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月経メランコリー2



ふと保健室のシーツの冷たさにハッとして、自分が眠っていたのだと気付いた。
あれからどれくらい経ったのだろう。

西谷にお姫様抱っこされたまま保健室に着くと、養護教諭の先生は慌てて私にベッドを用意し、スポーツドリンクを飲ませ、布団を被せた。

連れてきてくれた西谷は、予鈴もならないうちにいそいそと保健室から出て行ったのだが、あれは恐らく私を気遣っての行動なのだろう。

その厚意のお陰もあり、私はすんなりと眠りにつくことが出来て、目覚めた今はだいぶ気分も良くなっているように感じる。

身体に力が入らなくて情けない姿を晒してしまった。
お姫様抱っこなんてされて、体調が悪すぎて周りなんかまるで見れなかったけれど、多分大勢にみられたんだろうな。恥ずかしすぎる。
しかも助けてもらったのにろくにお礼も言えてない。
うわあ、考えれば考える程最低だ、自分。

少し軽くなった身体でもやもやと考えながら、ベッドの周りを隔離するように閉められたカーテンを開けて保健室内を覗く。

と、

「あれ、起きたんですか?ミョウジさん」

先生が座っていると思っていた机には、西谷がいた。

「西谷?!どうしたの?なんでいるの?授業は?」

あの時西谷は確かに保健室から出て行ったはずだ。
なのになぜかここにいる。
私がどれくらい寝たのかはわからないが、流石に放課後ということはないだろう。

「今昼休みで、先生は職員室に行ってくるからちょっと留守番頼まれました」

「なるほど」

納得。してはみたものの、それでは西谷が保健室にいる理由にはならない。

「ははーん。さては私が心配で様子見に来たのかな?西谷」

私は茶化すようにしたり顔。

一方的に助けてもらって、横抱きにされた際に密着した肌。先ほど起こったことを考えたら照れてしまいそうになるのを誤魔化したかったのだ。

「いやー、だってあんな弱ってるとこ見せられたら、そりゃ気にもしますよ」

言いながらあっさり笑う西谷に、毒気を抜かれる。と、同時に胸が少しだけ締め付けられる。

「ごめん。面倒をお掛けしました」

しおらしいのなんてキャラじゃない。そう思ってふざけるのに、少しも照れずにあんなことを言われるなんて。
どんな顔をしていいかわからなくなってしまう。

「いいっすよ。クラスのやつにあの美女は誰だー!どんな関係だー!ってすげぇきかれて自慢しまくりましたし」

「げー。ちなみになんて言ったの?」

「え、そ、れは秘密で!」

「おいこらふざけんなよ!」

「いや!彼女とか言ったわけじゃないっすよ!!」

「あ、そう。うーん。なら許す」

なんて言ったんだろ。
言えないような紹介の仕方ってなんだ?そう一通り考えてみたけれど、いまいち思いつかない。
あまり悩んでも解決しないことを考えても仕方がないので、西谷が周りの生徒に何を言ったのかは考えないことにした。


