黒の時代編 | ナノ


▼ 強制連行

今日も私は森さんの部屋で書類整理に勤しんでいた。

どうでも良さそうな予算の内容から取引日時を始めとした機密事項、ポートマフィアの裏事情、その他様々な取り扱い注意な書類。

黄金よりも貴重な情報を扱ってはいるものの、残念ながらこの膨大な量の情報を覚えるような頭脳も持ち合わせていない。
ましてやこの世界で知り合いと呼べるのは森さんとエリス嬢のみである私に、漏らすような相手はいない。

攫われて吐かされると云うことはあるかもしれないが、私が住んでいるのは横浜の一等地に建てられたポートマフィアの本拠地。しかもその中央。

その上、私の生活範囲なんてほとんどがここ執務室。
次にこの建物にある自分の部屋、その次に食堂。そんなものだ。

生活を全てこの建物内で済ませている故、健康に悪いと思われるかもしれないが、何しろこの建物はだだっ広い。運動不足には、非戦闘員である私ならならないだろう。
陽の光だって最上階であるこの首領室の壁一面に張られた窓のお蔭で、いつでも日向ぼっこが出来る。

安全を確立した今の私に、怖いものは何もない。


―――――――ハズだったのだけど。


カタカタカタ。


じーっ……。



カタカタカタカタカタ。


じーーーーっ………。



包帯が取れ、通常運転できるようになった手でひたすら軽快にキーボードを叩く音が響く中、自分を凝視する視線の効果音が聞こえる。

しかもすぐ真横から。

目の端で確認できる限り、その人物は机にちょこんと両手を乗せて、その場に座り込みこちらを見ている。

それはもう穴が開いてしまうんじゃないかと錯覚するほどに。

お蔭で全く集中できない。

注意して今すぐこの部屋から追い出したいが、これは罠だ。絶対。
見てはいけない。話してはいけない。絶対絡まれる。良い事ない。絶対。

大体、なんでこんな日に限って森さんは外出しちゃうのーん!

嫌、普通なら忙しい身ですよね。分かります。

というか私が断ったんだよね。
折角のお誘いを。

もうすぐ書類整理が片付くから、と。

そしてその言葉の裏に、ここの所働き詰めだった私への午後休という算段を見立てて。

今の仕事に不満がある訳ではない。
きっと休みたいと云えば森さんは「いいよ」となんでもないように答えるだろう。

でもそれじゃダメなのだ。
変なところで責任感を発揮してしまう私には、私情で休んだことで罪悪感があるままに休日を“休む”と言うことが出来ない。我ながら面倒くさい性格である。

兎に角、ただ純粋に私が自然に休める理由が欲しかった。

でも今思えばあのお誘いを快く受けておけば良かったかもしれない。
…まあ今となっては本当に後の祭りなのだけど。

しかし、今手元にある書類を打ち込み終われば今日の仕事は終わる。

時刻はお昼。
今日は久々に半日のお休みなのだ。

そろそろ服でも買いたいな、ああでもその前にお昼を食べて、その後おやつかな。
なんて浮き足立っていたところ、横で男が忠犬のように座り込んでいた。

というか、本当にいつ入ってきたのか…。

集中しすぎて周りへの注意が散漫になってしまうことは多々あるけれど、それにしては気配無さすぎじゃないデスか?
ミスディレクションか何かデスか?ええ?

頼むからボールをバウンディングしつつご退出願いたい。

しかし、退出しろオーラに気付いていないのか気付いてるのか…。
いや、気付いてるだろ、これ。

気付いて、敢て私が最後の書類を打ち込み終わるのを待っているのだろう。

どちらにせよ、私には逃げ場はないのだ。
安全安心が確立されていたと思っていたけれど、そうは問屋が卸さないらしい。

最後の文字を打ち終えて、根を挙げた。

参った、と。


「いやあ感心感心!花も恥らうようなその美しさも然ることながら、複雑な情報も簡潔に整理するその脳の回転の速さ!流石は首領の秘書さんだ」

『……それはどーもー。お褒めに預かり光栄でございマス』

「ふふっ、そんなに居心地悪そうにお礼を云われたのは初めてだよ」


先ほどから忠犬のように只じーっと私を見ていたこの男、太宰は何千もの文字を打ち終え疲れた私の両手を取ってそれはそれは綺麗に微笑んだ。
くそう。本当に秀麗な顔してんな貴様。

