松田のプロポーズ大作戦【中編】
中編
#3 松田のプロポーズ大作戦3 - vs 遊園地 -
「おはよ」
「…おう」
やってきた土曜日。トロピカルランド前。
待ち合わせ場所に佇む松田は、此方にぱたぱたと走りよる女の姿にドギマギしながら、しかし絶対に気付かれないように気怠げに片手を上げた。
一世一代のプロポーズ大作戦。
禁煙もかかっているこの作戦、絶対に失敗するワケにはいかない。
あの日居酒屋で三時間友人たちと案出しを行い、それからの数日間は暇さえあればずっと今日のことを考えていた。
昨日の晩なんかは、ターゲットの女が親友の家に泊まりに行っていたため、一晩中イメージトレーニングを行っていた。
もちろんロクに眠れるハズもなく。居ても立っても居られずに待ち合わせ時間の一時間前には到着してトロピカルランドのパンフレットと睨めっこ。「まずはこのアトラクションに並ぶだろ…そしたら次はここに行って…」「昼メシはここで…その次は…」とブツブツ呟きながら本日のプランを何度も繰り返していた。
松田の整ったルックスに頬を染めて喋りかけようとした女子グループも何組かあったものの、「お兄さん一人なんですか? もしよかったら…」と近付いたところで、エンドレスに続く独り言に「え、コワ…」と恐れを為して逃げていくのだった。
松田は喋りかけられたことにすら気付かなかった。真剣にパンフレットを読み込んでいたのだから。
しかし、待ち合わせ時間の五分ほど前になって聞こえた「陣平」という澄んだ声の「じ」の部分で耳をぴくりと動かし、パンフレットを即座に尻ポケットに突っ込んで「俺いま来たところですが何か? ていうかタバコ吸っていい?」みたいな顔で佇むのだった。
「待った?」
「いや? 全く」
嘘である。
顔にも声色にも全く出すことなく平然と嘘をついた。
そのまま、「俺全ッ然トロピカルランド詳しくねーけどお前詳しい? あ、お前もそんな詳しくねぇの? マァのんびり回ろうぜ」と嘘に嘘を重ねた。パンフレットを完全暗記しているし完璧な動線ができているのに。
「あ、あのよ…」
「? なに?」
「似合ってる。…今日の服」
「…ありがとう」
「マジでかわいい」
さてプロポーズ作戦のゴングが鳴った。
松田は若干棒読みで、しかし本心からの言葉を口にした。
これが作戦の第一フェーズ「とにかく褒めよう」だ。
『いい? まず集合した瞬間からあの子を褒めなさい』
『いっつも褒めてる…つーか意識しなくてもできてるぞ俺』
『うるさい黙れ。いつも以上に褒め、いつも以上に媚びなさい。犬みたいに』
『何でそんな辛辣なんだよ』
『大袈裟なくらい褒めろよ。いつものオレくらい』
『ちょっと芹沢、松田に手本見せてやって』
『えー、いいぜ。…マドンナちゃん! ビックリした…。え、天使? 大丈夫? オレ成仏してない? …ァだめだ眩しくて直視できない…マドンナちゃんお願いもう一回向こうから歩いてきて「お待たせ」ってやってくんね? オレもう一回待ち合わせしてもう一回ビックリしたいからさ』
『会長、さすがです』
『もう伝統芸の域なんだよな…松田、できそうか?』
『絶対イヤなんだが………』
松田の脳内で先日の作戦会議の映像がダーッと流れた。
あの芹沢のヤツをやるのは流石にプライドが許さなかった。…が、実際ちょっと成仏しかけたし一瞬気が遠くなったのは事実。
なぜなら。
「嬉しい」
そう言って微笑む女が、過去最高と言っていいレベルに可愛かったからだ。
オフホワイトのニットワンピース。ファー付きの歩きやすそうなぺたんこブーツ。
髪の毛は緩く巻いておろしていて、いつもより柔らかいメイクを施した美貌は少女のようにあどけない。
念の為…と着けているサングラスもいつもとは違い丸いフレームで、見事に服装とマッチしていた。
普段は美人≠ニ呼ばれる女が、本日は美少女≠ノなっていた。
ワンピースは裾広がりで、膝丈で揺れるヒラヒラがグッと松田の心臓を掴み、松田は思わず咳払いをして目を逸らした。
「…どうしたの?」
そう問うて不安そうに首を傾げた女は。松田の耳が若干赤らんでいるのを見て、「計画通り…」と心の中で夜神ライトの顔をした。
この女もまた、松田とは違う作戦の中にいるのだ。
作戦名「カレピを理解らせ¢蜊戦」だ。
松田が浮気している(と勘違いしている)なまえが女子たちからのアドバイスを元に考えたのは。
・とにかく普段とのギャップを見せつけること
・いつもより大胆に行動し、女の魅力を見せつけること
この二点である。
だのでいつもとは違う系統の服を着て、いつもとは違うメイクを施した。
そして。
「じゃ、行くか」
「…今日は腕組んでもいい?」
「……え、あ、お、おう。全然、いいけどよ…」
ぶっきらぼうに差し出された左手を完全スルーし、左腕にピト! と引っ付いて腕を絡めた。
その際、さりげなく胸を押し付けるのも忘れずに。
