黒の時代編 | ナノ


▼ はじめまして

ここ文豪ストレイドッグスの世界にトリップし、なんやかんやで首領秘書となり、エリス嬢が高温の紅茶を零す白昼夢を見てデジャヴを感じ、正夢になるのを阻止するという奇跡も奇跡なアンビリーバボー体験をした私の手には、その勲章とも云うべき手の火傷を治療した後が包帯を巻かれることで痛々しく残っている。

火傷は本当に軽いもので痕にも残らないと云われたし、大したことないと首領直々に言われた。
……のにも関わらず私の治療は、大変な手術でもしたのかと言うほど手厚いものである。

普通なら冷やして自然完治で赤みが引くまで待つしかないのに、火傷用の塗り薬を塗られ、さらに包帯を巻かれ…今ではがっちがちになってしまい手が全くと云っていいほど動かない。

手厚く治療をしてもらえるのは嬉しいのだけど、何にせよこんなに包帯を手に巻かれてしまえば逆に仕事がし辛いのも事実である。

しかも、今日は何やら昨日の件に関して首領とお話し合いがあるようだし……気が重たくなるばかりだ。

同様に重い足取りで仕事場に向かう最中、ふと自分の手を見た。

これ、まるで自殺愛好家のあの人のようじゃないか。
まだ会ったことはないけれど、幹部様のお名前には確り太宰治の名前があったし、しかも歴代最年少幹部様だとかなんとかだった気がする。

マフィアになるために生まれてきたような男、だなんて。生まれ持って自分が何になるかが定められているのは可笑しな話だ。
所詮周りがそう思い込んでいるだけなのに、それにしかなれないだなんてそんな人生詰まらない。

それに加え、その類稀なる美貌から何人もの女性を掌で転がし泣かした女は数知れず、所謂女性の敵である。

世に出る夢小説の王道主人公なら、その笑みに中てられることもなく誘われる心中をさらりと断り、むしろ微笑み返して太宰さん側から惚れさせるのだろうけど……。

極上のイケメンを目の前にして卒倒せず、増してや微笑みだけで相手を惚れさせるなんてテクニック、今までの人生で会得できなかったものでありまして。
つまり、特典も何も無い極々平凡モブの一人である私には到底不可能である。


しかも確か芥川くんに対してスパルタ特訓を超えた、もう鬼の成す所業のようなことをしていなかったっけ?
冷酷非道、自ら正しさから嫌われた男だとか公言していなかったっけ?

確かに漫画越しではイケメンはすはす、で済んだ。

けど目の前でそれをやられて、血の気が引かない自信なんて自称ミス・チキンな私にはまるでない。
故に、正直言えば私の中でこのポートマフィア時代の太宰治には会いたくなかった。


―――――――のだけどなあ。


首領の部屋に入れば、そこには見目麗しい美少年が立っていた。

その頬には大きなガーゼが張られているし、顔半分は包帯で覆われている。
包帯は頭だけでなく全身くまなく覆っており、むしろ肌が見えている部分を探す方が難しい。
しかしそれだけ身体に包帯が巻かれていようと隠しきれない、醸し出される紛れもないイケメンオーラ。

くぅ、眩しいぜ。

会っちゃったよ。
今しがた会いたくないって思い描いていた人に会っちゃったよ。

そこは王道なんですね。
フラグを建てた私に責任がある、そう言いたい訳ですね。

そりゃあトリップしたんだと分かったときは、若しかして特典としてなんか容姿が変わっていたり、グラマラスで危険な色香を漂わせるダイナマイトなボディになっていたり、そんでもって異能が身についてたりしないか!?なんて期待した。

けれど、容姿は私が十八年間向かい合ってきた普通のモブAのようなもの。
スタイルはグラマラスボディどころか、良くお前それでポートマフィアやってんなと言われても可笑しくない、いつもの弛みきっている御馴染みの身体である。
…太ってはない、と自分では考えている。

異能の方はよく分からないけど、特に何か感じることはない。

頭は受験期が終わったばかりで回転が速いが、それも本当に普通の、今目の前に立っているキレッキレの頭脳を持ったハイスペック最年少幹部様に比べれば、足元にも及ばないようなポンコツの瓦落多(ガラクタ)である。


