【最終章】松田のプロポーズ大作戦【前編】

前編

 #1 松田のプロポーズ大作戦1 - vs 女子会 -




「………」

 男は焦っていた。
 必ず、かの、国色天香の女にこの熱い想いを伝えなくてはならぬと決意した。
 男には乙女心が分からぬ。
 男は、街の平和を守るオマワリさんである。些細な犯罪の証拠も見逃さず、更にはその器用な手先でもって爆弾の解体などをして平和を守ってきた。
 けれども好いた女に対してだけは、人一倍に不器用であった。


 ──と、走れメロスの冒頭みたいに始まったワケだが。
 とにかく男は焦っていた。


 夜も更けた時間。
 自分の真後ろには、かの国色天香の女が両手をバンザイの形にして夢の世界に行っている。
 鴉の羽みたいな長い睫毛は伏せられ、すっぴんなのに真っ赤に熟れた唇はちいちゃくマヌケに開いていて、そこから「すうすう」と冗談みたいな寝息を零しているのだ。

 そんな中。男は背後の彼女を起こさないように、息を殺しながらひたすらにスマホの画面を眺めていた。
 スマホのライトが彼のカツンと尖った高い鼻を照らし、形の良い眉毛の間には難しげにシワが寄っていて、深い色の瞳は険しく細められていた。

 今しがた男が見ている画面は「バラの花束特集! 本数による花言葉まとめ」であり、その下のタブにあるのは「フラッシュモブはNG!? リアルな体験談まとめ」である。
 小声で「分からん…何も…」と呟き、癖毛を混ぜっ返す。
 布団に入ってから一時間半。毎日のようにゴールの見えない葛藤を繰り返しているのだ。
 焦りと緊張がちょうど半分ずつで、早く寝なくてはいけないのに目は冴えわたっていた。

「…………」

 男──松田陣平は、心の底から焦っていた。


 ……
 ………
 …………


「…で? こんな空き会議室に呼び出して何だよ」
「だから、どうやってヨメにプロポーズしたのか教えてくれ…!」

 警視庁刑事部。空き会議室である。

「班長、ちょっと来てくれ」と呼び出された伊達は呆れたみたいにため息をつき、「自分で考えろって…」と咥えた楊枝を揺らした。
 大柄な身体を窮屈そうにシャツの中に仕舞い、トレードマークの緑のダボダボジャージを羽織っている。
 彼は松田の警察学校時代の同期で捜査一課の同僚。腐れ縁の仲である。
 そして先日愛しのカノピと入籍し、来月結婚式を控え、もう心の底からルンルンのハッピー男だ。

「…というか、」

 この空き会議室にいるのは松田と伊達だけではない。

「漢見せろ。人に聞くな」
「ていうかまだしてなかったんだ」
「陣平ちゃんはホラ、こう見えてガチなヘタレだから…」

 萩原の辛辣な言葉に、降谷と諸伏は半笑いで「あ~笑」とバカにしたように言った。

 萩原研二・諸伏景光・降谷零。
 彼ら三人も松田の警察学校時代の同期である。

 例の組織殲滅大作戦で全員が活躍し、その活躍を認められそれぞれが一階級昇進した。降谷なんてもう警視正だ。

「普段器用なクセにこういうのはバカ不器用のバカ動物園なんだからさ、もう直球でいきなよ」
「バカ不器用のバカ動物園…?」

 萩原研二が長い前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら言った。

 ひと昔前でいうところの3Kを体現したような男である。
 菫色の垂れた瞳がとんでもない色気を醸し出し、長い前髪は悩ましく揺れ、今まで泣かせてきた女は数え切れないほどいる美男子だ。
 ちなみに、脱いだ靴下を絶対にその場に放置してしまうという短所がある。

 数年前生死を左右する大怪我を負ったが奇跡の回復を果たし、現在は機動隊のエースとして日々奔走している。

「萩原の言う通りだよ松田。班長のやり方真似しようとしてる? 能無し二番煎じって生きてる価値ないのに?」
「能無し二番煎じ…?」

 諸伏景光が猫目を細めてものすごく辛辣なことを言った。

 おぼこい顔と顎髭がアンバランスな魅力を放つ美男である。
 その艶のある声で数多の女を骨抜きにしてきた実績を持つ。ガチ恋製造機とは彼のことだった。

 数ヶ月前まで例の組織に工作員として潜入し、スパイがバレて死にかけたものの、とある女の決死の救出劇により助かった。現在も同じ部署で正義のために暗躍している。

「もう前頭葉欠損の家畜小屋には無理なんじゃないか? どんなにアドバイスされても何も行動に移せないに一票」
「前頭葉欠損の家畜小屋…?」

 降谷零がスマホを弄りながら感じ悪く言った。

 金髪・蒼瞳・褐色肌というオタク女さんのヘキ≠全乗せしたみたいな美丈夫である。
 警視庁警察学校第104期の総代。国家公務員試験一発合格のスーパーマン。
 諸伏と同じように例の組織に潜入し、また私立探偵をやったり大人気カフェ店員をやったり…とニンゲン離れしたトリプルフェイス生活をスマートにこなしていた超人である。

 現在も同じ部署だが、何と先日階級が上がったことにより元上司が部下になった。ちょっとだけやり辛いな…と思う毎日である。


「早く当たって砕けて来いよ」
「それは無理だろ。松田(ヘタレ)だし」
「松田(ヘタレ)にそんな度胸ないだろ」
「松田って書いてヘタレって読ませないでくれねえか…」

 そして現在お友達からボロカスに言われているのが松田陣平である。

 特徴的な癖毛にサングラスがトレードマークのハンサムな男だ。
 すっと通った鼻筋、薄い唇、深い色の整った瞳。濃紺のスーツの下には鍛え上げられた鋼の肉体が隠されている。

 数年前から刑事部捜査一課の刑事をしており、現在はそのエースとして日々劣悪犯罪者を追いかけ回している。
 喧嘩っ早い性格が故、警察学校時代は問題児として教官の頭を悩ませ、それは警視庁に入ってからも変わらない。
 被害者であろうとナメた口を聞いてくるニンゲンには容赦せず、スグに喫煙所探訪にでかけ、鑑識課のエースと喧嘩する。


