お前のカレシなんだからよ
10
「マドンナちゃん、妖精さんだった時の話聞かせてください!」
「嬢ちゃん今日は大手柄だったらしいな」
「マドンナ先輩お酒足りてますかーッ!」
てんやわんやである。
捜査一課によるマドンナちゃん(と伊達)の歓迎会は大いに盛り上がっていた。
ピーチウーロンを両手に持ってチミチミ飲む乙女に誰もが目尻を溶かし、我が我がと話しかけているのだ。
若い刑事はもちろん、年配の刑事たちも「お嬢」「嬢ちゃん」と愛娘を見るような目でデレデレ照れ照れさせているのだった。
ちなみに伊達も本日の主役──もっと言うと本来であれば伊達の方が主役なのだが、刑事たちの視線はむさい男よりも麗かな天使の方にしか向いていなかった。カッコ書きで(と伊達)と書いているのはそのためである。
「すげぇ人気だな、アイツ」
「だな」
「何だよ松田、焦んねぇのか?」
伊達の言葉に松田は「あー…」と気の抜けた声を出した。
テーブルは八人がけなのに、ここに座っているのは松田・伊達・芹沢・佐藤だけである。
乾杯の時までここに座っていた他の連中は、早々に隣のテーブルに窮屈そうに座り、麗しの乙女に首っ丈になっている。
芹沢も先程まで向こうの席でマドンナちゃんにメロメロデレデレしていたのだが、マドンナちゃんと順番にお話できる整理券を配って場を仕切り始めたため、マドンナちゃん本人から直々に「芹沢くん、そういうの(厄介なアイドルの仕切りオタクみたいな真似)やめて
」と怒らりたのでベソをかきながらコッチの席に逃げてきた。
ちなみに佐藤もアッチの席で憧れのマドンナ先輩とじっくりお話ししたかったのだが、男たちのあまりの興奮具合に怖気付いて逃げてきたのだ。
「焦るとかそういうの超越してんだろ…アレは」
「あー…」
「…グス…マドンナぢゃん…」
「芹沢泣くなって鬱陶しい」
「だっで…嫌われぢゃっだらどおじよ…!」
ビールジョッキ片手にしゃくりあげる芹沢に、佐藤は「……えぇ…」とドン引きした。
芹沢ケイジといえば、まだ警視庁にきて日が浅いのにあっという間に鑑識のエースになった男である。
黒髪センターパート・泣きボクロが特徴的な美男子。化学系の知識で右に出る者はおらず、鋭い洞察力で些細な証拠も見逃さない。
そんな美男子に憧れる女子職員も多く、よく「佐藤さんはいいよね~
あの松田さんとペアだし
あの芹沢さんと仕事でよく絡むんだから」と総務の同期からやっかまれていたのだ。
だが、今目の前でグズり散らかす男は、女子職員が憧れるしごできイケメンの芹沢さん≠ニはかけ離れていた。
彼がマドンナ先輩のファン、というのは広く知られた情報だが、まさかここまでガチだとは思わなかったのだ。
一方の松田・伊達はこんなの親の顔より見た光景なのでシラーっとした顔で「うるせぇ」「泣きやめ」とテキトーに芹沢の相手をしていた。
このアホが麗しのマドンナちゃんと同じ勤務地で働きたいがために必死に勉強し、誰もが憧れる鑑識任用試験の狭き門を突破したのは素直に見事だと思ったが。マァそれを言うと調子に乗って大演説をしそうなので黙っていることにした。
「オ、オレ、マドンナぢゃんにぎら、嫌われぢゃっだがな…」
「元々好かれてねぇだろ」
「諦めろーーー」
「さ、さどうぢゃんはどう思う? オレ、マドンナぢゃんに、ぎ、嫌わ…」
「マドンナ先輩がどう思っているかは分かりませんが私は本当に帰って欲しいと思っています」
「ダハハ」
「いいぞ佐藤」
佐藤の言葉に伊達と松田が揃って吹き出した。
松田なんて笑いすぎて口の端からタバコを落とす有様である。転がったタバコは運悪く机の上の、サークル状に垂れたジョッキの水滴に落ち、ジュ…と情けない音を立てて火が消えた。
「クソ、まだ吸えるのに」
「ピタゴラスイッチみてぇだな」
