【第二章】七年目



 なまえが諜報部に配属してから三年の月日が経った。

「ァんぱ~い」
「こんなやる気のない乾杯初めて見たわよ。ァんぱ~い」

 芹沢の気の抜けた乾杯の音頭に、廣瀬が顔を顰めてから同調した。

「お前も被せボケすんな」
「マァいいじゃん陣平ちゃん。久しぶりなんだから楽しく飲も」

 目を半分しか開けずに口の端から白い煙を零す松田のビールジョッキに、萩原がペカペカ笑いながら自分のジョッキをぶつけた。

「マァ結局全員揃わなかったけどな」
「あの二人は忙しいからしょうがないよ…」

 既に自分の分のお通しを食べ終わった伊達に、なまえは「これ(もずく)好きくないから食べる?」と自分のお通しを差し出した。

 警視庁からほど近い、安価なのにゴハンが美味しいと評判の小料理屋・五右衛門≠フ一番奥。
 完全個室のソコは、元・警視庁警察学校第104期生のいつメン≠スちの溜まり場だった。

「マドンナちゃんもずく好きくないの? かわいい」

 先ほどやる気皆無の乾杯を宣言した芹沢ケイジは、ガラッと180度態度を変え猫撫で声で目尻をフヤフヤに溶かした。

 センターパートの黒髪はウェットに固められていて、左目の下の泣きボクロがとんでもない色気を放っている。
 黙っていればとんでもなくハンサムであり、血の滲むような努力のお陰で鑑識課のエースを担うほどの実力を持っている。

 のにも関わらず、この男が三枚目の扱いをされているのは全てこういった残念な発言のせいである。つまり全部自分が悪い。

「アンタ食べ物の好き嫌いあったんだ」

 廣瀬リンカはコテで巻きすぎて傷んだ髪を人差し指でくるくるさせながら意外そうな顔をした。

 マツエク・カラコン・鬼の爪みたいな長いネイルがトレードマークのイマドキギャルだ。
 彼女は交通課のギャルコンビの一角を担っており、よく相棒の宮本由美とともに違法駐車やスピード違反の車を取り締まっている。

 ちなみにその二人ともがオタクくんに理解のないギャルなので、違反者がオタクくんだった場合「声ちっちゃ笑」「ボソボソ喋んな~笑」とイジメている現場をよく見る。
 マァそれを指摘したところで「え、そもそも違反するヤツが悪くない?笑」「ウチら悪くなくない?笑」と正論パンチを喰らうので気をつけようネ。

「もずくの何が嫌い? 味?」

 萩原研二は長い前髪をかきあげて首を傾げた。

 菫色の垂れた瞳がセクシーな色男。整いすぎた顔面と抜群のスタイル。警察学校時代はナンバーワンモテ男の名を欲しいままにし、合コンでは負け知らず。

 七年前に爆弾に吹き飛ばされて命の危険に晒され、数年のリハビリを経て機動隊の爆発物処理班に復帰した努力家であり、今でも最前線で爆弾と戦うエースを担っている。
 もちろん今も死ぬほどモテるのだが、私服のセンスが少し古い・言葉のチョイスもちょっと古いため、コイビトができたとしても「幻滅」と言われ長続きしない。
 現在はそこらへんを直して新たなカノピを作ろうと頑張っている最中だ。ちなみに前の前のカノピからは「すんまそん≠ヘ無理笑」と言われてフられたので、「すんまそん」は二度と言わないと誓った。

 余談ではあるが、彼は今の爽やかキャラからは想像もできないくらい昔ヤンチャをしていたので、未だに地元のヤンキーから「研二兄さん」と慕われている。
 彼が地元を歩くと至る所から「研二兄さんチッス!」「お勤めご苦労様です!」と揉み手をするヤンキーがワッと歓声を上げながら近付いてくる。
 ちなみにこれもカノジョからフられる原因の一つだが、萩原はまだこれに気付いていない。