松田は左腕に当たったむちむちに「!」と目を見開き、しかし気付かれるとむちむちごと離れていってしまうのでは…? と一瞬で考え。
「陣平?」
「ン゛ッ、何でもねえ。行くぞ」
誤魔化すように咳払いをすると、ようやく入場ゲートに向かって歩き始めるのだった。
プロポーズ大作戦。
カレピを理解らせ¢蜊戦。
空回り男と勘違い女によるデートは、このようにスタートしたのだ。
「………」
「…………もっと褒めろや!」
そんな二人を物陰から見ていた連中は「バカが」「センスがない」「期待してたのに」「やっぱヘタレだわアイツ」「あの子早起きしてあんなに頑張ってたのに」と口々に松田の悪口を言いながら首を振った。
もうお分かりだろう。萩原・降谷・諸伏・芹沢・廣瀬──つまりこの作戦のアドバイザーたちである。
萩原と芹沢なんて松田が来るより早くトロピカルランド前に着き、「ティモンちゃんとひよこちゃんってお似合いじゃない?」「あ、やっぱそう思う?笑」と下世話な恋バナとかをしていたのに、今は憤怒の表情で口汚く松田を罵っている。
なぜこの連中がここにいるのか。簡単である。面白そうだったからだ。
「てか何で班長は来てないの? さすがに陣平ちゃんに愛想尽きた?」
「伊達は確か他の事件の応援要請に駆り出されてたぜー。…ホラ、東都現代美術館にキッドから予告状出てたろ? アレ」
「あーなんかナントカの涙とかいう宝石盗むんだっけ」
「アフロディーテの涙ね。美の女神の涙」
「名前ダサ笑」
「というか君たちのところにも応援要請来ていなかったか?」
「来たけど断った笑」
「アタシも笑」
「だってどう考えてもキッドよりこっちのが面白いだろ笑」
巷では天下のコソ泥が華々しいパフォーマンスを企画しているらしいが。
どう考えてもこの天下分け目の大一番の方が見応えがあるのだ。
アドバイザーたちは道ゆくニンゲンたちから不審な目で見られながらコソコソ会話し、ターゲットに気付かれないようにトロピカルランドに入園するのだった。
**
「………」
「…陣平?」
「ワリ、何でもねえ」
「そう…? ならいいけど」
「(うるせえええええ!)」
松田の心の中は罵詈雑言の嵐だった。
左腕に引っ付いている国色天香の女に向けてではない。右側の尻ポケットに入れているスマホに向けてである。
トロピカルランドに入ってから、永遠にスマホのバイブが鳴り止まないのだ。
【もっと褒めろ!】
【アンタ舐めてんの?】
【歩くスピードが速いかも】
【顔がニヤけてるぞ変態】
【羨ましい死ね】
と、ひっきりなしにメッセージが送られてきている。
送り主はお察しの通りアドバイザー連中だ。
通知はオフにできない。刑事たるものいつ何時事件の招集がかかるか分からないからだ。
ので、「アイツら全員来てやがるな…暇人どもめ…」と心の中で文句を言いながら、しかしそれを絶対に顔には出さないように歩くしかないのだ。
マァしかし。
「(じ、陣平がイライラしてる…!)」
隣の女がその些細な違和感に気付かないワケがなかった。
平然を装っているが眉間には深いシワが刻まれており、いつもより歩くペースが早い。
時折「ワリ」と告げてスマホを見、ため息をついているのはもうクロと言っているようなものだった。
──浮気相手かしら。
──私とのデート楽しくないのかしら。
心の中で渦巻くモヤモヤを必死に押し込み、ニコニコと松田の左腕にしがみつく。
頭をフル回転させ、どうすれば松田が楽しくなるか一生懸命考え──。
「あ、あれ乗る? ミステリーコースターだって」
「…ワリ、俺ジェットコースター嫌いなんだよ」
「そっか…」
玉砕した。
あれ、陣平ってジェットコースター好きなんだとばっかり思ってたのに…と思いながら。
松田はしゅん…と肩を落とす女の気配を感じながら「本当にスマン…」と胸の内で呟き、「た、タバコでも吸うか…?」とおろおろ提案した。
ポケットでヴーヴー鳴るクレームの嵐に「テメェらが言ったんだからな!」とビキビキ青筋を立てながら。
実は松田、ジェットコースターを嫌いでも何でもない。むしろ好きな方だ。
しかし先日の作戦会議にて、全員から「ジェットコースターはやめろ」と釘を刺されていた。
理由は。
『ジェットコースター乗るじゃん。お前のその鳥の巣みたいな頭はどうなる?』
『爆発する笑』
『いくらワックスで固めてもグシャグシャになるよな。そんな頭を彼女に見られてみろ。百年の恋も冷めるぞ』
『じ、陣平…鏡見た方がいいかも…(モノマネ)』
『じ、陣平…嫌いかも…(モノマネ)』
『…分かった。ジェットコースターには乗らねえ…』
というワケである。
だので本日は髪型が崩れないメリーゴーランドやショーなどを中心にプランを立てている。
そして勝負所には。
「これ吸ったらよ、あそこ入らねぇか?」
「…お化け屋敷……?」
お化け屋敷である。
暗くてこぁいお化け屋敷でカッコよくカノピを守る。これによって「陣平カッコいい…頼りになる…すき…」となり、またオマケに吊橋効果も期待できるというワケだ。