 そんな問題児・松田陣平がなぜこうまで焦り、追い詰められているのか。
 お察しの方も多いだろう。

 現在、松田による愛しのカノジョへのプロポーズ大作戦進行中なのだ。



 事の発端は数ヶ月前。
 例の、最低最悪な某巨大組織の殲滅が終わり、その打ち上げ(ヨシヨシ会)が行われた時である。

『実はね…。我らが伊達が、結婚することになりました!』

 突然会場に乱入してきたギャルからその事実は伝えられた。

 あの時あの場にいた全員は驚き、喜び、盛大に伊達を祝った。
 松田も自分のことみたいに嬉しかったし、気付いたら胴上げしていたし(なぜか)ビールまみれになっていた。

 が、それと同時に思ったのだ。

 ──先を越された! と。

 だって自分もずっと考えていた。
 付き合い始めてからずっと思っていたのだ。こんな極上の女他にいないと。彼女以上に綺麗で、自分のドンズバの体型をしていて、何があってもかわいいと思える女など他にいないと。

 それはカノピと離れていた四年間で明らかなものとなる。
 四年間何も連絡を取らなかったのに一度たりともカノピへの「好き」という気持ちを忘れたことはなく…ていうかカノピという極上を知ってしまった憐れな狼はカノピ以外でヌくことすらできなかったのだから。

 だので彼女とヨリを戻してからスグにその気持ちを伝えようと思った。
 が、そのタイミングでカノピは化け物みたいに忙しい部署に異動になり(というか上司を脅してそうさせ)、自分自身も捜査一課のエースとしてバタバタの毎日を送っていた。

 そしてようやく落ち着いてきて、さァ想いを伝えよう! …と思っていたところで例の組織殲滅作戦が始まったのだ。

 不眠不休ニコニコ労働運動会。二十四時間耐久発狂大会。アンハッピー地獄セット。

 昼間は本業の殺人事件解決屋さん、スキマ時間と夜はこの身体張りまくり株式会社~ヨシヨシ大作戦総本部~で身を粉にして働いていた。


 そしてやっと…やっと全てが終わったタイミングでこの浮かれポンチご報告~兼ねてよりお付き合いしていたカノピと結婚します~≠聞いたのだ。

 ので、焦っていた。
 俺だって…という気持ちを拳とともに握りしめ、どうにかしてかわゆいカノジョに伝えようと思っていたのだ。

 近いうちに絶対に告げようと固く誓い、カノジョの左手薬指のサイズを寝ている隙に測り、インターネットでジュエリーブランドを調べ上げ、プロポーズのノウハウを漁りまくり──、もうありとあらゆるパターンのプロポーズをシミュレーションしていたのだ。

 しかし失敗した。
 いつメンたちで行った記念旅行(組織殲滅&結婚おめでとう旅行)でカノピと二人で観覧車に乗った時。
 今だ! 言え! という内なる自分の声に導かれるがままに言おうとしたのだが──。

『何か言おうとした?』
『…なんでもねぇよ』

 言えなかった。
 運悪く花火が上がり、タイミングを逃したのだ。
 松田の心は完全に折れてしまったのだった…。



 では。
 その悩みの種が現在どこで何をしているのかというと──。

「びっくりしましたよ~。マドンナちゃんとニシザワちゃんが知り合いだったなんて」
「わたくしもですのよ。まさかお姉さまと園子さまがお知り合いだったなんて…」
「園子、マドンナちゃん≠カゃなくてマドンナさん≠ナしょ。失礼よ」
「いいのよなんでも。…ていうかお姉さまでもマドンナでもなく普通に名前でいいし」
「「「嫌です!」」」
「ヤなのね…」

 米花町の大通りに面して建つ、喫茶・ポアロにいた。

 おめかしした女の子たちがボックス席に四人座っていて、店内を流れるクラシックのBGMをかき消すような姦しい声が響き渡っていた。

 現在カレピが地獄のように悩み、また同期たちにボロカスに言われていることなど一切知らずに、悩みの種である国色天香の女は、大富豪のお嬢様・女子高生たちと呑気に異種格闘女子会に興じていた。


「お姉さまから誘っていただいてから今日まで、わたくし本当に楽しみで仕方ありませんでしたの

 キャ と両手を頬に当ててテレテレするのはニシザワお嬢様。

 世界有数の大財閥・ニシザワ財閥の一人娘である。
 縦ロールの水色の髪・大きなつり目・もちもちおっぱい・真っピンクのドレス。絵に描いたようなお嬢様で、いつも傍に「せばすちゃん」とワッペンのついた初老の執事を連れている。
 本日は女子会≠ネのでせばすちゃんは外に停めたロールスロイス(リムジンのすがた)の中で待機中だ。

「私もビックリしました。マドンナちゃんからメッセージで『ニシザワちゃんとヌン茶しよ~』ってきた時声出ましたよ」

 ストローでアイスティーをかき混ぜ、「ほら~」とスマホの画面を見せるのは鈴木園子ちゃん。

 彼女も世界有数の大財閥・鈴木財閥の娘である。
 色素の薄い髪と丸い額がキュートな女子高生だ。

 数ヶ月前この店で素敵な警察のお姉さんと知り合った。そこでお姉さんの使っているお化粧品を全て教えてもらい、その日の夜には全て家に届けさせて愛用している。

「ていうか私も来ちゃって大丈夫だったんですか?」

 不安そうに眉を困らせるのは毛利蘭ちゃん。

 彼女は園子ちゃんの大親友で、このポアロの上のフロアに住居を構える「毛利探偵事務所」の一人娘だ。
 高校生女子空手都大会優勝・スタイル抜群・料理の腕も抜群。パワフルで家庭的な女の子なのだ。

 …そして。

「いいのよ。たくさんいた方が楽しいじゃない」

 紅茶を優雅に啜るお姉さんは。
 それはそれは綺麗な女だった。

 ふっくらとした頬は桜色で、笑顔は向日葵のように眩しく、吐息は秋桜みたいに軽やかで、目を伏せる仕草は寒椿のように儚い。
 そんな、一人で春夏秋冬の花を体現したような女である。

 呼ばれたあだ名は、警察学校のマドンナちゃん、歌舞伎町の女神様、警視庁の妖精さんなど数知れず。
 ここでは一番呼ばれる頻度の高いマドンナちゃん≠ニ呼ぶことにする。


 ではなぜこの四人が一堂に会してお茶などを飲んでいるかというと。

「遅くなっちゃったけどニシザワちゃん、その節は本当にありがとうね…」
「うっ…うれし…好き… ぐす…」
「泣いちゃった…」

 ニシザワお嬢様に作った多大な借りを返すためである。

 数ヶ月前に行われた地獄七夕運動会、超巨大犯罪組織殲滅作戦。

 何度も言うがあの作戦にかかった費用はざっと数百億円であり、その全額をニシザワお嬢様が負担した。
(返せるアテは一つもないが)金を払おうとしても首を横に振られ、むしろ「お姉さま 気を遣ってくれて嬉しかったので…」と数千万円の小切手を渡されそうになった。

