恐怖の対象
クラピカさんと階段でのわだかまりを残したままヌメーレ湿原へやって来た僕たち。ようやくマラソンが終わったと思ったのにまた走るのか。
「……」
「……」
「…ね、ねぇキルア」
「あ?」
「クラピカとヘリオって喧嘩でもしたのかな」
「さぁ…オレは知らねーぞ」
「うーん…」
僕とクラピカさんの険悪な空気を読み取ったゴンがキルアくんにこそっと聞いていた。別に喧嘩したわけではないのだ。ただ意見の食い違いというか、それでお互いムキになったと言うか…
ぬかるんだ地面を走りながら溜め息を吐いた。僕は彼とあんな言い合いをするつもりはなかったんだ。
「レオリオー、クラピカー、ヘリオー!キルアが前に行ってた方がいいってさー」
「どアホー!!行けるならとっくに行っとるわぁーい!!!」
一段と霧が深くなった頃、前の方からゴンとレオリオさんの緊張感の欠片もない声が聞こえた。なんていうか、脱力しますね…今まで張り詰めていた分どっと…
でも僕は好きで後ろにいるんだ。どうか放っておいてほしいと言うのが本音。僕は彼らのようにヒソカさんに恐れてはいないし、気にも留めていない。だって関係ないから。誰がどうであれ、僕の目的は変わらない。
またしばらく走り続けていると、突然前方を走っていた受験者たちの首がぼろぼろと落ち始めた。全員が戸惑い、足を止めた瞬間、そこかしこから悲鳴が響く。背中に果物を生やした大きな生物が獲物を狙って闊歩していた。
「な、なんですか、こいつらは…!」
まるで迷宮生物だ。いつの間にかこの場には僕しかいないみたいで、周りはさっきの巨大な生物で溢れていた。
「うわぁああ!!」
「ッ、レオリオさんの声…!」
そう遠くはない場所で聞こえたレオリオさんの声を頼りに生物たちを避けながら走る。辿りついた先には、生物の口に木の棒を挟まれて振り回されているレオリオさんの姿だった。彼のすぐ傍には別のやつもいる。あいつらをいっぺんに仕留めなければ、近くにいるクラピカさんまで食われてしまう。彼らが死ぬのは嫌だ。それだけは、避けたい…!
縹に刻まれた八芒星を見つめる。…僕の力は、大切なものを守るためのもの。僕の両手は、大切な人の手を掴むためにあるもの。
今使わないでいつ使うと言うのだ。
「…偽証と断絶の精霊よ。汝と汝の眷属に命ず。我が魔力を糧として…我が意志に大いなる力を与えよ。…ハーゲンティ!!」
両腕の縹に光が集結し、一つの大きな輪っかになる。弾けた光が消え去った後に現れるのは、ハーゲンティが所有していた武器そのもの。巨大なフープ状のチャクラム、ニルヘルム。それが僕の武器化魔装だ。武器化魔装と言えど侮らないでほしい。ハーゲンティの氷は万物をも凍りつかせるのだ。
「ッ、はぁあ!!」
大きく振りかぶって生物たちにニルヘルムを投げる。奇妙な呻き声を上げながら地に伏せた生物たちの背中には、ハーゲンティの武器が通ったであろう軌跡が氷の柱となって残っていた。ちらちらと降り注ぐ氷の粉を横目に武器化魔装を解除する。一通り蹴散らしたものの油断はできない。レオリオさんは無事だろうか…
「、ヘリオ…!?」
「レオリオさん、大丈夫でしたか?」
「お、おう…いや、それよりお前今の…!あんなでっかい武器どこに隠し持ってたんだよ!!」
「…企業秘密ですね」
「…まぁ、助けてもらったことには変わりねぇからな。ありがとよ」
「…はい」
「…先頭集団を見失ってしまったな」
「…ここで立ち往生していても仕方ありません。とにかく進みましょう」
再び3人無言で走る。とても気まずいが、今はそんなこと言ってる場合いじゃない。不意にクラピカさんの制止の声に立ち止まる。指をさす方には噂のヒソカさんが。大勢にかこまれているにも関わらず一瞬でその全員を沈めた。