そしてその後は観覧車に乗り、そのテッペンでカッコよくプロポーズ。
以上が本日のプランであり、禁煙をかけた戦争だった。
そんな松田(+アドバイザー連中)の思惑など露ほども知らないなまえはピク…と眉を震わせ。
「わ、私お化け屋敷はちょっと…」
尻込みした。
怖いものなどない女かと思いきや、実はお化けが嫌いという女らしい一面を持つ。
オマケにここのお化け屋敷は富士急の戦慄迷宮などと並ぶほど有名で、本物のお化けがいる、足を掴まれた…という都市伝説も多数ある場所だ。
…ので。
「入らないかも…」
「お、俺が守ってやっから」
「ヤ」
頑なに首を振った。
陣平もジェットコースター断ったんだから私もお化け屋敷断っていいでしょ…と主張し、だから絶対ヤ! と顔をシワクチャにした。松田は見事に自分の首を絞めたのだ。
「…じゃあ…やめとくか…」
「ウン」
流石にゴリ押せなかった。だって松田にはジェットコースターを断ったという罪悪感がある。それに、そんなものなくても好いている女を無理矢理嫌なことに付き合わせるなんて松田にはできなかったのだ。
なまえは丸い声で「ウン」と返事をし、松田は肩を落として鳴り止まないバイブに恐る恐るスマホを見た。
【マドンナちゃんお化け怖いの?! かわいい!!!!!】
【無理矢理連れ込みなさいよ松田】
【バカ廣瀬。マドンナちゃんが可哀想だろ!】
【お化け屋敷の案出したのアンタじゃない!】
【ティモンのリサーチミスだから仕方ねーだろ】
「メッセージで喧嘩すな! お前ら横にいるだろ!」
「陣平…?」
「ワリ、マジで何でもねぇから」
芹沢と廣瀬がメッセージ上で喧嘩していた。しかも芹沢に至ってはティモンくんに作戦の責任を押し付けていた。
喫煙所横の植え込みがガサガサ揺れ、その中から聞き覚えのある声が「ちょ、芹沢ちゃん、廣瀬ちゃん! 喧嘩しないの!」と聞こえてきた。萩原の声だ。
「…?」
「ど、どうした…?」
「今、何か萩原くんの声が聞こえたような…」
「! 気のせい! 気のせいだろ!」
「何で陣平が慌ててんの?」
「…イヤ……」
なまえは訝しげな顔で首を傾げ、揺れる植え込みを見た。
植え込みは一瞬ビク! としたように揺れ、次の瞬間「シッ! 見てる!」と聞き覚えのある緑川光の声と共に静まった。
「(やばいやばいやばいやばい)」
植え込みの中にいたバカ共は大汗をかきながら、降谷は諸伏、諸伏は芹沢、芹沢は萩原、萩原は降谷、廣瀬は自身の口を隙間なくギチギチに手で押さえて「(やばいやばいやばいやばい)」と目だけで会話をしていた。
心臓がバックンバックン音を立て、「(これで見つかったら松田に怒らりる…!)」と目をバッテンにした。
「………」
「……ど、どうした? …おいちょっと待てどこ行くんだ」
しかし願いは虚しく。外から松田の焦った声が聞こえ、──そして次の瞬間。
「…みんな、なにしてるの?」
「あー…」
「終わった…」
大層困った色を浮かべた美貌が、上から自分たちを覗き込んでいた。
**
「松田と萩原と廣瀬は聞き込み、芹沢は従業員ロッカーにあったというゲソ痕の分析だな。…あとは、」
「私は聞き込み情報の整理と諜報部にいる先輩方との連携に回るわ」
「了解した。僕とヒロはナカモリさんのサポートに…いや待て、新一くんが到着したらしいから先に彼と合流する」
「分かった。よろしくね」
アドバイザーたちは九死に一生を得ていた。
なぜなら、マドンナちゃんに見つかった瞬間数人のスマホが震えたのだ。
『お嬢? ミナミだけど。ティモンから聞いたが今トロピカルランドにいるんだろ?』
『松田? コチラ伊達。今お前トロピカルランドだよな?』
『ゼロくん? ティモンです。ヒロくんも一緒?』
『廣瀬パイセン? 由美タンです。マジパネェ事態ですよ…』
『『キッドがトロピカルランドに逃走したっぽい』』
と。
電話口のニンゲンたちは揃って同じことを言った。
聞くと、東都現代美術館にアフロディーテの涙(宝石)を盗みに入ったコソ泥が、高校生探偵に追い詰められて宝石まで辿り着かずに逃げたのだという。
そして逃げ込んだ先が、今現在自分たちがいるトロピカルランドだというのだ。
『…もしかしてみんなはその応援に駆り出されてきたの?』
『『『そ、ソウダヨ!!』』』
『早いわね…』
『『『ウ、ウン!!』』』
キッド確保の応援に来たところで偶然二人のデートに遭遇してしまいました。
アドバイザー連中は大汗をかきながら頷き、自分たちのミスを闇に葬り去ることに成功した。
九死に一生とはまさにこのことだった。キッド様様である。
美術館から逃げ出し、警察の包囲網を何とか掻い潜ったキッドは、美術館からさほど離れていないこのトロピカルランド内に逃げ込んだのだという。
おそらく人混みに紛れて逃げるつもりなのだろう。
ロッカールームに逃げ込み、そこから消息は途絶えている。