 ので、その借りを少しでも返すべく、こうしてお茶をしようと思い立ったのだ。

 お茶ごときで借りなど返せるはずもないと思っていたのだが、実際ニシザワお嬢様に「ニシザワちゃん。今度お茶しようよ。…あの、鈴木財閥の園子ちゃんと仲良しって聞いて。ニシザワちゃんと私と園子ちゃんと、あと園子ちゃんのお友達の蘭ちゃんって子と一緒に…ダメかな…?」と声をかけたところ。

『いいんですかッ!? …キュウウ』

 あまりにも嬉しすぎて目を回してしまったのだ。数百億円もの大金はニコニコしながら平然と使っていたクセに。
 つまりニシザワお嬢様にとってお姉さまとのお茶はプライスレス。何よりも価値があるものなのだ。

 本来であればスグにお茶会をしたかったのだが、お姉さまはあの作戦の事後処理、女子高生たちは中間試験、ニシザワお嬢様は他の財閥の御曹司とのお見合いから逃げるので忙しく、数ヶ月経った今やっとこうして一同に会していた。

 ニシザワお嬢様は本当に本当に心からこの日を待っていたのだ。

 ので。

「ていうか私こないだ新一から聞いたんですけど、マドンナさんってあの松田刑事とお付き合いされてるって本当ですか!?」
「えッマジ!? 松田刑事!? …マァ確かにイケメンだけど…」

 女子高生二人が下世話な恋バナを初めても、ニシザワお嬢様はニコニコしながらおミルクティーを飲みながらおティータイムに興じていた。
 もう器がデカすぎるのだ。例えるならばつるとんたん≠ュらいである。

 比較のために例を出すが、松田の対鑑識課のエースに対する器は醤油皿くらい。分かりやすい比較対象だネ…。

 ちなみに今しがた蘭ちゃんが言った「新一」とは、お分かりの通り高校生探偵の工藤新一くんのことである。
 例の犯罪組織によって身体がちいちゃくなってしまった憐れな高校生探偵。
 先日、無事解毒薬を飲み、元の姿に戻ることに成功した。
 現在は愛しのカノピと会えなかった時間の穴埋めに奔走するハッピーボーイだ。

「その反応…マジなんだぁ」

 一気に頬を染めるマドンナお姉さんに、園子ちゃんが「意外…」とマヌケに口を開けた。


 マドンナちゃんが松田の恋人になったのは八年近く前。
 警察学校の卒業式で告白されてからの付き合いである。

 付き合い始めた一年後に、とある事件がキッカケで距離を置き、そこから四年近く連絡を取らなかった。
 それから再びヨリを戻して三年と少し。…決して順風満帆とは言えないが、マァ現在はそれに近しい状態だった。

「マドンナちゃんと松田刑事って接点あったんだ」
「警察学校の時同期だったのよ」
「!? そうなの!? じ、じゃあ萩原さんも…」
「園子ちゃん、萩原くんのことも知ってるんだ。同期よ同期」

 マドンナちゃんの言葉に園子ちゃんは「きゃ」と黄色い声を上げて頬を染めた。

 萩原とは偶然巻き込まれた事件で会話を交わしたことがある。

『松田刑事! ねぇ松田刑事!』
『あ? 鈴木財閥のご令嬢じゃねぇか。またお前事件巻き込まれてんのかよ…』
『そんなことはどうでもいいでしょ! …その、横にいるカッコいい人って…』
『俺のこと? 俺、萩原ってんだ。陣平ちゃんの幼馴染で同期。事件に巻き込まれた者同士よろしくな、お嬢さん』
『ハワワ…』

 よく会う捜査一課の松田と仲睦まじく喋っているのを見て、そのあまりのカッコよさと爽やかさ、甘い声に卒倒しそうになった。
 それ以来、事件に巻き込まれる度に松田に萩原の所在を聞く程度には園子ちゃんは萩原の大ファンになっていた。

「や、やっぱ萩原さんってモテるんですか…?」
「え?」
「ごめんなさい、園子ったら萩原さんの大ファンなんです…」
「イケメンといえば園子様でしょ。イケメンのことは何でも知りたいし将来の夢はイケメン図鑑を作ることです」
「や、やめなね…」
「今のところ萩原さんと松田刑事、あと芹沢さんは確定で図鑑に載せます。あとは…」
「やめようね…」

 なまえは若干引いた顔でアイスティーを掻き混ぜ、それから人差し指を顎に当てて「んん」と唸った。

「モテ…てると思う。特に警察学校の時はすごかったかも」
「やっぱり? 伝説とかあります?」
「伝説になるのかは分からないけど。…男女合同の護衛任務訓練っていうのがあってね、自由にグループを作ってよかったの。その時萩原くん女の子に囲まれてて大変そうだったって友達から聞いたわ」
「やっぱり…」

 園子ちゃんはウットリしながらチーズケーキをつつき、それから「マドンナちゃんは何で萩原さんにいかなかったんですか?」と問うた。

 別に松田だって十分男前だし一時期は「きゃあ松田刑事すてき」となっていた時期もあった。…が、純粋に萩原の方が女ウケするからだ。

 これになまえは苦笑いしながら「萩原くんはちょっと無理かも…笑」と言い。

「だって萩原くん、そのグループ分けの時『俺にジャンケンで勝った子と組むね』って言って王様の遊びしてたんだもん。ちょっと無理かもって思って…。それに萩原くんこの前三ヶ月くらい付き合ってたカノジョさんと別れたんだけど、その理由がエイプリルフールに何の関係もないマンションの前で『ここが俺のアナザースカイ! 爆死しかけたマンションだよ~!』って最悪な嘘ついてたからだし…」
「うわっ」
「ほな松田刑事のがええな…」

 最悪なタレコミをした。思わず蘭ちゃんがドン引きした声をあげ、園子ちゃんがミルクボーイになるくらい最悪な文春砲である。
 マァしかし事実なので仕方ない。警察のお姉さんは一切エピソードを盛っていない。全て事実だし全て萩原が悪いのだ。

「じゃ、じゃあ安室さんは? マドンナちゃん安室さんともお知り合いよね? …あー、安室さんじゃなかったんだっけ。何だっけ名前…ふ、ふる…」
「降谷くん?」
「そうそれ」