そして僕らに気付いていたらしいヒソカさんが、ゆっくりと歩み寄ってきていた。謎の緊張感に冷や汗が背中を伝う。
「…レオリオ、ヘリオ、私が合図したら、三方向バラバラに逃げるんだ」
「なに?」
「やつと我々では、実戦経験に置いて天と地ほどの差がある。3人まとめてかかっても勝ち目はない」
…まぁ彼の言うことには同感だ。僕も魔装を完成させているからと言って、実戦は遥かにヒソカさんより少ない。ここで戦ったとしても全員死ぬのが関の山だ。
「…わかりました。合図のタイミングは任せます」
「…あぁ」
じりじりと…まるで崖に阻まれた獲物を追い詰めるかのごとくゆったりと足を進めるヒソカさん。ふわりと風が凪ぎ、木からカラスが飛び去った瞬間。
「今だッ!!!」
クラピカさんの合図に彼は左に、レオリオさんは右に駆けだす。僕は彼らのように動かないでじっとその場で佇んだ。
「…君は逃げないんだ?」
「まぁ…あなたに少し興味がありますから」
「へぇ」
一歩一歩僕に近付いてくるヒソカさんを見つめる。そしてついに彼が手を伸ばせば届くであろう距離にやってきた。思っていたより身長が高いからか、見上げるのに首が痛いのだけど。
「ボクはあまり君には興味なかったなぁ。だって弱そうだし」
「散々な物言いですね。別に構いませんが。そもそも僕は戦うにあたってあなたに興味を持ったのではありませんから」
ヒソカさんがこてん、と首を傾げた。別に可愛くないですから、その仕草。
「僕はあなたの持つそれに興味があります」
それ。つまりヒソカさんが持っている紙。材質が羊皮紙でなさそうなそれはどうしてあんなにも切れるのか。それと彼が”奇術”と称している不思議な手品。こんなにも探究心のくすぐられる物はないと思いませんか?
「…君、変な子だねぇ。トランプが気になるのかい?」
「とらんぷと言うのですね、それは」
「トランプ、知らないの?」
「少なくとも僕の国にはありませんでした」
その瞬間ヒソカさんの目が見開かれた。タロットカードなるものはあるけれど、彼の持つとらんぷと僕の世界にあるタロットカードはいささか紙の材質が違う気がする。だってこんなにもツルツルテカテカしていなかったもの。
「…トランプを知らない子なんて今時いないよ」
「そうですか…」
しょんぼりと肩を落とす。そりゃそうだろう。そもそも僕と彼らとでは物理的に住む世界が違うんだ。ちょっとの間思案したヒソカさんは、何を思ったか一枚のとらんぷをぺらり、と僕に向けてきた。
こ、これで僕を切るのでしょうか…
「あげる」
「……は?」
「ここに残ったことを評して記念に。本当は君なんか殺してしまうつもりだったんだけど、気が変わったよ。仕方ないから生かしてあげる」
「はぁ…どうも…」
「…でも」
とらんぷを受け取ろうと伸ばした手を引かれ、前のめりになった。そして耳元に囁かれた言葉に思わずバッと跳ね退いた。
「そう言うことだから、せいぜい死なないようにね」
そう言って去って行ったヒソカさんを呆然と見送る。なんだったんだ、今のは…今初めて彼に対して悪寒が走った気がする。気付けば全身がガタガタと震えていて、それほどまでに彼に恐怖していたのだと自覚した。
「…行かないと」
のっそりと立ち上がり、走り出す。この調子なら走ったって最前線には追いつけないだろう。
…魔装して飛んで行こう。
『君がもっとおいしく育った暁には、ボクが責任を持って殺してあげるよ』
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この後にヒソカさんとレオリオさんたちが鉢合わせてます。
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