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憂いの横顔
西谷が身体を揺らしただけで、ブランコはギッと鳴った。 多分、あんまりメンテナンスされていないんだと思う。よく見れば所々ペンキも落ちている。
「きいてもいいですか」
そう言った西谷の雰囲気が変わったので、
「うん。どしたの?」
私もなんだか落ち着かなくて、ブランコの上で居直るように姿勢を正した。
「好きなのにやめるのって、どうしてですか」
「……う、うーん、それは」
神妙な顔つきで彼が問いかけて来たのは、予想外に難解な質問。
「あ、気を悪くしちまったらすみません!……でも、俺はバレーが好きだし、辞めたいなんて思ったこともねぇから」
でも、いつでも真っ直ぐに自身の決めた道を突き進む西谷からしたら、きっと当然の疑問だったろう。
「そっか」
考えた。 私が、走るのは好きだったはずなのに高校で陸上を続けようとは思わなかった理由。
「まあ、多分西谷ほど真っ直ぐに陸上が大好きだったってわけじゃないのよ、私」
そして言えたのは、なんだか口にすると元も子もないような一言だった。
「走るのは好きなのにスか?」
言い方が悪かったのもあって、西谷はぽかんとしていた。 きっとピンとこなかったのだろう。さっき好きだったって言ったばかりなのに。
「うーん、言葉にしたら上手く伝えられるか自信ないんだけど」
そう前置きしてから、私は口を開いた。伝えられるかわからない。 でも、伝える努力はしたかった。
普段私は、男の子との会話なんか適当に躱してばかりなのに。 西谷にはちゃんと応えたいと思ってしまうのは、彼があまりに真っ直ぐだから、きっといつも感化されてしまうだと思う。
「とりあえず私のいた中学は何か部活に入らなくちゃならなくてさ、実際陸上部に入ったのは消去法だったの」
「消去法……」
いつか西谷はリベロをやるのは消去法じゃないと言っていた。 そんな人にこういう事を言うのは気がひけるけれど、本当のことだから他に言いようがない。
「私、チームワークとかそういうの面倒で苦手だし、文化部に入るには手先も器用ってわけじゃないし、美的センスっていうかそういうのもイマイチで。運動部で個人技ってなると、水泳か陸上かなって」
「なるほど。で、陸上にしたんスね」
「そ!私昔から泳ぎ下手くそでさー!走るのはまあ速かったから、これでいっかって感じでね」
そう言うと西谷が、ミョウジさん細っこいから絶対水に浮かないっスもんね。なんて言ってくるので、とりあえず肩にパンチは忘れない。
「だからね、西谷みたいに純粋な想いじゃないの。もちろん、それでも走るの好きだったって言うのは本当だし、キッカケはどうあれ三年間必死にやったよ。だけど、」
ひとつ、深呼吸。 西谷の視線は痛いくらいで、私は意図的に彼を見ないようにした。
「もう、あんなに頑張れないって思っちゃったのよ」
燃え尽きた。私の青春は終わった。 そう、自分で決めてしまったんだ。
そしてそれについて後悔みたいな想いは、現段階ではまるでない。 さっぱりしたものだった。
「……そうっスか」
それがわかったんだろう。 私を見つめたまま西谷は呟いて、
「……うん」
「ありがとうございます。話してくれて」
拙い自分語りにお礼を言ってくれた。
*
暫し沈黙が走って、ふたりともそのまま夏の夜空を見上げていた。 多分だけど西谷は、何事か考え込んでいる様子だった。
その間は全然不快なものじゃなくて、私こういう雰囲気わりと嫌いじゃないなーって思った。
それから心地よい風が吹いて、一拍おいた後、
「バレー部の同じ一年が5人も、夏休みの途中から練習来なくなって」
西谷は口を開いた。 憂いの横顔は、やっぱり彼には似合わない。
でも、私の話を聞きながら彼が何を想っていたのか。 考えるまでもなくその一言で明らかだった。
「夏休みになって、前烏野バレー部を全国まで押し上げた監督が復帰してくれたんスけど、練習は格段にキツくなって」
なるほど。確かに突然、全国区に導くような指導者が復帰となれば、今まで毎日続けてきた練習とはレベルが異なることなど想像に易い。
