黒の時代編 | ナノ


▼ 私の異能力は、

「なるほど。じゃあ名前ちゃんはいつの間にか見ていた白昼夢と、次に起こった出来事が酷似していたから事態を避けようと身体が動いた、と」

『はい…』

「以前に同じようなことは?」

『思い当たる節はないデス』


昨日起こった出来事に関して森さんに顛末を話すと、要領の悪い私の説明でも彼は全て理解してくれた。

でも、その日特に眠かった訳でもない。
眼はパッチリ開いていたし、むしろ空腹故に頭は冴えていた。

キィと椅子の背に森さんは体重を掛ける。
私も自分の席に掛けながら、それでも背筋を伸ばして座っていた。

暫しの沈黙が訪れ、エリス嬢の鼻歌がBGMになる。
もしここにエリス嬢がいなかったら本当に静寂していたところだ。
森さんと沈黙した部屋で二人きりなんて…私の心が持たない。

エリス嬢、マジ天使。

そんな風にエリス嬢を見ていると、ぽつり、森さんが呟くように言葉を漏らした。


「異能力」

『…え』

「これは知っているかい?」


此方を向いていなかった森さんの眼は、今やしっかりと私に向けられており、その口は綺麗な甲を描く。

知っているか、だなんて。
勿論知っているに決まっている。

それは私が異世界トリップしてきたからではなく、そのうちの未来で創設される武装探偵社は普通に一般人に受け入れられていたし。
異能者の人数は少ないとは云え、都市伝説的に異能力という存在自体は然程珍しいことではない筈。

なんなら非公開な貴方の異能力を当てて差し上げようかと思ったけど、そんな恐れ知らずな事をして只で済むとは思えない。

更に加えて言えば予備知識など無くとも、だってここの幹部様達は私の知っている限り洩れなく皆異能持ちじゃないか。それを何故、敢て問うのか。
凡人の代表のような私の考えではさっぱり分からなかった。



『はい。それは勿論知っています』

「身近な人で異能力者は?」

『…身近ではありませんが、幹部の方々ですかね』

「……そう。そうだね」



森さんと話すときはボロが出そうで怖い。

バレたところで到底信じられない話だろうし、裏切る訳でもないのだから痛い報酬などは無さそうではあるけど…。

いや、でも、ここポートマフィアだしなあ。
改めて考えると凄い待遇を受けているが、なんだかんだ此処めっちゃ危険な場所だしなあ。

異世界からフライアウェイしてきました。
あなた達のことは漫画上でまるっとすみっと御見通しよ!…だなんて。

翌日には太平洋を漂ってるわ。

しかし今までの会話の何処で確信したのか、森さんは嬉しそうに微笑んだ。


「うん。恐らく名前ちゃんには異能力があるよ。それもとても魅力的なね」

『…さいですかぁ』



もう当初の堅苦しい敬語は何処へやら。

まあでも私の敬語なんて所詮部活動で先輩にしか使ったことのないような、こういった業界で無礼を働けば死が確定する真の上下関係を生きている人からしたら顔面蒼白ものだろう。

寧ろ良く今まで森さんの機嫌を損ねず会話が出来ていたものだ。

でも突然機嫌を損ね打ち首になっても堪らないので、その旨を森さんに話したことがある。
言葉を慎重に選ぶ手間が省けるのは嬉しいのだけど、それを森さんが良しとする理由は無いからだ。

自分の敬語は拙いもので、真の敬意はあるもののそれに相応しい言葉遣いは未だ習得中である、と。

本音を粗隠した遠回しな云い方だったにも関わらず、聡明な森さんは私の云いたい事を汲み取り、私の目が間違っていなければ少し寂しそうに笑って云った。


―――――「構わないよ。むしろ君が云うその拙い敬語は、堅苦しい言葉ばかり聞く私の耳にはどうやら心地良い様でね」


惚れるかと思った。

何処までも着いて行きやすぜ、首領。


そりゃこの建物内で階層的にも立場的にも頂点に君臨する森さんに、敬意のある態度は取っても、溺愛するエリス嬢は別として親しく接するような人間はいないだろう。
むしろイレギュラーは何と云っても私の存在だ。