「待て濡れた部分だけ千切ればまだ吸える」
「おいおい…マSDGsに配慮してて偉いとは思うが」
これを見た佐藤は「これだから一期上は嫌…マドンナ先輩以外…」と104期を丸ごと嫌いになった。
そしてその後、さらに嫌になる出来事が起こる。
大騒ぎする隣のテーブルから、ピーチウーロンを持った女がツカツカとコチラに歩いてきたのだ。
「芹沢くん、反省した?」
「マドンナちゃん!?」
今までグズり散らかしていた芹沢の顔面がパ! と輝いた。
涙を拭い、おしぼりで鼻をかみ、乱れた髪を直し──、一瞬で元のハンサムな顔に戻ってニコ! とカッコよく笑っていたのだ。
「さっきはごめん。オレ反省したよ。マドンナちゃんを私物化しちゃってごめんな。マドンナ協会会長として本当に申し訳ないと思ってて…」
「うーん、若干ポイント違うけど…まいっか」
「オレ、後でちゃんと協会員増やしてくるから」
「あ、やっぱ全然伝わってない…!」
純粋にマドンナちゃん≠ニいうブランドをゴリ押しするのをやめて欲しいのだ。
だって捜査一課の彼らはビジネスパートナー。余計な憧れや信仰心など持たれるとやり辛いのだから。
しかし芹沢はマドンナちゃんの憂いには全く気付かず、「マドンナちゃんかわい~…」と目をハート型にさせているのだった。
整った顔を最大限に緩ませて。両手で頬杖をついてウットリ夢見心地にデレ~…と蕩けてしまった。
「かぁい~。マドンナちゃんの1/10スケールのフィギュア作って愛でてぇ~。クラウドファンディングやろうかな」
「や、やめてね…」
「芹沢、流石にソレやったら俺お前のこと殺しちまうからな」
「え、そしたらオレマドンナちゃんのスタンドになれちゃう…? アリかも…」
「ナシだろ」
閃いた! という顔で手を打つ芹沢の後頭部を伊達が雑に叩いた。
その衝撃で芹沢が閃いた顔のまま机に倒れ込み、ガッシャン! とドエラい音が鳴る。ほぼ飲み干されたビールジョッキがゴロゴロ転がり、灰皿がひっくり返り吸い殻が汚く散らばった。
マドンナちゃんが大変…とチマチマ吸い殻を片付け、ビールジョッキを立て直し、机をコテコテ拭く。伊達・芹沢・松田は「ワリ」「マドンナちゃんやさし。また好きになっちゃう」「死ね…」と一向に小競り合いをやめようとしなかった。
これを見て佐藤は「ほんっと104期って嫌…マドンナ先輩以外…」と再び顔をシワクチャにした。
適当で・野蛮で・ガサツなのだ。しかもこれで仕事だけはバカみたいにできるのだから尚のこと腹立たしい。
センパイたちの噂は警察学校でもよく聞いていた。
『お前らの一期上はどいつもこいつも素行不良でな…』
どの教官たちもウンザリ遠い目をしながら語るのだ。
意味のわからない組織を立ち上げる。教官の話を全く聞かない。スグ周りと喧嘩しだす。体育祭でビールかけをする。教官の車を壊す。教官のことを変なあだ名で呼ぶ。入学式でも卒業式でも大騒ぎする。等々。
マしかしどの教官も、彼らの悪行を懐かしそうに並べ立てた後。
『…でも、優秀だった』
と、必ずそのセリフで締め括るのだ。
一期下の佐藤たちはセンパイたちのせいで厳しくなった規律に不平不満を言いながら、そして問題児だらけのセンパイたちに大きな嫉妬と少しの憧れを抱きながら半年間を過ごした。
実際、佐藤が知る104期のセンパイたちは優秀だった。
芹沢は鑑識のエース。松田も捜査一課に来て間もないのにエース級の働きっぷりだ。伊達も今日が初対面だが所轄時代の武勇伝は高木ヅテで聞いている。マドンナ先輩は言うまでもなく佐藤の憧れだった。
ので、佐藤は目の前でガラ悪く小競り合いをする男たちを「嫌…本当に…」という顔で見ることしかできなかったのだ。
嫉妬と憧れとガラの悪さからくる純粋な嫌悪感でよくわからなくなってしまったのである。
「美和子ちゃん?」
