずと掴み、そのまま上方向に力任せに引っ張ったのだ。

「ッ!?」
「女!?」

 現れたのは豊かな金髪を一括りにしている白磁の肌を持つ女の顔だった。
 先ほど聞こえた日本語は流暢だったが、ブルーの瞳と彫りが深い顔立ちから日本人ではないことはスグに分かった。

「離せ! 死ね!」
「口が悪い女は嫌われるわよ。…諸伏くん、手錠ある?」
「…あぁ、ちょっと待って」
「やめろってこの!」

 降谷同様に唖然とした表情でキャットファイトを見ていた諸伏が慌てて駆け寄ってきて懐から鈍色の手錠を取り出した。

「手伝おうか」
「ん、そうね。…そしたら、ちょーっとだけこの人押さえるの手伝ってくれる? で、あと私の胸ポケットに入ってるスマホ取って…ヤ、いいやそれは自分で取る」
「それはそうして。オレまだ松田に殺されたくない」

 諸伏に女の腕を拘束してもらい、手のひらに触れないように慎重に手錠を嵌める。幾ら動きを拘束しているとはいえ、コチラの腕や手首を掴まれてしまえば形勢が逆転してしまう恐れがあるからだ。
 まず右手首に手錠を嵌め、続いて左手首にもガシャン、と手錠を嵌めた。

「Чёрт возьми!(クソッタレ!)」
「ああ、やっぱりロシア系なのね」
「!」
「あら図星? 当たってよかった」
「Не играть со мной, дрянь, или я тебя убью!(ふざけるなクソ女、殺すぞ!)」
「ごめんなさいね、私ロシア語分からないの。降谷くんなら分かる?」
「…分かるが口にしたくない」
「あそ」

 噛み付かんばかりの勢いで抵抗する女だったが、残念ながら手首の拘束を解く事も立ち上がることもできなかった。
 彼女に馬乗りになっているのは元・警察学校のマドンナちゃん≠セからだ。
 この女、警察学校では女子首席の成績をおさめ、オマケに学園対抗体育祭・格闘技大会女子の部で優勝した女である。

 オマケにフィジカルの強さだけでなく、頭もかなりキレる。
 女の顔立ち・言葉のイントネーションからロシア系だと予想し、即座にハッタリをカマしたのだ。

 尚もなまえは馬乗りになったまま自身のスマホを取り出し、慣れた手つきでペタペタ触った。

「どうかした?」
「ん、ちょっとね。…確か前に見た国際指名手配犯のリストに、ロシア圏で有名な爆弾魔の情報があった気がして…」

 なまえはブツブツ呟きながらスマホをスクロールする。
 数多ある犯罪者のリストを上から下に流していき、整った瞳を細めてまい字を追いかける。

 ピタ、と指が止まった。

「プラーミャ」
「っ!」

 桜色の唇から漏れ出した言葉に、地面に伏した女はピクリと身体を震わせた。
 図星を突かれた人間の挙動だ。

 降谷と諸伏は思わず顔を見合わせた。
 プラーミャといえば超S級犯罪者。
 ナルトでいえば暁、ハンターハンターでいえば幻影旅団、呪術廻戦でいえば夏油一派。名探偵コナンでいえば黒ずくめの組織である。あ、これコナン夢だった。忘れてください。

 とにかく、プラーミャは公安内でも有名な国際指名手配犯だ。
 ので、「え? マジでこの女プラーミャ捕らえたん?」という顔でお互いの顔とマドンナちゃんのガーターベルトと組み敷かれた女の金髪を交互に見ることしかできなかったのだ。

「…ふぅん。アナタ本当にプラーミャなの」
「うるさい! さっさと離せブス!」
「誰がブスよ。私の顔をちゃんと見てから言いなさい」
「見なくても分かるさ!」
「は? アンタちゃんと目ついてんの? 乱視入ってる?」
「ちょ、ちょっと話が脱線してる! とりあえずオレもう一個手錠持ってるからコイツの足にも嵌めよう」
「…いいけどとりあえずこの人オトすわね。私の顔をブスなんて言う悪い子にはお仕置き」
「えっマァいいけど…」

