黒の時代編 | ナノ


▼ 死のランチタイム

親子丼。

それは鶏肉と卵と米による革命である。

まず片手鍋の中で汁だしで玉ねぎと一緒にコトコト煮られた一口サイズの鶏肉と、白みを丁度良く残した卵を解き入れる。
この時、卵が熱で固まってしまわない内に火を止めるのが肝心だ。

ここで親子丼の全てが決まると云っても過言ではない。

次に丼に、ほっかほかに炊き上げられた白いご飯を空気を潰さない様にふんわり盛る。
そして先ほど完成した具材を素早く白いごはんの上に盛り付け、仕上げに三つ葉を少々。

なんて素晴らしいコントラスト。
立ち上る湯気が、汁の芳しい香りが、ぷるぷると揺れる半熟の卵が早く私をお食べと催促する言葉が聞こえるようだ。

ぱくり、と一口。
嗚呼、至福の時である。

気がついたら別の世界に飛ばされ、大学に進学するどころか、ポートマフィアに就職することになり、今やその首領の秘書をしていることなんて忘れてしまいそうな程に。

身に染みる。


「とても美味しそうに食べるねえ」

『………』


貴方がいなければもっと良かったのですが。

私の前で只にこにこと満面の笑みで組んだ手の上に顎を乗せ、私が食べる姿を見るこの男、太宰治。

久しぶりに建物の外に出たものの、こっちの世界の横浜でどんなお店があるのか知る訳もなく、つまりちょっとした食事処も知らない私は手を引かれるがままに太宰に連行され、今のお店に至った。

手を引かれている時はひやひやしたものだ。

どんな質問をされるのか、何を聞き出そうとしているのか、何を試そうとしているのか。
記憶喪失の捨てられた可哀想な子、と表向きはなっているけれど…。

それを聞いてそう易々、ああそうですかと太宰は納得してくれるような人ではない。


「どう此処、美味しいでしょ?」

『……太宰さんは食べないんですか?その定食』

「ん?食べるよ」


察してくれないかなあ。
そんなにじーっと凝視されてたら食べにくくて仕方がないんだよ。

というかもうカレー食べに行けよカレー。
織田作さんところの激辛の奴。

思い出してみれば、確かこの人が好きな食べ物は蟹、酒…とかだったような気がする。

まあ蟹なんてそこら辺の定食屋にある訳ないか。

でも、もっと偏食な人なのかと勝手に想像していたけど、定員さんに注文を聞かれた時に私が親子丼と云った後、普通に焼き魚定食と言ったことに少々驚いた。

そして流れる様に店員さんに心中のお誘いをしていた。テンプレか。

定員さんは顔を赤くさせて照れていたけど…いやいやお姉さん、普通に考えて。

心中だよ?死んじゃうんだよ?

赤面してしまう気持ちは勿論分かる。
顔ばかりは良いから。しかもとんでもなく。

そんな男性に耳が落ちてしまうんじゃないかと思う程甘い言葉を矢継ぎ早に云われ、流れる様に手を握られて端正な顔で迫られれば、そりゃあ赤面鼻血もんだよね。

だがしかし、私は出来ることならぴんぴんころりで死にたい。

そこまで思い詰めて死に向き合ったことがないからだろうか?

しかし太宰は注文した品が来てからも、あのお嬢さんなら一緒に心中してくれそう、あそこの鴨居は良いな、次はこんな自殺を……。
なんて常に自殺することしか頭にない。


正直、目の前で食事してるこっちの身になってくれ。


そんでもって目の前で熱を失っていく焼き魚の悲しい顔を見てくれ。死んだ魚のような目をしているだろう。
まあ、既に死んでいるんだけども。

というか、むしろ大海原の全魚たちに土下座して謝ってこい。……だなんて云える筈ないけど。


「……ねえ、名前ちゃんってば聞いてる?」

『なんすか』

「どんどん敬語が雑になってくるね」

『…あそこの鴨居で自殺するのは止めてください。折角親子丼の美味しいお店を見つけたのに、変な噂がたてられてお店が畳まれては堪りませんので』

「えー、じゃあ仕方ないか」


本当に何が目的なんだか。

――――――いや、気付いた。

此奴はむしろ此方が音を上げるのを待っているんだ。

太宰に突然腕を引かれた所為で悲しきかな無一文のまま外に出た私は、至極不本意ではあるけれど太宰の奢りでこの親子丼を食している。

つまり例え親子丼を食べ終わったとしても、太宰がお金を出さない限り私はこの店から、何より太宰から逃げることは出来ない。

というかそれ以前に、自分より遥かに上の立場である太宰を一人置いて帰宅するなんて…出来るはずがなかった。

そこまで見越して私を引っ張り連れ出したのか…。

なんって恐ろしい子なの!