「はっ、はい!」
「どしたの? 具合悪い?」
そんな佐藤に、マドンナちゃんは心配そうな顔で話しかけた。
急に視界全体が整った顔面でいっぱいになり、これに佐藤は「ヴァ!」と奇声を上げて退け反った。
「えっ美和子ちゃん!? だいじぶ(大丈夫)…?」
「今のはマドンナちゃんが悪い。…あっ違う! 違うんだよマドンナちゃん! 誰しもマドンナちゃんの美しいご尊顔が急に目の前に広がったらこうなっちゃうっていうか…ていうか佐藤ちゃんってマドンナちゃんの大ファンなんでしょ? そりゃこうなっちゃうのは仕方ねぇって…アッでもマドンナちゃんは悪くないからね!」
「お前が全部悪い」
「何でそんなこと言うんだ!」
なぜか芹沢が松田にブチギレた。
これに松田は「るっせ笑」と一瞥もせずに返し、マドンナちゃんに「ったく、お前は…」と呆れたように笑いかける。
「だから、あんまイジメてやんなって言ったろ」
「いじめてないもん…」
「もん≠セって! かぁいい! ちょ、マドンナちゃんもっかい言って。録音して目覚ましにする」
「芹沢くん、ちょっと黙って」
「徹頭徹尾ごめんなさい」
「今のもいじめに入る?」
「イヤ、これはイジメじゃねぇ。ただの言論弾圧」
「ならよかった」
「いいのか…?」
戸惑った声をあげる伊達はさておき、佐藤は仰け反った姿勢のまま「ん…?」と固まった。
松田の、マドンナ先輩に対する態度が他の人間に対する態度と大きく違うことに気付いたのだ。
佐藤の知る松田は、ぶっきらぼうで口調も態度も最悪で、顔とスタイルと仕事だけしか取り柄のない男だ。
その松田がマドンナ先輩に対してだけイヤに優しいことにたった今気が付いたのだった。心なしか表情も柔らかく、視線に甘い色が混じっている。
そういえばさっき警視庁の廊下でも、この男はマドンナ先輩の頭をぐりぐりしていたのだ。あんなに事務の女の子たちから仕掛けられるボディタッチ爆弾を避けていた男が、だ。
「(…なぁるほど……)」
「…あんだよ佐藤。言いたいことがあるなら言え」
佐藤のニヤニヤ笑いに、松田は不機嫌そうに眉の間に深い皺を刻んだ。
先ほどまでマドンナ先輩に向けていた甘い色など微塵もなくなった瞳を細めて。
これに佐藤は半ば確信を得て、ニヤニヤ笑いをさらに深めて身を乗り出した。
「…ね、松田君。マドンナ先輩のこと好きでしょ」
「は?」
「いいのよ。誰にも言わないであげる。その代わり警察学校時代のマドンナ先輩の写真を──」
「…オイ、仮にもセンパイを脅すな」
内緒話をするように耳打ちした佐藤に、松田はチベスナ顔でため息を吐いた。
この女、見た目通り強かである。捜査一課でしごかれてきただけはある。
松田は面倒そうに肩を竦め、一瞬チラッと周りを見回し。
「好きっつーか…」
佐藤と同じく小声で言い返した。
マァしかし
対面の芹沢にはバッチリ聞こえていたらしい。すごく嫌ァなカオで、でもどこかもう諦めた風に「な、佐藤ちゃん許せねぇだろ? はよ別れろ
」とドス黒い声で言いのけたのだ。
「誰が別れるかこんないいオンナ」
「だから別れろって。マドンナちゃんはなぁ…もっといいオトコとくっつくべきなんだよ」
「例えば誰だ。俺はどうなればいい」
「大谷翔平」
「無理だろ」
「それか薬師カブト」
「…ギリいけるか…?」
「無理だろ」
「同じ声なのに?」
「松田、メタ発言はよくない」
伊達の的確なツッコミに芹沢が「CVついてないオレの気持ち考えたことあんの?」と悲壮感タップリに言った。なに、彼の声は仲村宗悟である。異論は認めない。
と、ここで。彼らの早すぎる会話スピードに漸く頭の処理が追いついた佐藤が「え」と声を漏らした。
「えっえっ待って。どういうこと!」
