碧空と向日葵 | ナノ






 今まで何度見てきたかも分からない景色の中を、全速力で駆ける。別に急ぐ用事ではない。それでも、走っていなければどうしようもない。



「ただいまぁ!!」



 引き戸に手をかけ、あがる息の中一息で挨拶だけして、乱雑にブーツを脱ぎ捨てて自室に向かい再び駆ける。途中後ろからかけられた弟の自分を呼ぶ声に適当に返しながら、部屋に飛び込む。



「……はぁ、」



 体力が自慢なだけあり、乱れる吐息はすぐに整っていく。それに伴い、思考回路も徐々に落ち着いていった。
 畳に寝そべりながら、もう一度息を吐く。――頭を占めるのは、つい先程会ったばかりの不安げな立ち姿。

 声をかけたのは、気紛れに近かった。ただ胡乱な表情で前を歩いていた少女がこの辺りでは見ない顔だから、少しだけ疑問には思っていた。観光客なら、大概は家族ないし友人たちと共に行動するものだ。もしかして迷子だろうか。しかし少女は周囲の店先を物珍しげに覗き表情を緩めるだけで、慌てたりする様子も見えない。そんな彼女が入ったのが、自分たちにも馴染み深い、虎屋も贔屓にしている店だったので、おっ、と思った。

 せや、あそこのおっちゃん元気やろか。

 近頃任務続きで会っていなかったことを思い出し、店を覗き込む。そこにいたのは、口一杯に冷やしパインを頬張った彼女。全身でそれを味わうような姿に、素直に好感を持った。一人歩く姿よりも、幼く見えるその姿に。更に彼女の口からは、聞き慣れた旅館の名前が出る。
 だから金造は、声をかけてみたのだ。



「え?お嬢ちゃん虎屋に泊まっとんの?」



 なんて。唐突な横入りに驚いたのか、目を丸くさせて振り返る少女の姿はやはり一人歩く姿よりも幼く見える。もしかしたら、自分よりも弟の廉造の方が年近いかもしれない。そんなことを考えながら自分も買ったパインは、少女よりも倍早く消費されていく。暑い日差しに熱を持て余した体には、冷たい果実はよく染み渡る。



「おー、相変わらず食うの早いなあ。せや、柔造らも元気か?」

「おん。おとんも柔兄たちも、ついでに廉造も元気やで」

「そら良かった。最近会うとらんからなあ。……ところで」

「んあ?」



 金造は割り箸をゴミ箱に投げ捨てながら、店主の問いかけに首を傾げる。良い笑顔を向けてくる彼に、嫌な予感は募る。勘が強い金造は一歩引くが、それを店主は逃がさなかった。がしりと掴まれた腕に、ぎゃ、と声をあげる。



「コレ、虎屋さんに、よろしゅうな」

「いやや!」



 店主が笑みを崩さず指し示したのは、重なったダンボール箱。中には間違いなく、ぎっしりと詰まった野菜たち。力仕事は専売特許だが、この暑さの中店とそれなりに距離がある虎屋を往復するのはなかなかに辛い。しかし、虎屋のためならば……。確実に往復しなければならないラインナップに溜め息を吐く。すると。



「……あ、の」

「おん?」



 蚊の鳴くような声だった。それでも耳に入ったそれは、あの少女のものだ。振り返ると、少女は恐る恐るといった様子で言葉を続ける。



「お、お手伝いしましょうか?」



 何かに怯えるように、しかし確かに彼女はそう言った。ぽかんとする金造に、少女はハッと我に返ったように表情を変える。余計なことをしたかと青ざめる少女に、金造は溢れる笑みを隠すことができない。
我ながら現金だとは思うが、それでも勇気を振り絞って声をかけてきた少女が、好ましかったから。



「ほんまに!?」



 問い返す金造に恐る恐る頷く少女。素直に喜びを見せると、その強張った表情がゆるゆるとほどけていく。安心したような、自然に表情を彩る微笑みが、やけに印象的で。





 ――だからこそ、許せなかったのだ。

 彼女にぶつかり、その心を踏みにじっていく男たちが、どうしても。心ない男の舌打ちに震える指先を見た時には、もう頭に血がのぼりかけていた。
 それでもその前に、再び強張ってしまう表情をどうにかしてやりたくて、ありったけの理性を動員して少女の頭に手を乗せる。そして安心させるように歯を見せ笑いかける。それに驚きながらこちらを伺う彼女は、一瞬でもその強張りをほどいてくれて。