昔バレー部の女子がトイレで吐きながらもレシーブ練習させられてたりしたのを見たことがあるし、中学であれなのだから高校の、しかも全国へ連れて行くような指導者だ。
うーん……、私なら絶対逃げるかな。
「龍と一緒に何度か迎えに行ったりしてるんスけど、でもっ」
眉間に寄せられた皺が痛々しくて、いつも元気な西谷だからこそ、こんな顔を見るのは辛かった。
「……そっか」
でも、なんでだろう。 私は視線を背けずに言った。
「私が西谷の立場だったらきっと、そんな奴ら放っとくな」
「え……」
彼が驚いて言葉を失うのは、予想通り。
「だってさ、高校にいたっては辞めるのも続けるのも自由じゃん。部活なんか」
「なっ!!」
部活なんか。そんな言い方をすれば彼は激昂するだろうなって思いながらも、私は思ったままを口にする。
「でも、西谷はそれでいいんだと思う」
「……?どういう意味スか?」
微笑んだ私に、怪訝そうに顔を歪めたまま問う西谷。
「決めるのなんか本人でしょ。休むもサボるも頑張るも、最終的に自分の意志以外なんかなんの役にも立たないじゃない。だから私は、他人のことに口を出すことなんかしないの」
「そ、それはそうかもしんねぇけどっ!でも!」
私に冷たく言われて、ムキになって言い返そうとする西谷を、羨ましいって思った。
私にはない考え。私には出来ない行動。 それは決して手の届かない遠くの星みたいに、眩しい。
「でも西谷はさ、オラ行くぞって手を引くのもいいんじゃない」
言いながら想像してしまった。 龍っていうとあの坊主の田中のことだ。あの坊主と、西谷がふたりで、バレーから離れていこうとする子達を体育館へ引き摺っていこうとする姿を。
「え……」
「その子たちがどんな覚悟で部活やってたかとか、練習のハードさとか知らないくせに私が言えることなんか無いし、きっと帰ってくるとか無責任なこと言えない。こうしたらいいよとかのアドバイスもさ、私のがよっぽど人付き合い苦手だし無理だよ。ごめん」
西谷が珍しくその表情に影を落とす理由に、きちんと答えてあげられる人間だったならよかったけれど、彼が抱えている事態は私には解決案が見出せない。
だからって悩みを口にした後輩にこんな言い方しか出来ないとかどんだけ人間として浅いのって話だけど。
「でも西谷は、ただ西谷らしくしていたらそれだけでみんなを照らすお日様みたいな奴だよ」
これは私の西谷への勝手な印象だけど、きっと誰が見たって西谷はそういう奴だって答えるだろう。 それには自信があった。
部活を辞めそうな友達にかける言葉とか、そんなのわからない。 でも西谷が笑顔が眩しい男前ってことはわかる。
「私にわかるのはそれだけ。だからね、らしく振舞って、やりたいことやってたら、あとは彼らが自分で決めるんじゃない?部活辞めるのも、戻ってくるのも」
なんて頼りにならない先輩なんだろう。 言いたいことだけ勝手に言って、道を示すことも慰めることも出来ない。
ただ、好きにしなって言っただけ。 そんなのって、打ち明けてくれた西谷にとったら酷い話だ。
けど、
「そうっスね」
彼が笑い返してくれたのは、きっと愛想笑いとかなんかじゃなかった。
彼の表情を曇らせていた憂いの原因は、どうやってもすぐには無くならないだろう。
決して多くはない烏野の男子バレー部員達が元の人数に戻るのかなんて、私にはわからない。
けれど、西谷がこんな時間に一人でパス練なんかしなくてもいい日が来るといいなって、 微力ながらアルタイル辺りに祈っておく。
一年に一度恋人に会うのを楽しみにしてる人にお願いまでしようなんて、がめついって自分でも思う。
けれど、夏休みが終わってしばらくしてから、潔子から部を休んでいた一年生のうち3人が戻ってきたと聞くことになるので、 男前彦星は私の願いを半分くらいは叶えてくれたことになる。
なーんてことは、
「さ、もう遅いから帰るよ!西谷!」
「はい!……遅くて暗いと幽霊出るかもしれないですからね」
「はぁあ?ちょっとやめてよー!」
幽霊もきっと呆れちゃうような笑い声を上げながら家路についた、 その時の私たちが知るわけないけど、ね。
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