入り口は警察によりスグに固められたため、おそらくまだトロピカルランド内に潜伏しているだろう。
これが現在の状況である。
松田と萩原・廣瀬はしれっと刑事たちの輪の中に入りパーク内を駆けずり回っている。
芹沢はセンパイたちから「エースが来たぜエースが」と小突かれながらロッカールームの足跡を調べに行っている。
諸伏は緊急捜査本部──パーク内の迷子センターに侵入し現在の状況を電話で降谷に伝え、降谷は先ほど到着した高校生探偵──工藤新一くんと仲良く探偵ごっこ中だ。
そして、なまえは。
捜査本部から少し離れた噴水広場のベンチに座り、仕事用のスマホをペタペタ触りながらウンウン唸っていた。
時折プライベート用のスマホにいつメンたちから現在の状況が送られてくるのを確認する以外はずっと仕事用スマホと睨めっこだ。
このパーク内のマップはとうに頭に叩き込んである。そこから諜報部の面々から送られてくる情報をもとにキッドが逃げ込みそうな場所を絞り込み、同期たちに連絡する。
『もしもし。新一くんが清掃員に変装しているキッドを発見。君の予想通り野生と太古の島にいたよ』
「よかった…確保した?」
『いや、サッカーボールが首筋に命中したけど取り逃した』
「何でサッカーボール…?」
『博士の道具だよ』
「そういえばそんなのあったわね…。引き続き情報集めるね」
『了解。頼んだ』
降谷からの着信を切り、再び情報の海に飛び込む。スマホでの作業は中々骨が折れた。
ちなみに捜査本部に行った方がパソコンも使えるし捜査は格段に進むのだがそれはできなかった。
なぜか。簡単である。こんなかわゆい格好をした自分が行くと純粋に捜査に影響が出てしまうからだ。なまえは自分を正確に客観視できていた。
「……ふう」
現在分かっていることをまとめて降谷にメールを送り、なまえは軽くため息をついて顔を上げた。
道ゆくニンゲンがチラチラ自分を見ていることに気付き、慌てて顔を伏せる。
「(…せっかく、可愛くしたのにな……)」
それを見せたいたった一人の男は、現在近くにいない。
時刻は夕方で、あと数時間もすれば日が落ちてしまうだろう。そうすればこのかわいい姿も霞んでしまう。
もっと見て欲しかったのに…と、思う。
もちろん今朝方「かわいい」とは言ってくれたものの、この半日間ずっと心ここに在らずだった。
彼は、ずっとつまらなそうに見えた。
──あ、だめだ。と思う。
遊園地の喧騒が遠のいて聞こえる。ズブズブと沼の底に沈んでいく感覚がした。
自己肯定感は高いハズだった。だって自分を構成する全ては努力の賜物だし、何よりもずっと自己肯定感を上げてくれる男が隣にいたから。
でも、彼は今隣にいない。ここ最近ずっと心ここに在らずで、自分はひとりぼっちだった。
ひとりぼっちは、昔の嫌いな自分を連れてくる。
ネガティブで、暗くて、ちっぽけで、からっぽで、弱い自分を。
「…あの、マドンナちゃん大丈夫です?」
ぱちん、とネガティブな思考が弾けた。
顔を上げると交通課のちいちゃなかわゆい同期の女の子がいて、なまえは「…ひよこちゃん」と目を瞬かせた。
「具合悪そうに見えて…」
「大丈夫よ、ありがとう。ひよこちゃんも応援要請で来てたのね」
「そうなんですよ。あ、飲み物いります? さっきトロピカルランドから差し入れでペットボトルもらって」
「………?」
「どうしました?」
ひよこちゃんはポテ…とマドンナちゃんの横に座って麦茶のペットボトルを差し出した。
そんな彼女を見て、なまえは「あら?」と思う。
なまえはひよこちゃんのことを昔から知っていた。
なぜなら同じ教場の同期だから。
それに、ずっとずっと自分を推してくれている…と風の噂で聞いていたから。
しかし、警察学校時代一度話しかけようとしたところ「無理です無理ですぅう!」と顔を真っ赤にして逃げられてしまった過去を持つ。
何かしちゃったかしら…と落ち込んだが、後々芹沢から「マドンナちゃんが神々しすぎて無理だって笑 泣いて後悔してたぜー」と教えてもらった。
つまり、彼女とはまだ話したことがなかったハズだ。
だが今。こうしてナチュラルに話しかけられている。
自分の記憶の彼女と目の前の彼女に乖離が生まれているのだ。
「…本当にひよこちゃん…?」
「はい?」
ひよこちゃんが首を傾げる。
しかしその首筋には。ファンデーションで必死に隠したアザが、薄らと見えていた。
「……あなた、怪盗キッドね」
#4 松田のプロポーズ大作戦4 - vs怪盗キッド -
「…どうして分かったんです?」
「あ、案外あっさり認めるのね」
「こういうのって隠し通せるものじゃないんで」
「そっか」
「…で、どうして?」
「彼女と私、話したことないもの」
「それだけで?」
「彼女、私と緊張して話せないんだって」
「(そんな特殊なパターン想定してねーよ!)」
トロピカルランド、夢とおとぎの島エリアの噴水広場にて。