「好き嫌いはよくねぇぞ。マァありがたくもらうけどよ」

 自分の前に小鉢をいそいそ持ってきた伊達航はデカい体を丸めてもずくを啜った。

 警察学校時代は問題児たちを束ねていた苦労人であり、現在はかわゆいカノジョへのプロポーズ大作戦に頭を悩ませているハッピー野郎だ。
 捜査一課でも頼れるアニキ≠ニしての地位を確立させ、凶悪犯罪者を追いかけることと将来に悩む後輩のメンタルケア、問題児だがエース級の働きをする同期のストッパーとして日々奔走している。

「お前は好き嫌いが多すぎんだよ」

 松田陣平は伊達に小鉢を押し付けた女を呆れた目で見つめた。

 サングラス越しでも分かる綺麗な深い色の瞳。すっと通った鼻筋と薄い唇が完璧な配置で収まり、ふわふわの癖毛を遊ばせる美男子。オマケにスタイルも良く、機動隊で鍛え上げられた鋼の肉体が濃紺のスーツの下に隠されている。

 三年前に捜査一課に配属し、現在は一課のエースと称される敏腕刑事になった。が、機動隊の到着を待たずに爆弾を解体する・すぐタバコを吸いにいなくなる・被害者だろうが舐めた態度を取ってくるヤツには「あんだテメェ」と喧嘩腰で挑む…と警察学校時代同様に問題行動も多く、相方の佐藤美和子や同期の伊達に多大な気苦労をかけている。
 がしかし当の本人は「は? 問題行動? あにが(なにが)? 犯人捕まえたんだからよくね?笑 つかタバコ吸っていい?」と全く改善する素振りはない。付いてこられない弱者は去ればいい。これは選民だ。と本気で思っているのである。

 そんな最悪が唯一頭が上がらず、ご機嫌を取り、かわゆいかわゆいと目尻を溶かす相手が一人だけいる。

「ニュルニュルが嫌なんだもん…」

 その女こそが、今しがた伊達に好きくないもずくを押し付け、松田に呆れた目で見られている女である。

 真っ白な肌に熟れた唇。宝石の瞳が長い睫毛に縁取られてバチッと輝き、それがすっと通った鼻筋とともに完璧な配置で収まった小さな顔。
 天使の輪がついた長い髪は動く度にサラサラ音を立てて揺れ、近くにいる者を惑わす色香を放つ。

 マァつまりとんでもない美人であり、容姿だけでなく警察としての実力もしっかりと兼ね備えたオンナである。俗に言う逆ハーに憧れる少女が考えた最強夢主≠ノ該当する。

 警察学校では女子トップの成績をキープし続け、学園対抗体育祭の格闘技大会で優勝し、交番実習では歌舞伎町の治安をひっくり返した。
 警視庁に入庁してからは警察の顔≠ニしてお茶の間を賑わせ、その傍らで三年前の悪夢を未然に防ぎ、妖精さんになり、内示をひっくり返して(上司を脅して)新部署を立ち上げさせた。
 呼ばれた名前は警察学校のマドンナちゃん∞歌舞伎町の女神様∞警視庁のマドンナちゃん∞警視庁の妖精さん≠ネど数知れず。

 マドンナ協会──警察学校の姫というか女神というか妖精さんというかマドンナちゃんを守る会という名前の酔狂な組織も存在し(現在は警視庁の姫というか女神というか妖精さんというかマドンナちゃんを守る会≠ノ改名している)、その会長を務めるのが先ほど目尻をフヤフヤに溶かしていた芹沢である。
 会員数は現在百人を余裕で超え、警察関係者のみならず一般のニンゲンも多数所属しているという。どういう勧誘を行ったかは謎だが。

 そんな、完璧超人みたいな実績を持つマドンナちゃんだが、決して彼女自身が完璧なワケではない。
 容姿だけは持って生まれたものだが、警察学校での武勇伝や警視庁での活躍は本人の血の滲むような努力の結果である。
 元来不器用かつ暗い性格で、今のポジションは努力だけで文字通り勝ち取った′級ハである。
 もちろん努力も才能がないとできない。そういう意味ではなまえもまた非凡な人間なのだった。

