黒の時代編 | ナノ


▼ 帽子と買い物、二

突然首領から直々に呼び出しの電話を掛けられ、任務が終わった足でそのまま首領室に向かった。

時刻的にはそろそろ定例会議がある頃だ。

昇降機に乗り、夥しいほどのビル群を見下ろしながら何故首領に呼び出されたかを考える。

もしや今回の会議の議題で、何か内密な問題が発生したのか…。裏切り、間諜、隠密行動…頭に過る厄介事は幾多もある。

とにかく、首領に呼び出されて、そう晴れやかな気分になるようなことは無い。


「首領、中原です。失礼します」


帽子を取り、名乗ってから部屋に入れば、其処にはいつも居る筈のエリス嬢の姿がなかった。

そして見慣れない、この部屋では何処か浮いている普通の机が首領の席のから直ぐ近くに置かれている。


「やあ。任務が終わったばかりなのに、突然呼び出して済まなかったね」

「否、問題ありません。御指示に従い参上しました。御用件は?」

「うん……君に、重大任務を命ずる」


冷たい光を帯びた鋭い眼差しに只ならぬ事態を予感し、自然と背筋が伸びた。

一体、どんな仕事を任されるのか…。
生唾を飲み込む。

そして瞳と同じく、冷たく威圧を感じる声色で首領は任務を言い渡した。


「エリスちゃんと名前ちゃんに不埒な輩が一切近寄れないよう、全身全霊で護衛して欲しい」


至極真面目に、まるで死を覚悟するような重大任務を言い渡す緊張感で言われた所為で、任務内容を少し理解するのに時間が掛かった。

否、当の本人にとってはそうなのだろう…が、しかしだ。
内心動揺している俺に構わず、首領は話を続ける。


「知っての通り、幹部は皆この後会議だったり出払ったりしている。でも勿論、こんな要用を其処等の構成員には頼める訳がない。君以外に適任が見つからなくてね…任されてくれるかな?」


本当に不埒なのは誰だと心中で思うが、其れを絶対に顔には出さない。
出せばその時点で命は無いのは分かっているからだ。

形式上聞いてはいるものの、此方に選択権など勿論無かった。


「畏まりました。お任せください」

「よろしく頼んだよ」


首領は微笑し云う。

最後に恭しく礼をし、部屋を後にした。

先ほど言っていた首領の言葉、エリス嬢と名前。

エリス嬢は誰もが知っているが、名前と言う名前は聞き慣れない。
確か最近になって入った構成員だった筈。
それが異例のスピードで出世して、今じゃ首領秘書の座に就いている。