ひよこちゃん──怪盗キッドは右手で頭を抱えながら隣に座る女をチラ…と盗み見た。
彼女が、かの有名な警視庁のマドンナちゃん≠ナあることには最初から気付いていた。
私服だろうが、サングラスをかけていようが。彼女の全身から放たれるオーラがそう≠セと告げていた。
星屑を閉じ込めたような瞳。すっと通った綺麗な鼻筋。熟れた果実のような真っ赤なくちびる。
そんな女が物憂げな顔で虚空を見ている光景は、思わず呼吸が止まるほどに美しく、そして儚かった。
触れたら溶けて甘い水になってしまいそうな。そんな、繊細なガラス細工みたいな女だった。
「どうして、私に話しかけてきたの?」
「……それは」
「私に話しかけてもあなたにメリットなんてないわよね? …それとも、何かメリットがあるのかしら」
「そんなんじゃないですけど…」
リスクはあってもメリットはない。
が、美しい彼女があんまりにも悲しそうな顔で座っていたものだから放っておくことができなかったのだ。
それを告げるとなまえはパチ…と大きな瞳を瞬かせて「そなの…」とバカっぽく呟いた。
なに、まさかキッドが自分を心配してくれている…なんて思ってもみなかったからだ。
「どうしてひよこちゃんに変装したの?」
「あー、名探偵…工藤新一にバレちゃって。必死に逃げた先で彼女がのんびり一人で聞き込みしてたからこう…眠らせて…」
「本物のひよこちゃんは?」
「女子トイレでグッスリですよ。閉園時間くらいに起きると思います」
「そう。無事ならいい…」
「で、彼女が持ってたマドンナ協会会員証? を見て貴女に話しかけたって感じです。知り合いならいけるかなって。…それで」
「ん?」
「この手、離してもらえませんかね…」
キッドはほとほと困ったみたいに眉を下げ、拘束されている左手をグッ、グッ…と握った。
現在、彼の左手首はなまえからやわく握られている。
決して強い力ではない。その気になれば振りほどいて逃げることは容易いだろう。
が、そうすると確実に何か≠ェ壊れてしまうような、男として大切なものを失ってしまうような…そんな恐怖が胸の内から滲み出てくるのだ。
これは男のプライドみたいなもので、つまり絶世の美女の手を振りほどいて背を向けることは即ち男としての死≠意味していた。
「んー…」
さてなまえはむつかしげな顔で首を傾げ、しかし特段応援を呼ぶ気はない…といった様子で足を組み替えた。
今の二人は、端から見れば美女とかわゆい女の子が仲良く手を繋いでベンチに座っている…というだけ。
道行くニンゲンたちはその微笑ましい光景にほっこりと頬を緩ませながら、しかし特段気にする様子はなく通り過ぎて行った。
まさか仲睦まじげに座る女子二人が犯罪者と警察…なんて夢にも思わないだろう。
「オレのこと捕まえるつもりはないんですか?」
「…そりゃあどっちかっていうと捕まえたいけど…でもだって、あなたは私のことを心配して話しかけてくれただけでしょう…? そんな人を『逮捕しちゃうぞ』なんてできないっていうか…」
「………」
「…例えば今、あなたが私に危害を加えようとしてきた…とかだったらサクッとお縄にできるんだけど」
「そんなことしませんよ…」
犯罪は悪だ。悪を退治するのが正義だ。
が、なまえの真横に座る男は、ただ落ち込む自分を気にかけてくれただけである。もちろん盗みを働く悪党ではあるが、なまえはイマイチ彼を逮捕する気が起きなかった。
「…でも、だからと言ってあなたを逃がすのも違うっていうか…」
「難しいですね…」
「そうなの…」
キッドの適当な相槌にマドンナちゃんはムムム…と唸り、「どうしよっか…いつまでもこうしてるワケにいかないもんね…」と友達に言うみたいに告げた。
逮捕、するべきなのだろう。
そうすればすべて解決し、自分も愛しのカレピとのデートに戻れる。
しかしイマイチ気が乗らないのもまた事実。
なぜなら、カレピとのデートが失敗するのが怖いからだ。
「…………」
魅力的な女になったつもりだった。
お友達からアドバイスをもらって、自分の解釈に落とし込んで、昨晩なんて何度もガーリーメイクを練習した。
今日も朝五時に起きておめかししたのだ。
しかしカレシは心ここに在らずで、褒めてはくれたけれど意識はスマホにばかり注がれていて。
──ああ、彼の心の真ん中には自分じゃない他の女の子がいるのだ、と。
分かってしまったのだ。
身を引くべきなのだろうか。
彼と、まだ見ぬ彼女のために。
彼のことをいつまでも自分に縛り付けてないで、綺麗に笑って「じゃあね、新しい子と幸せにね」なんて言って去るべきなのだろうか。
そうするべきなのだろう。
だって本当に彼のことを想っているのであれば、彼の幸せを誰よりも願うべきだから。
でも、だけど。
どうしても、譲ってあげることができそうにないのだ。
「…ぇ、」
無意識だった。
気が付くと、なまえの右目からは透明な雫が一筋だけ零れ落ちていた。
