江戸川コナン。探偵さ





「んー…」
「オイ、まだ寝ねぇの」
「…ンー、」

 飲み会の翌晩。午前零時である。
 松田は一向に寝室に来ないカノジョに痺れを切らし、私室の扉をノックした。
 返事はなかった。部屋の中からエンドレスに聞こえるウンウン唸る声に松田の言葉は掻き消されているようだ。

「…ウワ、」

 部屋の中はド修羅場中の漫画家みたいな有様だった。
 カラフルなペンと蛍光マーカー、ぐしゃぐしゃに丸められた紙が至る所に転がっている。
 デスクの上には山のように積まれた資料。床にも投げ捨てられた資料が散らばり、所々付箋がついている。
 その資料の山に埋もれるように、前髪をチョンマゲに結ったカノジョがぬーぬー鳴き声をあげながらキャンパスノートにチマチマ文字を走らせているのだ。
 時折弾かれたように床を眺め、資料を手に取って付箋を貼り、ブツブツ呟きながら床に投げ捨てる。

 夕飯を食べ、風呂に入り、「ちょっとお部屋で作業するね」と私室に篭ったのはつい二時間ほど前。
 たった二時間でこの有様になっているのだった。

「な、にしてんだ?」
「…え? あ、陣平。ごめん何か言った?」

 松田の存在にたった今気付いたマドンナちゃんは「ん?」という顔で首を傾げた。
 すっぴんの彼女は実年齢よりもグッと幼く見える。それがまたかわゆくて仕方ないのだが、今の松田には「かぁわい…」と思う余裕がミリもなかった。
 だってどう考えてもこの部屋の有様は狂気≠ナしかなかったのだから。

「…あぁごめん結構散らかっちゃった。私いつも集中するとこうなっちゃうの」
「何に集中してたんだよ。仕事か?」
「時間外労働及び違法捜査」

 松田の視線で全てを察したなまえは「ほら、昨日の飲み会でみんな心配してたでしょ?」と続けた。

 ここ数ヶ月音信不通になっている同期二人のことを調べているのだ。
 調べた結果何もないならそれでいい。もし二人が本気でやばい¥況なら何がなんでも助けたい。

 だから調べることにした。
 公安関係の情報は厳重な保護がかかっている。
 ので、無理矢理警視庁のデータをハッキングし(違法)、仕入れた情報を印刷し(違法)、勝手にテイクアウトし(違法)、それを整理しまとめている。

 全てがアウトな違法作業だが、なまえにとっては合法なのだ。
 だって数年前も同じようなことをやっていたし。
 その時は四年間も続け、結果としてカレシの爆死を未然に防いだし妖精さんとして崇められたし。

 マァつまり、どれだけ違法なことをやっても結果さえ出せば良いと思っているのだ。
 警察官の風上にも置けない思想だが、それが努力の化身・マドンナちゃんなのだからしょうがない。

「…お前なぁ…」

 松田はとっ散らかる部屋の中を眺め、足元に転がるチマチマ文字が書かれた資料を眺め、チョンマゲ姿の愛しい女を眺め、深いため息をついた。
 心配と呆れがちょうど半分ずつのため息だ。

 この女が努力家なことは警察学校時代から知っていた。
 伊達に好かれるために頑張っているのを真横から見ていたし、交番実習の時もその片鱗を見た。
 妖精さんのカミングアウトの時も──上司たちに噛み付いたあの事件である──素直に「すげー…」と思ったのだが。

 その努力の過程をマジマジと見るのはこれが初めてだった。
 端的に言って、こんな泥臭い作業だとは思わなかったのだ。
 少し考えれば分かるはずだった。業務時間外に数多の情報を収集し、まとめ、考察していたのだ。並大抵の努力では成し得なかっただろう。

 萩原の仇打ちに燃える自分を救うためにもこんな努力をしたんだろうか。
 四年もの間。
 たった一人で。

「俺に何か手伝えること、あるか?」

 咄嗟に口から溢れ出た本音。
 カノジョの役に立ちたくない男なんてこの世のどこにもいないのだ。

 さてマドンナちゃんは驚いたように目を見張り、続けてパッと花が綻んだようにかわゆく笑った。
 今まではたった一人で努力してきた。一人の方が身軽で楽だったが、孤独で寒いと感じることもあったから。
 純粋に、カレシの申し出が嬉しかったのだ。

「えとね…今は大丈夫なんだけど。…でもね、」
「おう」
「もし必要になったら、頼ってもいい?」
「あたりめーだろ」

 今更ナニ言ってんだ、とでも言いたげなそのセリフになまえは再び頬を緩ませた。
 大好きで頼りになるカレシが近くにいる。いつでも頼っていいと言ってくれる。こんなに心強いものはないのだから。

