警視庁の妖精さん

3



 季節は移ろい、四季が巡り、いつの間にか数年が経った。

「んではでは~、芹沢ケイジの警視庁入庁を祝して…乾杯!」
「は? アンタだけじゃなくて来月から伊達くんも警視庁入庁を祝しての乾杯なんですケド」
「伊達は来月だろ! 今日はオレが主役!」
「じゃあ言うけど、松田も今月から刑事になった乾杯なんですケド」
「アイツ今いねーじゃん。だから今日はオレが主役!」

 廣瀬の鋭いツッコミを完璧に無視した芹沢が「これで全員トーキョー勤務! かんぱ~い!」とヤケになって叫んだ。

 今日はいつメンたちによる久々の飲み会なのだ。
 芹沢の言葉通り、今回の芹沢の異動をもっていつメンの全員が東京勤務となったのだ。

「やれやれ、しょうがないな」
「芹沢、おめでとう」

 苦笑しながらジョッキをぶつけたのは降谷と諸伏。
 降谷は当初のルート通り警察庁の公安部に入庁し、絶賛エリート街道まっしぐら。
 諸伏も降谷が警察庁に入庁したのと同じタイミングで警視庁の公安部に入庁。現在は降谷の仕事を引き継いで仕事をしている。

「本当にアンタ変わんないわね」
「お前もな」
「は? 変わったし。素敵な落ち着いたレディになったわよ」
「降谷、ちょいこっち見て」
「え、何?」
「あ゛っ! 顔゛か゛い゛い゛!」
「ホラな。変わってねーじゃん」

 ダミ声で叫んだ廣瀬は去年から警視庁の交通部でギャル婦警さんをやっている。後輩にも同じような気の強いギャルがいるし、オマケに愛しのカレピであるサトシぴとの夢の同棲生活も始まったので毎日が薔薇色のハッピーギャルだ。
 降谷をオモチャにした本日の主役(自称)の芹沢は先日難関の任用試験に合格し、晴れて今月から刑事部の鑑識課に異動になった。化学屋さんの誰もが憧れる業務にありつけ、しかも愛しの女神も働く警視庁で働くことができるということで浮かれに浮かれまくっているハッピーボーイだ。

「来月からよろしくな、お前ら」
「班長って本当に律儀だよな」
「萩原、俺はもう班長じゃねぇっての」

 快活に笑うのは我らが班長・伊達である。彼は数年前に地域課の刑事になり、そして来月から警視庁捜査一課の刑事になる内示が交付されている。
 甘いマスクで爽やかに笑うのは萩原だ。彼は数年前、爆弾事件で生死を彷徨う大怪我を負った。まだ現場復帰は出来ておらず、リハビリをしながら機動隊の内勤仕事をしている。

 本日集まっているのはこの六人だけ。後の二人は【ごめん、ちょっと忙しくていけない🥺】【悪ぃ、異動したばかりなのに事件事件で抜け出せねぇ】とそれぞれグループラインに投下している。

「なぁ、オレ異動してきてスグだからあんま分かってないんだけど、妖精さん≠チていつからいるの?」
「なんだソレ。妖精さん?」
「あ、伊達は地域課だから分かんないか。警視庁に妖精さんがいるんだよ」
「は?」

 宇宙猫になった伊達はさておき、芹沢の言葉にその場にいた全員が「あ~」という顔をした。

 警視庁の妖精さんが何かというと。
 三、四年ほど前から警視庁内に流れている都市伝説の一種である。
 追っている事件の情報がいつの間にかデスクの上にまとめられていたり、犯人のデータをプリントしたファイルがいつの間にか置いてあったりするのだ。

『オイ、このデータまとめてくれたの誰だ!?』
『あれ? この情報って誰が仕入れたネタ? 助かりすぎるんだけど』
『俺じゃない』
『俺でもない』
『えっじゃあ誰?』
『わかんない。小人さんがやってくれたのかな…』
『そうかも…』
『『助かる~~』』

 と、刑事たちは涙を流しながら感謝した。
 日々の激務で疲れていたので、グリム童話の小人の靴屋になぞらえて「小人さんがやってくれたんだ!」とバカみたいに言っていたのだが──。

『オイ! またあるぞ欲しいデータが!』
『えっまた? 小人さんがやってくれたのかな』
『もう小$lは失礼だろ』
『確かに。妖精さんの方がいいかな』
『ウン。きっとそっちの方がファンタジー感出るし何よりかわいい』
『『助かる~~』』

 あまりにも小人さんが優秀なので、いつの間にか感謝の気持ちを込めて警視庁の妖精さん≠ニいう名前の都市伝説になったのだった。
 妖精さんが現れる度に刑事たちは泣きながら「助かる~」と小躍りし、中には「妖精さん来てください!」と高級なお菓子を供える信者も出てきている。