「ニュルニュルって擬音がかわいッ。ごめんマドンナちゃんもっかい言ってくれる? 録音して目覚ましにするから」
「ヤ」
「芹沢ァ…セクハラでコンプラ相談室にタレこまれてぇのか」
「あー出ましたセコム。笑 マドンナちゃんまだコイツと付き合ってんの? 早く大谷翔平に乗り換えなよ。そろそろアイツ帰国するって」
「何度も言うけど大谷翔平には勝てねぇからマジでやめろって」
「え、松田でもオータニに勝ってるトコあるぢゃん」
「え、陣平ちゃんでも大谷に勝ってるところあるって」
「どこだよ」
「毛量」
「肺の黒さ」

 廣瀬と萩原は「ダハハ」とブサイクな笑い声を零してから項垂れる松田を写真で撮り、それぞれ#イジメ∞#地獄∞#知らんけど≠ニハッシュタグをつけてインスタにアップした。なに、この二人は松田をイジるのが三度のメシよりもお母さんの手料理よりも好きなのだ。

 マドンナちゃんが松田のコイビトになったのは警察学校の卒業式。
 お互いの親友の恋が実ったと知った時の廣瀬と萩原は自分のことのように喜び、一生この二人を応援しようと心に誓った。
 のだが、カノジョにベタ惚れしスグにセコムを発動させる松田が面白すぎるのでこうしてイジり倒しているのだ。世間一般ではこれはイジメと言う。だって二対一なのだから。

 ちなみにこの二人が付き合っているという事実は未だに限られた人間しか知らない。
 知っているのは104期のいつメンたちと諜報部のメンバー、あとは捜査一課の佐藤と交通課の宮本くらいだ。

 警視庁の顔をやめてからは、カレシの有無もそのカレシが誰なのかも一切隠してはいないのだが。
 マァ自ら公表するのも変だし聞かれたら答えようくらいのノリでいた。

 しかし残念ながら誰からも聞かれないのである。
 これはマドンナちゃんガチ恋勢が「マドンナちゃんにカレシがいようもんなら自殺しよ!もしくはそのカレシを殺そ!」と心の底から思っているためであり、マドンナちゃんにカレシの存在を問おうとするニンゲンを片っ端から粛清(物理)しているからである。知らぬが仏というワケだ。
 そんなことは当の本人たちは知る由もないが、世の中には知らない方がいいことの方が多い。つまりWIN―WINの関係なのだ。
 松田に至ってはカノバレした瞬間殺されるリスクがあるため、むしろこの膠着状態に一番助けられていると言っても過言ではない。

「廣瀬、萩原。ほどほどにしてやれよ」

 もずくを食べ終わり、二杯目のビールに口をつけた伊達が呆れながら言った。
 伊達は(一応)松田の保護者枠なので、二人に虐められている松田がちょっと可哀想になったのだ。
 マァ三十手前のニンゲンに対して保護者もクソもないのだが。

「えっアタシらが悪いの? こんなに楽しいのに? アタシ悪くなくない?」
「廣瀬ちゃん正直すぎ。俺はちょっと反省したわ。ごめんね陣平ちゃん」
「待って手のひらクルクルやばすぎてウケてる。どした?」
「なんかあったん?」

 殊勝な顔をして黙った萩原に、廣瀬と芹沢が首を傾げた。
 そんな二人に萩原は「あ~イヤ、大したことでは…」と誤魔化すように笑い。
 セブンスターのソフトパックを人差し指でトントンさせた。
 普段は「どしたん? 話聞こか?」をする立場なのに、されるとトコトン弱いのである。
 つまり、何も聞いてほしくないしこの話題から逃げたいし放っておいて欲しいのだが、躱し方がイマイチ分からなかったのだ。

