黒の時代編 | ナノ


▼ 被害者Oの証言

ジイドは長い話をした。
同時に俺も、長い話をした。

時間は無限に引き延ばされ、俺達は互いの台詞を先取りし続けた。

現実の世界では、それはたった一秒にも満たない時間だった。場面としては、俺は加勢に来たミミックの兵を撃ち殺し、ジイドは救援に駆け付けたマフィア構成員を撃ち殺したところだった。

そして次には俺がジイドに銃を向けようとし、ジイドも俺に銃を向けるだろう。


「終わりが近いな」

「教えてくれ、ジイド」


互いに引き延ばされた時間で言葉を交わした。


「違う場所を目指そうとは思わなかったのか。途中で生き方を変えることは出来なかったのか。戦場を求め死を求める他に、何か別の」

「乃公は軍人として死ぬと仲間に誓った。それ以外になることは不可能だ」


俺達は互いに銃を向け合った。

だが一方で、永遠の世界で静かに向かい合い、友人の様に対話していた。

ジイドは俺を真っ直ぐ見ていた。その視線には真摯な感情が見えた。


「だが、あるいは出来たのかもしれない。もっと前の時点で、生き方を曲げ、軍人ではない何かになることは、可能だったのかも……お前が殺しをやめたように。お前の様な強さがあれば、乃公にも、いつか……」


もはや広間に生きて立っている人間は俺とジイドしかいない。

互いの心臓に銃口を向け合っていた。

ジイドは防弾服を着ていない。俺も防弾服は先ほどの戦闘で捨てた。
胸に弾丸を受ければ、それが致命傷になるだろう。

その時視界に、ジイドの背後で気絶している、上着を掛けられた名前の姿が入った。


「俺が来るまでお前たちは二人で何を話していたんだ」

「乃公は彼女に、心中を申し込まれていた」


俺はジイドの言葉に目を見開いて驚いた。

心中、つまりは自殺を彼奴が計っていたというのが、想像できなかった。

しかも目の前の、この男と。


「お前はそれを承諾したのか」

「ああ。最後には」

「何故」

「お前と、お前の大事な人に見せたい未来があったそうだ。それが例え、お前にとって地獄になろうと構わないと。純粋な程に、己の欲を理解していた」


俺にとって地獄になるとは、恐らく大切に思っていた孤児や親爺さん、そして名前を失ったモノクロの世界の事を指すのだろう。

その世界で呼吸をさせてまで、名前は俺に何を求めていたのか。

ジイドは微笑んでいた。
それは先刻名前を見つめていた時と同じような、優しい温かみがあった。


「初めは自己犠牲者なのかと思った。だが、彼女は違う。彼女はそれが己の我儘なのだと云っていた。自らが望んだ世界を得るために、その対価として自分自身の命が相応しいと、そう考えていた。そしてまた、その為に乃公にお前を殺させる訳にはいかないと」


いつも何処か頭の片隅で、何かを怖がっていた名前は、目の前の男に一人対峙することには恐怖を覚えなかったのか。

或いは彼奴の抱える恐怖は、この男に銃を向けられ、例え自分が殺されることになっても構わないほどの恐怖だったのか。


「だが、彼女は乃公に、我儘なのはお前もだと云ってきた。確かに乃公は軍人として死ぬために、自分の死の為に戦場を彷徨い、幾多の人間を殺めてきた。だから己の我儘を一つ聞いたところで帳消しにはならないだろうと」

「ならお前は、何故」

「…彼女は乃公に、嘗て友を守り、国を守り、そして最後に一人の女を救った英雄として死んで欲しいと云ったからだ」


そう云ったジイドの顔は何処か寂しそうに微笑んでいた。

嘗てジイドは、英雄だった。

祖国の為、大義の為。
隣に立って戦う戦友のため。

嘗て世界を巻き込んだ大戦の中で、数知れぬ勝利を打ち立て、数えきれないほどの味方を救った。


「彼女は、乃公は幽霊のような紛い物では無いと云った。何も知らない筈の彼女は、乃公の背景に何があったのかさえ知っているように、その足で地を踏みしめ、同胞と共に今日まで生きてきたのだろうと、そう云った」


何故この男の事を其処まで知っているのだろうか。
それはデータベース上で決して得られることのない、この男の人生そのものだ。

不思議に思ったがそれと同時に、あいつなら云いそうなことだと思った。

普通であるはずの、ただ有りの儘の事だと云うのに、当たり前すぎて見えなくなってしまい、忘れてしまった物を彼奴はいとも簡単に、何を云ってるのだと笑って見つけてくれる。それはまるで、無くしてしまったと必死に眼鏡を探す者に、その頭に付いているじゃないかと可笑しそうに笑いながら教える、そんな感じだ。

