ザリッ、と砂を踏む音に、わたしはぼんやりと見つめていた焚き火から意識を戻し、背後に佇む彼へと振り向いた。こちらを見下げながらどこか視線を泳がせているルークの髪が夜風に揺れている。まるで火のようだ。夜闇を照らす、鮮やかな火。
わたしは眦を弛ませ、彼に手招きをする。
「ルーク、ほら、突っ立ってないでこちらにいらっしゃい。疲れたでしょう」
とん、と自分の横をたたくと、ルークは素直に頷き促されるまま隣に腰を下ろした。その肩は僅かに強張っている。不自然にそわそわした様子から、こちらに何か聞きたいことがあるのは一目瞭然だ。どうしたの。ルークの肩に肩を寄せながら、こちらから問いかける。
「……みんなに、話聞いてきた」
「うん。……みんなは、なんて?」
「イオンは、俺が戸惑ったり悩むのも仕方のないことだって。ジェイドも、戦わなくて大丈夫だって。……ティアは、……なんか謝ってきた。意味わかんねー」
むっすりと口を真一文字に引き結んだルークはどこか微笑ましい。やはり今でも彼女を怪我させてしまったことを気にしているのだろう。あれからティアが目覚め、自身で治癒術を施した結果、どうやら痕は残らないようだった。そればかりは一安心だ。女の子に傷が残ってしまうのは忍びない。例えそれが、軍属の少女だったとしてもだ。
「あとガイは、死ぬのが怖いから戦うんだっつってた」
「そっか。……それは少し、分かるかもしれないなあ」
「……な、リアはなんで、」
「戦うのか?」
「……うん」
ルークが膝を抱え、靴の底と擦れた砂がじゃり、と音を鳴らす。先回りして彼の質問を拾ったわたしは、うーん、と意を成さない曖昧な声をあげた。大佐が耳をこちらに傾けているのが分かる。それはそうだろう。彼は未だにわたしを信用してなどいない。聡い彼のことだ、わたしが牙を向く理由にはとっくに気が付いているに違いないのだ。
自分が戦う理由。タルタロスで会った友人の瞳に揺らぐ自分を思い出す。伸ばした銀髪。鉄爪を構え、白い服の裾が揺れる。その姿はまるで、鏡映しの――。
「……忘れたくないから、かな」
「何をだよ」
「……命よりも、大切なもの」
正確には、大切だったもの、だ。しかしそんなことまでルークに言う必要はないだろう。今の彼は迷い子のように、道しるべを探しているだけだ。わざわざ無駄に心を乱すことを言うこともない。
焚き火の熱が薄い皮膚にじんわりと滲む。わたしはルークにそっと手を伸ばした。薄手の手袋をしたままの指先でここ数年でめっきり男らしくなり無駄な肉の落ちた頬に触れる。
「ルーク、お願いだから、無茶はしないでね。何かあったらすぐに言ってちょうだい」
「……何かリア、母上みてぇ」
「……ふふ、なにそれ」
ちょっとだけ気持ちが緩み、眦が下がる。わたしの秘密を知っていて尚シュザンヌさまのようだと言うルークは、良い意味でばかというか、なんと言うか。そういうところが大好きで、羨ましくもあり、そして何より彼を大事に思う一因であるのだ。だからこそ、彼が聞きたいであろう質問には、極力答えたい。まだ何か聞きたそうにしているルークの背に手を回し、促すようにそっと丸まる背中を撫でてやると、ややしてルークが小さく口を開く。
「……リア、」
「うん?」
「リアは、人を殺したこと、あるんだろ?」
「……うん」
あるよ。昼間のあれで気付いているだろうけれど、改めて正直にそう答えると、ルークは揺れる瞳でこちらを見つめてきた。
「初めて殺した時、リアはどうだった?」
「……怖かったよ。怖くて怖くて、仕方なかった」
「リアも?」
「そりゃね。……正直、今だって怖いもの。でもきっと、怖いって心を失ったなら、それは殺人鬼と変わらない。…………なんてね」
少しだけ茶化しながら口にすると、ルークのエメラルドの瞳がまた揺らぐ。焚き火を見つめながら小さくうん、と呟いたその拳はぎゅうと強く強く握られている。
一日では、到底整理なんて出来ないだろう。自分だってそうだった。ルークに人を手にかけて欲しくない。あの箱庭は異常だけれど、それでもあの頃と変わらず、怖いものを知らずに生きて欲しかった。けれど願いは叶わず、ルークは人を手にかけ、今隣で、じわりと浸食する恐怖に震えている。
自分には、何故いつも、何をどうする力もないのだろう。無力感に嫌気がさす。
「……さあルーク。よい子はそろそろ寝る時間よ。今日はいろいろなことがありすぎて疲れたでしょう?」
心をじりじりと焼く痛みに気付かないふりをして、彼に声をかけた。努めて明るく出した声に、ルークはぱちくりとあどけなく目を瞬かせて、それから唇を尖らせた。子供扱いすんじゃねー!そう悪態をつくルークも、努めて平生通りにしようとしているのだろう。こちらに背を向けてぞんざいに横になったルークが、ぽつりと呟く。
「リアは……」
「……ん?」
「……やっぱいい。おやすみ!」
丸まって小さくなった、記憶の奥よりも随分と大きな背中は一体何を聞きたかったのだろう。尋ねたかったが、ルークの睡眠の邪魔をしてしまうなんていう大義名分を掲げてやめた。本当は、彼に答えてあげられるかが分からくて怖かっただけなのに。
「……おやすみ、ルーク」
囁いた言葉に、返事はなかった。
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20130614