昇降口が大きな音をたてて閉まる。最後に見たのは、何かを伝えようとしている少女の姿だ。それを聞くことは残念ながら叶わなかったのだけれど。
閉まった昇降口を暫し眺めてから、再会を喜んでいるルークとガイの元へ歩み寄ろうとした。その瞬間、ぐらりと体がバランスを崩す。
「あ、らら……?」
軸を失った体が、後ろに倒れ込む。不意のことに体勢を立て直すことも出来ず重力に従い傾く体を支えたのは、駆け寄ってきたガイだった。
とん、と背中に腕が回る。
「大丈夫かい?」
「ありがと、助かった」
「いえいえ。……足を、怪我したのか」
ガイの言葉に視線を下げると、見事に太ももの怪我が開いていた。止血に巻いた布が見事に血で塗れている。緊張の糸が解けたからか、鈍く重い痛みが蘇る。あー……、と苦笑すると、血相を変えたティアとルークが駆け寄ってきた。
「げ、これやべえんじゃねぇの……!?」
「リア、早く手当てしないと!」
「ええ、是非お願いしたいのだけど、……とりあえず今は早くここを離れた方がいいかしらね」
心配する年下二人を安心させるように笑いかけ、ガイに支えられたまま大佐に視線を向ける。大佐はふむ、と顎に指をかけ小さく頷いた。
「それがいいでしょう。ここではいつ敵が来るか分かりません。ところでイオン様。アニスはどうしました」
「敵に奪われた親書を取り返そうとして魔物に船窓から吹き飛ばされて……ただ遺体が見つからないと話しているのを聞いたので無事でいてくれると……」
「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」
セントビナー。エンゲーブからそう遠くない、城塞都市と呼ばれる街だ。大佐曰くここからなら、南西へ向かえばいいらしい。アニスが無事でいてくれることを祈りながら、そこに逃げることに皆同意する。
「そちらさんの部下は?まだこの陸艦に残ってるんだろ?」
「生き残りがいるとは思えません。証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」
「……何人、艦に乗ってたんだ?」
「今回の任務は極秘でしたから常時の半数――百四十名程ですね」
マルコさん。穏やかに笑いながら逝った彼の人を、瞼の裏に描く。百四十の遺体が、今もまだ陸艦の中に残されている。わたしはぎゅっと彼から預かった御守りを服の上から握った。陸艦に遺された彼らは、神託の盾に捨てられるか魔物の餌になるかのどちらかだろう。タルタロスを乗っ取られてしまった今、わたしたちに彼らをどうこうする術はない。
なんて、無力なのだろう。握りしめた拳に気付き、ガイが思案げな表情でわたしの顔を覗き込んだ。
「行きましょう。私たちが捕まったらもっとたくさんの人が戦争で亡くなるんだから……」
何かを考え込んでいたティアが、空気を切り替えるようにそう言った。そうだ、今は戦争を回避しないと。そうしないとたくさんの人、が、
――本当に?
ティアの言葉を反芻する頭の中で、別のわたしが顔を出す。本当に、それは、許される?戦争回避を免罪符にして、誰かの命を奪うことは、果たして本当に正義なのだろうか。
頭を揺らす疑念を、首を振って否定する。しょうがない。しょうがないのだ。……しょうがない、でしょう?
ぎゅうと握った御守りは、答えを発すことはない。突然首を振ったわたしに、ガイが驚いて声をかける。大丈夫かい?心配がありありと顔に出ている彼を見ていると、少しだけ安心する。うん、大丈夫。へら、と緩く笑い頷くと、彼は眉を僅かにひそめた。
そして。
「ちょっと失礼するよ」
「わっ!?」
突然の浮遊感に、思わず声をあげた。膝裏と背中に回った腕が、わたしを持ち上げる。これはいわゆる、お姫さまだっこというものだろう。流石に照れはしないが、状況が分からずにいつもよりも至近距離にある彼の顔を窺えば、むっと拗ねたようなしかめ面が向けられた。
「大丈夫じゃないだろう、顔色が悪い。……痛むかい?」
グローブごしの指先が、ぺた、と頬に触れた。わたしはそんなにも酷い表情をしていたのだろうか。自覚のないまま彼をぼんやりと見上げる。どうやら彼は、わたしが傷の痛みで顔色を悪くしていると思っているようだ。そう思ってもらった方が、都合がよい。少なくとも、失血のせいでもあるのだから。
ガイに「ごめんなさい、」と謝罪をする。
「ちょっとやりすぎたみたい。お願いしてもいいかしら」
「ああ、任せてくれよ」
大人しくその腕に抱かれ力を抜くと、朗らかに笑ってガイが頷く。久方ぶりに感じる温もりにほっとした。大丈夫ですか?寄ってきて問いかけるイオンの髪を、さらりとすいてやった。
では行きましょうか。ジェイドを先頭に歩き出す。ふと、ルークが陸艦内の時のように何かを言いたげにしていることに気がついて後ろから声をかけた。
「ルーク、何かあったの?」
「あー、……後で、言う」
「……そう」
確かに、今この状態では満足な受け答えもしてやれないだろう。なまじ意識してしまったばっかりに激しさを増す痛みに、脂汗が浮かんでいる。ルークも、気をつかっているのだろう。あれでいて存外、聡い子だ。分かった、後でね。了承の意を伝えると、ルークの表情が僅かに綻んだ。
オッケー!頷いて駆けて行ったルークに微笑ましさを覚えながら、ガイの腕の中、目を閉じた。頭を未だ過ぎる、先ほどの疑念の渦。彼らにこのぐちゃぐちゃの感情をどうしても知られたくなかったから。
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20130406