きっと名前の目には、そんな俺たちには霞んでしまう物が、はっきりとその眼に凡て見えているのだろう。


「乃公はほとんど初めて、戦場以外で、生きていたと感じることが出来た」


そう話すジイドの声は、何処か歓喜に震えているような気がした。


「お前にとっての彼女のように、例え此処が地獄でも生きて欲しいと願ってくれる存在を、乃公は心の何処かで求めていたのかもしれない」

「…そうか」


ジイドは何かをを堪える様に、眉間に皺を寄せ悲しそうに微笑んでいた。


「彼女は乃公を強いと云っていた。乃公の強さは己の愛だと。そしてまた、彼女は最後にそんな乃公を羨ましいと云ったが…乃公に云わせれば彼女の方が心底羨ましい」

「ああ、全くだ」

「先刻、乃公には軍人以外になる強さはなかったと云ったが……彼女の傍に居れば、或いは変われたのかもしれない」

「…ああ、俺も…心底そう思うよ」


それは皮肉にも名前との別れ間際に、俺が考えていた事だった。

彼女の傍にいれば、何か自分の薄汚れてしまった部分がはっきりと見つかるような気がした。痒くてむずむずとする背中の、何処が痒いのか、分かるような気がした。

引き金は既に引かれていた。弾丸が拳銃の中を滑っていた。
一方で俺達はただ微笑んで向き合っていた。

長い長い対話の中で、俺達はまるで旧友のように互いを知り尽くした。

この世界が、“異能力の特異点”なのだろう。


ふっとジイドは何処か自分を嘲笑するように瞳を伏せ、鼻で笑った。


「全てを失った筈なのに、ここまで来て一つ心残りが出来た」

「それはなんだ」

「彼女の名前を聞けなかった事だ。戦場で生きてきた乃公は、生憎女の事には慣れていない」

「……俺もだ」


戦場を生き抜かずとも、女の事は分からないものだ。

きっとこんな場所ではなく、別の何処かで会えれば、酒でも酌み交わして俺とジイドは掛け替えのない友人となれただろう。そして一緒に頭を抱え、悩み、笑えたのだろう。

ジイドは目を開け、俺を見た。


「教えてくれないか?彼女の名を」


彼女の、名前の名を、教えてやろうか迷った。
この男の唯一残った心の凡てだろう。


だが――――――


「教えたくはないな」

「…そうか」


それ以上問おうとはせず、ジイドは少し微笑を深めるだけだった。

何となく、だが強く、ジイドに自分の口から名前の名前を教えたくは無かった。

ほんの少し、まるでジイドに一矢報い得たような優越感にも似た感情に浸れた。


「俺にも一つ心残りがある」


ゆっくりと口を開いた。


「友人にさよならを云っていない。この世界でずっと“ただの友人”で居てくれた男だ。この世界に退屈し、ずっと死を待っていた」

「その男も乃公と同じように、死を求めていたのか?」

「いいや。違うと思う。最初お前と太宰は似ていると思った。自分の命に価値を見ていない、死を望んで暴力と闘争の中に飛び込んでいく」


だが違った。

彼奴はあまりに頭の切れる、只の子供だった。


「暗闇の中で、俺達が見ている世界よりも遥かに何もない虚無の世界でひとり残された、只泣いている子供だ」


そう。彼奴はあまりにも頭が良すぎたのだ。

だからいつも孤独だった。

俺と安吾が太宰の近くに居られたのは、太宰の周囲を取り囲む孤独を理解し、傍に立ちながらも決してその中に踏み入らなかったからだ。

今では、その孤独に土足で踏み込まなかったことを、少し後悔している。

でも、名前なら、その孤独を目の前で踏み付けてやり返して見ろと、初めて会った時に見せたような何処か得意げな笑みを太宰に向けられるだろう。


だから、心配はしていない。


俺達の銃口から弾丸が発射され、その弾丸は胸元に吸い込まれていった。


「サクノスケ、最後まで素晴らしい弾丸だ」


私とジイドの胸に弾丸が着弾した。

そこで“特異点”は消えた。

俺達の胸を弾丸が貫通し、服も貫通して後方に抜けた。
俺とジイドは同じタイミング、同じ姿勢で、仰向けに倒れた。

その時、足音が聞こえた。


「織田作!」


嗚呼、俺の友人の声だ。



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