焼き魚御免よ…。
まさか私の所為で君の美味しさをこの目の前の自殺愛好家に届けることが出来ないだなんて。

海から勝手に引き上げられ、振り掛けられる高濃度の塩分を身に纏い、勝手に網で美味しく焼かれたって云うのに…。
それを食べて貰えないなんて屈辱の極みだよね。

くぅ…っと魚に同情し、自分の持つ箸を悔しさから握りしめた。


「どうしたのそんな怖い顔をして…」

『焼き魚に申し訳なくてっ…!』

「え?」

『はぁ、もう良いです。参りました』

「…へぇ?もう良いの?」


さっきまでウキウキルンルンと言わんばかりだった笑みは、闇を纏うにやりとした微笑へと変わる。

その瞳は澱んだ闇を宿し、まるでこの世の全てに絶望してると叫んでいるようだった。

さあ、腹の探り合いといこうじゃないか。

歴代最年少ポートマフィア幹部様ぶいえす平凡女子の開幕である。


「じゃあ面倒な前置きは無しだ。単刀直入に聞こう!君は何者なんだい?」

『何者、とは?私は見た目通り清廉潔白を体現した、うら若き十八歳の普通の女の子ですよ』

「そう、正にソレだよ。清廉潔白かどうかは置いといて、十八歳、普通の女の子。全くその通りだ」

『……』


なんで清廉潔白が置かれたのか、全く解せないのだけど。


「ポートマフィアなんて、何処か常識とかけ離れ足を踏み外した人間の集まる所さ」


私のような、ね。

そう云う太宰の闇を濁したような瞳は、ただ真っ直ぐ私の眼を捉えて離さない。

そうですよね。
踏み外す所か踏み抜いた人だからね、あんたは。

私もその眼から反らさず、ただ太宰の低い声色から出される言葉に鼓膜を揺らす。

まあそりゃあそうだ。

いくら大規模な組織だとしても、普通ならポートマフィアなんて死と隣り合わせのような危険な組織に入ろうと思わない。
そこまでの危険を冒して入る必要など、真っ当な生活が出来る人間には本当はないのだから。

それでもポートマフィアと言う闇組織が一等地に馬鹿でかい建物を建てて拠点を張っているのは、ここが横浜だからというのもあるかもしれないけど…。


「普通なら真っ当な人生を歩んでいる筈なのだよ。ところが君は可哀想なことに高校生になるまでは育てられていたにも関わらず、運悪く闇取引が行われていた裏路地に捨てられた。しかも記憶喪失になって」

『………』

「勿論君のことは調べたさ。徹底的に」

『でも何も出てこなかった…』

「その通り。全く何にも。まるで君はこの世に存在していないみたいに」


ポートマフィアは横浜の暗部そのもの。

傘下の団体企業は森さんのカリスマ的な取引と契約によって既に数十を数え、もはやこの町の政治経済の悉くを支配していると言っても過言ではない。

その気にならずとも、今私たちの隣で佃煮を頬張っている名前も知らない男の性癖まで調べ上げることだってできるだろう。

そんな地下組織の情報源をもってしても、何も出てこない。

これは明らかに私が、何もない只々普通の人間であるということを完全否定していた。


「闇の子供だってことも考えた。何らかの理由で戸籍が無いってことも視野に入れて…でもそれだと高校には行ける筈がないのだよ」


そう云われ思い出した。

私は目覚めたときに制服を着ていた。前の世界の高校の制服である。
あのセーラー服が可愛くて、高校を決めたのが今となっては遥か昔のことのように思える。

まさかその高校を決める決定打となったセーラー服が、後々に自分の首を絞めてくることになるとは。
運命とはまっこと面白きものぜよぉ…。


「君が見つけられた時に着てた制服はどの学校とも一致しなかったし、刺繍されていた名前の学校も無い。巷で言うなんちゃって制服の刺繍にしては精巧なものだし、バッチまで揃っているとなれば流石に趣味の範囲でもない。となると何処かで学校は存在していたし、君は自分の云う通り、極々普通の高校生だった。制服があると言うことは大概が私立の学校だ。つまりそれなりにお金もある一般的な家庭で、愛されてたか如何かは別としてすくすくと育った」


…そりゃだって、卒業式でしたから。
いつもだったらね、バッチなんてつけずにそれなりにセーラー服の出来る範囲内で着崩してましたよ。

でも卒業式だったんだもの。
仕方がないじゃない。

そして確かに太宰の云う通り、私の学校は私立だった。別に目立ってお金持ちだとかそういうのでは無かったのだけど、勉学に関しては資金を惜しまない、それはそれは愛情に溢れる家庭で育ったもので。