 園子ちゃんが「降谷降谷…てかもう安室さんで定着してるから今更降谷さんって呼べない笑」と手を叩いた。

 降谷は数ヶ月前まで、安室透という名前でこの喫茶店でアルバイトをしていた。
 イケメン喫茶店員ということで園子ちゃん含めた女子高生たちやマダムたちから多大なる人気を集めていたのだが、急に店を辞めることとなった。
 そこから暫くして、律儀に制服を返しにきたところを園子ちゃんとポアロの同僚だった梓さんで問い詰めたところ。

『何で急にお店辞めるんですか!』
『あーいや…ちょっと引っ越すことになって…』
『嘘よ! だって昨日偶然会った松田刑事によく行く喫茶店のイケメン店員が急に辞めてぴえんって愚痴ったら「ポアロの…? あぁゼロのことか。そりゃ残念だったな知らんけど笑」って言ってたわよ! 松田刑事は一回もこの店に来たことがない。でも安室さんのことを知っていたってことは二人には何らかの関わりがある。…もしかして安室さんって警察関係者じゃないかしら…』
『なんて推理力だ…!』

 口の軽い同期のせいで身分がバレた。

 というワケで、安室透=警察の降谷零…というのは結構のニンゲンが知ることとなった。

「降谷くんはねぇ…うーん…確かにモテてはいたけど。でも人間離れしすぎてたから恋というよりも憧れてる女の子の方が多かったんじゃないかしら…」
「ふーん」
「人間離れ…ですか?」

 女子高生二人がイマイチピンと来ていない顔で相槌を打った。

 例えば。

「入学から卒業までずっと主席でしょ。めちゃめちゃ難関の訓練でフルスコア出してたし国家公務員試験も満点だったし体育祭でも一位以外取ってなかったし…そもそも卒業してスグは全員交番勤務になるんだけど降谷くんは異例の警視庁入庁だったし…」
「バケモンじゃない…」

 ちなみにこれはマドンナちゃんにも言えることなのだが、マドンナちゃんは自分もそう≠セということを全部忘れ「ね、完璧すぎて敬遠しちゃうでしょ」とむつかしい顔で頷いた。
 いつまでも過去の栄光に縋らないタイプの女なのだ。

 …と、そこに。

「安室さ…降谷さんの話ですか?」
「梓さん!」

 お水のお代わりを注ぎに来た梓さんが会話に混ざってきた。

 彼女は喫茶ポアロの看板娘である。
 かわゆいお顔とちょっと天然な言動がこれまたかわゆい二十三歳。安室が働いていた時は「付き合っているんじゃ…」と彼目当てで店に通っていた女子高生たちに2ちゃんねるで叩かれ、火消しに奔走した大変な経験を持つ。

「てか梓さんって一時期安室さんとのウワサあったじゃないですか。…アレって実際どうだったんです?」
「え、ない笑」

 一蹴である。

「安室さん女子高生にモテモテだったじゃないですか。でも若者言葉が分かんなかったらしくて…バックヤードでずっとセブンティーンとかキャンキャンとか小悪魔アゲハとか読んでたんですよ笑 え、フツーに幻滅しません?笑」
「「「うわぁ」」」

 幻滅した。
 ニシザワお嬢様以外の三人が全く同じ表情で両手をグーにして膝の上に置いて背筋を伸ばした。ドン引きしたのだ。

 ニシザワお嬢様だけは「あらあら」とにこやかに微笑んだままおロイヤルなおミルクティーを傾けておマカロンなどを頬張り、「あ、おいし」と手を口に当てて目を見張るなどしていた。彼女の周りだけ流れる空気のスピードが違う。

「バックヤードで一人背中丸めて女性向け雑誌読むイケメン怖くないですか? ぁや、そりゃ私だって安室さんにときめかなかったワケじゃないですよ。だってカッコいいじゃないですかフツーに。でも流石にそれで我に返ったっていうか。笑 あと履修した若者言葉をドヤ顔で使ってるのがちょっと…みたいな。笑 前にコーヒー豆が足らなくなった時に『ぴえんですね』ってカッコいい声で言われてガチで引いちゃって私。笑 イヤ安室さんは悪くないし使い方も合ってるんですけど。笑 これって蛙化現象ですかね?」
「もう止まんねぇや」

 園子ちゃんがドン引きを通り越して感心したように言った。それから「ほな松田刑事のがええな…」と再びミルクボーイになり、梓さんのエピソードトークに顔をシワクチャにするマドンナお姉さんの肩を叩き──、そこから思い出したかのように頭を抱えて項垂れた。

「…そういえば真さん(カレピ)もこの間全っ然違うタイミングで『ぴえんですね』って言ったのよ…」
「「ウワ」」
「………完璧なタイミングの方がイヤじゃない?」

 マドンナちゃんと梓さんがドン引きした声を上げ、項垂れる親友があんまり可哀想だったので蘭ちゃんがすかさずフォローを入れ、「し、新一なんて『ぴえん』を何かの暗号だと思ってたんだから…」と続けた。

「ほな真さんの方がマシか…」

 ほな真さんの方がマシである。

「ヤでもなぁ…真さん若者言葉だけじゃなくて若者ファッションも疎くて…ていうか普通にサイズがなくて…本当はウインドウショッピングとかしたいのに試着できないのよぉ…マァ服自体は特注で作らせるからいいんだけどぉ…でもやっぱ普通にウインドウショッピングデートしたいじゃない…!」
「園子さま、店ごと買ってしまえばよろしいではないですか。何ならデートコースの店全て買収してしまえばよろしい」
「確かにそうかも…」
「お金持ち同士の話怖すぎません?」
「梓ちゃん、気にしちゃダメよ。ニシザワちゃんって本当にこういうところあるんだから。私もたくさんびっくりしたもの。本当にたくさんよ」
「園子もスグに何でも買おうとするんだから…」

 蘭ちゃんが呆れたようにため息をつき、それから「新一よりはマシよ。…数ヶ月間も事件だー…っていなくなってやっと帰ってきたと思ったら埋め合わせするとか言って私の土日の予定全部ブロックするし…かと言ってデート先で事件が起きたらスグいなくなるし…」とガチの不満を口にした。

「そんなカレシ必要ですか?」
「シッ、梓ちゃん!」

 看板娘は辛辣である。

 マァ過激意見はさておき、蘭ちゃんは真面目に悩んでいた。ので、小さく息を吸って気持ちを落ち着かせ、「マドンナさん…」と思い詰めた表情でアイスティーを掻き混ぜるお姉さんに向き直った。