 オトした。
 ストン! と綺麗な音を立てて女の首裏にマドンナちゃんの手刀が入り、女はグルリと白目を剥いて気を失ったのだ。

 それを見た降谷・諸伏コンビは「コワ…」と肩を縮こませた。
 今後彼女への言動は気をつけよう…と固く誓ったのだ。マァ言ったことも思ったこともないけれど。

 マドンナちゃんはお仕置きして気が済んだのか、怯える二人には目もくれずに気を失った女のジャンパーのポケットを探った。

「多分持ち歩いてるはず…あ、あった」
「スマホ?」
「そう。きっと爆弾を遠隔操作できるはずだから…」

 スマホを起動させると案の定【БОМБА】と書かれた画面が現れた。日本語に訳すと【爆弾】である。
 画面には【ЗАПУСК/ОШИБКА(スタート/エラー)】のボタンが押せるようになっていた。
 マドンナちゃんは迷わず【ОШИБКА】をペタ、とタップし──、

「はい、解決ね」

 と、美しい笑顔で言い放ったのだった。

 この女、あっという間に爆弾すらも止めてしまったのだ。
 愛しのカレシの腕を疑っているわけではないが、早めに止めるに越したことはないのだから。

「とりあえず上に連絡したから。あとは上がなんとかしてくれると思う」
「そう、よかった」
「あとはアイツらにも連絡するね」
「お願い。あ、降谷くん立てる?」
「大丈夫。…ん? 待て、さっきのリストは公安の管轄のものじゃないか?」
「あっ見なかったことにできる?」

 よろよろ立ち上がった降谷がフと疑問に思って尋ねると、マドンナちゃんは「やば」という顔で諸伏を見上げた。
 この女、肝心なところでドジを踏むのだ。さっきまでかっこよく犯人を締め上げていたのに。

「知ってる? オレも公安」
「に゛ゃ」

 マドンナちゃんは目をバッテンにして項垂れた。絶対怒らりる…と覚悟を決めた顔である。
 そんなマドンナちゃんに「マ、今回は大目に見るさ」と微笑んだ降谷は、「…ところで、」とずっと言いたかったことを口にするのだった。

「そ、そろそろ自分で気付いて欲しいんだけど…その、目のやり場に困る」
「オレもそれ思ってた…」
「え? …ッ!!」

 頬をポリポリ掻く降谷と諸伏の視線を辿り、自分の格好──プラーミャに馬乗りになったことにより捲れ上がったスカートとチラついたガーターベルト──を確認した乙女は、「ヒエッ!」と声を上げて立ち上がった。
 真っ赤な顔でスカートを直し、パッパッとはたいて砂埃を飛ばし、シワを伸ばす。

「ご、ごめんね…お目汚し大変申し訳…」
「イ、イヤ…」
「むしろご褒美でした」
「ゼロ!」
「ん? ごめん僕なにか言ったか?」
「記憶を無くしてる…」

 降谷の爆弾発言に諸伏が「ゼロがおかしくなっちゃった…」と頭を抱えた。
 そんな二人にはじけるように笑ったマドンナちゃんは目尻の涙を拭い、それから「じゃ」と二人に背を向けた。

「私、帰るね」
「送ってくよ。松田も乗せるし」
「大丈夫。車で来てるもの。…あ、申し訳ないんだけど、私がいたって他のみんなには言わないで。萩原くんにだけ『車で待ってる』って伝えて」
「え?」

 降谷と諸伏は思わず顔を見合わせた。
 何となく察してはいたのだが、やはりこの数年間で彼女の何か≠ェ変わったことを目の当たりにしたからだ。

「松田にも会っていかないのか?」
「うん。二人はもう聞いてるかもだけど、まだ$w平に会えないの」
「…理由を聞いてもいいかな」

 諸伏の言葉に、マドンナちゃんは首だけを動かして振り向いた。
 しかしタイミング悪く西陽に照らされ、逆光でその美貌が今どんな表情なのかが分からない。
 笑っているのか、怒っているのか、泣きそうなのか。何も読めないのだ。

「まだ、やり切ってないから」
「何をやるつもりなんだ?」
「…明日分かるよ」

 マドンナちゃんは再び前を向いて歩き出した。

 それっきり、二度と振り向かない。
 前だけを見て、凛と胸を張って去っていくのだった。



△▽



「…と、」
「止まった…?」

 ところ変わって爆弾処理チームである。
 伊達が懐中電灯で手元を照らし、松田がペンチを握り、萩原が指示を出す。
 三位一体となり徐々に減っていくパネルの時間と戦っている最中だったのだが。