見ての通り、こんなに素直な良い子に育ちましたとさ。
……それは違うって?まあいい。

しかし、なるほど。
これはぐうの音も出ねーわ。

ちょっと誰ー、さっき威勢よく腹の探り合いと行こうじゃないかなんて云ったの。

もう防戦も出来ず、やられたい放題である。

両手を後ろ手に回され、顔面ストレートパンチを食らい続けているような気分だ。

しかし表面上は無表情というポーカーフェイスを取り繕ってはいても、精神的にはもう満身創痍な私に太宰はでも、と続けた。

え、え、まだなんかあるの?

もう止めてくれ。許してください。
歴代最年少幹部に無謀にも挑んだ愚かな私に、どうかお慈悲を…っ!!


「一番の問題はこんなことじゃない。そんな何処を叩いても可笑しな物しか出ない普通の女の子を、あの合理主義を象ったポートマフィアの首領ともあろう人が側に置いていることだ」

『……』

「今のところ君は組織を裏切ろうだなんて算段はなさそうだし、今なら特別に私と二人だけの秘密にしておいてあげよう」


如何かな、と疑問文の割にその声色と微笑には「さっさと話せや」と言わんばかりな威圧を感じ、間違っても聞こうと云う意思は見受けられなかった。

さて、どうする。
もう洗い浚い全て吐いてしまおうか。

…でも多分私は怖いのだ。

歴代最年少幹部による報復だとか、ポートマフィアによる恐ろしい制裁だとかそういうのもあるけれど。

ただ、私の所為で話が変わってしまうことが、堪らなく恐ろしい。

日々気にしていた。
今はあの文庫本のどの辺りなのだろうと。

首領室でエリス嬢と遊び、森さんとお茶をし、書類整理をしている中でふと考えていた。


いつ織田作が殺され、太宰が組織を抜けるのか、と。


―――――――――でも


『……はぁ。降参、白旗完敗ですよ。全部うそうそ』

「へー?」


なにより気に食わない。

勝手に詰まらないと見限った世界でひょっと出の私が自分の暇つぶしに値するかを定め、推し量ろうとするその視線も。

酸化する世界からゲットアウェイしたいと豪語する中で、でも何か面白い物を見つけてみたいという何様なのだという態度も。

あんなに一目見たいと、この世界に来る前は焦がれていた存在も、自分にそれが向けられてると分かってしまえば不愉快極まりない対話相手である。

もうこの際、面倒だ。

例え私たった一人の発言でほんの少し原作と誤差が生じようと、そう簡単に大枠の軸がぶれるようなことはない筈。

主要キャラのあなたが、この話では主人公である貴方がそう簡単変わるような人間だとも思えないし。
太宰治という登場人物が好きだったから分かる。


一度明かしてしまえば、後は楽だった。


『記憶喪失だというのも、捨てられたというのも、ぜーんぶ真っ赤っかな嘘デス。まあ目が覚める前までは普通の女子高生だったというのは本当ですけど。それなりの家庭で愛されてここまで育ち、友達と放課後はティータイムに現を抜かす。そんな何処にでもいる大量生産型JKでした』

「…じゃあ、名前は如何してここに?」


ちゃん付けではもうない。


『んー、まあ出身地だけで言うなら私は生粋の横浜出身ですよ』

「というと?」


そこで私はにやりと嗤って腕を組み、椅子に背凭れた。

太宰のように美しく妖艶な笑みでは無い。

きっと、狡賢く蛇が蜷局を巻くような。
そんな不敵なもの。


『私は、未来からやってきたんデスよ。太宰くん』


真実を隠すんじゃない。

嘘を、吐く。

真実の中に嘘を入れ混ぜる。
練って、練って、練り込んで。

混ぜ込んでしまえば、何処から何処までが真実なのか、何が本当なのか判明するまでの時間は稼げる。

どうせ嘘を吐いてるのは遅かれ早かれバレるんだ。

だって目の前にいるのは僅か十八歳で凶悪な地下組織の幹部にまで上り詰めた、背後に屍の山をいくつも携える、そんな男なのだから。


事態はより悪化したかもしれない。

けどそんなこと知るか。


貴方たちが自由勝手にやるのなら、私だって自由気まま唯我独尊でやりたい放題にやってやる。


「未来、ねぇ」

『そう。と云っても今となんら変わらない、何処か平和惚けした日本です』


本当のとこ、時間軸どころか世界の軸自体が違うし、ポートマフィアなんて物騒なものが横浜の一等地に建てられていることもなく、異能力が脅威を振るうこともない、そんな私にとっては何の変哲もない平凡な世界だけど。

