迷い「・・・・・・は?」 状況が理解できなくて間抜けな声が飛び出た。 バンド?会ったばかりのあたしと、この人が? いや、問題の本質はそこじゃない。だって、だってあたしは 、 「いくらなんでも急か・・・、今日の放課後空いてる?」 にっこり笑顔でそう問われても、こっちは唖然としたままだ。 沈黙を選んだあたしに、彼は困ったような顔をした。 「怪しい者じゃない、って言っても説得力ないんだろうなぁー・・・」 「・・・そうですね・・・」 そう呟くと、彼は吹き出した。 「・・・・何がおかしいんですか」 「いや、だって否定してくれなかったからさ・・・っホントおもしろいね君」 「もしかしなくても笑い上戸ですか」 「当たり。よく言われるよ」 くすくす笑いながら彼は立ち上がった。つられてあたしも立ち上がる。 どうしようかなー、と考え込んでいる彼をじっと見る。 見た目と反比例するその柔らかい言動に、違和感を覚えた。 だって、笑うと睫毛がふにゃり、と揺れるから。優しそうに、震えるから。 「話だけ聞いてくれない?ってやっぱ不審者みたい?」 「そうやって訊く人は不審者じゃないかと・・・」 「あ、ホント?」 ぱぁっと輝いた笑顔は、何て言うかすごく、眩しかった。 あたしはそっと目を伏せる。眩しいのは、嫌い。 「じゃあ帰りにもっかい誘いに行きますね」 彼は太陽のような笑みをいっこあたしに落として。 あたしはそれを全部受け止められなくて。 太陽の雫があたしの指の間からぼろぼろ零れ落ちた。嗚呼、眩しすぎてそれすらも見えない。 はっと我に返った時にはもう、彼はいなかった。 耳を澄ませば、非常階段を駆け降りる音。あたしは掌を見つめた。 真っ白な肌が太陽に反射して眩しい。嗚呼、やっぱり眩しいのは嫌い。 腕を庇うように寝転がると、じりり、とカーディガンが音を奏でた。 けれど、声帯は震えることを拒んだ。 ああ、ああ、ああ、 太陽に当てられて、脳がオレンジに染められていくような気がして、あたしはぎゅっと目を閉じた。 それなのに、ねぇどうして? 目を閉じても世界はオレンジなんだ。 「太陽は、嫌い」 無理矢理腕で目を圧迫すれば、世界はまた黒に浸食される。 3限の始まりを告げるチャイムがなったような、気がした。 これにて解散、という担任の古風な言葉が言い終わるより早く、クラスメートたちは教室を飛び出していく。 あたしはスクールバッグを肩にかけて、春子と美香のもとへ駆け寄った。 「帰ろー」 「おー」 「ねぇねぇ帰りどっか寄らないー?」 「いいねえ、何処にする?」 教室を出てからも目的地は中々決まらなくて、それは校門を出てからも然りだった。 クレープ屋を推していた美香が折れて、今からカラオケに向かおうとした、その時だった。 プップー、という車のクラクションがすぐ近くで響いた。 何気なくそちらの方を見ると、・・・・・げ。 「ねぇ、今空いてる?」 昼間の、彼だった。 うわ、すっかり忘れてた。 「え、何?!來っ知りあい?!」 「ナンパ?!ナンパなの?!」 「違うよ・・・」 きゃあきゃあ騒ぐ美香と春子はすごく楽しそうだった。 その所為で周りの人がなんだなんだ、とあたしたちを振り返る。 彼の真っ赤な車は、これ以上ないくらい目立った。 このままココで押し問答を繰り返せば、変な噂が流れるに違いない。 ・・・不審者、ではないよね?こんな言葉で勧誘してくる不審者なんているわけない、よね? ネズミ講とかだったら嫌だなぁ、と思いつつ、あたしは決心した。 だって仕方ないでしょ?この人、何度でも来てやるって目をしてるんだから。 「・・・ゴメン、またカラオケ行こうね」 「え」 「ら、來?!」 開けて、と彼に言うと、彼はちょっと驚いた顔をした。自分から誘っといて何よその顔は。 ピピッという機械音とともに車のロックが解除される。あたしは問答無用に乗り込んだ。 2人は唖然としている。周りの人も同じく、だった。 「行っていいの?」 このままでも噂が流れる事は彼にもわかったらしい。 車に乗る事を決めたことで考えることに疲れたあたしは、もういいか。そう思った。 「いい、行って」 言い放つと、彼はおっけ、と短い返事をしてハンドルを切った。 開けっぱなしの運転席の窓からは、風が吹き込んできて、あたしと彼の髪を揺らす。 ついていってよかったのかな。 それは心の中だけにとどめて口には出さなかった。 彼の横顔が、本当に嬉しそうだったから。変な人。あたしは窓に頭を預けてもたれかかった。 彼の車の中は、ほんのりあったかくてほんの少し暗くて。それがすごく丁度良かった。 「ココ」 車が停車する。窓から外を見ると、窓色にくすんだ小さなスタジオだった。 ご丁寧に彼が後部座席のドアを開けてくれる。あたしは素直に車から降りた。 ココ、って言われても。『ココ』は何をするとこなのかあたしにはさっぱりわかんない。 黙って彼の後を着いていく。彼は古びたドアをゆっくり開けた。 すばやく嗅覚が反応した。懐かしい匂い。 「古いスタジオなんだけどね、俺ココのオーナーと知り合いで」 汚いでしょ、と苦笑した彼に言いたくなった。あたしは嫌いじゃないよ、この雰囲気。 ほこりを払った椅子に座るように促されて、言うがままに腰掛ける。彼もデスクをはさんで向かい側の椅子に座った。 何か向かい合わせって照れる。初対面に近い人ならなおさら。 