『少しでも揺すったり傾けたりすると、液体が漏れ出してドカンだ』
『陣平ちゃん、多分次そっちのコード』
『分かってる。…班長、ここは俺とハギに任せて、周辺にいる人たちを避難させてくれ』
『でもよ…』
『いいから行け。あと三分だ』
『ガス漏れとか、適当な理由でこのビルの周りから避難させて…』

 残り三分を切ったところで、伊達に周辺住民たちに避難誘導をさせようとした、その矢先の出来事である。

 フッと突然パネルの時間が消えたのだ。
 それだけでなく、液体火薬を妖しく照らしていた照明も消え、ずっと微かに聞こえていたモーター音も止まった。

「何だ…?」
「罠か?」
「イヤ、完全に止まってるな…。コレ、主電源押さねぇと再び動かんぞ多分」

 まだ解体しきっていないのに、急に動作が停止したのだ。
 ので、その道のプロである松田・萩原はもちろん、何だかよく分からないがとにかく異常事態なんだなと察した伊達も含めた三人は、揃って「はにゃ?」とカッコいい声で首を傾げていた。

「…もしかして、妖精さんがやってくれたのかな……」
「あー、あるかもな。妖精さん何でもできるしよ…遠隔で爆弾止めてくれたのかもしれねぇ」
「は? 妖精さんってこないだ松田たちが来なかった飲み会で話してたヤツだよな? データ集めるだけじゃねぇのか?」
「バァカ。妖精さんは何でも出来るンだよ」
「何で松田がキレてんだよ」
「ごめん班長。陣平ちゃん、妖精さん信者なんだ」

 急にキレられてビックリする伊達に、萩原がヤレヤレ顔で答えた。

 なぜなら、萩原の言う通り松田は警視庁の妖精さんに心酔しているからだ。
 機動隊時代、松田の班はこの妖精さんに幾度となく助けられてきた。
 オマケに、今現在血眼で追い続けている、あの忌々しい四年前の事件についてのまとめ資料もたまにデスクに置いてあったりした。
 ので、松田の中での妖精さん像≠ヘ最早神の領域に達し、デスクに「妖精さんへ」と書いた付箋を貼ったシャトレーゼのゼリーやゴディバのチョコレート詰め合わせを置いたりしていて、翌日それがなくなり代わりに欲しかった資料が置いてあったりすると「妖精さんありがてぇ」と小躍りする。彼はこの数年間で立派な妖精さん信者になっていた。

 とそこで、松田の胸ポケットのスマホが震えた。着信がきたのだ。

『松田! 爆弾止まった!?』
「おお、ヒロの旦那か。止まったぜ。…妖精さんかと思ってたけど、もしかしてソッチで何かしてくれたのか?」
『え? 妖精さん?』
「あ、その反応だと違うんだな…何だよ…」
『何で怒ってるんだよ。オレたちで犯人捕まえて遠隔で爆弾止めてやったのに』
「あーハイハイ。悪かったな。感謝してる」

 何度も言うが松田は妖精さん信者なのだ。
 ので、今の一連の出来事が妖精さんだったら…と想像して大興奮していた。

 がしかし、蓋を開けたら超人の同期たちの活躍だという。
 純粋に助かったし嬉しいのだが、心の底では「妖精さんだったらもっと嬉しいのに…」と思ってしまうのは仕方のないことだった。

『とにかく降りてこいよ。もうコッチの方で上に連絡済みだから。あとは上が何とかしてくれる』
「へいへい」

 と、いうワケで。
 松田は「イ゛ー!」という顔で通話を切ると、ヤレヤレ顔で苦笑する戦友二人に「降りるぞ」と話すのだった。




「お疲れ」
「お前らも」

 さて階下に降りると、全身ボロボロの降谷と、そんな彼の肩を支える諸伏の姿があった。
 何となく五人でハイタッチをして、それからへへ…と頬を緩ませて笑い合う。

 普段は眉根に皺を寄せ、厳しい顔で事件・仕事に臨んでいる五人だが、この時ばかりはだらしなく目尻を垂らして笑った。
 純粋に爆弾解除・犯人確保・事件解決が嬉しかったのだ。

