「帰らなきゃ」
いつか必ず。
彼女はふとしたときにそう呟いていた。幸か不幸か、その呟きを聞いたことがあるのは俺だけだったけれど、それを口にする時の彼女は凛としていたように思う。まっすぐと前を向いてハッキリとそう意識しているのだろう。帰るって言ったって、どこへ?そんな疑問さえもぶつけることはできなかった。なんとなく、理解しているつもりだった。
というのも、ガノンドロフのおかげであちこちを走り回る羽目になった時に、何やらシアの魔法であちこちの世界から町やら湖やらが姿を現したことがあった。こんなことができるのかと驚いた反面、もしかしたら彼女は、こんな風に別の世界から来てしまったのではないか、となんとなく考えた。
それがどうも可能性としては高いようで、振り返ってみると彼女と初めて会った時の服装は、ハイラルの人たちとはまた違ったものであったし、今は亡きリンクの母がななしを連れてきたときも、どこで出会ったのかなんて口にしなかった。耳の形も見たことがないくらい丸い。最初は文字だって読めなかった。母だけは、ななしのことを知っていたのだろうか
疑問は多かれど、彼女が他の世界の人間であることが確信に近い形になってきたとき、俺は確かに焦りを感じた。
だってななしという女は、リンクが一生をかけてでも愛を伝えたいと願った女性だ。必死になってがむしゃらにアピールをして、小さいころから一緒にいたというのもあるのだけれども、割とスムーズにことは運んだように思う。恋仲になったからといってリンクの願いは変わらなかったし、これからもずっと彼女に底のない愛を伝え続けるつもりであった。
だから、久しぶりに彼女がぽつりと、帰らなきゃと呟いたときには、心臓がとまるかと思ったのだ。
何度も何度もやんわりと引き留めようとしてきたのだが、ななしの心は変わらない。あまつさえ今目の前では魔法陣が展開されており、その上にななしが足を乗せてしまえば最後、もう二度と会えなくなる。そんなのは今まで、考えなかったわけではなかったのだけれども、決してありえてほしいものではなかった。
墨を溶かしこんだような瞳を小さく揺らしながら、彼女は涙を流す。どうして。なんで泣くのか、わからない。別れが惜しいと思ってくれているのか、この世界ごと未練を残してくれているのか。
ただ、ななしは俺に向かって一言、こういったのだ。
「すごく、しあわせだったの、」
でも私は、自分の意思で帰らなきゃいけないと、おもってるから
ほろほろと光るしずくが彼女の頬を伝い、しまいには震える声でそう言ったものだから、俺は何も考えられなくなって。
勢いよく彼女の腕を掴むと、そのまま魔法陣の近くにあったビンを、ひっくり返してやった。液体がバシャバシャと魔法陣に振りかかると、たちまち地面には何もなくなる。魔法が、消えたのだ。おそらくラナが、ななしが帰ることをやめた時のために準備していたのだろう。
彼女の顔を見るとまるで信じられないものを見ているかのような、そんな表情をしている。けれども知ったことではなかった。この気持ちが少しでも強めに伝わればいいと、ななしの腕をきっと痛いだろうぐらいに掴む。
「俺はななしを帰すつもりはないからな・・・・!絶対に!!」
「どうして・・・・・」
「泣くぐらいなら帰るな!」
どうして悲しそうな顔をしている彼女を見送らなければいけないのか。
なぜ涙を流してしあわせだったと言ってくれている彼女を手放さなければいけないのか。
よくわからなくて、けれどもこの世界に残ったとしても、彼女は悲しい顔をするのだろうと思った。でもどうせ悲しむのならば、俺のそばで延々と涙を流してくれていたほうがいいとさえ思える
彼女を愛していた。とても、深く。
だから、無理やりにでもいいから彼女と将来を誓って、この世界で、自分の隣で死んでいってもらうことにした。はたしてそれが幸せなのか。少なくともリンクにとっては、幸せであることに変わりはなかった。