沈黙が産まれる前に、彼が話を切り出した。 「本題から入るよ、俺は君とバンドを組みたい」 う。ホント単刀直入。せめて間が欲しい。 「・・・何であたしなんですか」 「君は気づいてないかもしれないけど、君は相当な歌唱力の持ち主だよ」 「嘘です」 「嘘じゃない」 即答されてひるんだ。彼は続ける。 「俺はずっとプロデビューすることが夢だった。でもそれは俺単体じゃなくて同じ夢を持つ仲間も一緒に」 「でもそれはあたしじゃなくてもいいんじゃないですか」 「さっき決めた。君じゃなきゃダメだ」 「どうして」 「何度も言わせたいなら何度だって言うよ、君の歌声に惚れた」 まっすぐな目。まっすぐな言葉。それら全部があたしを射抜く。 あたしの歌声に惚れた、なんて。そんな言葉、嬉しくもなんともない。 あたしが黙していると、彼は突然立ち上がった。何をするのかと見上げると、にっこりとほほ笑まれる。 「俺、こういう言葉攻めとか苦手なんだよね、だから実際に聴いてもらおうかなって」 黒いケースから取り出したのは、赤いエレキギター。 それは太陽の光を反射して、らんらんと光っていた。反射的に、綺麗だ、と思った。 彼が試しにぽろん、と音を奏でると、あたしの喉は震えたそうに疼いた。 そんな様子のあたしをにやりと一瞥した彼は、弦に手をかけた。 優しい音色。それでいて勢いがある。 5本の弦が彼によって弾かれるたびに、あたしはうずうずした。 和音が重なる。せわしなく動く左手。嗚呼、またこの衝動だ。 声帯が歌を欲する衝動だ。 彼の奏でる音色は、あたしの声を『歌声』に変えるのには充分すぎた。 この曲は知らないけれど、勝手に声がメロディをつくりだす。まるで、知っているかのように。 歌声が狭いスタジオに反響する。それをはねのけるかのように、あたしは強く強く歌った。 彼の音がだんだん速くなる。あたしの声もそれに合わせて高く高くなる。 そして、あたしの歌声と彼の優しい音は同時にクライマックスを迎えた。 ギターの音の余韻が漂う中、彼は優しく笑った。 「今までで一番気持ちよく弾けた」 あたしも。脳裏に浮かんだその言葉は、本心から本当に思った事だった。 あたしも、今までで一番気持ちよく歌えた。やっぱり歌う事は楽しいと。そう思えた。のに。 記憶がそれを邪魔する。思い出すんだ、過去の事。 あたしが歌う度にほろほろ泣いた、大事な大事な母親の事を。 だからあたしは歌う事を止めた。・・・でも。 止めれるわけない、だってこんなに好きなんだ。歌う事で、あたしの気持ちを伝える事が。 俯いていると、彼は突然言った。 「歌う事にトラウマがあるんだったら無理にやらせようとはしない、その理由も訊かない。けど」 彼は真剣な表情だった。目には光が宿っていた。 あたしを割れ物扱いするみたいに、彼は優しく続けた。 「けどさ、いっこだけ訊いていい?」 頷く前に、彼の問いは降ってきた。 「歌う事は好き?」 そんなの、決まってる。でも何でか、返事はすぐにできなかった。 黙っていると、彼は急がなくていいよ、と悲しそうに笑った。 「送ってくよ、心配しなくても家に押し掛けたりとかしないから」 あたしはその言葉に甘えて車に乗り込んだ。降りるときと同様に、彼はまるで執事のようにドアを開けてくれた。 車の中は沈黙がものすごく重くて、息が苦しくなった。 どうしてなんだろう。子供の頃から、好きなものほどあたしの傍を離れていく。 歌は好き。 でも、お母さんはあたしの歌を聴いていつも泣いていた。幼心に思ったのは。 歌を歌う事はダメな事。あたしは歌っちゃダメな子。それでも歌いたくなるあたしはもっともっとダメな子。 歌わないように努力した。でもそんなの気休めにもならなくて。 そんな努力も虚しく、お母さんは家を出て行った。 「ココらへんでいいです」 「そう?気をつけてね」 結局最後まで何も喋らなかった。 嫌な記憶を振り払うようにそう言ったのだけれど、現時点から家までは結構な距離があった。 それでも歩けない距離でもなかったので、あたしは迷いもなく車から降りた。 ドアを軽く閉めると、彼はにっこりと笑って。 「気が変わったらコレに電話して」 渡されたのは、電話番号がそっけなく書いてあるメモだった。 ぼーっとそれを眺めていると、エンジンの音が鳴り響いた。 気が変わったら、なんて。気なんか変わらない。変わらないのに、でも。 「あのっ!!!」 声を張り上げると、彼はすぐに気づいて車を止めた。 「何?どうしたの?」 「名前!」 一言そう叫んで、そのまま続ける。 「名前、教えてください」 そう言ってから、恥ずかしさに顔が熱くなった。これ勘違いされるんじゃないの? でも電話番号だけ渡されても困るでしょ? だって、電話した時に何て呼べばいいのかわかんないんだから。 彼はきょとんとしていたけれど、すぐに太陽の頬笑みになった。 「樹!秋穂樹!」 イツキ。 あったかそうな名前だなぁ、って思った。 樹さんはクラクションを鳴らして、暗闇の中に消えていった。 渡されたメモは握りしめてぐちゃぐちゃになっていた。引き延ばして、数字を射るように見る。 あたしが電話をすることで、あたしの好きな事がいっぱいできる魔法の数字。 それをキレイに折りたたんで、制服のポケットに入れる。 このまま消えてしまえばいいのに。なんて思えなかった。もう、外は真っ暗だった。 |