でも…若しかしたら、本当にひょっとしたら、泣く子も黙るポートマフィアの首領とは云え、ちょっとした他愛の無い話をする相手が欲しいのかもしれない。

首領と云うのは、組織の頂点であると同時に組織全体の奴隷である。

確か森さんは本の中で太宰にそう言っていた。

同じ目線とまでは云えずとも、その背中に乗せられた計り知れない程の重みがある錘を外し、ただの中年のおじさんとして話をすることで少しでも憩いの場を提供できるなら。


私は、きっと努力を惜しまない。


『私に、扱いきれますかね…』


けれど、零れた言葉は何とも弱弱しい音だった。

今更何を聞いてるのだ自分は。

でも、残念ながら不安に押しつぶされそうなのも事実で。

若し私と森さんの仮説が正しければ、私は過去を遡り、しかも修正できる異能力の持ち主である。
何かを修正するということは、それは誰の為なのか、何の為にするのかに重点が置かれる。

それが過去ともなれば、その影響は計り知れない。

ある意味、自分の独断と偏見で他者の価値を決めているようなものだ。

異世界の次は過去にフライング、ね。はは、ほんと笑わせる。
そう自分で自分を揶揄する一方、身体は実に正直で、膝の上に置かれた手は頼りなく震えていた。

あーあ。
こっちの世界に来る前は異能力めっちゃ欲しいと思っていたのに、いざ手に入ればこの体たらくよ。


ほんと、情けない。


ぐっと手を握りしめると、いつの間にか自分の前に移動していた森さんが私の目線に合わせる様にしゃがみ込んだ。


「大丈夫。名前ちゃんは強い。少なくとも君が思う以上に」

『……』

「私は君の首領であり、君は私の大切な秘書だ。見放すような真似は決してしないと此処に誓おう」

『…っ、も、森ざぁんんん』


ぶわぁっと目頭が熱くなったかと思えば、まるで滝のように両目からボロボロと涙が零れた。

嗚呼、この人は何処まで私を惚れさせれば気が済むのだ。
漫画の登場人物だった頃からお慕い申していたけれど、最近森さんの好感度が急上昇して寧ろ辛い。

森さんは手袋を外して私の頬に手を伸ばし、腫物に触れるようにそっと優しく流れる涙を拭う。


相変わらず、端正なお顔が近かった。


『森さん…あの、もう大丈夫ですから』

「……名前」


ちゃん付けでは、ない。

まるで愛おしい自分の想い人の名前を呼ぶような声に、優しすぎる笑みの中で鋭い眼光から目が離せない。

森さんは私の頬に伝う涙を片方の手で掬い取り、口に運ぶ。
ちろりとその口から覗いた舌は艶めかしい赤を示し、手に着いた私の涙を舐め取ると怪しく微笑んだ。

その仕草一つ一つに気品が漂い、また危険なほどの色気に息を飲む。

もう一方の手が頬から滑り、首を撫で、鎖骨に触れる。
その優しい羽のような手付きが擽ったくて身を捩る。

ほんの少し、甘く危険な雰囲気になったその時だった。


「あー!!リンタロウが名前を泣かせた!!」

『んにょーー!!?』

「ち、違うよエリスちゃん!?私は寧ろ慰めて」

「大丈夫名前!?リンタロウに酷い事されたのね…可哀想に」


バァンッと森さんを指差し、犯人扱いで森さんに何処で覚えてきたのと聞きたくなるような暴言をこれでもかと吐くエリス嬢。

そしてその一言一言にグサッと傷ついていく森さんの心が手に取るように分かった。

今度は森さんが泣きそうになっている。
相変わらずエリス嬢には弱いなーこの人。

ただ一人の少女相手にあたふたと慌てている目の前の人物が、今し方危険な大人フェロモンを全開にしていた人と同じだとは到底思えなかった。

本当にここは、心臓がいくつあっても足りない。
でも、お蔭で踏ん切りはついた。

未だ森さんに怒ってそっぽを向いているエリス嬢の元にしゃがみ込んで、その小さな肩に手を乗せ名前を呼ぶ。


『エリス嬢、私は森さんに泣かされた訳ではなく、自分の弱さ故に泣いていたのです。森さんにはそんなことはないと、優しい言葉を掛けて頂きました』

「じゃあ、どうしてまだ泣いているの?」

『これは、嬉し涙ですよ』


森さんが慰めてくれて、エリス嬢が心配してくれて。

突然別の世界に飛ばされて、自分一人が取り残されたような孤独に見舞われても、自分のこんなに思ってくれている人がこの世界に居る。

それだけで、もう充分満足だ。

これ以上ない、幸せ者である。

エリス嬢は大きな目をぱちくりと瞬きさせた後、諦めたように「なら良い」と云った。
まだ少し拗ねつつも森さんの疑いは晴れたようだった。

そんなエリス嬢に、森さんと顔を見合わせて笑った。


こんな非日常な平凡が、いつまでも続くと、この時は本気で思っていたのである。



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