「ヤ分かるぜ~佐藤ちゃん。どう考えても大谷翔平がいいよな。…でもさぁマドンナちゃんはどうしてもこのアホがいいんだって。だからオレ目ぇ瞑ってんの」
「誰がアホだ殺すぞ」
「えっ、松田君、マドンナ先輩、えっ」
「そうそうその反応が正しいよな。それなのにこの二人ときたら…Chu! ラブラブでごめん」
「芹沢くん、あんまり揶揄わないで」
「生まれてきちゃって本当にごめん…」
芹沢を叱ったマドンナ先輩は少しだけ顔を赤らめて気まずそうに俯いていた。
その赤らみがアルコール由来ではないことに気付き、佐藤は「…マジ…?」という顔で伊達を見やった。この三人の男の中で一番の常識人だと思ったからだ。
「マァ芹沢はこう言ってるけど、俺はこの二人はすげぇお似合いだと思うけどな」
「ガチなんだ…」
「お似合いだろ?」
松田を見る。マドンナ先輩を見る。
成程、ビジュアルだけ見れば完璧にお似合いである。
それに、松田の彼女に対する態度を見る限り彼はゾッコンみたいだし、マドンナ先輩の赤い顔を見るに彼女も相当カレシのことが好きなのだろう。
「松田君」
「あ? 文句なら聞かねぇけど、何だよ」
「文句じゃないわ。イヤ文句はあるし私も大谷翔平の方がいいと思うけど」
「オイ」
「そうじゃなくて。このことは秘密にしといた方がいいわ」
「…あ゛?」
「だ、だって…」
深々と眉間に皺を寄せた松田に、佐藤は隣のテーブルを顎で示した。
誘導されるようにソチラに視線を向けた松田は「…あぁ……」とウンザリ声を出して肩を竦めた。
自分らの声が小さすぎて聞こえないのだろう。隣のテーブルの男たちが必死の形相で耳をすませながら酒を飲んでいたのだ。視線は麗しの乙女に釘付けで、時折「聞こえる?」「イヤ…」とボソボソ喋っている様子だった。
──もし、松田がカレシだというのが知られれば、確実に火炙りの刑に処されるだろう。
「そうだな…やめとくか…」
「懸命ね」
「カノジョがモテすぎんのも大変だな」
「もう慣れたと思ったんだけどよ…」
「ソレが分かっててマドンナちゃんに手ェ出したんだから仕方ねぇだろがボケ。殺すぞ」
「芹沢さん手厳しいわね…」
「芹沢くんは昔からこうよ。でもね、こうは言ってるけどちゃんと陣…松田くん…あ、もうこの場ではいいのか。陣平と私の仲を応援してくれてるのよ」
「マドンナぢゃん…どおじでそんなにオレのごどわがっでぐれるの!」
「あっ泣かないでね…やめてね。」
「ごべん…いづも…」
グズグズ泣きじゃくりながらおしぼりを握りしめる芹沢。
ヤレヤレ顔でタバコに火を着けてダラダラ口の端から煙を零す松田。
俺もカノジョに会いたくなっちまった…と勝手に帰ろうとする伊達。
この話題に興味を失ったのか徐に唐揚げにレモンをかけ始めるマドンナ先輩。
佐藤は再び顔をシワクチャにしながら、「ほんっと…104期って嫌……マドンナ先輩以外……」ともう何度目になるか分からないことを思い、マドンナ先輩がかけてくれたレモン果汁たっぷりの唐揚げに箸を伸ばすのだった。
「おいし…」
「ね、唐揚げ美味しいよね」
「かわい…」
「ね、マドンナちゃんかわいいよね」
「芹沢くん」
「ごめんなさい」
「…マドンナ先輩、本当にかわいいですね」
「美和子ちゃん?」
突然かわいいかわいい言い出した佐藤の顔をマドンナ先輩が覗き込む。
長い睫毛がしぱしぱ瞬き、澄んだ瞳が心配そうに揺れた。
それを見て佐藤は再び「かわい…」と思い──、一ヶ月前、あの忌々しい連続爆破事件の前日のことを思い出した。
『…もしかして、カノジョかしら』
『……だと、俺はまだ、ずっと思ってる』
不躾な詮索をした自分に、松田は切なげな声で答えたのだ。
サングラスの隙間から見える群青の瞳は甘さを孕んで揺れ、いつもへの字型になっている口は緩くカーブを描いていた。
