ガイの中のリアという人は、花の香りを纏った強かな人間であった。ガイがファブレ公爵の家にやってきてから暫くした頃、シュザンヌが屋敷に招いた年若い客人。銀色の髪を揺らし廊下を歩く姿はどこか浮き世離れしていて、しかし穏やかな笑みでシュザンヌと談笑する姿はとても身近な、どこかちぐはぐな人。
ガイはそんなリアを、花そのもののように思っていた。穏やかで意外に強かで、優しく心を癒やす人。今でもその思いは消えていないが、しかしそれはあくまで、リアの一面でしかなかったのだと今なら分かる。
ルークが人を斬ることに怯え、たじろんだ時。悲痛な声をあげたリアが、何かを決したように纏う雰囲気を変えたあの瞬間。ガイは自分の目を疑った。
白い手を覆うように装着された、土を弄る手に似つかわしくない厳めしい鉄の爪が、神託の盾を容赦なく切り裂いていく。細められた瞳は鋭い刃のように敵を射抜き、しなやかな足が地面を踏みしめ飛びかかり、次から次へと目についた獲物を喰らう。
その姿はまるで、
「――おおかみ、」
風に靡いた銀色の髪は、さながら尻尾か鬣か。美しい銀狼は敵を薙ぎ倒し切り裂き、息を吐く間も与えない。無感情に淡々と行われるのは、もはや作業に等しかった。花を愛で、自分たちに寄り添う優しげな姿からあまりにかけ離れている。しかしガイは、敵の命を狙う姿より先に、細められた鋭い瞳が気になって仕方なかった。
だってあれは、あの瞳の奥に揺れるのは間違いなく、自分と同じ――。
「……ガイ?」
「あ、あぁ」
不安気に自分を呼ぶ声に、ガイは我にかえった。ルークが怪訝そうにガイを覗き込んでいる。時刻は変わって夜。ティアの怪我やイオンの体調もあり野宿が決定した今、どうやらルークは皆に話を聞いて回っているらしい。
人を斬れなかったこと。そのせいでティアが怪我をしたこと。考えることが色々あって、一番混乱しているのはきっとこの箱入り息子だろう。ルークを宥めるように努めて穏やかに会話を交わしていると、彼が何かを言い澱んでいることに気が付いた。揺れる緑色の瞳がちらりと窺う先は、
(……リア、)
ぼんやりと焚き火が揺れるのを眺める姿は、平生の凜とした姿からはかけ離れていた。かといって、日中に見たあの激情に駆られた姿とも違う。透き通る瞳に揺れる橙の奥に、一体何を見ているのか。
リアと出会ったのは、ガイが11の時だ。人生の半分近くも一緒にいたというのに、自分にはリアが考えるその半分も分からない。見当すらつかないことが、不甲斐なくて仕方がない。だってきっと、ずっと一緒にいた(と少なからず自分は思っている)自分よりもあの青い軍人の方がリアの影を分かっている。……なんて、くだらない嫉妬だ。
ガイは自嘲の笑みを浮かべながら、ルークの背を押した。
「リアに話したいことがあるんだろ。……行ってこいよ、リアなら聞いてくれるさ」
それは、自分に言い聞かせるようでもあった。そう、何があったってリアはリアだ。世話焼きで、どこか抜けていて、優しい年上の友人。それだけはきっと、揺らがない。
「……そうだな」
ルークが頷いてガイの元を離れ、その背中に声をかける。ぼんやりとしていたリアのラベンダーの瞳が見開かれてルークの方を向きゆるりと柔らかくなるのを見て、ガイは胸を撫で下ろした。 聞きたいことはたくさんあるが、無理に聞くつもりはない。だって自分だって、リアに言えないことがたくさんある。自分は今まで通りただ、いつもと変わらずリアの側にいるだけだ。
木の元へ腰を下ろしながら会話を交わす二人を見る。焚き火の橙に揺れる瞳に、もうあの鋭さはなかった。
「……君は一体何を、憎んでいるんだい、リア」
ガイの幽かな呟きは、宵闇に紛れ溶ける。
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ガイ視点。
20130510