「…あれ?」
「ハギ? どうしたんだ?」

 デレデレ笑いながらお互いをつつき合っていた松田たちだったが、フと萩原が真顔になった。
 ここにいるはずの人間が一人いないことに気付いたからだ。

 松田と伊達は「?」と首を傾げる。もしかしてビルの中に忘れ物でもしたのか? と思ったからである。
 が、降谷と諸伏は、そんな萩原の表情に心当たりがあるような顔をして「ちょっと萩原、耳貸して」と手招きしたのだ。

「──────、」
「…分かった。サンキュ」
「は? 何だよハギ」
「諸伏もゼロも、どうした? 俺らには聞かれちゃマズい話なのか?」

 除け者にされた松田と伊達が不服そうな顔をした。
 えっ俺たちこの歳でハブにされるの? キツくね? という顔である。

 がしかし、萩原はなんてことないような顔をしてヘラリと笑うと、

「じゃ、俺帰るわ。またな!」
「あ? どうやって帰んだよ。ゼロの車乗せて貰えって」
「野暮なこと言うなよ陣平ちゃん。お姫さんを待たせてるんでね」

 ヒラヒラ右手を振りながら背を向けて去っていくのだった。

 残されたのは、意味深な顔をして黙りこくる降谷・諸伏。「アイツいつの間にカノジョできたんだ?」と宇宙猫になった伊達。

 そして。

「あの野郎。ナニ隠してやがるんだ…?」

 野生的な勘で不穏な空気を察知した松田だった。
 具体的なことは何も分からないが、萩原が自分にとって何かとんでもない秘密を隠しているような、そんな勘だ。

 ──まさか、萩原の指したお姫さん≠ェ自分の愛しのカノジョのことだ、なんて夢にも思っていなかったワケだが。



△▽



「おかえり」
「お待たせ…待ってマドンナちゃんどんだけヤンチャしたの!?」
「え? なにが?」

 漆黒のクラウンにてこてこ戻ってきた萩原は、助手席のドアを開けて固まった。
 ぽかんという表情で首を傾げる運転席に座った女が、全身擦り傷と砂埃塗れだったからだ。

 小一時間前まではピシッと着こなしていたスーツは砂埃と擦り切れ跡が目立ち、タイトスカートから伸びるストッキングはもう使い物にならないくらい破れている。
 チラッと見えるふくらはぎには点々と乾いた血の跡がついており、思わず身を乗り出した萩原の目に映ったのは血塗れの素足だった。

「靴は?」
「あぁ、後ろの席に置いてる。ちょっといろんなもの踏んじゃったから消毒して破片取り除かないと流石に履けなくて」
「ていうか顔!」
「え? …あぁ、名誉の負傷ね」

 慌てふためく萩原に、マドンナちゃんはバックミラーで自分の顔を確認して何てことのない風に言った。

「だめでしょ! マドンナちゃんの綺麗な顔に、傷が!」
「芹沢くんみたいなこと言うのね」
「芹沢ちゃんじゃなくても言うだろ!」

 萩原はムンクの叫びみたいな顔で絶叫した。
 薄ピンクのふっくらとした頬に、赤い切り傷がスッと入っていたからだ。
 おそらくビルの階段を駆け上っているときに何かに引っ掛けたのだろう。深い傷ではなさそうなのが不幸中の幸いというところだが。

「ちょっと見して」
「後でね、とりあえず発車するわ。そろそろ降谷くんたち戻ってきちゃう頃だと思うし…」

 身を乗り出す萩原をピシャリと制したなまえは「シートベルトしてね」と言ってギアをPからDに変えた。

「…で、話したいことなんだけど…」
「後でね、とりあえずドラッグストアな」
「え?」

 先ほど言われたセリフの冒頭部分を丸パクリした萩原がマドンナちゃんをピシャリと制した。
 形勢逆転である。
 萩原は瞬時にスマホで駐車スペースのある最寄りのドラッグストアを探し、

「ここ向かって。消毒しねーと」
「で、でも…」
「マドンナちゃんが傷の手当てしない限り、俺キミの話聞かないから」

 怒気を孕んだ声色で告げたのだった。




「い゛っ…たぁ…」
「頑張って。流石の俺でも手伝えないから。…ていうか何でそんなになるまで放っといたの? 本っ当にキミ自分のことには無頓着っていうか能天気というか…」