ということは首領の机の隣にあったあの席はその女の物か。

今まで西方に遠征して居た為、どういう成り行きでそうなったのか一体どういう事かは皆目見当が付かないが……首領も決して莫迦ではない。

むしろ秀英たるあの御方の事なら、何か底知れない考えがあるのは明白。何も知らない自分が、そう簡単に口出しをして良い事ではないのだろう。

二人は既に事務所のホールで待っているようなので、足早に向かう。

しかしその途中で思い浮かべる中でなら、ぶっちぎりで眼にも入れたくなかった人物に出会ってしまった。


「あっれー!中也じゃないか。相変わらず小さいねえ。気付かずに踏んでしまいそうだったよ!」

「そこまで小さくねェ!!なんだったら眼科をお勧めするぜクソ太宰」


双黒だ何だのと、他の奴らからは相棒だと認識されてはいるが…それを自認した覚えは一度たりとてない。

他人を嘲笑うことにこの上ない悦びを感じ、口を開けば自殺がどうだの抜かしやがる。
俺は今までに此奴程、他人の神経を逆なですることに特化した奴を他に見たことがない。


「何々?任務終わったばかりなのにまた任務?大変だねえ。次期幹部様は」

「云ってろ。直ぐ俺も幹部になって手前を追い抜いてやるよ」

「ふーん、それはご立派だこと。で、何の任務?」

「ああ?手前には関係ないだろうが」

「えーどうせ何れ分かるんだしー。勿体付けずに早く話しなよ、私と中也の仲じゃないか!」

「手前とそんな仲になった覚えはねぇ!」


残念ながら確かに此奴なら、その気にならずとも俺がどんな任務に中っていたのかなんて直ぐ分かるだろう。
悔しくも、そういう立場に此奴が立っているからだ。

しかも言わない限り、道を退くつもりは微塵も無いんだろう。にやにやと笑う、いけ好かない顔にそう書いてある。

しかし、あのエリス嬢を待たせるというのは死活問題。

全くもって不本意極まりないが、さっさと退かせるために渋々先程言われた任務内容を話した。


「…エリス嬢と名前って奴の護衛だ」

「え、名前……?」

「何だ、手前知ってんのか?」


そんな子供の御守りみたいなことを任務に預かるなんて、保育士にでも転職すれば?
…なんてムカつく顔で言われそうだったから言いたくなかったが、どうやら思っていた反応とは違う。

太宰の思考に引っかかったのは任務内容ではなく、聞きなれない名前の方だったらしい。話した途端、何か考え込むように顎に手を当て考え始めた。

此奴が何を考えてんのかは知らないし、微塵も興味は無いが此方はもう時間が迫っている。

じゃあなと横を通り過ぎるとまだ何かあるのか、再び呼び止められた。


「こっちは急いでるって」

「……」

「…あんだよ?」


振り返り、合った太宰の細められた瞳は何処か首領を彷彿とさせる威圧感があった。
まるで相手の心情を見透かし、その上で自分の思い通りに誘導する、そんな怜悧な色を持った眼。

そして認めたくは無いが、俺はこの目が苦手だった。


「その子にはあまり下手な手を出さないでくれ。やっと見つけたのだからね」

「見つけただあ?手前がそこまで言うってことはなら相当な手練れか、この世の者非ざる程上玉の女なんだな」

「ぶー!残念ハズレ!!」

「………」

「うふふ。長期任務でお疲れな上に名前のことをなーんにも知らない可哀想な中也君に、相棒から一つ助言をしようじゃないか」


何処か緊張感が走る雰囲気に、自然と体が強張る。

そして不敵な笑みを浮かべた後、太宰は云った。


「その子、兎に角何でも凄っく美味しそうに食べるんだよねえ。お蔭で彼女が食べてる物の方に食欲が向いちゃうしー。しかもどうしてもって言うから、私が頼んだ定食も上げたら、ハムスターみたいに嬉しそうに頬張っちゃってさあ。もう面白いのなんのって…!」

「ああ、はいはい。分かった。貴重な情報をどうも」


今までで最大に如何でも良すぎる情報を片耳で受け流した。
奴の真剣な表情にまんまと騙された俺が莫迦だったってことだ。

無駄な時間を食わされた、くそっ。
苛立ちから思わず舌打ちをし、兎に角急いでロビーへと足を回すことに集中した。


―――――――――――
――――――
―――


ロビーに降りれば玄関に二人の姿が見え、片方がエリス嬢だったことでもう一人の女が名前だということは一目で分かった。

あの太宰があそこまで気にする女となると、息が止まるほど美麗に優れた奴なのか、はたまた相当な戦果と成績を残す豪傑なのかと身構える。
…が、エリス嬢の横で立っていたのは驚くほどに、一般的な、普通を体現した女だった。

容姿はまあ悪くはないが、アイツが今まで相手にしてきたような見目麗しい女という訳でも、可憐を極める美女という訳でもない。

最後の要らない助言を聞く限り、食欲が旺盛な印象を受けた所為でまさか極端にデブなのかと思えばそういう訳でもなく、だからと言って色気のあるスタイルと言う訳でもない。


極々普通の、一般的な女だった。


じゃあ性格がトチ狂ってるのかと思い、軽く自己紹介をすれば普通に返される。

……一体なんなんだ。
まさか、またあの包帯付属品に踊らされてるのか?

だが、まだこの女を見極めるには早い。

幸いにもこれから時間はたっぷりある。
あの太宰が目を付ける理由を絶対に見つけてやる…!