「松田刑事ってデート途中で急に『事件だ』っていなくなったりします? その場合どうやって折り合いつけてます?」
「…あー」

 ガチの恋愛相談である。
 これになまえは困ったみたいに頬を掻き。

「あ、あんまりデートしないから分かんないかも…」
「そっか…」

 蘭ちゃんは気まずすぎて思わずタメ口をきいてしまった。
 ちょうど数ヶ月前まであの二十四時間ニコニコ発狂労働組合に所属していたのだ。デートなんぞできるワケもない。

 付き合ってから八年近くが経つが、デートらしいデートは警視庁に入るまでの一回と先日の夏祭りデートくらいしかしていない。空白の四年間があるし、それ以外も仕事を最優先にしてしまっていたからだ。
 もちろん二人で近所のスーパーに買い物に行ったり、勤務終わり居酒屋に夕飯を食べに行ったりはするが、マァ一般的に言うところのデート≠ヘそのたった二回だけである。

 だって仕方なかった。
 付き合ってスグに交番実習が行われ、警視庁に入ってからはお互い忙しすぎてデートどころではなかった。そしてそれから四年近く音信不通になり、ヨリを戻したところで超激務部署に配属した。…で、やっと落ち着いてきたところで例の殲滅作戦である。
 地獄労働倶楽部が終わった今こそ二人でゆっくりできるチャンスなのだ。

 …が。

「逆にちょっと聞きたいんだけど…夜中にずっとスマホ弄ってたりトイレとかお風呂にまでスマホを持っていくカレシってどう思う?」
「えっ」
「マジ…?」
「ウワ…」
「あらあら…」

 蘭ちゃん、園子ちゃん、梓さん、ニシザワお嬢様の順である。
 乙女たちは判を押したように同じ反応でパッと両手で口を覆い、慌ただしくお互いの顔を見合わせた。
 先程までクラシカルにおミルクティーを嗜んでいたニシザワお嬢様までも「あらあら…」と絶句し、カップをソーサーにカチャン…と置いた。

「…え、それって…。待ってまさかあの松田刑事のこと?」
「…そうなの……」
「「「別れな!」」」

 女子高生二人と看板娘に火がついた。
 ダン! と机に両手をつけて立ち上がり、「処刑」「こんないい女がカノジョなのに」「ありえないマジで」と憤怒の表情で告げる。

「まさか…え、う、浮気してるとかないよね…って聞きたくて」
「してないとは言えないでしょ。少なくとも隠したいことがあるからスマホをどこにでも持ってくんでしょ。トロか」
「び、微妙な例えしないでね園子ちゃん…」
「取り急ぎ私の方で松田刑事を3/4殺しくらいにしておきます?」
「と、取り急ぎで人のカレシを3/4殺しにしないでね蘭ちゃん…」
「女の敵は処刑しないといけません。安室さ…降谷さんに言いつけておきましょうか私」
「だ、だいじぶよ梓ちゃん…」
「わたくし、御曹司の方のお知り合いがたくさんおりますの。もしお姉さまが我慢できなくなったらいつでも斡旋いたします。お姉さまは跡部財閥ってご存知ですか?」
「せ、世界が混ざってるよニシザワちゃん…」

 口々に憤りの感情を露わにする女の子たちを宥めながら。

「(まさか…ね)」

 なまえは己の中で膨らむ疑心の感情を押し留めるように息を吐いた。



 #2 松田のプロポーズ大作戦2 - vs マヌケ -



「あ…あの、陣平…」
「何だよ」
「今度の土曜日、時間あるかな…私と…その、トロピカルランドにデートしに行かない?」
「! 行く。行きます」

 松田は思わず敬語で返事をしていた。
 ハンガーにかけようとしていたスーツは容赦無く床に落とされ、思わずそのスーツを踏んでビシッと姿勢を伸ばした。驚きと嬉しさで脳がジャバジャバになってしまったのである。

 松田の脳をジャバジャバにした張本人の女は「よ、よかった…」と桃色の吐息を零し、気付かれないように拳を握りしめた。

 まずは第一フェーズ・土台に乗せることに成功したからだ。これを断られてはこの作戦は実行すらできない。
 最終フェーズ・絶対に惚れ直させる≠スめの乙女の聖戦だ。

 自分のプライドと乙女心と命をかけて、この脳ジャバジャバ男に目にモノを見せてやらなくてはいけない。


 何があったのか。
 それは数時間前に遡る。


『アンタそれ本気で言ってる?』
『クイーン先輩、本気ですか?』
『マドンナ先輩…本気ですか?』
『う、うん…』

 例の異種格闘女子会から数日後。
 なまえは再び喫茶・ポアロにいた。

 目の前にはギャルが二人「ありえない」という顔をしながら自分を凝視していて、右隣からも「まさかそんな…」という戸惑いの視線を感じる。
 視線の主は、親友の廣瀬とその相方の宮本、カレピとバディを組んでいる佐藤のものである。

 ではなぜこの三人がこんな白けた表情をしているかというと。
 今しがたこの視線を一心に受けている女の「私って女としての魅力が足りないからさ…」という爆弾発言によるものだ。

 この発言を聞いた次の瞬間ギャル二人は看板娘の梓さんにストロングゼロとコカレロヴィーダを頼み、佐藤はスマホを操作して浜田ばみゅばみゅのなんでやねんねんを流し…、

『なんでやねん』

 思わず関西弁になった。

 警察学校からの親友・廣瀬は「…ハァ?」とゆっ…くり首を傾げて運ばれてきたストロングゼロをグラスに注がずに煽った。
 グリグリに巻いた茶髪とCカールのマツエクがトレードマークの鬼ギャルである。現在は隣に座る宮本と共に違法駐車取り締まりお姉さんをやっている。警視庁交通課名物のギャルコンビだ。

 そのギャルコンビは二人してストゼロとコカレロをグビグビ流し込み、カァン! ゴトン! と中身の減ったアルミ缶とガラス瓶をテーブルに叩きつけた。

『何? 寝言? アンタ寝てんの?』
『あのクイーン先輩が女としての魅力が足りない…? バカなんですかアンタ』
『魅力がない人に対してあんな酔狂な集団(マドンナ協会)ができると思います? ていうか私も会員なの知ってますよね?』

 マドンナ協会とは、警視庁の姫というか女神というか妖精さんというかマドンナちゃんを守る会≠フ略称である。

 とある男が会長を務める超巨大集団。警察関係者のみならず一般のニンゲンも多数所属している。その数ざっと千人以上。…マァつまり、この数値だけ見てもこの女に「魅力が足りない」なんて全く思えない。