 マァとにかく、警視庁には妖精さんがいるのだ。

「意味がわからん…」
「慣れるわよ伊達も。アタシも前にマークしてたけど取り逃がした常習違反車の住所がデスクに置いてあった時嬉しすぎて泣いちゃったもん」
「公安の観察対象だった男の情報が置いてあった時、ゼロと二人で声出しちゃったもんね。ゼロなんてちょっと踊ってたし」
「あれはすごかった」
「えっ降谷くん踊るの!?」
「ランニングマンなら完璧に踊れるぞ」
「ちょっとチョイスが古いのが降谷ちゃんっぽくていいよね」
「やってみしてちょっと」
「待って降谷オレとダンスバトルして」
「いいけど芹沢、僕に挑むつもりか?」

 顎でリズムをとって威嚇する降谷に芹沢は「ダハハ」と笑い崩れた。
 勝負する前から負けが確定した瞬間である。

「マドンナもいるし妖精もいるし、警視庁って怖ぇな…」

 この話題の蚊帳の外だった伊達が純粋な感想を述べた。
 伊達の言葉通り、警視庁内の噂話は大体この二つ(一人と一妖精)についてがメインだった。

 警視庁のマドンナちゃんは数年経った今も人気絶頂のまま。
 むしろ、警視庁内では彼女の存在はもはや神格化され、ソレと同時に彼女が警察学校時代からマドンナちゃんと呼ばれていたことや、マドンナ協会という酔狂な集団があったことも知られ──、

『芹沢くん! キミ警察学校時代マドンナ協会の会長をやってたって本当か?』
『まだ継続してるって情報を仕入れたんだけど…』
『お願いです! 僕らも入れてくれませんか!?」

 入庁初日にも関わらず、芹沢は大勢の先輩署員たちに囲まれヒーロー扱いされることとなった。
 ちなみに芹沢はマドンナちゃんに関してだけはガチでストイックな人間なので、「ついにここまで…」と心の中で涙を流し、敬愛する女神に二礼二拍手一礼したのち、

『はぁ、マァいいスけど。笑 覚悟、あるんスか?笑 マドンナ協会に一度入ってしまったら…もう戻れないっすよ?笑 そこに愛はあるんか?笑』

 と、一瞬で大智真央の顔になり、あっという間にヒエラルキーのトップに上り詰めたのだった。

「ていうかあの二人ってぶっちゃけどうなってんの?」
「陣平ちゃんとマドンナちゃんのこと?」
「あ、アタシも気になってた。あの子に聞いてもはぐらかされるのよ」
「俺もそれお前らに聞こうとしてたんだよ。ナタリーがずっと心配してるから」
「僕も実は気になっていたんだ。…ほら、あの二人って付き合っていることを隠してるだろう? ただ、それにしても二人が一緒にいるところを最近全く見ないから」
「松田とはフロアが違うから会わないし、彼女は警視庁内ですれ違っても取り巻きが多すぎて話しかけられる状況じゃないしね。…だから、松田と先月まで同じ職場で働いていた萩原なら何か知ってるかなってゼロと話してたんだ」
「…やっぱ、気になるよね」

 萩原は「だよなぁ」という顔で頬を掻いた。
 彼らの口ぶりから察するに、あの二人が距離を置いていることを萩原以外は誰も知らされてないらしい。
 萩原自身、あの病院での出来事以来松田には彼女のことを聞けないでいた。
 ただ、会話の端々や仕草から、少なくとも松田はなまえのことを今でもずっと想っているのだと確信していた。
 だって、居酒屋のテレビにマドンナちゃんが映る度に松田は目を細めてジ…と画面を見つめているし、松田のスマホの待受は同期全員の集合写真をトリミングした彼女とのツーショットなのだから。
 たまに彼がスマホを弄っているのを後ろから見ることがあるが、なまえにメッセージは送っているらしい。…全てフキダシは右にあったため、返信は来ていないようだったが。

「俺は、二人を信じてるよ」

 萩原は自分に言い聞かせるように呟いた。

 松田に関して、心配なことがもう一つだけあった。
 親友である自分の仇打ちをしようと、あの爆弾事件を個人的に再捜査しているらしいのだ。

 萩原が大怪我したあの事件からそろそろ四年が経つ。それなのに、未だに犯人は捕まっていない。
 その歯痒さからか、訓練や任務終了後に独自で捜査をしているらしい。
 が、その行いは明らかに無理が生じていた。ただでさえ厳しい訓練・ただでさえ神経をすり減らす任務の後に独自で捜査をするなど、体力的にも気力的にもしんどいハズだから。
 案の定それに気付いた上層部によって、松田は捜査一課に異動になったのだが──。