……そう、目の前に、立っている。


何時の間にか目の前に迫っていた黒い背広を着て、黒い外套を肩に掛ける男に、ゆっくり目線を上げる。
直視できないだろうと思っていた太宰治を、ガッツリと見てしまった。

というか目が離せない。

身長お高いんですね。
見上げる首が、痛いよ。

鷲色の瞳がきらり光った様な気がした。

なんだこの男は。芸術品か何かですか。
モデルのように高身長な上に、すらりと伸びた長い手足。
端正な顔であるのは元より分かるが、何よりどこか憂いを帯びた儚い表情に母性が擽られる。
こんな男、世の女性が放っておくはずがない。

そんな神様めっちゃ凝って創ったなあと思わせる男が、目の前で私のことを見下ろしていた。濁った瞳はどこか冷たい眼光を持っているものの、なんかそれすらもどうでもいい。

いやもう本当にその瞳に映るのさえ烏滸がましいっす自分。

ぼうっとその芸術品を見ていると、その芸術品基、太宰は今までの無表情を嘘のように、目を柔和に細めて僅かに首を傾げ優しい笑みを向けた。

にこりと効果音が聞こえそうである。


「君が名前ちゃんかい?私は太宰治だ。年齢も同じようだし、仲良くしてくれ給え」


年齢が同じ、と云う事は太宰も十八なのか。
つまり、これはあの小説と同じ年代と云う事になる。

そして自己紹介だけを太宰はするともう一度にこり微笑んだ。
どうやら首領がいる手前、流石に自殺のお誘いはしてこないようだった。

…それか、自分は美女と捉えられなかったか。

確か太宰の夢は美女と心中すること。

太宰治は女性全員の味方と聞いていたけれど、やはり例外はあるらしい。
考えれば考えるほど、むしろそれ一択だろう。

嘘でも、口先だけでも、形だけでもいいから誘ってくれよおおお。
恥の多い人生でしたかこんちくしょう。

太宰に不細工認定された事に、私は今すぐ泣いて膝から崩れ落ちたい気分だった。





一方太宰はその微笑みが、女性なら誰でも赤面してしまうほどの効果があることを知っていた。

だから首領が気にかけている目の前の一見普通の女が、どんな人物であり、そして首領がどんな目的――つまりは夜の相手だとか――で側に置いているのかを推し量ろうとしたのだ。

しかし目の前の女は自分がいつも女性に向けるような精巧な微笑みを向けた後、顔を伏せてしまった。

大凡顔を赤らめ、恥ゆえに顔を俯けたのだろう。

肩透かしを食らったような、そんな呆気なさを太宰は感じた。

なんだ、そこら辺の女性と変わらないじゃないか。
期待した分、かなり落胆したものの、未だ動かない名前の様子が可笑しいことに気付く。

身長差故に、その表情を自分の目線では見ることが出来ない。
目立って美人と云うわけではないにしろ、それなりに綺麗な部類に入るその顔を覗き見ようとする。

しかし屈む前に名前がゆっくり顔を上げた。

やはり恥らっているだけかと思えば、その顔は赤面しているどころか、全くの無表情。

むしろ黒い瞳には何か底知れない静かな怒りを感じる。


ぶるり。
背筋が震えた。


『わあ、こちらこそ。幹部様なんぞと生きている内にお会いできるとは恐縮極まりないデス』



若干の嫌味が込められた言葉を抑揚無く機械音のように放ち、名前は太宰の横を足早に通り過ぎた。

そして首領の隣にあるデスクに、いつものように座りパソコンを起動させる。

自己紹介で女性を赤面させることはあっても、怒りを買ったことのない太宰は今の出来事に柄にもなく動揺していた。
自分の微笑みは完璧であったはずだし、今回は自分の夢である心中の誘いをしてはいない。

極々普通の、優男による自己紹介だけである。

この容姿から恥じらいに頬を赤く染めさせる覚えはあっても、あんな他者を寄せ付けない、絶対零度の瞳を向けられる謂れはない。

さっそく仕事に取り掛かる名前の横で森は愉快そうに組んだ手の上に顎を乗せ笑っていた。


「では太宰君。報告書をありがとう」

「……失礼します」


もう一度名前を一瞥するが先ほどまでクールに此方の対応をあしらった彼女は、包帯でがちがちに固められた手の所為で、パソコンのキーボードを押すのに悪戦苦闘していた。

それはもう昔の映画さながらにハンカチを噛みしめキィー!と叫び出すのではないかと云うほど。
その姿がつい数秒前、冷たい視線を向けてきた女性と同一人物とは思えず太宰は暫く見つめる。