「萩原くん元気ない…? 大丈夫?」
「どうした?」

 続いてマドンナちゃんと伊達が目を合わせ、廣瀬と芹沢同様に首を傾げた。
 どう見ても萩原の様子がいつもと違ったし、明らかに凹んでいるのである。

 がしかし萩原は答えない。触れてほしくないな~の顔でずっとセッタの袋をトントンしている。
 ので、仕方なく松田が口を開いた。埒が明かないと思ったからだ。

「カノジョと別れたんだと」
「あ、そなの…」
「いつだ?」
「ていうかどの子? コロコロ変わりすぎて分かんねンだけど」
「え、あの『すんまそん≠ヘ無理笑』ってフられた子?」
「その後別の子とお付き合いしてたよね? えっと…確か機動隊の事務の子じゃなかった?」

 マドンナちゃんの記憶通り、すんまそん絶許の子と別れた萩原は事務の子と付き合った。
 おとなしくて目立たない子だったが、チマチマしてかわゆいな~…と思って口説いたのだ。
 しかし一週間前にフられた。ちょうどエイプリルフールの当日に。

「もしかして萩原、『他に好きな人ができた』とか言った? あのテの嘘つくヤツのことオレ結構軽蔑すんだけど」
「本当にそう。何もおもんないし死んだ方がいいまである。流石のアタシもサトシぴにそんな嘘言われたらフツーに引くし」
「おもんない嘘といえばアレもそうだな。不治の病、急な地方異動とか」
「多額の借金ってのが抜けてるわよ」
「最悪。センスがない。おもんないヤツはおもんない嘘ついてねーで黙ってろバカが。二度と喋るな」
「廣瀬と芹沢はエイプリルフールに何か嫌な思い出があるのか?」
「ない笑」
「全部想像で悪口言ってる笑 …で? 萩原はどのパターンの嘘ついたん?」
「どれでもねーって! 俺もそんな最低でおもんない嘘つかねーよ。…ただ、」

 付き合って数週間。初めてのエイプリルフール。
 カノジョちゃんに何かしら嘘をつこうとしたのだが、どうせならポップで面白い嘘をつこう、笑って「ヤだもう~」と肩とかを叩いてもらえるような…とグルグル考えた結果。

『ここが俺のアナザースカイ! 爆死しかけたマンションだよ~!!』

 と、全然関係ないマンションの下で最低最悪な嘘をついてしまった。
 サイコパス大喜利のナオトインティライミみたいに両腕をバッと広げて。満面の笑みで。

 結果としてカノジョちゃんからバチクソにキレられ、「サイッテー! 死ね!」とフられた。
 だってそのカノジョちゃんは萩原が入隊した時からの先輩事務であり、萩原が大怪我した時もリハビリ中もずっと健気に見守ってくれていた事務ちゃんだったからだ。

「……」
「え、さいてい…」
「ダハハハ」
「えっマジ? オレちょっと萩原のこと見直したわ」
「いやソレ。ロックンロールすぎてウケてる」

 ドン引きする伊達となまえは正常である。
 がしかし、松田・芹沢・廣瀬は「ダハハ」「すげ~」「ロック笑」と大笑い。常人と狂人の線がキッチリ引かれた瞬間である。
 松田に至ってはこの話が好きすぎて何度も萩原にこの話をするようにせびり、毎回目尻に涙が浮かぶほど笑っている。
 もうあの忌々しい事件から七年近くも経つのだ。喉元過ぎれば何とやらとはまさにこのことだった。

「イヤおもしろすぎでしょ。こんな身体張れるギャグ中々ないわよ」
「マジでそう。今年一番面白いんだけど」
「ちげぇんだってこの話まだ続きがあんだよ。な? ハギ」
「…元カノ実は上司と不倫してたらしくって…ソレがバレて三日前に警察やめた」
「ダハハハハ」
「えっそれマ!? どの立場で萩原にキレてたん?」
「やばいお腹痛いむり」

 ヒィヒィ笑いながらデーブルをダンダン叩き、その衝撃で取り皿の上に置いていた割り箸が落ちる。

 控えめに言って地獄みたいな状況にマドンナちゃんと伊達は「最低」「最悪」と顔をシワクチャにし、どちらからともなく視線を合わせた。
 もう連中と関わりたくなかったのである。
 今スグにこの場を去りたいしヤツらと一緒にいるところを誰にも見られたくないしお友達関係を解消したいとさえ思った。