意気込んでみたものの、名前は何処まで行っても普通の女だった。

気付かれない様に遠目から護衛、基監視をしてみる。
しかし此方の視線に気づいている様子は全く無く、エリス嬢に振り回され、なんとか目を離さない様に努力する姿が寧ろ柄にもなく救い船を出したくなる。

終いにはエリス嬢の希望で一緒にクレープを食べることになった。

金を出そうかと云えば首領から予めかなりの額を受け取っていたようで、やんわりと断られる。

あの人ならそん所其処等の店の物なら丸々購入出来てしまうような大金を渡しているだろう。

云わなければ誰にもバレないだろうし、首領はそのぐらいの額を一々気にするような人間でもない。
馬鹿正直な奴だと、エリス嬢と談笑する名前の横顔を見ながら頭の片隅で思う。

しかし不本意ではあるが、太宰の言っていた通り、物凄くクレープを美味しそうに頬張る所為で、通常は甘いものをすすんで食べ無い俺でも興味が湧いてしまった。

感想を思わず言えば、笑みを一つ浮かべ快くクレープを差出し、分けようとする意思を示す。

こういう食い意地がある奴は他人に分け与えたりはしないと思っていたが、どうやら俺の思い違いだったようだ。
それか単に此奴が御人好しなのか。

差し出した位置が顔の前だったのもあり、そのまま噛り付いた。偶に食べるのはありかもな、といつ以来か判らないほど久しぶりのクレープの味に舌鼓を打つ。

それから他愛もない話をしていたが……ふと考えた。

まさか、さっきクレープを差し出したのは受け取って食べるべきだったのか?
名前の動きが一瞬止まったのはそういうことだったのか?

それを俺は受け取らずに、まるでガキのように噛り付いて…。

思い出し、考え直せば直すほどクソ恥ずかしくなってくる。それに比例して血液が顔に集まる様に熱を持ち始めた。

太宰までとはいかずとも、女とはそれなりの人数付き合ってきた。しかしこんな、まるで普通の逢引きのようなものをしたことは、思い起こせば一度も無い。

ただクレープを食べただけなのに、こうも動揺することになるとは予想しておらず、考えれば考える程に顔が熱くなるのが嫌でも分かった。

しかし名前はこういうことには手慣れているのか、顔色に変化は見られない。それが逆に羞恥を煽り、益々恥ずかしくなってくる。

なんとか顔を隠そうとするが、そんな俺に気付かないのか名前は普通に話しかけて来た。


『あのー……』

「な、ななんだよ!」

『怒ってます?』

「何が!!」

『何がって…顔が赤いので』

「赤くねェよ!!」


恥ずかしさを打ち消そうと、まるで太宰と話す時の様にムキになってしまう。
今の自分が最高にダサいことは分かっているが、如何せん心臓の動悸が収まらない。

気を使ったのかどうかは分からないが、名前は話題を変えてきた。


『さっき本当にって、誰かが私のこと話してたんですか?』

「あ?…ああ、太宰の野郎がな」


思い出せばあのぶん殴りたくなるような得意げな笑みが浮かんでくる。

なあにが助言だ。笑わせる。

思い出しながら話すとまた腹が立ってきたが、横を見れば俺以上に据わった目をした名前がいた。

名前の太宰に対する静かな怒りを感じつつも職業柄、浮かぶ可能性は徹底的に調べ上げる。
万が一を確かめる為にも、名前に気になることを聞いてみた。


「手前は太宰を好いてんのか?」

『ないです』


即答だった。

照れ隠し、あるいは別の狙いかと思ったが…「ケッ」とでも今にも唾を吐き出しそうな、途轍もなく拒絶を表した顔を見て、あの言葉は本心からだと確信した。


『だって考えてみてくださいよ。あんな人に罵詈雑言を浴びせる為だけに生きているような人を好き?冗談でも笑えませんよ中原さん』

「……へえ。なかなか気が合うじゃねえの」


どうやら彼奴に対して他の女とは違い、真面な客観的思考が確立出来ているらしい。

同士を見つけた喜びから笑うと、同じように名前もにやりと笑った。


「中也」

『存じてます』

「違ェよ!阿呆!!」

『おうふ。すみません。えと…それは、つまり…』

「呼び方だ。俺のことは中也で良い」


少々疎い所があり、太宰が入れ込む理由もはっきりとは未だ分からないが、まあ悪い奴ではないようだ。

寧ろ何処か気の抜けた会話が心地良い。
あの野郎よりは遥かに仲良くできると断言できる。

上下関係が厳しいこの世界であまりこんな風に会話を出来るような奴はそういない。

他愛もない話を無難に出来る相手を見つけられた今、最初は気に食わなかったこの任務もまあそんなに悪くないように感じた。



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