「あ、あとね…」
「あ?」
「…えっと……」
「なんだよ。言えって」
「…が、」
「が?」
「がんばれって、言って」

 チョンマゲ姿の妖精さんは恥ずかしそうに俯いた。頬は桜色に染まっていて、ルージュも引いていないのに真っ赤な唇が期待を孕んでふくふくもちもち動いている。
 松田は咄嗟に「かわいッ!」と我を忘れて叫び、イカンイカンと頭を振って邪念を捨て去った。
 危うく資料を薙ぎ倒して抱きしめてしまうところだったのだ。

「──がんばれ」

 強く囁かれた其れに。
 なまえは気合いの入った強い瞳で頷いた。
 長い睫毛がバチッと瞬き、先程まで緩んでいた唇が引き締まる。

 大好きな人が応援してくれるのだ。
 それだけで。その気になれば何だってできる気がした。







「いらっしゃいま、…せ」

 春の柔らかな陽射しが降り注ぐ土曜日の午後である。

 米花町の大通りに面して建つ喫茶店・ポアロ。
 ランチタイムが終わり、店内の活気も落ち着いた頃。

 カラン、と小気味よいベルの音とともに空いた扉に視線を向けた店員──安室透は「ぁ、」と小さく声をあげて固まった。
 金髪に褐色肌。蒼の瞳にスッと通った鼻筋。
 瞬きをする度に髪と同じ色の長い睫毛がバチッと煌めき、彼目当てで店に来る女子高生やマダムたちは桃色の吐息を零す。

 そんな美丈夫の瞳に映ったのは。

「…すみません、一人なんですけど入れますか?」

 自分が昔、恋焦がれた麗しの薔薇乙女の姿だった。
 警視庁警察学校第104期の同期。親友のカノジョ。元・警視庁の顔。警視庁の妖精さん。
 目の覚めるような美貌が遠慮がちに自分を窺い、小首を傾げる。艶やかな長い髪がサラサラ音を立てて揺れた。

「、あ。すみません。入れますよ。どうぞ」
「ありがとうございます」

 一瞬だけ固まって、スグに安室透≠フ仮面を付け直した。
 いけないいけない。ポーカーフェイスはこの数年で得意になったはずなのに。

 現在の客は彼女と近所に住んでいる少年だけ。オマケに彼は現在トイレに行っているため、店内には彼女と自分しかいない。

 ──久しぶり。
 ──元気だったか?
 ──連絡を返せなくてすまない。
 ──どうやってこの店まで辿り着いたんだ?
 ──君のことだから、また公安のデータベースを見たんだろう。

 彼女にかけたい言葉が胸中から喉元にかけて競り上がってくる。
 が。すんでのところでグ、と口を噤んだ。
 どこで誰が見ているかわからないのだ。危険な綱渡りはしないに越したことはない。

「………」

 安室は今一度気を引き締め直すと、彼女が頼んだアイスティーとハムサンドを手早く作り、トレーに載せた。

 きっと彼女は、全て調べたのだろう。
 いけない人だ。
 三年前。あのロシア系爆弾魔の確保の時もそうだった。
 彼女は公安が管理する秘匿データベースに難なくアクセスし、見事犯人の正体をその場で突き止めたのだ。
 あの時は大目に見たが、やはりお灸を据えておくべきだったのかもしれない。
 …マァどう言っても聞く耳を持つとは思えないが。

 半ば諦めに近い表情で肩を竦め、シラーッとした表情で頬杖を付いて店内を眺める女──マドンナちゃんの元へ向かった。

「お待たせしました。ハムサンドとアイスティーです」
「ありがとうございます」

 薔薇の乙女はパッと華やかに笑って身体を起こした。
 懐かしい上品な香りが安室の鼻を擽る。シャネルの19番。彼女が愛用していた香水の匂いだ。

「…元気そうでよかったわ」
「!」

 グラスと皿を置き、ごゆっくりどうぞと頭を下げた時だ。
 消え入りそうな桜色の声で囁かれ、大きく蒼色を見開いた。
 はじかれたように顔を上げる。なまえはシラーッとした顔でアイスティーをかき混ぜていた。

 安室の視線に気付いたなまえはニコッ! とその他大勢に向ける笑顔を向け、再び何事もなかったかのようにアイスティーにガムシロップをデロデロ入れ、ストローでかき混ぜた。
 完全に他人≠ノ向ける態度である。

 ──あぁ、やはり彼女は全部分かっているんだ。

 安室の中で、降谷零が笑った。
 自分が今どういう立場にあるのか。何故喫茶店で働いているのか。

 きっと仲の良い同期たちも心配してくれているのだろう。メッセージの通知は切っているし既読もつけていないのだが、確か数日前に飲み会をする予定があったから。
 だから代表して彼女が自分の様子を見に来てくれたのだ。