「私たち変じゃないよね?」
「正常だろ。…きっと降谷も諸伏も俺たち側に立つだろうよ」
「そうであってくれなきゃやだよ…」

 二人して示し合わせたかのように「元気出せ~!」「心を燃やせ~!」「煉獄さんは負けてない!」と騒ぐ連中に背を向けた。
 会話に混ざりたくないし視界にも入れたくなかったからだ。

「ていうかアイツら最近どうなんだ? 俺はここ半年近く会ってないけどよ」
「私も全然会ってないよ。たぶん伊達くんと同じだと思う。忘年会が最後?」
「あー…そうだわ」

 あれは確か四か月ほど前。
 ちょうどこの店で会ったのが最後だった。

 警察官として各々が重要なポジションについているため中々時間が合わず、集まる頻度はグッと減ったいつメンたちだったが、去年の忘年会は奇跡的に全員が揃ったのだ。
 三時過ぎから飲み始め、午後九時には全員がベロッベロに酔っ払い、口々に来年の抱負を叫んでいた。

『来年こそはカノジョと長続きする!』
『来年こそはカノジョにプロポーズする!』
『来年こそはサトシぴにプロポーズされる!』
『来年こそはマドンナちゃんが人間国宝として表彰される!』
『来年こそは芹沢くんに分別をつけてもらう!』
『来年こそは芹沢を黙らせる!』
『来年こそは車を壊さない!』
『来年こそは全員でどこかに旅行に行く!』

 という具合で。全員が回らない呂律で宣言していた。
 お分かりの通り、萩原・伊達・廣瀬・芹沢・マドンナちゃん・松田・降谷・諸伏という順番である。

 萩原の抱負は先日のエイプリルフールで粉々に砕け散った。チャンスはまだあるので頑張っていただきたい所存である。
 伊達は現在プロポーズ大作戦の計画中。廣瀬はこれみよがしに毎月ゼクシィを購入していることから、その時≠ヘ近々くるだろう。
 芹沢についてはノーコメント。この男は警察学校時代から何も変わっていないので。
 なまえと松田も右に同じ。この二人はただの芹沢被害者の会≠ネのだから。
 降谷のは抱負というよりも自分の決意である。彼はよく無茶をして愛車を大破させがちなので。
 諸伏の言う全員≠ヘいつメン全員を指していた。実は何度か旅行の企画はあったのだが、その度に誰かしらの仕事が入り白紙になるのだ。

 マァこの宣言をシッカリ覚えている人間は店員さんくらいである。なぜならいつメン全員がベロッベロだったのだから。
 最終的にどうやって帰ったのかすら誰も覚えていない。
 伊達のカノジョのナタリーと廣瀬のカレシのサトシくんが全員の家まで車で送ってくれたのだが、全員覚えていないのでお礼すら言っていない。

「そういえば俺もあの二人最近見てないな…庁舎にもほとんどいないよね」

 三人にイジられ尽くした萩原が助けを求めるように会話に混ざってきた。
 この短時間で髪の毛はパサつき、アホ毛がピョコピョコ立っている。
 きっと「もうやめて~!」と髪の毛を掻きむしったのだろう。自業自得なので同情の余地は皆無なのだが。

「確かに。全然見かけねぇな」
「今日の集まりのメッセージ、返信なかったよな」
「てか既読ついてなくない?」

 いじめっ子三人衆も急に真面目な顔で話に入ってきた。被害者(萩原)が逃げたし純粋に萩原イジりに飽きたのである。

「あの二人って変わらず公安だよな?」
「う、うん。諸伏くんが警視庁で降谷くんが警察庁。…って、えと、非公式にはそう」

 歯切れ悪く言うマドンナちゃんに、一同は「…あぁ」と納得する。
 彼ら二人の名前が警察の職員名簿から消えたのは数年前。
 とある巨大犯罪組織に潜入捜査をすることになり、そのため警察のデータベースから彼らの存在が取り除かれたのだ。
 詳しくは誰も知らされていないし詮索もしていないが、現在の彼らは名前や身分を変えて生活しているらしい。
 ので、警視庁の庁舎で偶然すれ違うことがあっても話しかけず、集まるのも完全個室のこの店だけ。