 それに、このマドンナちゃんという女は爆裂に自己肯定感が高い。
 自分の魅力も、それが周りにどう映っているのかも完璧に把握している女なのだ。

「かわいいですね」と言われれば「知ってる~ありがと」とエイの裏側みたいな顔でニコー! と笑う。
 以前逮捕した犯罪者から「ブス」と言われた時なんてちょっと引くくらい怒り、容赦なくその犯罪者を気絶させたこともある。


 つまり、そんな女がこんな妄言を吐く理由なんて一つしかない。

『あのバカ(松田)が何かした?』
『浮気してるっぽい…』
『『『殺すか…』』』

 ギャルたちは一斉に「ほな殺すか…」と首をこきりと鳴らして立ち上がった。

 廣瀬は同期のマドンナちゃん大好き男に「集合」とメッセージを送り、宮本はカレピに「チュウ吉の知り合いにスナイパーとかいない?」とメッセージを送っていた。佐藤は松田に「明日の朝屋上な…チッ」と舌打ち付きのボイスメッセージを送り、テーブルの上に乱暴にスマホを置いた。

『『『…で?』』』
『え?』
『何でそう思ったワケ?』
『どう見てもベタ惚れでしたけど』
『浮気できるほどあのバカ器用じゃないですよ』
『『『マ、それはそれとしてあのバカは殺すけど』』』

 もう真偽はどうでもいい。
 親友であり大学時代の憧れの先輩であり現在も憧れ続けている先輩であるこの女を悲しませている時点で万死に値するのだ。
 浮気だったら殺す。浮気じゃなくても殺す。シロでもクロでもアルカトラズ送りか焼き土下座か電気椅子か火炙りの刑は免れないのである。

『最近ずっと心ここに在らずで…トイレとかお風呂までスマホ持っていくし…夜中フと目が覚めたらずっと私に背を向けてスマホ弄ってるし…でね、この間梓ちゃんとか園子ちゃんたちに話したら…いや年下の子に相談すんなって話だけどさ…みんなが口揃えて浮気だって言うから不安になって…』
『『『あ〜〜』』』

 三人は一瞬で察した。
 廣瀬は伊達ヅテで「そろそろお前んとこにも松田から相談くると思うぜ」とプロポーズ作戦のことを聞いている。佐藤は捜査の合間にスマホと睨めっこする松田の手元を盗み見て知っているし、宮本には「ねぇねぇマドンナ先輩そろそろプロポーズされるかもよ」と共有済みだ。

 だので察した。

 あぁこれはあのバカの行動が裏目に出てるな~と。
 とりあえずここは上手く慰めてバカのことは明日シメるか~と。

 一瞬で目配せを交わし、口々にマドンナちゃんを慰める準備をした。


 …のだが。

『だから私…』
『………』
『火がついて』
『え?』
『は?』
『落ち込んで…じゃなくて火がついて? 何に?』


 この女。警視庁のマドンナちゃん≠ヘ。

『この数日間ね、考えたの。浮気するってことは私より魅力的な女の人がいるってことでしょう? この私よりも? じゃあ私に足りないものって何? 顔は可愛いでしょ。スタイルは抜群でしょ。性格も優しいし気配りできるし頭もいいし…じゃあ足りないのって何? って思ったら女としての魅力くらいかなって。…ほら私、男性経験って陣平しかないのよ。だからそこ以外ありえないっていうか』

 こういう女である。


 何度も言うが、マドンナちゃんという女は自己肯定感が爆裂に高く──、そしてとんでもなくマヌケなのだ。

 徐にサンローランのトートバッグの中からキャンパスノートを取り出し、机の上に見開きの状態で置いた。

陣平が浮気? 原因と対策≠ニデカデカ書かれた下には、なぜ≠フ深堀がダーッと書いてあり、その一つ一つに解決策がダーッと書いてある。

 なまえは今まで、一度「やる」と決めたことは何が何でもやり遂げ、そのパワーでもってたくさんのニンゲンを救ってきた。
 しかし一度決めたことをやり遂げようとするあまり、それ以外が一切見えなくなるのは彼女の大きな欠点だった。

 七年前から四年間頑張ったあの爆弾事件を追っていた時は何回も倒れるくらい無理をし、怪我を負い。とうとう計画が完遂した時に力尽きてカレシに多大な心配をかけた。
 先日の巨大組織殲滅戦の時はバグりすぎて同期を銃で撃つところだったし…、というか目的を重視しすぎて手段に倫理観が追いついていなかった。


『だからね、今日は私に足りない女の魅力をみんなに教えてもらおうと思って』
『『『………』』』
『それを元にどうやったら陣平を理解らせ≠轤黷驍ゥ考えるの』
『『『…………』』』

 目をキラキラさせてペンを握りしめるマドンナちゃんに、三人は再び顔を見合わせ──。

『…梓っち、ちょっと』
『はぁい、どうしたんですか廣瀬さ…ァいて!』

 このバカを焚き付けた一人の額に、強めのデコピンをお見舞いするのだった。



「じゃあ今度の土曜日、十時にトロピカルランドの前集合ね」
「あ? 家から一緒に行けばいいだろ」
「私は前日廣瀬ちゃんの家に泊まるから」
「廣瀬ぇ?」
「おめかしした私のこと楽しみにしててね」
「お、おう…」

 おめかしした私…の部分で一気にソワソワした松田に、マドンナちゃんは心の中で「しめしめ…」と笑った。

 効いてる効いてる…と。

 今、彼女のカバンの中には三人から貰ったアドバイスが眠っている。
 これを元に、今週末この男を骨抜きにするのだ。



**



 翌日。

 警視庁からほど近い、安価なのにゴハンが美味しいと評判の小料理屋・五右衛門≠フ一番奥。
 元・警視庁警察学校第104期生のいつメン≠スちの溜まり場であるソコは、若干二名を除いた男女六名が揃っていた。

 ここに集ったのは、朝方バディから屋上に呼び出され靴などを踏まれ「いい加減にしなさいよ…チッ」と舌打ちなどをされた男から呼び出されたからなのだが、呼び出された全員が「まさかあの話じゃないだろうな…」みたいな顔で黙りこくっていた。

「今度の土曜、トロピカルランドでプロポーズしようと思うんだけどよ」
「バカめ…」

 重々しく口火を切った松田に、廣瀬は本当にバカ…という表情を隠しもせずにテーブルに肘をつき、頭を抱えた。
 松田の横に座る萩原も、その隣の降谷も、廣瀬の横に座る諸伏も全く同じ表情・同じポーズで項垂れている。
 今日は来られなかったが、もし伊達がいたら伊達も同じポーズをしていただろう。