あんまりビックリして「あ」とキッドを掴んでいた手を離して涙を拭う。人前で泣くとは思っていなかったからだ。
キッドは自分を拘束していた手が離れたにも関わらず、真横の女が流した涙を呆然とした表情で見ていた。
「…アフロディーテの涙」
本日盗めなかった宝石の名前が口から零れ落ちた。
アフロディーテとは、ギリシャ神話に登場する愛と美を司る女神の名前である。
美しい彼女が流した涙は、地に落ちた瞬間キラキラ輝くダイヤモンドの宝石になったという。
その宝石の姿が、なぜか今キッドの脳裏を過ぎったのだ。
「ごめんね、泣くつもりはなかったんだけど…」
「…盗んで、いいですか」
「え?」
キッドは真剣な顔でなまえの右手を掴んだ。
いつの間にか彼女のスマホはキッドの左手に握られており、つまりは気付かぬうちに盗られていたのだ。
「これはオレの推理ですけど。マドンナさん、今日はオレの逮捕のためじゃなくて普通にダチかカレシとここに遊びに来たんじゃないですか? で、そんな顔してるってことはあんまり楽しめなかった。…違う?」
「……違うくない…」
「じゃあ尚更、今オレ逮捕されるワケにいかない。…だって、オレを逮捕したらマドンナさんはまたその顔をさせたヤツと合流しなきゃいけないんでしょ」
「……スマホ返して。仕事用なの」
「ヤだよ」
「………」
「お願い。今だけオレに盗まれてくれません?」
キッドは右手からポン、と色とりどりのミムラスの花を出現させてなまえに手渡した。
「数時間だけオレに盗まれてください。絶対笑顔にさせてやっから」
ミムラスの花言葉は笑顔を見せて≠セ。
**
「マドンナちゃんがいない!?」
キッド捜索から二時間後。捜査本部の片隅にて。
円になってコソコソ喋っていた萩原たちの話を聞いた芹沢はデカい声で叫び、速攻両脇の降谷と諸伏から口を塞がれた。
「待て待てどういうことだよ」
「マドンナちゃんから連絡が返ってこなくなったんだよ」
「そ、そそそれってまさかキッドに…」
「まだ確定じゃねーよ? でもワンチャンそうかも…とは思って」
「あのバカは?」
「暴走機関車」
「単独捜査」
「あー…」
なまえから連絡が返ってこなくなった。
サーバーはオフラインになっており、電話も繋がらない。
キッドは未だに捕まっていない。
このことから、まさかキッドに…となるのは至極当然の結論と言っても過言ではなかった。
松田は他の刑事と共にキッドの目撃情報の聞き込みをしていたのだが、彼女と連絡がつかないと分かった瞬間「ワリ、俺抜けるわ」と言い残して走っていなくなった。
きっと今は闇雲に彼女の痕跡を探しながらトロピカルランド内を駆け回っているのだろう。
「てかさ、だったらキッド探すよりあの子探した方が確実じゃない?」
「何で?」
「は? 目立つからに決まっとるやろが音頭」
廣瀬の言うことは尤もだった。
なまえはそこにいるだけで人の目を惹きつけるチカラを持つ。
誰に変装しているか分からないコソ泥を探すよりも確実だった。
「じゃ、とりあえずマドンナちゃん探すか」
「そうだね。彼女がいるのといないのとでは捜査の進みが格段に違うし」
「確かに。さっき彼女から『野生と太古の島のトイレ前にいる』って言われてまさかと思って行ってみたら本当にキッドがいて驚いたよ。ね、新一くん」
「…ええ、悔しいですけどあの人の情報収集能力と分析力は正直ニンゲン離れしています」
「もうトロピカルランドからとっくに逃げてる可能性はない?」
「ないだろうね。出入り口は全て警視庁のニンゲンが固めて身体検査してるんだ。ハンググライダー対策にヘリも飛んでる。まだキッドはトロピカルランド内にいるだろう」
降谷の言葉に諸伏と新一くんがウンウン頷いた。
時刻は閉園時間の一時間前。閉園時間になれば格段に探しやすくなるだろうが、警察の威信にかけて早急にキッドとお姫様を探し出さなくてはならない。
「じゃ、行きますか」
麗しの女神がいなくなったことで慌てるドラえもんみたいになっている芹沢の背中をポン、と叩いた萩原は「俺たちの姫さんを探しに」とウインクと共に続けた。
廣瀬がグッとアキレス腱を伸ばし、諸伏が長袖のソデを捲った。降谷が首をこきりと鳴らし、「行くぞ」と力強く言った。
では、俺たちの姫さんが現在どこで何をしているかというと──。
「そ、そろそろスマホ返して…」
「ん? ヤだけど」
「どして…あのね、それ仕事用の大事なスマホなのね」
「? うん」
「ていうか普通に職務放棄だし怒らりちゃうしみんなに心配と迷惑かけてると思うし…」
「? だから?」
「か、返して…」
「ヤだ」
「うう…」
キッドに振り回されていた。
彼に大事なスマホを人質に取られ、「これ乗ろう」「あそこ入ろう」と目についたアトラクションに片っぱしから乗せられ、何ならジェットコースターは三回連続で乗せられ、なぜかトロピカルランドを満喫させられていたのだ。