良くもまあそんな歯の浮くような台詞がポンポン出てくるものだ。
矢継ぎ早に褒められ更にこんなイケメンに微笑まれて、通常だったら赤面するんだろうになあ。

でもなんだか思っていたより感動は無く、なんとなく気に食わないその張り付けられた笑みに、心の中で勝手に落胆した。

勝手に期待して、勝手に落胆すると云うのも至極失礼な話ではあるけれど。


『幹部様。私、誠に恐縮なのですが今日はもう上がらせて頂く事になっているのです。なので「へえ!それは奇遇だね。私も今日はもう仕事がないのだよ!それから私の事は気軽に太宰と呼んでくれ給え」


「勿論治でも良いよ」とウインクされ、ぞっとした。

その笑みだけ見れば、その背景にある考えさせ悟らなければ、まるで天使のような可愛らしさなんだけどなあ。


内心冗談じゃないと言うのが本音だ。


何で歴代最年少で幹部にまで上り詰めた、ウルトラやばい闇を内に秘めた男と気軽に名前を呼び合うような関係になければならないのか。
それこそ私の偶像崇拝になりつつある確固たる城をハンマーで粉砕するようなものだ。

いや好きだよ?太宰治。なんならこの世界で一番好きと云っても過言ではない。

しかし目の前の男が今まで泣かしてきた女性に、というか貴方が貧民街で拾ってきたダザイサン少年に後ろから刺されては堪らない。

少年の場合、私なんて刺す所か最早肉塊にしてくるんじゃないのか。


『幹部様のことを気安く呼ぶなんて私には』

「首領のことは気安く“森さん”と呼んでいるのに?」

『……』

「だから、ね?」


………ジーザス!!

そうだった。

あの呼び間違い事件から普通に首領のことを森さんと呼ぶようになり、私の前では漫画に描かれ実しやかに囁かれていた非道な部分は見せなかったから忘れかけていたけど。

…あの人、ポートマフィアの首領なんだよなあ……。

確かに首領の名を呼んでおきながら、その下の立場である幹部を名で呼ばないのは些か可笑しい。
太宰の事はどうでも良いけど、それじゃあまるで森さんの方が太宰より格下みたいになってしまうではないか。


『………太宰、さん…』

「敬称は要らないよ。それに名前で呼んで欲しいなあ」

『いや、太宰さん一択で』

「私は素直な子が好きだよ。勿論、云うことを聞かない子を自分好みに調教すると云うのも中々乙だけど」

『だ、太宰』

「やっぱり治が良いなー」

『…〜っ、もうちょっとほんと勘弁してくださいませ太宰』

「うーん。まあ及第点ぎりぎりと云ったところかな」


こんの包帯無駄遣い野郎があああ!!

なんなのこのキャラ。ほんとなんなの。
しかもなんかさらりと物騒な事を云わなかった?

ほんと、なんなの。

好きだったのに!漫画や小説上ではその飄々とした態度に憧れ、お慕い申していたのに…!!
貴方の包帯何処かに落ちてませんかぐらいには想っていたのに!

未だ握られている手はそのままに、太宰は相変わらず何がそんな楽しいのか綺麗な笑みを保ちながら話し続ける。


「そうだ名前ちゃん!ここは親睦を深めるためにも一緒にお昼と行こうじゃないか」

『え、ちょ、んのおおお!』


がっしり掴まれた腕はその細い腕の何処にこんな力があるのかと驚くほど振り払えるものではなく、男と女の力の差をまざまざと見せつけられたような気がする。

必死にその手を振り解こうとしたのだけど、最悪なことに私はそのままポートマフィアの正門玄関まで連れて行かれ、そこに行くまでに何十人もの構成員の人に見られた。

歴代最年少幹部に手を引かれる、僅か二か月で首領秘書となった女。

そんなゴシップの一面に載りそうな光景を見て興味を持たない人間はおらず、先ほど太宰から向けられた以上に恐ろしい数の貫かれるような視線を感じる。


ああもう、勘弁してくりゃさぁい!!



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