 お前何回その話するンだよ、と。
 もう勝手にしろよ、と。
 呆れ十割の純米大吟醸である。

 ただ一人。降谷の正面…諸伏の隣に座る男だけは──。

「ハァ? プロポーズ? 誰が?」
「俺が」
「…誰に?」
「……一人しかいねぇだろ」
「まさかお前が? あの美の女神ことマドンナちゃんに? 正気? バカなのか…?」
「バカはお前だろ座ってろバカ」

 知らない知識を耳にした時の林修先生みたいな顔で「初耳学ですが…?」と立ち上がった。

 芹沢ケイジ──警察学校からの腐れ縁であり104期の三枚目担当だ。

 センターパートの黒髪はウェットに固められていて、左目の下の泣きボクロがとんでもない色気を放っている。
 右耳に真っ黒のフープピアスを二つ付けていて、ヘリックスの部分にはシンプルなボールピアスを付けていた。
 黙っていればとんでもなくハンサムであり、血の滲むような努力のお陰で鑑識課のエースを担うほどの実力を持っている。

 のにも関わらず、この男が三枚目の扱いをされているのは、

「誰がコイツ呼んだんだよ」
「ごめんアタシ」
「は? もしかしてオレのことハブにするつもりだった? ありえない。もうウチ松田クンの前略プロフブロックするから」
「「死ねよ……」」

 全て自身の残念な発言のせいである。つまり全部自分が悪い。

 マァしかし今回彼が松田に呼ばれなかった理由は別にある。
 この男こそが、マドンナちゃんに心酔し、心の底から敬愛し、例のマドンナ協会の発起人であり会長を務める男だからだ。
 心酔する女神へのプロポーズ大作戦と聞いてこの男がいい顔をするとは思えなかったし、(これはないとは思ってはいたが)最悪の場合千人の会員を引き連れて邪魔をしにくる可能性があると思ったからだ。

「は? 邪魔? するワケないだろ。オレのこと何だと思ってるんだよ」
「ストーカー」
「狂信者」
「変態」
「悪徳詐欺業者」
「カルト宗教団体」
「バカ」
「オイ誰だ今バカっつったヤツ」
「何でバカって単語にだけ怒るの芹沢ちゃん…」

 萩原は「こりゃダメだ」とヘラヘラ笑いながらジョッキを傾け──、それから「あれ」と意外そうな顔をした。

「俺てっきり『オレたちのマドンナちゃんにプロポーズするなんて許さん!』って怒るとばかり思ってたんだけど、プロポーズを邪魔するつもりはないんだ」
「え、ない笑」
「その心は?」
「このヘタレがそんなんできるワケなくね?笑 プロポーズするまで出られない部屋≠ナもない限り」
「「あ、同じ村の人だ」」

 芹沢への悪口以外ダンマリだった降谷と諸伏が目からウロコみたいな顔でマバタキをした。
 この全自動マドンナちゃん防衛システムが己と同じ考えを持っているなんて思ってもみなかったからだ。
 例えるなら、動物園のパンダが「わかるよ。俺たちダラダラしてるだけなのに可愛いって言われて羨ましいよなぁ」と喋りかけてきた時くらいの衝撃である。

「てか俺知ってたし笑」
「知ってたのか?」
「知ってたよん オレだぜ?笑 何のために協会に諜報部員置いてると思ってんの?笑」
「アタシ芹沢のこういうところ本当にヤなんだけど」

 話が進まないのでもう割愛するが、芹沢は全て知った上でこの飲み会に来た。その上で林修先生になったのだ。
 この男のせいで毎回いつメンは無駄な頭と時間を使うことになる。だからいつまで経っても三枚目から抜け出せないのだ。

「…で、そんなヘタレの松田がプロポーズ?笑 出来んの?笑 プランは?笑」
「芹沢ちゃん聞いても無駄だよ」
「…それをお前らに相談したくってよ…」
「ほら笑」

 萩原がパッと両手の平を見せ、「ね」と軽く上にあげて一気に下ろした。やっぱりね、という仕草である。

「僕らこのプロポーズの話聞くの何回目だ?」
「…二回目かな……? あれ、たった二回か。もう十回くらい聞いてると思ってたけど」
「二回でも多いだろ」
「確かに」

 降谷と諸伏がコソコソ陰口を言い、降谷なんてもう「今からここに本人呼んで僕らの前でプロポーズすれば終わるんじゃないか?」と投げやりにチキン南蛮を口に運んだ。


 今の二人の会話を聞いてお気付きの通り。いつメンたちはもう何回もこの話を聞かされている。
 廣瀬と芹沢は初回だが、降谷と諸伏は二回目、松田の親友である萩原は五回以上。プロポーズ経験者であり同じ部署の伊達はほぼ毎日である。

 つまり伊達が今日ここに来ていない理由は明白で、流石にノイローゼになりそうだったので欠席した。
 マァしかし伊達以外の全員は「ヘタレには無理」「知らん」「僕に話しかけるな」「松田にはセンスがないのかも」「やめとけ」「逆プロポーズを待て」「ちくわ大明神」と適当な返事しかしていないのは事実であり──、というか伊達以外の全員がプロポーズ童貞のためロクなアドバイスができていないのが現状だった。

 というワケで。

「え、ちょっとアタシ仕切っていい? みんな今回だけガチで松田の相談乗ってあげよ。…で、トロピカルランドでのプロポーズに失敗したらこの松田はダナンの海に沈めればいいじゃん。ね、一回だけやったげようよ」
「廣瀬ぇ…」

 もう一人のプロポーズ(された側)経験者──廣瀬が仕方なく立ち上がるのだった。
 なに、廣瀬は昨日カノピ側の証言を聞いてしまっている。これ以上拗れると本当に面倒になることなど容易に想像がついたからだ。
 これに松田はもう一度「廣瀬ぇ…」と情けない声で鳴き、それからクッと瞳に力を入れて野郎どもの顔を見回し──、

「これでうまくいかなかったら禁煙する」
「…は?」
「陣平ちゃんが?」
「あの松田が?」
「マジ?」
「アンタ一日何本吸ってたっけ」
「一箱半から二箱」

 己の決意を口にした。
 どんなに周りから煙たがられても決してやめなかったタバコをやめようとしているのだ。
 これは非喫煙者からしてみれば「そんなことか」と思うだろうが、チェーンスモーカーからしたら一大決心なのだ。正直ダナンの海に沈むよりもつらい。