ちなみに現在のマドンナちゃんはどこにでもいる風貌の女に変装させられている。気が付くとキッドの手により魔法みたいに顔が変えられていたのだ。
キッドも同じようにどこにでもいる冴えない風貌の男の子になっており、つまりマドンナちゃんとキッドはどこにでもいる普遍的なカップルだった。
大事な諜報部のデータが入っているスマホはキッドの胸ポケットに入っており、なまえが何度本気で奪おうとしても「だーめ」と躱される。プライベートスマホで助けを求めようとしたところそれすらもキッドに奪われ、同じく逆側の胸ポケットに没収されてしまった。
「ね、本当に困るの…」
「だってマドンナちゃん一向に笑ってくれねーじゃん」
「笑えるわけないでしょ。怒ってるのよ」
当初は気障ったらしかったキッドの口調はこの数時間で随分崩れてきた。
大方この喋り方が素なのだろう。時折変装の隙間からあどけない笑顔が溢れているのがその証拠だ。
なまえはほとほと困った様子で「もういい加減にしてよ…」と肩を竦めた。
警察らしきニンゲンはそこらへんにいるが、助けを求めようとするとキッドが胸ポケットのスマホをチラつかせてくるので行動に移せなかった。
何度も言うが、仕事用スマホの中には見られただけで刑事生命が終わってしまうほど重要な情報が死ぬほど入っているのだ。
だのでなまえは助けを求めることも逃げることもできず、ひたすら困った顔でキッドの道楽に付き合わされていた。
同期たちは、自分と連絡が取れなくなって焦っているだろうか。
愛しのカレシは、自分を血眼になって探してくれているだろうか。
それとも、自分がいなくなったことに気付かないままキッドの捜査に夢中になっているだろうか。
──それとも。
「…ほら、何でそんなカオするかな」
「そんな顔って?」
「迷子みてーなカオ」
「………」
「そのカオさせてるのはオレ? それともカレシ?」
「…………」
「…そのカレシ、本当に必要?」
キッドは眉を下げて笑い、「ごめん」とスマホを二台胸ポケットから取り出してなまえに差し出した。
「オレは…怪盗だから。欲しいものは何が何でも奪うのが怪盗の美学で」
「………」
「アフロディーテの涙が、欲しかったんだ」
目の前の女が流した涙は、宝石みたいに美しかった。
それと同時に、この美しい女に涙は似合わないと思った。
だから、笑ってる顔が見たいと思った。
笑わせてやりたいと、思った。
「でも、オレのエゴだったよな。…ごめん」
なまえは先ほど宝石を生み出した大きな瞳をぱち…と瞬かせ──、それから小さく諦めたように笑った。
「…好きなの。どうしようもないくらいに」
好きなの。
彼の心の中にはもう自分はいないのかもしれないけれど。
それでも。
「好きなの」
心の底から、大好きなの。
どうしようもないくらいに。
**
その瞬間は突然訪れた。
なまえがスマホを返してもらって数秒後のことである。
「…やっと、見つけた」
「!」
華奢な肩が後ろから走ってきた男によって引き寄せられた。
グッと力の篭った腕は汗だくで、ゼェハァと肩で息をする男の特徴的な癖毛もしっとりと汗で濡れていた。
「…陣平」
「お前、『好きなの』ってまさかコイツに対してじゃねえよな!?」
「開口一番それですか?」
「うるせぇなお前には話しかけてねえよ怪盗キッド」
「あ、全部バレてんだ…笑」
なまえの「好きなの」という部分だけはかろうじて聞こえていた。
自分の腕の中にいる女はいつもの彼女とは似ても似つかない女だ。が、彼はしっかりと分かっていた。
なぜなら。
「この俺が、お前を見間違えるワケねえだろ」
変装していても、別人になっていても。
後ろ姿、立ち方、振る舞いだけで分かるのだ。
ああ、この女が自分の愛してやまない女だ、と。
今しがた走ってきた男──松田陣平はクッと瞳に力を入れて怪盗キッドを睨みつけた。
女を抱いた腕にも力を込める。シャネルの19番がふわりと香った。
「俺の、女に、近付くな」
一言ひとことに力を入れて、覚えさせるみたいに言った。
宝石を盗むのは百歩譲っていい。勝手にしろ。だが、この女だけは譲れない。絶対に。
地球が滅んでも、天と地が入れ替わっても。この女だけはどうしてもあげてやれないのだ。
「たった数時間お借りしただけじゃないですか」
「ダメに決まってんだろ。俺がどんな想いでコイツを探したと思ってる」
「ちゃんと手綱握ってないオニーサンが悪いんじゃないですか」
「うるせえな。俺だって好きで目を離したワケじゃねえよ。そもそもお前がここに逃げ込んで来なけりゃなあ…!」
「文句は工藤新一に言ってくださいよ!」
「ナントカの涙を盗もうとしたお前が悪いだろ!」
「ド正論で攻撃しないでくださいよ!」
「ケーサツは正論の暴力を振るう組織なンだよ!」
「とんでもねぇこと言ってる自覚ある!?」
二人の男が自分を挟んで睨み合っている中、なまえは頭に「?」を浮かべて口を開けていた。
あれ…何で私、陣平が浮気してるって思ったんだっけ…?