「心配かけてすまない。ありがとう」
「っ、!」

 今度はなまえが大きく目を見開く番だった。
 パッと顔を上げて。自分を見下ろす勝ち気な蒼色に溶けたように笑った。
 彼の瞳が灯す光が、安室透ではなく降谷零の色だったから。

「…では、ごゆっくりどうぞ」

 降谷は一瞬で安室の顔に戻り、恭しく頭を下げた。
 なまえもその瞬間笑みを消し、「どうも」とその他大勢に向ける興味なさげな顔で会釈をし、視線を逸らした。

 ──聡いヒトだ。

 安室はカウンターの奥から彼女が座るテーブルを見つめた。
 全てを知った上で、降谷の仕事≠フ邪魔をしないように振る舞う姿に。

 ──だから、好きになったんだろうな。

 心の底で眠っていたカタマリがジジ…と音を立てて燻った。

 もうあれから何年も経つ。
 好きになったキッカケは思い出せない。
 綺麗な子だな。というのが第一印象で、教官から雑用を押し付けられる内に話すようになった。
 いつの間にか目で追いかけるようになった。
 彼女が女子首席の座に一切の胡座をかくことなく、努力をしている人だと知った。

 いい子だな、と思った。

 いつだったか。ある時フと、自分と同じように彼女を目で追いかけている[[rb:男>松田]]の存在に気付いた。
 その時にはもう、降谷は彼女のことが好きだった。
 親友でありライバルでもある松田には絶対に負けたくなかったが、心のどこかでは自分の想いは実らないのでは…と諦めていた。

 だって自分が好きになった時には、既に恋敵の方が彼女に近かったのだから。
 案の定きっぱりとフられ、彼女の心は親友のものになった。

 あの時は悔しさと情けなさと寂しさでだいぶ苦しんだが、すっぱりと負けを認めて立ち直った。
 もう自分が入る隙などないことは分かり切っていたし、そもそも最初から勝ち目などなかったのから。
 ので、潔く身を引き。親友との恋路を見守ろうと決めた。

 つもりだった。

 でもこうしてフとした時に思い出す。
 心のどこかでは「まだ」と思っている自分がいることに。



「あれ? お姉さんって警視庁のマドンナさん≠セよね?」
「…コナンくん?」

 センチメンタルな想いは幼い少年の声で吹っ飛んでいった。
 トイレに入っていた近所の子ども──江戸川コナンが帰ってきたからだ。

「そうよ。ボクよく知ってるわね。私が持て囃されていたのは三年も前なのに」
「えへへ」
「お名前は?」
「ボク、江戸川コナン!」

 コナンくんはニコニコおぼこい笑みを浮かべながら「ねぇお姉さん、ボクもここ座っていい?」とマドンナちゃんの返答も待たずに彼女の向かいの席にポテ…と座った。
 どこからどう見ても美人のお姉さんに懐いた早熟男児だ。微笑ましい光景である。
 がしかし。彼が純粋にマドンナちゃんに懐いたワケではないことくらい安室にはスグにわかった。

「安室さん! ボクのアイスコーヒーここにして!」
「はいはい」
「お姉さんはこのお店初めて? 安室さんと知り合いなの?」

 やっぱり。
 安室は探るようなコナンくんの視線にため息を零し、気付かれないように一瞬だけマドンナちゃんを盗み見た。

 彼は自分が安室透ではないことを知っている。
 例の組織に潜入している警察官であることも、本名が降谷零であることも。

 その上で、警察官として有名なマドンナちゃんを探っているのだ。

 もしかして彼女も組織に潜入しているのか? とか。
 その場合のコードネームは? とか。
 このお姉さんに取り入ることができればもっと組織の内情を知れるかも。とか。

 コナンくんの脳内を読むのは容易かった。

 しかし相手はあの警視庁のマドンナちゃんだ。
 ピクリとも眉を動かさず、キョ…トンと首を傾げてから。

「初めてだけど…」

 と、心の底から何も知らない女の顔で言いのけたのだ。
 彼が何を探っているのかは知らない。が、決して降谷には迷惑をかけてはいけない。
 その矜持が彼女を女優にしたのだ。

「そっか…」
「ふふ。そんなに女の一人客が珍しい?」
「…んーん。別に。安室さん目当ての女の人よく来るし」

 コナンくんは不貞腐れたようにため息をつき、アイスコーヒーのストローをちゅうちゅう啜った。
 きっとこのお姉さんは安室さんが同じ警察の人って知らないんだ。本当は同僚なのに。つまんないの…と。
 完全に女優の演技を信じたのだ。