 これは最近知ったのだが、警視庁から近い・のワリに警察関係者がほぼ来ない・ご飯がおいしい・完全個室≠ニいう理由で入庁時から贔屓にしていたこの店。実は公安の息がかかった店だったらしい。
 ので、防犯面もバッチリらしく、降谷は「奇跡の発見をしたよねあの時の僕ら」と得意げに笑っていた。この店を見つけたのは萩原だったのだが。

 ちなみにそれを知った時のなまえは。

『えっそなの…』

 ワケあり警察官にとっての数少ない憩いの場で大いに騒いでいた数年前の自分たちを思い返し、申し訳なさで死にたくなった。



 話が逸れたが、降谷と諸伏の姿をここ数か月誰も見ていない。
 庁舎でも見ない。今日もこない。そもそも既読が一か月以上ついていない。

 その事実に。一同は揃って眉を顰め、互いの顔を見合わせた。
 先ほどまで騒いでいた三人も、「会いに行けねぇもんな」「そだな…」「降谷くん…」と神妙な顔をしている。

 彼らはサイコパス犯罪者よりも切り替えが早い。
 松田は犯人を追っている時は脳の120%が事件のことが占められているのに、逮捕した瞬間「あ、今日ポンデリング買って帰ろ。アイツ喜ぶだろうな…」と脳の200%がカノジョのことでいっぱいになる。
 芹沢はどんな難しい証拠物品の解析や化学分析をしていても、マドンナちゃんの気配を感じた瞬間「!??…!!?」とメロメロになり、マドンナちゃんが去った瞬間「…でこの特性値が…」と一瞬で脳が戻る。
 廣瀬も前二人とほぼ同じ。どんなに脳内が仕事でいっぱいでも、カレピから連絡がきた瞬間スイッチがバチッと切り替わり、「しゅき」と送った瞬間スグに戻る。

 ので、先ほどまでの地獄みたいな空気は一気にピリッと引き締まり、一気に室温が下がった。
 暗雲が立ち込めるような、下に引っ張られるような謎の不安が心の底でとぐろを巻く。

「ティモンちゃんも忙しそうなの?」
「…うん。だいぶ…」
「あ、そっか。ティモンの管轄って公安絡みだっけ」

 芹沢の言葉にマドンナちゃんは一つ頷いてから、「私も詳しくは教えてもらってないんだけどね」と続けた。

 ティモンくんとはマドンナちゃんと同じ諜報部のちまい男の子だ。
 マドンナちゃんたちと同じ警察学校第104期出身。どこにでもいそうな小柄で地味な男の子。
 彼は警察学校時代からマドンナ協会に入会し、主に諜報部員として活躍していた。
 そこで培った能力が花開き、諜報部が発足される前からずっと公安の諜報部員として活動している敏腕警察官である。

「やっぱ情報管理キッツいんだな」
「うん。…ほら、公安案件って警察内でも知られちゃいけないことが多いから」

 公安の案件は極秘のものが多い。同じ諜報部とはいえ、そこらへんの情報管理はシッカリとした線引きがあった。

「確かにティモンの野郎、マドンナ協会の会合にも最近こねーもんなぁ」
「そんなのあるんだ…」
「マドンナちゃんの一週間を語り合う会合」
「週一であるんだ…」
「オッ、マドンナちゃん興味ある感じ? 今度来る?」
「行かないかも」

 何が悲しくて自分についての一週間を語り合う会合に参加しなくてはいけないのだ。
 それに、マドンナちゃんは自己肯定感が富士山をよりも高い女なので承認欲求は小指の爪ほどもない。
 今更囲まれてやいのやいの褒められても「…うん。知ってるけど…だからなに?」とキョ…トンと首を傾げることしかできないだろう。