彼ら二人があの時どういう状況だったのかは知らない。が、あの松田の表情から察するに、あの時はうまくいってなかったのだろう。
そして今は、どろどろに甘さを孕んだ瞳を一心不乱にかわゆいカノジョに向けている。心底カノジョに惚れ込んでいる男がそこにいる。
捜査一課で死ぬほど人気がある男がその瞳を向ける相手は、誰もが欲する「美しい」という言葉を独り占めにする大輪の牡丹の乙女。
佐藤はその乙女の顔をもう一度見て。星屑を閉じ込めたような瞳の輝きに目を奪われ。
「松田君が惚れるのも分かるわ…」
と、しみじみといったように呟いた。
△▽
「お待たせ」
「オウ」
帰り道である。
居酒屋を出たマドンナちゃんは一生懸命二次会に誘う先輩刑事たちを何とか躱し、佐藤・芹沢・伊達に別れを告げて帰路についていた。
松田は早々に一向から離れ、細路地に入ってなまえを待ってくれていた。居酒屋を出る直前、「出てスグんとこで待ってる」と耳打ちされていたのだ。
「今日、ウチ泊まってくの?」
「そのつもり。悪ぃかよ」
「全然。嬉しいから…」
「…かぁわい」
モニョモニョ言いながら俯くなまえに、松田は思わず「ほんっと、かわいいなお前」と二回も言った。
普段のぶっきらぼうで最悪な態度はそこにはなく、ただひたすら甘い色を灯す瞳をどろどろに溶かすのだ。
細っこいヒールで歩く彼女のスピードに合わせ、「早くねぇか?」「荷物持つか?」「水買うか?」と問う姿は飼い主に寄り添う忠犬のようである。
なに、それ程松田陣平という男はカノジョにゾッコンなのだ。
伊達にはああ言ったが、本当はさっきの居酒屋で男たちに囲まれるカノジョに焦りまくっていた。
元来独占欲が強いタチのようで、本当なら彼女を家に閉じ込めて誰の目にも触れさせたくない。
かわいい顔を自分だけに向けて欲しい。
みんなのマドンナちゃん≠独り占めしたいのだ。
でもそれは、彼女が嫌がるから。
マドンナちゃんの「仕事を頑張りたい。みんなの役にたちたい」という意思を尊重したいから。
だから四年前、彼女が距離を置いて欲しいと懇願してきた時は渋々ながら承諾したし、松田との仲を隠したいという気持ちも汲んだのだ。マァ後者に関しては自分の身の安全を守るためでもあるが。
だが、たまにはそんな忠犬にもご褒美があってもいいよな? とも思う。
──なので。
「…なぁ、一緒に住む話だけどよ」
「うん」
「あの話って、まだ生きてるって思っていいんだよな?」
松田はこの一ヶ月溜めた気持ちを吐き出すように告げた。
内示が交付された時、タクシー乗り場付近の喫煙所で話したことだ。
『俺、お前と一緒に住みてぇんだけど』
この申し出になまえはいたく驚き、慌て、それから強がったように「異動したらね」と告げてきたのだ。
それからこの話は二人の中で出ていない。お互い異動準備や連続爆破事件の後処理に追われていたのだ。
そして約一ヶ月弱の時が経った。彼女が異動した今≠ェその時だった。
が、しかし。
彼女は異動したワケだが、自分のビジネスパートナーになってしまった。
薄々感じてはいたが。昼間廊下で話した時に、彼女は自分とコイビト関係であることを隠したいのだと知った。
もう警察の顔を辞めた今となっては松田との関係を隠さなくてもよくなった。が、今その関係を公にしてしまえば周りに余計な印象を持たれるのは避けては通れない。それがイヤなのだろう。
だので、もしかすると彼女は自分との同棲話もまた先延ばしにしたがるかもしれない。
もちろん松田のモットーはカノジョファースト。彼女の意思を尊重するだろう。
だが少しくらい自分の希望も聞いてくれないかな…という淡い期待を抱いて口火を切った、というワケだ。
正直この四年の空白期間は本当に辛かった。でも彼女のために大人しく待て≠したのだ。
マァつまり、松田の気持ちはただ一つ。
──頼む! 俺にご褒美くれ!
