障子戸を開けてパーカーをハンガーにかけてから、青々とした畳に寝転がった。なんだか力が抜けてしまったのだ。畳に頬を当てると、懐かしいような匂いが鼻腔を満たして安心する。
すごい一日、だった、なあ。
手元でガサリと鳴るビニール袋に、頬が緩んだ。ああ、本当に凄い一日だった。八百屋で出会った彼を思い出して、小さく笑った。疲れたはずなのにこんなにも満たされているのは、何故なのだろう。
私がはしたなくも横になっているここは、虎子さんがあてがってくださった空き部屋だ。旅館と繋がっている勝呂家の、いくつもある客間の一つ。旅館ではなく勝呂家の居住スペースの中なので、ここへくるのは基本的に、勝呂家の人やお寺の人たちだけらしい。少し離れにあるここは、あまり音もなく心地がいい。
そうして暫く寝転がっていると、ふいに、襖の向こうから話し声が聞こえた。従業員の方だろうか?しかしよく聞いてみると、その声には声変わり前の少年のものも混ざっている。先述のとおり、ここには従業員の方、もしくは虎子さんの身内の方しかこない筈だ。
……身内?
そういえばまだここにきてから出会っていない、虎子さんの身内で私も知っている人がいるのを思い出した。
「……もしかして、竜士、くん?」
途端、向こうでドタドタっという大きな音がした。驚いて上半身を起こすと、ややして、そっと襖が開く。その向こうには、並んで立っている三人の少年。右から小柄な坊主頭の子、一番大きな吊り目の子、そしてへらりと笑う垂れ目の子。その真ん中に立つ大柄な彼に、私は見覚えがあった。
最後に会ったのは、確か五年も前のこと。それでも幼い姿と重なる、彼は。
「かな姉、やろ?」
「……やっぱり竜士くんかあ」
少々緊張したように強張る彼にへらっと表情が緩む。変わらないなあ。ちょいちょいと手招きをすると、竜士くんは横の二人へ目配せをして、揃っていそいそと部屋に入ってきた。
竜士くんは、虎子さんの息子さんである。一つ年下の彼とは、母に連れられてきたここ京都で何度か会ったことがあった。かな姉、と自分を慕ってくれる竜士くんを、私も弟のように思っている。なかなか会えないが、今でも時折文通をする。
部屋に入ってきた竜士くんは、やはり記憶の中にある幼い姿と比べると驚くくらい成長していた。背なんて私よりも全然高いし、声変わりももう終えたのか何だか大人みたいだ。それが何だか嬉しくもあり、少しだけ、寂しくもあり。
「本当に久しぶりだねえ。元気だった?」
「おん。かな姉こそ、元気そうで何よりやわ」
「えと、竜士くんの隣にいるのはもしかして、いつも言ってるお友達?」
彼の両隣にいる少年二人に視線を向けて首を傾げると、竜士くんがこくんと頷いた。竜士くんのお話によく出てくる二人、名前は確か。
「『こねこまる』くんと、『しま』くん?」
「は、はい!三輪子猫丸言います。よろしゅうお願いします」
「俺は志摩廉造どすえ。」
しま?
そういえば、私にはつい今日知った名前がある。
「もしかして、志摩さんの弟さん、ですか?」
「へ?まあここらで志摩言うたら多分兄弟やと思いますけど……どの志摩どす?」
「えと、志摩……金造さんです」
途端にぞええっ、と声を上げる志摩くんに、私は驚いて竜士くんに視線を向ける。しかし、当の竜士くんまでもが目を丸くさせて私を見る。「金造と知り合いやったんか、」と問いかける竜士くんに戸惑いながらも頷くと、未だに信じられなさそうに彼は意味をなさない声を漏らす。
そうか、彼は志摩さんの弟さんなのか。廉造、と名乗った彼を良く見ると、確かに顔立ちはとてもよく似ている。むしろ今まで気付かなかった方がおかしいくらいに。
彼と志摩さんを比べていると、ふいに彼が眉間に皺を寄せながらこちらに問いかける。
「金兄、何しはりました?かなえさん、怪我とかしはりませんでした?」
「う、うん。……むしろ、助けていただきました」
すると志摩くんがあまりに信じられないと言いたげな顔をするものだから、私はついついくすくすと笑ってしまった。そんな私に呆気にとられた三人は、竜士くんの呆れたような「相変わらずやなあ」の一言で困ったように表情を和らげる。竜士くんこそ変わらないのに。そう言おうと思ったけれど、竜士くんの表情があまりに柔らかいから、なんとなくやめた。
それから彼らと色々話し(志摩くんは志摩さんと被るから廉造くん呼びになり、三輪くんは廉造くんに倣って子猫くん呼びになった。ちなみに敬語も外していいと言われたので、お言葉に甘えることにする。)、竜士くんが夕食のために私を呼びにきてくれたことを知った。お手伝いも何も出来なかったので、食後の皿洗いだけは絶対にしよう。一人そう決意しながら、せっかく呼びにきてくれた彼らに何かあげようと思いたち、先ほど志摩さんがくださった駄菓子屋の袋を思い出した。
「志摩さんがくださったんだけど、よければひとつずつどうぞ」
「えっ、金兄が……!?」
再び大げさにのけぞって驚く廉造くんの中の志摩さんは、どんなお兄さんなんだろう。ありがとお、と口元に笑みをつくりさっそく手を伸ばす竜士くんと子猫くんに、あっ、と声を出す。どうした、と袋から顔を上げてこちらを見る三人に(あっ、廉造くんもちゃっかり手を伸ばしてる)、私ははにかみながら答える。
「えと、ね、……ラスクだけは、残しておいてね」