 そんな、彼のあどけない顔をジ…と見たなまえは「あら」と思う。

「コナンくん、どこかで会ったことある?…ずっと前に」
「え?」
「どこかであった気がして…」
「えどこだろ…あ!」

 コナンくんは口の端からストローを落として叫んだ。

『大丈夫? 二人ともビショビショだねえ』

 脳裏に、タオルを差し出すお姉さんの姿が過ぎった。
 公園の水道管を破裂させ、途方に暮れていた自分たちを助けてくれたのだ。

 あれは七年近く前のことだったか。
 まだ、コナンくんがコナンくんじゃなかった頃の話だ。

『マドンナちゃん相変わらずタラシだねぇ…』
『萩原くん、そんな意地悪言うならタオル貸してあげないからね』
『嘘嘘、悪かったって』

 軽口を叩く色男を一瞥もせずにタオルで濡れた頭や顔を拭いてくるお姉さんに、自分と幼馴染はドギマギと身体を固くさせたのだ。
 そうだった。確かあの時、あのお姉さんはマドンナちゃん≠ニ呼ばれていた。

 ──この人だったのかよ!

 テレビで見た時には何も思い出さなかったのに。
 たった今鮮明にあの時のことを思い出したのだ。

「…い、いや、初めましてだよ」
「え、ウソ。絶対いま何か思い出したでしょ」
「そんな、まさか…ハハハ…」
「うーん…私、記憶力には自信あるんだけどな」
「へ、へ~…そうなんだ…」

 コナンくんはなまえの視線から逃れるように顔を逸らした。

 言えるワケがない。自分が七年前に彼女に助けてもらった子どもで、今は組織から飲まされた薬で当時と同じ姿になっていることなんて。
 ましてや、幼馴染と二人してお姉さんにドギマギし、あの後しばらく毎日のように公園に通っていたなんて。

「ボ、ボク帰るね!」
「え、コナンくん?」
「おや。もう帰るのかい?」

 これ以上詮索されたらきっとボロが出る。
 そう確信したコナンくんは、慌ただしくアイスコーヒーを一気に飲み干し。

「ごちそうさま!」
「あれ、コナンくんどうしたの?」
「ガキンチョじゃん。何慌ててんのよ」

 入れ違いにやってきた女子高生二人を押しのけるようにしてポアロを飛び出すのだった。



「へ~…やっぱお姉さん警視庁のマドンナちゃん≠ネんですね」
「そ、そうなの。…といっても、そのあだ名は私がつけたわけじゃないんだけど」
「テレビで見るより美人でびっくりしました。え、ファンデーション何使ってます?」
「あ、気になる。基礎化粧品なんですか?」
「睫毛長ッ! え、マツエクですか? マツパ? マスカラどこのですか?」
「リップは? ちょっと待ってくださいまず何べですか?」
「蘭待って、どう見てもブルベの冬でしょこの人」

 数分後。なまえは姦しい女子高生二人組に囲まれ、「わぁ><」とぼのぼのみたいに小さな汗を散らしながら困った顔をしていた。

 帝丹高校二年生。毛利蘭ちゃんと鈴木園子ちゃん。
 そう名乗った二人は、ガシッとなまえの両手を掴んで「化粧水は」「下地は」「チークは」と質問攻めにしているのだった。

 流石の安室も彼女たちの化粧トークに入ることができず、「あわわ…」とこれまたぼのぼのみたいな汗を飛ばしながら困った顔でメニューを握りしめていた。
 まだファーストオーダーすらも取れていないのだ。

 なまえは「私自分のパーソナルカラーなんて知らない…」と目をバッテンにさせながら、マァしかし目をキラキラさせる二人を無碍にするわけにもいかなかったので。

「えっとね、パーソナルカラーは知らないんだけど、まずファンデーションはエスティローダーの…」

 と、懇切丁寧に答えていくのだった。
 それを蘭ちゃんと園子ちゃんは大真面目な顔でノートに取り、時折「そのリップの番号を教えてください」「ハイライトってどこに入れてますか?」とビシッと行儀良く手を挙げて質問した。
 美容に興味津々なお年頃。目の前の美人を参考にメイクし大変身。お友達をアッと言わせたいしあわよくばカレシにデレデレされたいのだ。

「待って髪サラッサラ! 美容院どこですか?」
「どのくらいの頻度で通ってます?」
「ヘアケア用品教えてください」
「香水も教えて欲しいです」
「た、たすけて…」

 彼女たちによる尋問は三十分ほど続いた。
 最後の方のなまえはふうふう呼吸をするので精一杯だったし、安室はその間ずっと「(´・ω・`)」という顔でメニューを握りしめていた。
 警視庁警察学校第104期の男女トップ・国家公務員試験一発合格のバケモノ%人がこの有様である。