一体どちらが本当の彼女なのか。

しかし名前の視線が再び太宰を捉えることはなかった。

立ち止まったまま名前を凝視する太宰を、また森も手に顎を乗せたまま見る。

森にとって未だ慣れない包帯の巻かれた手でぽちぽちとキーボードを押す名前の姿は、まるで毛糸玉と格闘する子猫のように愛くるしく見えていた。

だから、そんな姿を太宰もまたじっと見つめているのはなんとなく面白くない。


―――――ああ、そうだ。


森はにやりと笑う。


「ねえ、名前ちゃん」

『なんでしょうか、首領』

「あれ?昨日のように親しげに森さんと呼んでくれないの?」

「…!?」

『なっ、ぅ、ぉええー!?そんな畏れ多い事自分云いましたっけ!?』

「云ったよ。確かに」

『そそそそ、空耳デスよ!さっささ最近流行ってるんですなぁ。私も今日バナナがブロッコリーに聞こえちゃいましてぇ!』

「それは大変だねえ」


にこにこと上機嫌で可笑しそうに笑う森の一方で、恥ずかしさに顔を赤らめたりかと思えば、血の気が引いたように顔面蒼白になるのを繰り返す名前。

バナナがブロッコリー?何処を如何聞いたらそう聞き間違えられるのか。
…いや、問題はそこじゃない。

ついこの間、一月前まで彼女は自分の友人織田作と同じような最下級構成員だったはず。
それが異例も異例過ぎる出世を遂げ、今は表向きでは首領専属の秘書の座についている。

しかも彼女がポートマフィアに入ったのは更にその一月前。

僅か二か月でここまで上り詰め、しかも我らが総括であり、闇を統べるポートマフィアの首領を“森さん”呼びとは。

ある意味予想通り、いやそれ以上の肝の持ち主である。

好奇心が興味に変わった瞬間だった。

どうやら自分はこの如何にも詰まらない世界で、面白い玩具を見つけることが出来たらしい。しかも幸運にも目に届く範囲で。

思わず上がる口角を隠すよう足早に太宰は黒い外套を翻して、後ろ手に扉を閉め部屋を後にした。


―――――――――――
―――――――
――――


ようやく部屋を出た太宰に胸を撫で下ろした。

最後に品定めするようなあの瞳。
どんよりとした闇を押し込めたようなあの瞳。

確かに歴代最年少で幹部を務めるだけある。
超こえーよ。

しかし一難去ってまた一難。

気のせいだと思い込みたかった出来事は、当の本人によってぶり返されていた。


「どうなんだい名前ちゃん?呼んでくれないのかな?」

『仮に万が一、いや、億が一呼んでしまっていたとしても、それは、あれです。小学生が先生に向かってお母さんって間違えて呼んでしまうような奴ですよ。ああでも首領ともあろう御方を名前で呼んでしまったなんて、烏滸がましいにも程がありますね。私一人の土下座で済めば良いのデスが』

「君は土下座が好きだね…。じゃあこうしよう」


パンッと、首領は小気味良く乾いた音で手を叩いた。

嫌な予感しかしない。

にっこり微笑まれ、死刑宣告にも似た言葉を放たれる。


「これは首領命令だ」


…オウノー。後ろで雷が落ちる音がした。

ポートマフィアでは三つの掟が入るときに教えられる。

一つ、首領の命令には何があっても絶対に従うこと。
二つ、組織を裏切らないこと。
三つ、受けた攻撃は必ずそれ以上にして返すこと。

そしてこの順番はそのまま、重要度の順にも当て嵌まる。

冗談でも首領命令と云われてしまえば、自称首領秘書如きの私が刃向かえる訳がない。


『……分かり、ました』

「うん?」

『…っ、分かりました……森サン』

「うんうん。素直というのは大事だよ」


機嫌よく笑う首領…森さんにこれから先自分に降りかかるだろう危険を予期して頭痛がするのは、気の所為ではない。




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