 ――それからはもう、本能のままだ。



「お前ら、目ェついとるんか?あ゛ぁ!?ぶつかってきたのはどう見たってお前らやったやろうがぁ!!」」



相手に跳び蹴りをかまして、ふんぞり返り、逃げ出さない少女を褒めるように頭を撫でながら叫ぶ。



「あんまふざけた事ゆうとると本気でいてこましたるえ!この金造さまのシマでこないな事許される思たら大間違いやわ!はよお嬢ちゃんに頭下げろや!」



 途端に逃げ出す奴らを、逃がす気などなかった。足には少なからず自信がある。追いかけて、捕まえて、それから。
 しかし、それを止める小さな手。金造の袖の裾を引いて止めたのは、遠巻きに事態を眺めていた群集ではなく、小さく震えていた少女だった。金造は僅かに驚きを見せながらも、その間にも遠くなる憎々しい背中に意識を戻す。



「も、もう大丈夫です」

「何も大丈夫やないやろ!あいつらまだお嬢ちゃんに頭下げとらんやないか!」



 言ってしまってから、にわかに後悔した。
 タダでさえ恐がっとるお嬢ちゃんを、更に怖がらせてどないすんねや……!
 ばつが悪くなり目を逸らす金造に、少女は慌てて大丈夫だと繰り返した。申し訳なさが勝り顔を背けたままの金造にかけられたのは、もしかしたらある種、魔法の言葉だったのかもしれない。



「お兄さんが怒ってくださったから、平気です」



 ただそれだけ。
 本当にただそれだけなのに、金造は無意識のうちに顔を少女に向けていた。しゃがみ込んだままの少女と視線を合わせるように自分もしゃがみ込み、少女の顔を覗き込む。



「本当に、ありがとうございます」



 僅かにはにかみながら囁くように口にする少女にすかさずおん!と頷く。じんわりと染み込んだ一言が、申し訳なさを溶かしていく。自分につられるようにして笑みを見せる少女が、金造の見た二番目に印象的な姿。






 かなちゃん。

 それが、その少女の呼び名。正確には唯川かなえと言うのだが、金造は瞬間的になんとなしに浮かんだその呼び名で少女を呼ぶことにした。年下であろう彼女を敬称で呼ぶのもどうかと思ったし、いきなり呼び捨てにするのも憚られたのもある。しかしそれはどうやら大当たりだったらしい。



「志摩さんが本当に良い人なのは、ちゃんと分かってます」



 虎子に向かい自分を褒めたかなえは、印象的なあの表情をしていた。まるで冷たいパインを噛み味わうように、はにかんでいた。自分ではまるでどうしようもないような微笑み。
 自分を真っ直ぐ慕うようなかなえにいてもたってもいられず、金造は気付けば駆け出し、そして今自室に転がっている。
 つまるところ、金造は素直に褒められ慕われることに慣れていないのだ。まるで心臓を鷲掴まれたようだった。自分が守ってやらなければとさえ思う。
ついさっき、会ったばかりの少女に。



「……よっしゃあ!」



 一つ気合いを入れるように声に出し、足で勢いを大きくつけて反動で立ち上がる。足袋の下から足裏に伝わる慣れ親しんだ畳の感触が、金造の頭をすっきりさせてくれる。
 そう、元々金造は考え事に向かない性分なのだ。



「守ったりたいならそれでええよな!……ほな、オレかなちゃん案内行ってくるさかい、柔兄帰ってきたら夕飯頃帰る言うとけ!」

「……はあ」



 ビシッと指差し命令する先は、いつの間にか部屋の入り口に立っていた弟。え?なに?どないしたん金兄ホンマにおかしなってもうたん?と疑問符を飛ばす弟などお構いなしに、先程のように全力で廊下を駆け抜ける。ブーツを履いて、石畳を再び駆けて、向かう先には。

 虎屋の入り口に佇む、少しだけ何かに悩んでいるようで、何かがつまらなそうな横顔。息を整え勢いを緩めながら近付くと、向こうもこちらに気付いたようで。

 パッと、色を変えて向けられる柔らかい笑み。



「〜っ!」



 それに何だか嬉しくなって、金造は手を振りながら、一歩に力を込めたのだった。
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