 萩原はなんとなく嫌ァな予感が拭いきれなかった。
 このままだと、何かよからぬことが起きるのではないか、という嫌な予感だ。

「…一肌脱いでやりますか」

 もう一度呟いた。
 親友が、前を向いていけますように。
 親友とその想い人が、再び幸せな恋人関係に戻れますように。

 そんな願いを込めながら。



△▽



「…………」

 深夜の警視庁。総務部広報課の居室。
 一人の女が、難しげな顔をしてパソコンの画面を睨んでいた。
 居室の明かりは最小限に抑えられ、画面の明かりが女の白い肌に反射していた。
 女のデスクの上には、山積みになった書類の束。
 全て四年前の爆弾事件に関する資料だ。
 その資料にはびっしりと丸こい字で書き込みがしてあり、所々「重要!」と書かれた付箋が貼ってあった。

「…もっと…、もっと情報を集めないと…」

 女がボソリと呟いた。
 小声だったにも関わらず、その声は誰もいない居室内に響き渡った。
 居室に響くのは彼女の声だけではない。時折パソコンのキーボードを叩く音、マウスのクリック音、紙が擦れる音、ペンを走らせる音が不気味なほどよく響くのだ。
 それらの音は全て一人の女から発せられていた。

「……ふう」

 ひと段落ついたのか、女は肩の力を抜いて目頭を右手の人差し指と親指でグリグリ摘んだ。
 しばらくそうやってから、ポーチから取り出した頭痛薬を口に含んでミネラルウォーターで流し込んだ。画面の見過ぎで目が疲れ、肩こりと頭痛に悩まされているのである。
 あまり寝ていないのだろう。目の下には薄い隈ができていて、肌艶もあまり良くない。

 がしかし、それを抜きにしても女は極上の美貌を持っていた。
 この数年間で美しさにさらに磨きがかかり、今や視線だけで人間を殺すことができるほどの領域まできていた。

 この視線だけで人間を~≠フ表現は嘘ではない。先日、彼女のことを生で初めて見た署員が彼女と目が合った瞬間、
『えっ、あっあっ、オ゛ッ、ハワハワ…』
 と、謎の奇声を上げて泡を吹いて倒れたのだ。
 その倒れっぷりは見事であり、その署員は伝説の男(鳥)≠ニ呼ばれるようになった。ちなみに(鳥)というのは、彼の断末魔が南国とかにいそうな赤とか黄色のデカい鳥の鳴き声に似ていたことからつけられた呼称だ。

 それほど、女──警視庁のマドンナちゃんは美しく成長していたのである。もはや神の領域だった。

 さて、そんな彼女がなぜこんな時間まで働いているかというと。

「もう、時間がないのに…」

 あの・・忌々しい事件から、そろそろ四年という月日が経とうとしているからだ。
 同期である萩原が大怪我を負った爆弾事件。
 自分が役立たずの木偶の坊だと気付かされた決定打。
 大好きなカレシと距離を置くことになったキッカケ。

 なまえは確信していた。
 きっとあの事件からちょうど四年経つ今年の十一月七日に何かが起きることを。
 そして、きっとその時。彼が巻き込まれるであろうことを。

 自分と同じように、彼──松田もまた四年前の悪夢に囚われていることを知っていた。
 通常の業務終わりに独自で捜査していることも、無茶をしすぎて捜査一課に異動にされたことも。

「…陣平」

 無意識に彼の名前を呼んで、首元で輝くネックレスを触った。
 この四年間、一日たりとも松田のことを考えなかった日はない。
 毎日のように彼に会いに行きたくなり、毎日のように彼からくるメッセージに返信したくなる。

 でも、彼女は頑固で、融通がきかなかった。
 一度決めたことをやり遂げることに躍起になった。
 何度も挫けそうになる度に、記憶を辿って彼の顔を・声を・匂いを思い出すことで乗り越えてきたのだ。

 未だになまえは心の底から松田を思っていた。

 彼が今、自分のことをどう思っているのかは分からない。
 自分勝手な理由で距離を置いたのだ。それも四年間という長い月日を。
 もう、とうに私のことを待つのは諦めたのかもしれない。
 毎日届くメッセージは意地≠竍義務感≠ナ送っているのかもしれない。
 彼が既に違う人を見ていても仕方のないことだと思う。自分は責める権利など持っていないことも理解していた。

 ──それでも。

「よし、もうちょっとだけ…」

 再び気合いを入れて、マドンナちゃんはパソコンを睨みつける作業に戻った。

 それでも、毎日のように彼から届くメッセージに期待してしまう。
 こんな身勝手な女のことをもう少しだけ待っていて欲しいと願ってしまう。

 そんな淡い想いを抱きながら、彼女は情報の海に飛び込んでいくのだった。


 タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。

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