 その証拠に、いつメンたちは「マジか」の顔でお互い目配せをし合い、松田の今回の作戦にかける気合を知るのだった。

「…分かったよ」
「…今回だけだよ松田」
「…しょうがねーな。研二くんが一肌脱いでやりますか」

 諸伏、降谷、萩原が「やれやれ…」となろう系主人公の顔で首などを擦った。
 ただプロポーズの相談に乗るだけなのだが、己にキツい枷を課した松田がちょっとカッコよかったのだ。だから(なぜか)この三人にも火がついた。
 だので諸伏は頭の後ろで手を組んで天井などを見上げ、降谷は頬杖をついて肩を竦め、萩原は松田の肩に手を置いて「任せとけって…」とカッコいい声でカッコつけていた。

 そして、この男も。

「しょうがねーな。…ちょっと待ってろ」

 芹沢はスマホをぺたぺた弄り、「情報は多い方がいいからな…」とカッコいい声で続けた。

「何? 情報?」
「ウン。ターゲットの最新情報ありきの方が良いだろ」
「…だから?」
「オレ何度も言ってるじゃん。ウチには諜報部員がいるって」

 芹沢が言い終わらないウチに個室の外からパタパタ…と二人分の足音が聞こえた。

「来たな」

 襖が外から開き、ちいちゃな男女二人がふうふう頬を赤らめながら頭を下げた。

「お待たせしました!」
「え早」
「全然お待たせされてないかも…」
「会員ナンバー25。ティモンです」
「名乗らなくてもティモンちゃんのことは知ってる」
「協会では発言前に毎回会員ナンバーと通名を名乗るルールなんだよ」
「ルールキモ」
「会員ナンバー9。ひよこです」
「誰」
「諜報部員の見習いです。現在はティモンくんにノウハウを教わっています」
「礼儀正しッ」
「どうしてもマドンナちゃんの役に立ちたくて…」
「健気で好感が持てるな…」
「マァ緊張するしマジで神々しすぎてマドンナちゃんと話せたこと一回もないんですけど」
「そういう子からすると俺たちってどうなの?」
「虫」
「虫!?」
「あ、ちなみに皆さんの同期ですよ。同じ教場です」
「そうなの!?」
「だから警察学校時代から皆さんのことは虫だと思っていました」
「八年間も虫だったんだ俺たち…」
「あ、ひよこっちじゃん」
「あ、廣瀬ちゃん(虫)の知り合いなんだ…」
「え、同僚笑」
「ひよこちゃん交通課なの!?」
「何でビックリしてんの?」
「交通課ってギャルしかいないと思ってた…」
「僕も…」
「その偏見今スグやめな」

 ティモンくんはご存じの通り、マドンナちゃんと同じ諜報部所属の同期であり、ぴょこぴょこ立ったアホ毛・ちいちゃくてひ弱な体型・丸くて大きな目・オーバーサイズのワイシャツ・萌え袖・坊ちゃん刈り…というショタ@v素てんこ盛りの男の子だ。
 地味でかわゆい見た目とは裏腹に仕事はカッチリこなし、諜報活動においては右に出るものはいない。

 そしてもう一人の女の子、ひよこちゃんは。
 ティモンくんよりもさらにちいちゃな女の子だった。
 ボブカットの外ハネの黒髪。つぶらな瞳。薄ピンク色のまるい頬は小動物を連想させる。
 警察学校入学時にマドンナちゃんに一目惚れし、協会が発足してスグに初の女子会員になった女である。
 今はたくさんいる女子会員たちを束ねる役目をしているが、それ以外にも役に立ちたい! とワガママを言って最近ティモンくんに弟子入りした。

 二人はピシッと姿勢を正し、白地にファンシーなピンクの文字で「マドンナ協会 会員証」とデカデカ書かれた会員証を印籠みたいに見せた。
 それぞれ会員ナンバーと会員名がキッチリ印字されていて、左側には一人の女の真顔の写真がむん、と載っている。  マドンナちゃんの警察手帳の写真だ。

「待って何ソレ。会員証?」
「そうだぜー。マドンナ協会会員証。かわいくね? デザインはプロに頼んだんだぜ」
「この写真はマドンナちゃん提供? よく提供してくれたね」
「………」
「おい」
「芹沢?」
「ごめんなさい警視庁のデータベースに侵入して勝手に拝借しました」
「犯罪じゃねぇか」
「ティモンが」
「罪を擦り付けるな。首謀者はお前だろ」

 降谷が厳しい声で言うが、これが咎められるのであれば先日の殲滅作戦に携わっていた全員が地下牢獄に収監され、ニコニコハッピー獄中生活を強いられるだろう。

 さてティモンくんとひよこちゃんは懐からA4の書類の束を取り出し、それぞれ芹沢と降谷の横にずい…と座り、机の上のジョッキや皿を退かして紙の束を置いた。

「何これ」
「マドンナちゃんの最近の好きな食べ物や買ったもの、今ハマっていると言っていたテレビ番組や曲を集めた資料です。会長から頼まれてお届けに来ました」
「怖。そんなのも纏めてるの?」
「マドンナちゃんのことならどんな些細な情報でも集めていますよ」
「諜報能力の無駄遣い」
「これどうすんのひよこっち」
「マドンナちゃんの最近の好みは知っといた方がいいじゃないですか。花束送るなら何の花束にする…とか」
「なるほど」
「というか松田が彼女と結婚を考えてることを当然のように知ってるんだな」
「ゼロくん、あまり僕のこと舐めないで欲しいかも…」
「ごめん師匠…」
「マァわたしに言わせればマドンナちゃんにプロポーズなんて千年早いんだよド三流が…って感じですけど」
「さっきも思ったけどひよこちゃんって意外に毒舌」
「芹沢と言ってることが一緒だね」
「…もしかして俺ってお前らに嫌われてんのか?」
「え、少なくともわたしは嫌いです笑」
「俺らのこと虫って言ってたもんね笑」
「松田くんは虫以下です笑」
「ちなみに何?」
「土」
「土…?」
「ダハハハ」

 項垂れた松田は置いといて。
 いつメン+諜報部員二人は笑いながら追加の酒を頼み、書類を回し読みしながらプロポーズの作戦を和気藹々と語り合うのだった。

 なに、ニンゲン誰しも作戦を立てる時が一番楽しいのだ。修学旅行の回る場所を決める感覚に近い。
 しかもテーマがプロポーズ≠ネんていう大それたもので、オマケに当事者が同期で一番ビックなカップルなのだから。


 ──こうして。


 全てを勘違いしたマヌケな女と、
 全てが空回っているマヌケな男による、
 一世一代の遊園地デートが幕を開けることとなったのである。

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