あれ…もしかして私ってものすごく陣平に愛されてるのかも…?
と、場違いなことを考えながら。
「とにかくお前は逮捕するからな!」
「は!? 嫌ですけど…あっぶな!」
松田はなまえの肩を抱いたまま、逆側の手をムチみたいにしならせてキッドに殴りかかった。
これにキッドはアタフタ慌てながら飛び上がり、空中で一回転してベンチの上に立つ。
冴えない男の姿はもうそこにはなかった。
真っ白のスーツの、ハンググライダーを背負った怪盗キッドが、恭しく腰を折ってマドンナちゃんに笑いかけた。
「また会いましょう、レディ」
マドンナちゃんの変装はいつの間にか魔法みたいに解けていた。
誰もが目を奪われるほどの美貌に戻った彼女にキッドは再び笑いかけ、「…やっぱりこうでなくちゃ」と呟くと。
「おい待て!」
フワ、と吹いた向かい風に身体を浮かせ、そのまま天高く舞い上がった。
この場所は緩く坂になっており、トロピカルランド内でも標高が高い位置にあった。
ので、舞い上がったキッドは徐々に風に乗り、麓の方まで加速していく。
真っ白の大きな鳥はスグに拳大くらいの大きさになった。
「あンの野郎…!」
「待ってね、今キッドの逃走経路計算するから」
「いや…大丈夫だ。あそこ見えるか? ゼロたちが向かってる」
返してもらった仕事用スマホをタップしたなまえはしかし、真っ直ぐ向こうを指差す松田に釣られて視線を動かして笑った。
「待て! 怪盗キッド!」
「げ、工藤新一!」
「ヒロ、パトカーを出してくれ! 僕と萩原は後部座席から新一くんの援護!」
「了解!」
「キッドく~ん、研二お兄さんと遊ぼ~」
「ェ怖…! てか研二お兄さんって誰! 何で認知求めるの! 何で水風船ぶつけてくるんだよ!」
「警察のお兄さんだよ~ 水風船はさっき縁日コーナーで貰ったよ~」
「今スグにオレたちのマドンナちゃん返せ! お前ら続け! 捕らえたヤツにはこの芹沢ケイジから金一封を贈呈する!」
「「ワーッ!」」
工藤新一くんがカッコよくスケボーをかっ飛ばし、諸伏が誰かのパトカーに乗り込み、降谷と萩原が後部座席から上空に向かって水風船を投げ(嫌がらせ)、芹沢がマドンナ協会の面々を引き連れて目にも止まらないスピードで走って追いかけた。
上空から「なになになになに! ァ冷た! 何でこの距離で水風船当ててくるんだよ!」という悲痛な叫び声が聞こえ、それが徐々に小さくなっていく。
「イジメ現場だ…」
「相手は犯罪者だからな…」
「そうね…」
頼りになる同僚たちに初めは笑顔を浮かべていたなまえも、最後には「嫌かも…」と顔をシワクチャにして自分の肩を抱き続ける男の身体にネコみたいに擦り寄った。
これに松田は「おおう…」と童貞みたいな声をあげ、しかし嬉しかったし絶対に離したくなかったのでキュ…と肩を抱く腕に再び力を込めた。
「…ね、陣平」
「あ?」
「どうして変装してる私が私だって分かったの?」
「? 分からないワケねえだろ。さっきも言ったけどよ」
「だって顔が変えられてたのよ。自分でも別人だって思ったのよ?」
「…俺が何年お前のことだけしか見てねえと思ってんだ?」
外見はもちろん好きだ。世界一綺麗だと思うし可愛いと思う。
ふくよかな胸も、華奢な肩も、細い腰も、長い脚も。全てが好きで好きで堪らない。
でも、それだけじゃない。
立ち姿、話し方、表情の作り方、振る舞い、癖。
凛と立つ背中。目を大きくぱち…と瞬かせてから細めて笑うところ。
彼女を構成する全ての要素が好きなのだ。
「俺はお前が死神のボウズみたいにガキになったとしても…お前って気付く自信があるぜ」
彼があんまり優しい声で笑うから。サングラスの奥の瞳があんまり優しい色を灯すから。
なまえは思わずきゅん、と鳴いた胸を抑えて瞳を閉じるのだ。
「陣平、ごめんね」
「何が?」
「私、たくさん勘違いしてたかも」
「? だから何がだよ」
「…なんでもないの。言いたかっただけ」
なまえは、瞳を閉じたまま。
耳の奥で響く自分とは違う鼓動に擦り寄り、幸せそうに微笑んだのだ。
「…………」
それを、置いてきた相棒の鳩にくくりつけていたカメラ越しに見ていた男は「…やっと見れた」と笑い。
「ジイちゃん、後で回収してきてくんね?」
「かしこまりました」
助手の寺井(ジイ)にタオルでびしょ濡れの頭を拭いてもらいながら「ったく酷ぇ目にあったぜ…」と目を細めるのだった。
──ちなみに、これは余談だが。
キッドの捜索のせいで閉園時間は過ぎ。
つまり観覧車も人の当たり前のように止まり。
プロポーズのタイミングを逃した松田は、宣言通り禁煙する運びになったのだった。
次回:完結です