 五分後。
 萩原は後部座席で悲鳴をあげるマドンナちゃんを叱りながら助手席にふんぞり返っていた。
 最寄りのドラッグストアでピンセット・消毒液・絆創膏・ストッキングを買ってきて、運転席に座ってポケッとする能天気を後部座席に放り投げたのだ。
 尚、目線は手元のスマホに落としたまま。生憎萩原には親友のカノジョの生足をマジマジ見る勇気も趣味もない。

「…うぅ、…いた…」

 なまえは足の裏にめり込んだ小石や刺さったガラス片をチマチマピンセットで取り出していた。
 あの時は必死だったので全く気に止めていなかったしアドレナリンがダバダバ出ていたので全く痛くなかったのだが、案の定足の裏は酷い有り様になっていた。
 チマチマそれらを全て取り出し、マキロンをピューッとやり、また再び「イ゛ーッ沁みる…」と目をバッテンにさせた。

「消毒した?」
「…した」
「乾くまで放置な」
「…ウン」

 ピリピリする傷口に顔を顰めながら、しかしまた駄々を捏ねて萩原に怒られるのは嫌なので素直に頷いて傷口をパタパタ手で煽ぐ。
 先程まで超S級犯罪者に馬乗りになってイジメていたくせに(※イジメではない)(※やっぱイジメ。三対一だから)(※やっぱイジメじゃない。相手は犯罪者だから)お友達に怒らりてペショペショになる姿は年相応の女の子≠ンたいだった。

「それで、話って?」
「……えっと、」
「陣平ちゃんのこと?」
「…うん」

 なまえは乾いた傷口に一枚一枚プリキュアの絆創膏を貼りながら頷いた。
 痛いだけなのは可哀想だから…と敢えてかわゆい柄のを萩原が買ってきてやったのである。鬼の気遣いである。萩原研二という男のモテ力≠ェ現れていた。
 実際に真後ろの女は「痛…でもかわい…」とちょっとだけごきげんになりながら足をプリキュアだらけにしていた。
「プリキュアオールスターズよりいる…」
 総柄になってしまった足の仕上がりにちょっとだけ笑って、それから萩原が買ってきてくれた膝上ストッキングをソロソロ履いた。

「あの、萩原くんは知ってる? 陣平が、その…」
「四年前の事件を単独で調べてるってこと?」
「…うん」

 手当てが終わったなまえはヒールを履き、一旦車の外に出て再び運転席に座った。
 しかし車を発進させることはなく、真っ直ぐ前を向いたままボンネットの漆黒を眺める。

「心配なの?」
「うん…あの事件はまだ終わってないから。陣平の中でも、私の中でも、…犯人も」
「…そうだな」

 萩原は重々しく頷いた。
 彼女の言う通り、当事者の自分よりも親友カップルの方があの事件を遥かに引きずっているのには気付いてた。
 そして犯人も同様に、まだ何かを仕掛けてこようとしていることにも。

 そしてきっと、明日・十一月七日に動きを見せるだろうということにも。

「私もこの四年間、死ぬ気で色々調べてきた。でも、まだなの。まだ足りない」
「………」

 マドンナちゃんはグ…、と唇を噛み締めて呟いた。
 まるで、あと一歩のところまで分かっているような口ぶりである。

「………もう、爆弾は仕掛けられた可能性がある」
「は!?」

 弾かれたように横を見た萩原が素っ頓狂な声を上げた。

「犯人は四年前、事件の一週間前にはあの二つのマンションに爆弾を仕掛けていた。それぞれの現場の半径十キロの監視カメラを全部調べて分かったの」
「そう、なんだ…」
「今回もそうしてる可能性が高いわ」
「場所の目星は…?」