保健室は教室から離れているために、生徒の声もあまりしない。
しんと静まりかえる室内に、私達の声だけが響く。

「ね、西谷」

養護教諭の先生もまだ戻ってくる気配はない。
ふたりきりだ。

「はい」

いつも嵐のような騒がしい西谷がやけに静かだった。変なの。

私はひんやりした白いシーツの上に座って言った。

「こっちおいで」

まるで犬でも呼ぶかのような気安さで、唇から出た言葉。

その瞬間、西谷の瞳に何かが揺れる。
しかめられた顔は少し赤い。

それでも、彼は迷うことなく置いてあった椅子を持ってきて私の目の前で腰掛けた。

私達の膝は30センチ程の距離で、その大きな瞳は静かに私を見上げていた。

どくん、と高鳴る胸を無視して、私は手を伸ばす。

「よしよし」

精一杯優しい手つきでその髪に手を伸ばすと、整髪料のべたっとした感触がするので、少し笑えた。

「今日はほんとに助かったよ。ありがとね」

そのまま耳の後ろのあたりを撫でながら頬に手を当てれば、

「は、はいっ」

西谷はがちがちに緊張したまま真っ赤な顔で目をそらす。

「ハハッ西谷、真っ赤だ」

私が笑うと、西谷は少し怒ったように唇を尖らせた。
その顔はもっと困らせてやりたくなるような可愛さで、でも奥でぎらつく瞳の鋭さは飢えた獣のようで、ぞくぞくした。

あれ、なにやってんだ?私。

そんな疑問も頭の片隅に浮かんできた時、

静かなその空間を裂くようにガラッと音がして、入り口の引き戸が引かれた。

そこに現れたのは、

「ナマエ!」

「潔子!」
「き、き、潔子さん!」

私の分と自分の分、2人分の鞄を下げた潔子だった。

「西谷もいたんだ?……あれ、私もしかして邪魔だった?」

そう疑問符を投げかける潔子の視線の先にあるのは、西谷の頬に当てられた私の指。

ビクッと西谷が震えたので、私も急いで手を引っ込めた。

「んなわけないでしょ!潔子!待ってた!私の女神!」

そう言って両手を広げると、大袈裟に笑ってみせる。

まるで親に悪さを見つかりそうになった子どものように、心臓は馬鹿みたいにばくばくいっていた。

「そう?とりあえず、体調悪くて保健室行ったらしいって菅原から聞いたから、お弁当保健室で食べれるようにと思って持ってきたんだけど」

潔子は少し驚いた顔のまま、ここに来た理由を話してくれる。

確かに、いつも一緒にご飯を食べている私がなんの連絡もなく潔子の元へ行かなかったら不思議に思って迎えに来てくれるのは自然なことだ。
おそらくその時に菅原から事情を聞いたのだろう。

教室へは保健室の先生が事情を話しに行ってくれたはずだし。

なんだか伝言ゲームみたいだ。
なんて、私は呑気に思っていた。

「でもやっぱ、邪魔だったなら帰る?」

そう潔子が言った瞬間の西谷の顔を見たら、私は全てを後悔した。

なんとなく、触れてみたくなったから撫でてみたその髪。
珍しく素直になって言ったお礼。
男の子に初めてされたお姫様抱っこ。
その所為で胸の奥深くに刻まれた西谷の心臓の音。
倒れそうになったのをきちんと受け止めてくれたこと。
自販機で10円足りなくて、当然のように代わりに買ってくれたこと。

そんな西谷の優しさにあてられて、うっかり何か勘違いしそうになっていたこと。

西谷は潔子が好きなんだ。
私と同じで、潔子が好きなんだ。

好きな人からこんなことを言われたら、そりゃ傷つくのなんか当然だ。
他の女との仲を勘ぐられるなんて。

バカか、私は。

西谷は私を助けてくれたのに。
私は西谷を傷つけるなんて。

こんなのってないな。
最低だな。

ため息を吐きたい気持ちを我慢して、

「だーかーらー!んなわけないでしょ!!西谷が私を運んでくれたから、忠犬をちょっと褒めてただけー!」

私は笑い飛ばした。

無神経だと思われただろう。
西谷にも、潔子にも。

でも、それでいいのだ。
西谷が私にちょっかい出されて困っているくらいなら、潔子に誤解されたことにはならない。

「ほれ、ハチ公!もー教室帰ってご飯食べな!」

私が笑うと、

「ちょ、ひでぇなミョウジさんってば!」

西谷も笑った。

その顔は傷ついたその瞬間のままにも見えたけど、

「え、ナマエそれは酷いんじゃ」

潔子は西谷に同情したようだし、これでいいのだ。
そう自分に言い聞かせる。

「じゃ、俺戻ります!ミョウジさん、今度からそんな体調ヤバくなる前に保健室行ってくださいね!」

笑った西谷が切なそうに眉間に皺を寄せたのが、私の胸を鷲掴みにする。

ああ、やめてよ。そんな顔しないで。
潔子のこと考えてるんでしょ。
だったらそんな熱の籠った瞳、他の誰にも見せてんじゃないわよ。

「うん!ありがとう!次は潔子の胸に飛び込むわ!」

息が詰まりそうになるような感覚に必死に蓋をして、私は笑った。


私達が別れた後、潔子が少し怒ったような顔で言う。

「ナマエー?今のは流石に酷いと思うよ」

その言葉は、確実に私の内側を抉ったけれど。

「うん。そだね。わかってる」

それでいいんだと、また言い聞かせた。



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