でも、そこまでは云わない。

ポートマフィアがなくなるだの、異能力が無いだのは“この世界の未来”には相応しく無いからだ。


『その日は普通に学校で卒業式が終わって、友達とお別れパーティーなるものをした後、自転車で家路に着いていました。天候は豪雨。無謀にも天に挑戦したことの罰が当たったんでしょうかねー。私は坂道でスリップを起こし、電信柱にそれはもうダイナミックにぶつかりましたよ。んで、目覚めたらあの裏路地に転がってました』

「……」

『信じらんないでしょ?けどこの世界にはそんな世界ビックリ仰天な出来事を現実にしてしまうものがある』

「…異能力」

『ご名答。セカンドステージに進めます』


そう太宰にまるでクイズ番組の司会者のようにほくそ笑む。

馬鹿にされてると少し頭に来たのか眉間に皺を寄せ、何とも怪訝な顔をしているけれど。

なんだ。
まあまあ人間臭い顔も出来るじゃないの。


『思うに此処で私は誰かに異能力を使われたんです。時間を操る、そんな感じの』


何が目的かは分からないですけどー。

そのまま太宰に突っ込まれる前に、のらりくらりと話を続けた。


『まあ何はともあれ、残念すぎる運により晴れてポートマフィアになってもう二月以上経ちますが……普通なら情報媒体を通して知れ渡る筈の私の行方不明が世間様に全く知らされない。愛娘が突然消えたのに、捜索願も何も出さない家族なんていないでしょ?…だから思った』


私が存在しない時間に来てしまったのだと。

黙ったまま話を聞く太宰の眼を見る。


『代償なのかどうかはさっぱりですが、私にはここに来る前の時間が分からないんでどのくらい先に私は産まれるのかは分からないんですよ』

「では、何で未来だと思うんだい?若しかしたら過去かもしれないのに」

『勿論私もどちらかは分からなかったので、ここのパソコンで調べさせて貰いましたよ。まずは自分の家。これは別の建物が建ってました。次に学校。私の学校は新設校だったので、それなりに自分がいる時点は分かると思ったんですが…』


検索してもヒットせず、創設した後もない。

それはつまり、まだ学校を設立する計画もたっていない、ということになる。

もし現在が私にとって未来なら、過去に創設された筈の私の学校は何かしら情報が出てくる筈。


「なるほど。住宅ならともかく、学校のような公共施設なら建てられれば必ず情報として残る。けどそれが無いってことは、まだ企画すらされていない段階って事だ」

『そ。まあ先ほど云った通り、今と風情もそう変わってません。猫型ロボットと友達になるような超未来都市になっていた訳でもあるまいし、そう遠い未来でも無いとは思うんですけどねー』


まあいつか帰れるでしょう。と何でも無いことのように言い、もう冷えてしまったお茶を飲む。

親子丼も冷めてしまい、せっかく輝いていた半熟卵が既にその輝きを失っていた。

それにしても異能力。
なんて素敵な言い訳なんだろう。

初めは自分の異能力が誤作動したことにしようと思ったけどそういえばこの人、人間失格っていう異能力無効化の力持ってるんだったということを思い出した。

掛けられた異能力は能力者本人か、その能力自体に直接触れなければいけない筈。

まあ後は架空の異能力者さんに頑張ってもらいたい。
私は知らん。


「首領はそれを知ってるのかな?」

『いんや。まだ誰にも云ってませんし。寧ろ何故こんな一般ピーポーな私を側で秘書として置いてくれるのか、私も分からんのデスよ』


太宰は私が突然ポートマフィアにやってきたからではなく、あの首領がただの一情報処理係だった私を突然秘書として置いていることから私に興味を持った。

つまり、あの妙な人事異動さえなければ目を付けられるようなことも無かった筈なのだ。

なのに、森さんは特に何もない全くのゼロの状態から私に目を付けた。

……本当に、一体何を考えているのか。
くそ恐ろしいわあ。


「じゃあ、最後に一つ良いかい?」


………まだ、何かあるのか。

もうネタは上がりましたよ太宰治!
これ以上なんもないよやめて!

ごくり、唾を飲み込む。

真剣な表情をした後、太宰はにへらぁっと頬を緩ませて笑った。


「………そっちの親子丼、食べたくなっちゃった」

『魚食えよ莫迦野郎おおおお!!』


全く、手に汗握るランチタイムだった。

その後、私の食べかけの親子丼と定食を交換させられることになったのは云うまでもない。


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