私はあなたのためにあるのと。
度々ご主人が悲しそうに目を細めるのを、見ていた。
ラルトスである私は少しばかりほかのポケモンよりも、人の感情というものに敏感だ。だから重く淀んでしまっているご主人の心にはすぐさま気が付いたし、慰めようともした。けれども小さい私ではどうにもならなかったのだと、少し前からの私はわかっていたのだ。
例えば、悲しいことがあったとか。
例えば、困ることがあったとか。嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたとか。
そういったことを話すことさえ戸惑うご主人は、心の綺麗な人間だ。家の中では誰もがギクシャクしていることなんて知っていた。けれども誰の愚痴にも必死に応えて、身内が身内を悪いように言うことに傷ついてばかりだったご主人は、きっと、きっと誰よりも追い詰められていたのだろう。
「ラルトス、」
ある日、震える声で私の名前を呼んだご主人は、軽く身支度を整えてから「お邪魔しました」と小さくつぶやいた。
それがどういう意味なのか最初はわからなかったが、まるでこの家が自分の家ではないかのような、手のひらをかえしたかのような言葉と態度に、ご主人が帰って来なくなって数日が経った頃から気づいてしまった。
ひと月、ふた月と時間が流れ、ご主人のお母様は疲れ切った悲しい顔をして、私にモンスターボールを差し出す。私のものだった。ご主人がかわいいからと貼った、星のシールのラメが、キラキラと小さく光っている。
「あの子はもう帰ってこない。あなたとはもう二度と顔も合わせないでしょう。私が悪かったのよ、あなたが悲しむことなんてずっと、この先もずっとなかったのに」
あの子が悲しんでいるのを見て見ぬふりしたのは、このろくでもない母親失格の人間なのよ。
ぽつりぽつりとつぶやくたびに、ご主人がよく流していた涙をお母様もこぼしていく。もう、会えない。じんわりと浸透していくその言葉に、やはりご主人が帰ってこないのだとわかったその瞬間と同じで、目の奥がじんわりと熱を持つのがわかった。
視界がぼやけて、くるしい。
でも、くるしいのは、みんな同じ。
「(さみしい)」
みんな寂しい。でも泣かないでほしかった。ご主人も最後までずっと、泣いていた。
「らるっ」
だから会いに行こうと思うのだ。強くなって、前よりもうんとたくましくなってから彼女に会いに行って、この星型のシールが貼られたモンスターボールを返すのだ。
確かに私は無力だった。彼女は私を連れて行かなかったのは、私に力がなかったからだ。
しっかりと彼女が倒れこまないように支えられる存在だったならば、上手に涙をぬぐうことのできる存在であったならば、きっと私は、ここにはいなかった。
ねぇ、そうでしょうご主人様。
「らるとす・・・・・?」
私はあなたを見捨てたりなんかしなかった。あなたの母のように泣くだけでもなく、どうにかしようと立ち上がった。強くなって進化だってしたし、ちょっとやそっとじゃ貴方の手では倒れたりもしない。杖代わりにくらいはなるのよって。
二年越しのモンスターボールを彼女の手元に戻すと、彼女はくしゃりと顔をゆがめて、泣いた。
ばかね、っこんな私をおいかけてくるなんて、ほんっとう、ばか!
でも笑ってくれたから、どれだけ馬鹿だアホだと罵られようと、うれしくて、体の震えがとまらなくて、彼女と一緒に涙を流したのだ。