 その二人を完封したという点では。この世で一番おそろしいのは暴走した女子高生なのかもしれない。







「ごめんなさい、興奮しちゃって…」
「めんなさい…」
「良いのよ。気にしないで」
「あまりにもなまえさんが綺麗だから…」
「本当に…」
「落ち込まないでね。ほら、アイスティー飲もうね」

 三十分後。
 漸く我に返った蘭ちゃんと園子ちゃんは机に三つ指を立てて頭を下げていた。

 なまえはそんな二人に「だいじょぶよ」「もうあやまらないでね」と優しく声をかけ、続いてカウンターの奥の安室に声をかけた。

「この子たち二人と、さっきのコナンくんの分も私につけといて下さい」

 と。少しだけお姉さんぶって(もう十分お姉さんなのだが)朗らかに言いのけた。
 なに、先日の飲み会で食べ物の好き嫌いをネタにされ、全員から子ども扱いされた腹いせである。

「そんな、ご迷惑をおかけしたのにご馳走になるなんて…」
「いいのよ」
「待って下さいよ。だったら私に払わせて下さい!」
「園子ちゃんがお嬢様だっていうのはさっき聞いたけど、それでもここは私に払わせてね。私お姉さんなので」

 武士の顔で園子ちゃんを制した。この女は「払う」と主張する時は何故か武士の顔になるのだ。

 さて女子高生はそんな武士に「かっこいい…」とウットリ目尻を下げた。
 とびきりの美人が醸しだす気取らないカッコよさに痺れたのだ。

「…ん?」

 自分をウットリ見る蘭ちゃんの顔をジ…と見たなまえは再び「あら」と思った。
 先ほどコナンくんに感じた既視感を今度は蘭ちゃんに感じたからだ。

「蘭ちゃん、私たちどこかで会ったことある? ずっと昔よ」
「え?」

 確か昔、ちょうど今の彼女と同じ表情をしたかわゆい女の子とお話しした気がするのだ。

『お姉さん…きれい…』

 脳裏を、頬をふっくら桜色に染めた女の子が過ぎった。

「「あ!」」
「え、何ナニ。二人してどうしたの」
「あの時の!」
「え、本当にあの時の!?」
「仲間に入れてよ私も」
「え~、こんな素敵なお姉さんになっちゃって…」
「嬉しい…すみません全然気付かなくて」
「私を置いていかないで!」

 完全に置いていかれた園子ちゃんは机にのの字を書いて拗ねた。
 なまえと蘭ちゃんは「わぁ~~」「え嬉し~~」と甲高い歓喜の声をあげ、体の前で軽く握った手を小刻みに振るなどした。女子特有の興奮してよく分かんないけどとにかく嬉しい時の仕草≠ナある。

 拗ねてしまった園子ちゃんのために説明すると。

「あのね。昔よ、もう五年とか前の話なんだけど。新一と公園で遊んでたら新一が水飲み場? にサッカーボールぶつけて壊しちゃったのよ」
「蘭ちゃんとお友達が水浸しになっててね、たまたま近くでキャッチボールしてた私がタオルで拭いてあげたのよ」
「わー…え、本当に懐かしい…その節はありがとうございました。え、五年前ですよね? あれ、もっと前?」
「七…くらい」
「え、そんなに前!? わー…」
「ソウダッタンダァ」

 園子ちゃんの拗ねは絶賛継続中だ。
 楽しそ~。いいな~。アタシだけ仲間外れかよ。チッ。
 心の中でモダモダ愚痴り、しまいには目を半分しか開けずに頬杖をついてソッポを向いた。

 そんな女性陣をディナーの仕込みをしながら眺めていた安室も「えッ蘭さんってあの時の子なの!?」とビックリして手を止め、そのまま片手をグーにして手の甲を口元に当てた。
 安室も──というか降谷もその場にいたのだ。だが直接的に子どもたちとは絡んでいない。
 彼女らの世話をしたのはマドンナちゃんと萩原で、自分含め他の連中は「ナニしてんだアイツら」「シラネ」「ゼロ、オレたちも行った方がいいかな?」「いいだろ別に」と無関心にキャッチボールを継続していたのだ。

 もし蘭さんが僕のことも覚えてたら…
 もしかして安室さんもいました? とか聞かれたら…
 イヤイヤさすがに僕のことは覚えてないだろう…
 でも僕、相当カッコいいしな…
 覚えてるかもしれないな…