以上である。
なまえはそんな松田の気持ちなどミリも知らない。
捜査一課のメンバーと飲んでいる時も、芹沢くんうるさいなぁ美和子ちゃんかわゆいなぁとまるきり関係のないことばかり考えていたのだ。
ので、今の松田の発言の重みも覚悟も全く理解していない。
しかし。
「当たり前でしょ。生きてるわよ」
あっさりと言いのけたのだ。
これに松田は若干拍子抜け、「ぅえ?」とアホの声を出した。
絶対「うーん…もうちょっと落ち着いてからかな」と言われる覚悟をしていたのだ。
「え、マジ?」
「え、ヤなの?」
「は? ヤなワケねぇだろ。嬉しすぎて走り出してぇくらいだ」
「発言と表情が釣り合ってないんだけど」
「るっせぇな。本当に走り出すぞ」
「やめてね。」
「もっかい聞くけどよ。マジで言ってるのか?」
「マジよ。大マジ」
「マジだな!? 大マジだな!?」
「うるさい」
「ッシャアアアッ」
「うるさいって」
「見たか松田俺の勝ちだバカタレ」
「解離起きてる?」
ガッツポーズで喜ぶ松田に、なまえは「え、そんなに?」と目をぱちぱちさせた。
何度も言うが、この女は松田の葛藤などミリも知らないのだ。
普通に「異動したから同棲できる!」と浮かれていた。確かに松田との仲は隠したかったがそれは最初だけで、仕事に慣れてきて周りの人間との信頼関係さえできてしまえば公表してもいいとすら思っていたのだから。
「生きててよかった…」
「すごい喜んでる…」
「やっぱ俺ちょっとそこらへん走ってくるわ」
「やめてね。」
松田のあまりの喜び様に若干引き、それでもニコニコヘラヘラ笑う彼につられて笑顔になっていく。
「どこ住もっか」
「お前が好きなとこでいい。家賃はもちろん俺が全部出すし掃除も全部俺がやるし家具も全部買ってやる」
「スパダリのセリフ…!」
「あ? 当たり前だろバカか。お前のカレシなんだからよ」
「口が悪いけどすごい良いこと言ってる…!」
「その代わり毎日お前の作ったメシ食わせろ。弁当もな」
「ちょっとキュンてしてる自分が嫌…!」
「なんで嫌がってんだよ。走り回って喜びてぇの我慢してんだコッチはよ」
「絶対にやめてね。」
「急に素に戻るのやめてくんねぇか」
マジトーンのなまえに松田もマジトーンで答え、それから二人して同時に吹き出した。
黄色い声が静かな街に反射し、木霊する。
「帰ったらスーモ見よ」
「その前に夜食作ってくれよ。腹減った」
「えー…めんどくさい」
「頼むって。簡単なモノで良いから」
「もうスーパーやってないし大したもの作れないわよ。…味濃いめのチャーハンくらいしか」
「最高じゃねぇか。むしろそれしか食いたくねぇ」
見えてきたタクシー乗り場に二人して浮き足立ち、少しだけ足が早くなる。
幸い明日は土曜日。二人とも休みだ。
「じゃあチャーハン食いながらスーモ見ようぜ」
「賛成」
「明日できれば内見行こうぜ」
「賛成」
「あとは…なんかしたいことあるか?」
「タクシー乗る前タバコ吸いたい」
「大賛成」
なまえの言葉に松田が笑い、彼女のブラブラ揺れる白魚の手を取る。
「競争な」
「手繋いでるのに?」
「ハンデだよ」
「何のハンデよ」
「走るぞ」
「だからやめてって…きゃ、」
徐に走り出し、手を引っ張られたなまえが小さな悲鳴をあげる。
その声にまた松田が笑う。
なまえも「やめてってゆったのに!」と目をバッテンにしながら、それでもその声には喜色が滲んでいて。
二人して、明るい未来に向かって走り出すのだった。
【お知らせ】
これにて【警視庁のマドンナちゃんは猫被り<第一章>】は完結です。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
5月4日のイベントに行きたくて「警視庁のマドンナちゃんは猫被り 第一章」が本になります。
今回もR18本です。
ここまでの1~10話の加筆修正版と、書き下ろし↓
・同棲生活の話
・マドンナちゃんの大学の時の話
・クイーン先輩≠フ由来の話
・由美ちゃんと廣瀬の話
・もう一個えっちな話(必要だと判断した場合)
・芹沢の話(これはむりかも)
などなどを詰め込んだ本にしたいなと考えています。
全部書くかもしれないしどれか削るかもしれないし何個を一つにまとめるかもしれない。
とにかく、4月19日までに書き終わらないと間に合わない。
毎日死ぬ気でやってる。アタシっていつもそう。
(追記:これ書いてたの二週間くらい前だったけど、無事脱稿しました。本が出ます)
【もいっこお知らせ】
このお話「警視庁のマドンナちゃんは猫被り」はまだまだ続きます。
だってマドンナちゃんの決意、知ってますよね?
「大好きなみんなと笑っていたい」なんですよ。(第5話参照)
つまり、メタ的な話をすると、あと二人救わなきゃいけない男たちがいるんです。
マァすなわち──。
「警視庁のマドンナちゃんは猫被り<第二章>」が始まります。
5月下旬~6月上旬スタート予定。
アタシは早急にこれに取り掛からなくてはいけない。
なぜなら。
第二章を持って8月20日の大阪インテに行きたいから。