パチパチと小さな音をたてながら辺りをじんわりと照らす炎に、手近にあった枝を放り投げた。寝る前にたくさん集めておいたから、これなら朝まで足りなくなることはなさそうだ。
焚き火の近くでは、子供たちの静かな寝息が聞こえる。ちら、と赤毛の彼に視線を向ける。地面が固く寝苦しいからか眉間に皺を寄せてはいるが、悪い夢は見ていないようだ。疲れすぎて、夢を見る余裕もないようだ。眠れる時に、寝た方がいい。あどけなさが残る寝顔を眺めつつ、そんなことを考える。
今日は色々ありすぎた。片膝を抱えながら、細く長く息を吐く。大佐と出会ってからというもの、まるでいい事がない。怒涛の勢いで襲う試練の数々を思い出していると、やや離れた場所から布擦れの音がした。顔を上げてそちらを向くと、どうやら目が覚めてしまったらしい。木にもたれかかり剣を抱いて眠っていたはずのガイが、ぱちぱちと平生よりややぼんやりした瞳を瞬かせこちらを見ていた。
「……起きちゃったの?」
「……まあね」
「もう少し寝たら?」
幸い、見張りの交代まではまだ時間がある。二度寝をすればいい、と提案したが、彼はふるふると首を横に振るだけだ。……まったく、変なところで頑固なんだから。わたしは苦笑いして、焚き火をもう一度見た。暫く木を足す必要はなさそうだ。おまけにと手元の細い枝をもう一つそこに放り込んでから、腰を上げた。
なるべく足音を潜め、ガイのもたれかかっている木の下へと向かう。橙の淡い光を逆光に目の前に立ったわたしにひらりと手を振る彼にただそれだけで何となく安心して、わたしはふ、と口元を緩めて彼の隣に腰を下ろした。
「寝てればいいのに」
「あいにく目が冴えちゃってね。丁度話し相手が欲しかったんだ」
「……ふふ」
バチカルにいた時と変わらないやり取りに、知らず笑みが漏れる。ばかねえ。笑み混じりに言えば、ガイも喉で笑いながらリアもねと返す。
「足はもう大丈夫なのかい?」
「ええ、ティアのおかげで。もう戦闘に支障はないし、あんな事されなくても大丈夫よ」
「そりゃ残念」
おどけて見せたガイの頬を、横から軽くつねってやった。調子に乗らないの。ごめんごめんと謝る年下は、しかしこれっぽっちも反省などしていないだろう。そういう男だ。どうせまたわたしが歩けなくなったりしたら先のように抱き上げるに違いない。まったく、紳士なんだかそうじゃないんだか。軽々と自分を抱き上げた腕を思い出しながら「それでも助かったわ、ありがとう」と素直にお礼を口にすると、ガイは「いや、頼ってくれて嬉しかったよ」とはにかんだ。
ややすると不意に、そんなくだらないやり取りが途切れた。まるで夜闇が支配したような空間の中で、そこだけ切り取られたように存在する焚き火だけがぱちぱちと音を立てる。
「……流石に、疲れているんじゃないかい?」
最初に口を開いたのは、ガイの方だった。橙を揺らめかせた青の瞳が、労るような色を滲ませて下からこちらを覗き込む。
「外を知らないルークや、あまり素性の知れない二人と一緒で、その上導師もいるってんだ。流石の君でも、疲れたんじゃないかと思ってさ」
「あら、これでもあの大佐さんの次に年長者なのよ。……でも、そうね、……少しだけ、」
そこまで言ってから、はっとして口を噤んだ。ガイを窺えば、問いかけてきたくせにその瞳を丸くさせている。彼の、……彼ら、年下たちの前では、弱みを見せる気などなかったのに。存外に自分が参っていることを知らしめられている気になる。
気にしないで。そう言おうとして、やめた。こちらを覗き込むサファイアがこういったことにおいて昔から酷く頑固だと思い返したのだ。気にしないでと言う方がかえって気にしてしまうだろう。ガイは深くを突いて聞き出そうとはしてこない。いつでも適切な距離を測って、こちらから切り出すのをいつまでも待っている。それでも目に見えて心配を浮かべる彼に、ふ、と息をもらした。本当、変わらない。それが何よりもわたしのささくれ立った心を癒やしてくれることに、きっと彼は気付いていないのだろう。
そしてそんな彼だからこそ、わたしもつい、弱音を吐いてしまうのだろう。
「あーあ、もう……この歳になっても不甲斐ないことが多すぎて、やんなっちゃう」
「それはルークのことか?」
「大半はね。……もしわたしが気付いてあげれてたらだとか、負傷していなかったらだとか。……それに、きっとルークはこれからも戦わざるをえなくなる。大佐にも言われたけれど、戦力を考えると少しでも戦えるルークを頭数に入れるべきなのも分かるの。彼を戦わせたくないのは私のエゴでしかないのも分かってる。それでもどうしても考えちゃって、」
情けなくてほんと、やんなるわ。
冗談混じりに告げた弱音に、ガイは間を置いて――それから、「そうだなあ、」と存外に気の抜けた言葉を吐いた。その声があまりに力が抜けていて、何だか馬鹿らしくなって、……それがとても心地よくて、わたしも「そうなのよねえ、」と呑気に返す。弱音が弱音の色を持たないように配慮してくれているのだ。ほんと、良く出来た年下だ。出来すぎと言っても過言ではないだろう。
年下の気遣いに段々と自分のペースを思い出し、わたしはふう、と気持ちを切り替えるように息を吐いた。それかた腕を上へとぐっと伸ばす。
「……っあーもう、わたしらしくもないわね」
「まあ、こんな時くらいはちょっと肩の力抜いたっていいんじゃないかい?」
「そ?」
「そうさ」
……やっぱり生意気。
すっかり大人の顔になってしまったガイの額に手を伸ばし、軽く指で弾く。いたっ、と反射的に上がった声にほくそ笑みながら、瞼を下ろした。
「……ありがとう、」
呟くように出た言葉の欠片は、彼へ届いただろうか。
きっとわたしは悪足掻きを止められない。これはもう決定事項で、どうしようもない。ただ、海色の軍服に出くわしてから、ひょっとしたら渓谷に飛ばされた時からずっと背中にのしかかり続けていた澱んだ重みだけは、嘘みたいに質量を減らしていた。
聞こえる虫の音が、心地よい。
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20130626