 彼は自己肯定感が突き抜けている男なのだ。ちなみにこれは元104期男女トップの共通点でもある。

 マァしかし。降谷の(要らぬ)心配は杞憂に終わった。
 子どもの小さな脳に刻み込まれていたのは水を止めてくれたカッコいいお兄さん(萩原)と身体を拭いてくれた綺麗なお姉さん(マドンナちゃん)のみである。よかったネ。

「本当に立派なお姉さんになって…あのボーイフレンドは元気?」
「元気です! …といっても、最近事件に引っ張りだこで全然会えてないんですけど」
「事件?」
「あ。えと、工藤新一ってご存じですか?」
「えっあの工藤新一くん?」

 もちろん知っていた。
 抜群の推理力を持つ高校生探偵だ。彼のお陰で解決した事件も幾つかあると聞く。
 確か推理小説家の工藤優作と元人気女優の藤峰有希子の一人息子。
 そうか。あの時の男の子は有名人の卵だったらしい。

「さっきのコナンくんって子は工藤くんの親戚?」
「! そうです!よくわかりましたね」
「だって似てるもの」
「そうですか? …マァ確かに蘭のことが大好きなところはソックリですけど」
「ちょっと園子!」
「何よ。事実でしょ」
「も~!」

 園子ちゃんの肩をポカポカやる蘭ちゃんを宥めつつ、マドンナちゃんは「なるほどね…」と思う。
 コナンくんに既視感を感じた理由に納得したからだ。
 彼は工藤新一くんに──つまりあの時の子どもにあまりにもソックリだったから。



「本当に似てる…」
「え、なぁに? …わ!」

 その数日後。
 とある商業施設で殺人事件が起きた。そこ独自で扱っている監視カメラ映像を入手しにマドンナちゃんが現場に赴いたところ。
 我が物顔で事件現場をウロチョロするコナンくんと再会したのだ。

 コナンくんは背後から声をかけられて振り向き──、カツンと尖った美貌を目の当たりにしてしまい目を白黒させた。
 突然目の前に妖精さんが現れたみたいなもので、大体のニンゲンはマドンナちゃんに急に会うとこうなってしまう。
 マァこの反応をされるのは慣れっこなので、マドンナちゃんは大して気にすることなく「捜査の邪魔しちゃダメよ」と諭すように笑った。

「ご、ごめんなさい…でもね、被害者の女の人のカバンに変な傷がついてたのが気になって…」
「カバン?」
「ボウズ、この傷のことか?」
「確かに変ね…ちょっと芹沢さんに見てもらってくるわ」

 捜査を担当している松田と佐藤が近くに寄ってきた。
 二人の反応を見る限り、コナンくんがこうして事件現場に居合わせるのはよくあることらしい。
 さらに二人はコナンくんの言葉にしっかり耳を傾け、佐藤はコナンくんの気付きを共有するために鑑識班の元に走って行った。

 その光景は。端的に言って異常だった。
 プロの刑事が見落とした違和感にも気付く鋭い観察眼。事件を思案する真剣な横顔。二回り近く年上のオトナを動かす手腕。
 彼はマドンナちゃんの知る小学生男児≠ニは程遠い存在だった。

「このガキ、勘が鋭いんだよ」
「鋭いってレベルじゃないと思うけど…」

 マドンナちゃんの訝しげな視線を受けて松田が肩を竦めた。
 殺人事件が起こるとなぜか近くにコナンくんがいるのだ。
 初めは「ガキのお遊びに付き合うほどヒマじゃねーんだよ」と相手にすらしなかったのだが、コナンくんの洞察力や推理力に気付いてからは弟のように可愛がっている。
 尚、コナンくんのことは「死神のボウズ」と呼んでいる。なに、彼はネーミングセンスが壊滅的なのだ。

「えっ、死神のボウズってもしかしなくてもコナンくんのこと?」
「だってよ、コイツいつも現場に居合わせるんだぜ? むしろコイツが事件連れて歩いてるみたいなモンじゃねぇか」
「さいあく。なんてこと言うの」
「それを言うなら松田刑事だってよく爆弾事件に遭遇してるじゃん。今日もどこかに仕掛けられてるんじゃない?」

 目を半分しか開けずに言い返すコナンくんに松田は額に青筋を浮かべて「ンのクソガキ」と歯を食いしばった。
 マドンナちゃんは「お、同じレベルで喧嘩してる…!」と目をバッテンにした。
 己のカレシがあまりにも情けなくて幻滅したのだ。