 マァそれはともかくティモンくんである。
 最近のティモンくんは激務中の激務だった。五徹六徹はザラで、デスクの上はモンスターエナジーと眠眠打破とリポDと缶コーヒーの山。
 大体パソコンとにらめっこしているか、誰かに小声で電話をかけているか、エナジードリンクの缶に埋もれて突っ伏して仮眠をとっているかの三択である。

 このことから、現在公安がかなりヤバめな案件を抱えていることは明白だった。

「てかアタシあんま詳しく知らないんだけど、あの二人って結構やばい組織に潜入してんでしょ」
「確かそう…え、ごめんすげぇ不謹慎なこと言うけど死んでるとかないよね? 降谷ちゃんいるし…」
「ハギってもしかしてゼロんことサイボーグだとでも思ってんのか?」
「え、違うの?」
「実際そう」
「ちょっとやめて。こっちは真面目な話してんですケド」
「ごめん。」
「本当に悪かった。」

 廣瀬に怒られた幼馴染ズは素直に頭を下げた。
 萩原はともかく松田はだいぶ大人になったのだ。

 そんな茶番をガン無視したなまえはむつかしい顔でグラスの水滴を指で拭った。
 萩原の「死んでるとかないよね?」について真剣に考えていたのだ。

「ないとは信じたいけど…でもね、実際に潜入で死ぬこと自体はあるのよ…」
「え、そうなん? でもマドンナちゃん、オレそんな話聞いたことないぜ?」
「そりゃ殉職って報道したらそいつがネズミだった≠チて公表してるようなもんじゃねぇか」
「陣平が言う通りで…。ほら、そんなこと言っちゃったら他の潜入捜査官にまで火の粉が飛ぶ可能性もあるから。だから潜入先でもし命を落とした時は誰にも知らされないの。家族にさえ…。悲しいけれど、行方不明扱いになるわ」
「そう、なのか…」

 ずっと黙って話を聞いていた伊達が重苦しく呟いた。
 続いてマドンナちゃんが、「で、でもあの二人ならきっと大丈夫よ!」とカラッカラの笑顔で言った。
 思ったよりも重苦しい雰囲気になってしまったので責任を感じたのだ。

「…うん」
「ね、大丈夫よ。私ちょっと調べてみるから」
「ありがと、マドンナちゃん」
「うん。うん。だからね、みんな元気出して」
「…そだね」
「ね、そうよね萩原くん。ね、陣平も」
「…あぁ」
「ね、お酒飲もうね。伊達くんも。ほら、追加のビール頼むからね」
「……サンキュ」

 マァしかし。
 流石のマドンナちゃんでもこの空気をどうにかすることはできず。
 つとめて明るく振る舞おうとする声だけが虚しく個室の壁に反響するのだった。



 さてこの話から、
 【警視庁のマドンナちゃんは猫被り 第二章】
 黒の組織殲滅編(壮大なネタバレ)の始まりである。

 原作でも壊滅していない黒の組織(壮大なメタ発言)(ていうか黒の組織って正式名称じゃないよね?)(犯罪組織・ブラックニッカとかでいい?)(クソダサネームをつけるな)をどうやって壊滅させていくのか?
 え、壊滅編ではなく殲滅編? そうです、殲滅です。今回の映画を見るまでは王道の壊滅ストーリーを考えていたのですが、アタシが書きたかったことを今回の映画で公式がやってくださったので(具体的にどれのことなのかは気が向いた時に話します)ガラッとプロットを練り直し、結果的に殲滅させることになりました。
 これは例えるならば古の時代。雪の守護者が公式で出された時のリボーンオタクであり、零番隊が公式で出されたブリーチオタクです。アタシはその両方を経験しているので辛くないです。大丈夫です。むしろ懐かしく趣深い気持ちになりました。
 ので。
 今作のタイトル:黒の組織殲滅編
 今作のテーマ:暴力
 対戦よろしくお願いします。

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