 なまえは萩原の疑問に答えることなく、黙ったまま目の前を睨んだ。沈黙は否定の合図である。

 犯人の潜伏先はある程度絞り込めていた。でもまだ足りない。あくまでもある程度≠ネのだ。
 分かっていることはもう一つ、犯人の動機だけ。

 しかし肝心な爆弾の所在だけが、どうにも分からなかったのだ。

「妖精さんには頼んだ?」
「え?」
「ホラ、知らない? 警視庁の妖精さんってヤツ」
「…あぁ」

 難しい顔で宙を睨むマドンナちゃんを見て、萩原は場を和ませようとやわこく言った。
 知ってるだろ? お菓子をお供えしとくと欲しい情報くれるんだぜ、と。

 これに女は頬を緩めて笑い、「そういえばそんな都市伝説もあったね」と話した。

「マドンナちゃん、何するつもり?」
「…秘密」
「俺に協力できること、あるかな」
「え?」
「…だってそのために俺を呼んだんだろ」

 萩原のやわこい声に、なまえは漸く振り返った。
 辺りは薄暗くなってきたにも関わらず、唯一その綺麗な顔だけが眩しく光っていて、思わず萩原は目を細めた。
 アァ、やっぱり俺たちの姫さんは眩しいな…という気持ちで。

「…ていうか顔の傷まだ消毒してねーじゃん」
「あ、忘れてた」
「ったく…ホラちょっと目ェ瞑って。マキロンすっから」
「沁みない?」
「沁みる沁みる」
「ヤ」
「ワガママ言いなさんな。早く目ェ瞑らないとマキロン入っちまうかもよ」
「ヴー…」
「唸らない」

 彼女の顎下にティッシュを添え、上から消毒液をポトポト垂らす。
 やはり沁みたのだろう。ふるりと震えた長い睫毛に萩原は声を出して笑った。

「何で笑うの」
「ゴメン、可愛くって」
「あ、またそうやって揶揄う。勘違いするわよ」
「それは勘弁な。俺まだ陣平ちゃんに殺されたくない」

 先ほどまでのシリアスな空気から一転、車内はあたたかな空気に満たされる。
 傷口を乾かし、キュアビューティーの絆創膏を貼ってやった。

「で、俺にできることは?」
「……四年前と同じなら、犯人は少なくとも二つ爆弾を仕掛けてるハズ。そして、そのうちの一つは確実に陣平が解体に向かう、と思う」

 マドンナちゃんの言葉に、萩原は「だろうなァ…」と笑って、顔の後ろで腕を組んだ。
 あの・・執念深い男が、その場に居合わせないワケがないと思ったからだ。

「爆弾が仕掛けられた場所は、私がどうにかして見つける。…だから」
「じゃ、俺はもう一つの方に向かうってことで」
「…いいの?」
「ん? だって爆弾の場所はマドンナちゃんが見つけてくれるんだろ? だからその連絡を受けた俺がパッて行ってチャチャッと解体」

 萩原は甘いマスクで微笑みながらなんてことない風に言いのけた。
 目の前の女は警視庁のマドンナちゃん≠ナあり、警察学校のマドンナちゃん≠セった女だ。
 彼女が「見つける」と言ったのだ。この女は確実にその決意を実現させる。萩原の知るマドンナちゃん≠ヘそういう女なのだから。

「まだ復帰してない萩原くんに頼むのは忍びないんだけど…」
「水くせーこと言うなって。むしろ、内勤の方がこういう非常事態には動きやすいんだぜ? …それに、」
「………」
「四年前、俺の命を救ってくれたキミの役に立ちたいんだよ」

 萩原は気障ったらしく片目を瞑った。
 頭の後ろで組んでいた手をゆっくり解いて、僅かに身を乗り出した。

「俺ももう、見てるだけは嫌だから」

 傷ついて泣く彼女の涙すらも拭えなかった、あの時の不甲斐ない自分を殺してやりたいのだ。
 萩原はゆるく笑って右手を伸ばし、尚もしょげた顔をする女の額をトン、とつついた。

 ──今度は、届いた。

「俺はずっと、マドンナちゃんを…キミと陣平ちゃんを心から応援してる。俺にできることがあるならいつでも頼って。どんな時も、力になるから」

 だから早く、俺が大好きだった二人に戻ってよ。
 俺は眩しく輝くキミが、そんなキミを優しい目で見る親友が、好きで好きで堪らないんだから。

「…ありがとう。私、頑張る」
「俺も」
「全ては」
「うん、全ては」
「「明日」」

 二人同時にハモって、なまえは額をつつかれたままやわく笑った。
 見た者全てが恋に落ちるような、ピンクと黄色とキラキラのエフェクトがかかったような笑顔だった。



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