「じ、陣平…あの、もうちょっとオトナになろうね」
「あ? 十分オトナだろーが。もうお前の知ってる喧嘩っ早い俺じゃねぇよ」
「自覚がないタイプだ…!」
「だからこうして生意気なガキ相手にもオトナの対応してんじゃねぇか。なぁ?」
「本当に自覚がないタイプだ…!」
「お姉さん、松田刑事は悪くないよ。ボクが生意気なことばっか言うから…松田刑事、いつもごめんなさい」
「小学生に気を遣われてる…!」
「おう。気ぃつけろよ」
「転がさりてる…!」

 なまえはムキャ! と顔を顰めて嘆いた。
 お家に帰ったら絶対にこころのノートを全ページ埋めさせ、道徳について講義しなくてはいけない。
 オトナになるとはどういうことなのか。イチから学び直してもらう必要がありそうだ。

 松田を揶揄うコナンくん。
 偉そうにタバコに火を付ける(事件現場でヤニを吸うな)松田。
 額を抑えてむにむに首を振るマドンナちゃん。

 そんな三人を他の刑事たちは目尻を溶かしながら見ていた。
 マドンナちゃんがコナンくんに話しかけた瞬間からずっと。
 現場検証をする手はその時から止まっている。たまに目暮から「手を動かしなさい…」と怒られるので、その度にチマチマ…と申し訳程度に手を動かし、目暮が背を向けた瞬間またデレ…と目尻を溶かすのだ。

「だめだ全く作業が進まん(仕事しろ)」
「やべ、お花畑が見えてきた(幻覚)」
「なんかこの現場いい匂いせん?(被害者の血の臭い)」
「てか松田さんとなんであんな親しげなん?(付き合っているから)」
「警察学校時代の同期らしいよあの二人(更に付き合っているから)」
「ふーん、殺そ(最低)」

 と。本来イレギュラーなハズの小学生の存在には全く興味を示さず、麗しの姫君(マドンナちゃん)と邪魔な男(松田)のことを話していた。
 マドンナちゃんの一挙手一投足に「カワイーッ!」「好きだーッ!」「生まれてきてくれてアリガトーッ!」と手が痛くなるまで拍手を送り、松田が口を開く度に「ちょっとカッコよくて同期だからって調子乗んなよ」「てかアイツの髪って鳥の巣みたいじゃね?笑」「スーツにサングラスとかダサくね?笑」と悪口を言う。
 マァつまり最低な男たちしかその場にいないのだ。

「(ほんと馬鹿なんだから…)」

 さて芹沢にカバンの鑑定を依頼した佐藤は、連中の横を通り過ぎながら思う。

 馬鹿ね。どう見たってあの二人はただの同期≠フ距離感じゃないでしょ…と。







「おかえり」
「おう」

 その日の夜。
 事件の後処理を終えた松田が家に帰ると、なまえがひょこ、と自室から顔だけ出して出迎えた。

 一足早く家に帰っていたのだ。
 昨日に引き続きお部屋に篭って膨大な資料とお話し≠オていた。
 家に帰ってからまっすぐ部屋に向かったため、グレーのスーツのまま。メイクも落としていない。

 時計を見るともう夜の八時で、なまえは「ぁごめん夕飯…!」と下唇を突き出した。
 集中しすぎて完全に忘れていた。一つのことに集中すると他が全部疎かになるのが彼女の悪いクセだった。

 マァ妖精さんとして暗躍していた時よりはだいぶマシになっている。
 あの時は平気で何徹もしていたしご飯を食べることすら忘れる日もあったので。
 松田の存在によって、なまえはギリギリニンゲンの生活≠ェ送れているのだ。

「気にすんなよ。集中したいんだろ? 俺コンビニとかで適当に買ってくるけど。何かリクエストあるか?」
「…だいじょぶ。私も行く」

 ほらこのように。
 なまえは手早くスーツからラフなパーカーとスウェットに着替え(ちなみに今日はヒヨコのフード付きパーカーである)、甘えるように松田の左腕に擦り寄った。
 
 コンビニであんかけうどんを買ってもらい、ふうふう言いながらちゅるちゅる食べた。妖精さんとして暗躍していた時は食べるのを忘れ、頭が働かなくなったら仕方なく片手で食べられるファミチキを食べていたクセに。

 カレーを秒で食べ終わった松田はふうふうちゅるちゅるするなまえを頬杖をつきながら眺め、「愛しッ…かわいッ…」と唇を緩ませ、

「ガァイ~~(かわい~~)」

 と地獄みたいな声を出した。
 もうバグってしまったのだ。

「…え? なに?」
「何でもねぇよ。話しかけるな」
「感じ悪」
「そんなこと言うな!」
「怒鳴らないで」
「悪ぃ…」
「…ていうか聞きたいことがあるんだけど」
「は? 浮気なんてしてねぇしお前しか好きじゃねぇしマジで全部誤解です」

 思わず敬語になってしまった。
 カノジョから急に出てくる「聞きたいことがあるんだけど」ほど怖いものってないのだから。
 だので、何も後ろめたいことなどないのだが、急にしどろもどろになってありもしない自分の不貞行為を隠そうとした。そんな記憶は一切ないのだが。

 マァしかしなまえはそんな挙動不審の松田をガン無視し、「コナンくんのことだけど」と本題に入った。
 松田のありもしない不貞行為など何も疑っていない。自分よりいい女ってこの世に存在するワケがないと思っているので。

「あの子って何者なの?」
「江戸川コナン。探偵さ」
「ボケないで」
「ボケてねぇって」

 松田はいたって真面目である。
 だってコナンくんはよくそうやって自己紹介しているのだから。

「あー…なんか同じ小学校のガキ共と少年探偵団もやってるし、その延長じゃねぇの」
「江戸川乱歩作品のコスプレってこと?」
「お前あんま軽々しくそういうこと言うなよ。コスプレ≠チて単語は生半可な覚悟で使っちゃいけねぇ」
「え?」
「原作あんま知らないけど流行ってるのでコスプレしましたって己の承認欲求を満たす手段としてコスプレしたりするヤツが現れるとするだろ?」
「何かすごい具体的な例え話が始まったわね…」
「そういうヤツに待っているのは死≠セ」
「物騒…」
「あとはアレだな。絶対に違う<сc。具体的に言うと、俺の警察学校時代のコスプレをするのに腕のワッペンがついてなかったりそもそも青のラインも入ってないただの水色のワイシャツ着てるバカ」
「本当に具体的ね…」
「捏造私服は気をつけろ。解釈違いが起きて暴動が起きかねない。ダサいハンカチを胸ポケットに入れるな」
「何か嫌なことでもあった?」
「分からねぇ。何も」

 完全にバグってしまった。
 だので軽々しくコスプレという単語は使わない方がいい。
 ちなみに絶対に言ってはいけない言葉は「コスプレって簡単ですよね」という言葉だ。
 その言葉をツイッタースペースなどで発言しようものなら豊富なボキャブラリーを用いて罵倒されるぞ。何の話ですか?

「マァ探偵云々は置いといてよ、あのガキはちょっと前くらいからよく事件現場に居合わせるようになって…」

 松田の話はこうだ。
 コナンくんはよく事件の現場に現れる。
 はじめの方はウロチョロする彼を「出てけ」「勝手に証拠品に触るな」「ガキはガキらしくグミでも食ってろ」と窘めてきたものの、鋭い観察眼とアッと驚く推理力を見出してから頭ごなしに怒るのをやめた。
 端的にいうと、[[rb:理解>わか]]≠轤ケられたのだ。
 ので、「またきやがったか死神のガキ」とぶっきらぼうに憎まれ口を叩きながらも、彼の発する言葉を馬鹿にせず聞くようになった。

 自分の同期にとんでもないバケモンたちが揃っているので、「コイツ(コナンくん)もそのバケモン集団の一員ってだけだろ」と受け入れたのだった。
 降谷やマドンナちゃんの存在のお陰でそういう規格外≠フ存在に慣れたのだ。

「何かアイツ見てると見た目と中身が釣り合ってねぇように見えんだよな…」
「見た目と中身が違う?」
「お前もそうだけど」

 松田は頭の後ろで手を組み、未だにあんかけうどんをふうふうちゅるちゅるやるなまえを見た。

 美しくて柔らかい見た目とは裏腹に、信念は頑固親父よりも硬く、設定した目的を達成するために努力し続ける。
 うずまきナルトより自分の言葉を曲げない忍道を持ち、ルフィより友達を大切にし、エレン・イェーガーより真っ直ぐ突き進む力がある。
 そんな、少年漫画の主人公みたいな女なのだ。

「きらい?」
「は? 好き」
「何で怒ってるの」
「怒ってねぇよ。早く食えって」

 急かさないでね。
 そう言って再びうどんをちゅるちゅるさせながら、なまえの心の中は先ほどの松田の言葉がグルグル回っていた。

 ──見た目と中身が違う

 なまえ、事件現場にいたメガネの少年がどうしても気になるのだった。


▽工藤少年・蘭ちゃんとの七年前の思い出は、2022年12月11日発刊の『警察学校のマドンナちゃんは猫かぶり』書き下ろし番外編に収録されています。(現在在庫なし)
 マァ簡単に言うと、「ハロ嫁」の過去回想シーン(萩原さんが水道止めてあげたところ)にマドンナちゃんも居合わせたよって話です。
 もし興味があったら今度の8月に再販するので是非。

Modoru Back Susumu
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -