黒の時代編 | ナノ


▼ 震える銃口

『私と、心中してくれませんか?』


静かだった洋館に銃声が響き始めた。

もう織田作が其処まで来ている。

ジイドさんは眉間に皺を寄せた。


「心中だと…?乃公と貴君で?」

『ええ、貴方と私で』


一歩ジイドさんへと近づいた。

ジイドさんからは、火薬の様な、芳しい香りがした。


『ジイドさんに、織田作さんを殺させる訳にはいかない。彼は、大事な人デスから』

「なるほど。サクノスケはお前の想い人か」

『……そんな、簡単なものじゃありません』


ジイドは奇妙そうな顔をして、私に視線を向けている。

私にとって、もちろん織田作さんは大事な人である。
だけどそれ以上に、太宰にとって彼が必要なのだ。

そして私たちの関係を表すには、とても“想い人”なんて陳腐な言葉じゃ云い切れない。


『彼は……彼は、私の思い描く未来に、必要な人なんです。だから彼には生きてもらわなければならない。例え彼にとってこの世界が、地獄でも』

「それは随分と自分勝手な理由だな」

『あら、戦場でしか生きたことのないジイドさんは知らないかも知れませんが、女は基本我儘な生き物なんデスよ?それに――――私に云わせれば、貴方も相当我儘なのでは?』


そう云うと気に障ったのか、「何?」とジイドは私を睨みつけた。

だってそうだろう。

高潔な死を得るために、自分が軍人であることを確認するために戦場を求め、戦争を起こそうとした。その上自分に死を与えられる存在に会えるまで、自分の欲しい物が手に入るまで自分の思うままにその銃をに火を吹かせ、撃ってきたのだろう。

其処に何の罪もない子供が居ようと、ジイドは自分の求める死を手に入れるために、輝く未来さえその手で握りつぶした。


まあ…そんな彼の信条を利用する私も、私なのだけれど。


でも、どちらにしろ人生が一度きりだというのなら私は、私のやりたいことをやる。

例えそれが誰を利用し、誰の信条を捻じ曲げ、誰の未来を変えてしまったとしても。


『終わり良ければ凡てよし。大変結構な事ですねえ。あ、これ、この国の諺デス』

「………」

『でも、貴方の死を着飾るために一体何人死んだのでしょう?そして一体何人から大切な人をその手で奪ってきたんデスか?』


それに比べれば私なんて可愛いものでしょう。

そう云って笑えばジイドは何か考える様に黙り込んだ。

視線は私から反らさない。
私も、ジイドから目を離さなかった。


やり直しは、きかない。


暫くの沈黙の後、ジイドは重い口を開いた。


「だが、乃公に貴君の願いを叶える謂れは無い。乃公自身の銃で殺せずとも、致命傷を負えば後は勝手に貴君が死ぬだけだ。今この館を去るのなら一人で此処まで来たその心を称し、何もしない」


確かにその通りだ。

ジイドさんに撃たれ、大量に出血すればそのショックで私は勝手に死ぬ。
いくら何かしらの異能がきいたとして、万能ではない。出血性ショックで勝手に命を引き取れば、私の異能が働こうと関係ないだろう。


――――――でも、


『私は帰らないし、貴方はそんな事をしない。否、出来ない。何故なら貴方は軍人なのだから』

「買い被って貰っては困るな。軍人は決して紳士ではない」

『では通り魔にでも成り下がるんですか?女を最後に嬲り殺し、その上で織田作に殺されたとて、その死は高潔な物ではない。其れこそ、ただの通り魔への罰でしょう。そして、何より…それは先に死んだ同胞への冒涜になる』


そう、ジイドは嘗ては英雄であり、そして軍人だ。

彼が英雄であった頃は、罪もない人々を理不尽に殺す戦争に、如何し様も無い怒りが湧いたはず。そんな彼に、武器も持たない只の女を銃で撃ち、苦しませて殺すような悪逆無道極まる事、出来る訳がなかった。

軍人として生き、幽霊となっても尚戦場へ駆動させてきた彼の血を穢すことになるからだ。

そして、それは先に死んだ仲間たちへの冒涜も同時に意味した。

私を嬲り殺してから、それを軍人だとして死ねば、彼らの信条をも穢すこととなる。
どちらにせよ軍人でなくなれば、彼の求める高潔な死は得られない。


『今まで散々、身勝手を働いてきたんです。最後に一人の女の我儘を聞いたところで、寧ろおつりがくるのでは?』

「だが貴君も死んでしまっては、その見たい未来とやらを自分の眼で見ることが出来ないと思うのだが?」

『……何も、それは私が見たい未来じゃない。私が、“見せてあげたい未来”なんデスよ』


そう、何時の間にかそれは、私が見たい未来から、見せてあげたい未来になっていた。

若しかしたらそれは、私の知っている未来よりも酷い物になるのかもしれない。
あの時矢張りああしておけば、こうしておけば。

でもそれは、例えどんな未来になろうと思い描く事だ。


人間は知りたがりで、身勝手で我儘で、そして欲深い。


でも、それが素晴らしいんじゃないか。
その醜さが愛おしいんじゃないか。

間違うのだから、支え合う必要がある。
支え合うから、愛し合える。


『貴方は、強い。それは人を殺す戦闘能力の技術なんかではありません。大義を誓い、国を想い、友を想い、そして何より愛していた事に対してです』


私とて、彼の背景には同情するものがあった。

軍人として祖国を守り、自分の育った土地で生きる人々の為に戦う事、彼らの為に死ぬ事が自分の天命だと、そう信じていたのに。

その見返りは裏切りだった。

自分の愛する国から裏切られ、反逆者として追われる。
そして自分を犯罪者として追う、かつて同じ釜の飯を食べてきた無数の同胞たち。敵兵の偽物として、既に死んだ敵兵の幽霊として、生きる事を強いられた。


同胞を殺し生き延びたときは、遣る瀬無い悔しさがその心を焼いたことだろう。

理不尽過ぎるこの世界に、破壊的な怒りが湧いたことだろう。


自ら命を絶つものも居た。でも、それは軍人であることを否定することになる。
だから自分を軍人であると証明してくれる、自分を確認させてくれる場所を、戦場を求めた。

私は視線をジイドさんから外し、下を向いた。


『その憎しみは、紛れもない貴方の愛だった。司令官として、仲間として、友として。今の今まで逃げることもなく貴方は仲間と共に軍人であろうと、その足で地を踏み、そして今日まで生きてきた。決して幽霊だなんて、紛い物でなく』

「……!」

『そんなにも何かを強く思える貴方が、私は…とても羨ましいです』


寧ろ、ジイドさんを前にして、ぼんやりと生きてきた自分が、この上なく恥ずかしい。

ゆっくり、ゆっくりとジイドさんに語り聞かせる様に話す。

本当は、戦争の“せ”の字すら知らない小娘に、何も出来る筈がない。
でも、小娘は小娘なりに目の前に広がる、腕一杯の世界を守りたいのだ。


『私は貴方に、只の軍人としてではなく、嘗て他人を愛した英雄として、小さな国のたった一人の女の嘆願を、叶えて欲しい』


私は視線を上げ、そして笑った。


『最後に、私を救ってよ、ジイドさん』


愛しい人を呼ぶように、ジイドの名前を呼んだ。

冷たい物が、頬を流れる。

視界が歪んだ。先ほどと違って、ぐるりと曲がるのではなく、段々とぼやける。

涙が流れていた。

なんで涙が出たのかは分からない。怖い訳でも、悲しい訳でも、嬉しい訳でもなかった。
何のための、涙なのだろう。


ジイドは目を見開いていた。


「…貴君の正体は一体…?」

『私は―――――――只の、女子高生でした』


そう。私は、何の力も無い、只の女子高生だった。

ポートマフィアの情報処理員でも、歴代最年少首領秘書でも、ましてや異世界トリッパーでもない。

其処等辺で愚痴を吐き、友達と笑い合い、如何でも良い事で悩み、無駄な時間を愛した普通の女子高生だ。

ジイドは此方に歩み寄ると、もう一つの銃を私に手渡した。


「銃の使い方は分かるか?」

『女子高生だって、ある意味戦争を生き抜いてるんデスよ』

「……そうか」


ジイドさんは、これ以上訊いても意味がないかと諦めたように肩を竦め、笑っていた。

銃を持ち、弾を確認。そして親指と人差し指の間にある水かき部分でしっかりとグリップセイフティーを押し込んだ。

後は、引き金を引くだけだ。

それでも慣れない銃口は分かりやすく震えていた。

そのまま震える銃口を、ジイドさんに向ける。
どうしても震えてしまう銃口をジイドさんは、私の震える手を優しく掴み、まるで踊りをエスコートするように、自分の額へと向けさせた。

やっぱり、貴方は軍人である前に紳士だと、私は思うよ。

そしてジイドさんもまた私に銃口を向けた。


さあ、この舞踏室で踊ろうじゃないか。


「軍人に勝るとも劣らない信念を持つ者。一つ、最後に訊きたい」


乃公は、英雄に戻れるだろうか。

何処か不安そうに、そう問うジイドさんを安心させる様に微笑んだ。


『英雄に戻れるかは正直、分かりません。でも、人間は変わりますよ。良くも悪くも…。それは、貴方が一番よく知っている』


嘗て愛していた祖国が牙をむいたように、嘗て英雄だった貴方がそうでなくなったように。

そして今、只の殺しを止め、普通の女を認め、救おうとしている貴方の様に。

そう云うと、そうだなとジイドさんは微笑んだ。

引き金の人差し指に力を込める。


その時だった。


――――バァンッ


扉が思い切り開かれる音がした。

その音に驚き、思わず扉を振り返ってしまう。

そこには目を見開いて驚いた顔をした織田作が居た。

織田作が私を見て、何かを叫ぶ。

でも、それを見たのと同時に後頭部に鈍痛が襲った。その衝撃で薄れゆく視界を見ればジイドさんの苦しそうな顔が見えた。嗚呼、恐らくグリップで殴ったのだろう。


まさかここで、後頭部を金槌で思い切り殴られる体験を、するなんて。


凡てがスローモーションに見えた。


意思に反して、私の揺れる視界は、意識は、真っ暗になった。





戦場の扉を抜けて進んだ先は、広大で天井の高い舞踏室になっていた。

その気になれば百組のペアがバロック・ダンスを踊れそうな大広間だ。


でもそこにはたった一組、俺の知っている二人が互いに銃を付き合っている姿があった。


一人は俺が今日この戦場を抜けてきて会わなければならない男、もう一人は先程俺を満身創痍の状態になりながらも止めに来た筈の名前だった。

扉を開かれる音に驚いた名前は俺の方を振り向くとその隙に、ジイドに後頭部をグリップで殴られ、気絶してしまった。

名前が倒れ込む前に、その身体をジイドが片腕で抱き留める。


「俺の大切な人だ。その手を離して貰おうか」

「巻き込もうなどとは考えていない。彼女は、最後に嘗ての乃公を思い出させてくれた人だからな」


何故、ジイドが名前の事を知り、腕の中で気絶する彼女にそんなにも優しい微笑を浮かべているのか俺には分からなかった。名前を横抱きにしすると、ジイドは弾が当たらない部屋の隅へと移動し、そっと壊れ物を扱う様に彼女を壁に凭れさせ、己の上着を彼女に掛けた。

流れる様な紳士な行動を見届けるのと同時に、俺はジイドの眉間に照準を据えた。

ほんの少し、人差し指に力を込めれば、弾丸が狙った場所へ突き刺さるだろう。だがもう少し、名前から離れて貰わなければ万が一と云う事もある。……しかし、ジイドにとってそれは関係無い筈だ。

寧ろ彼女を盾にしてしまえば俺の分が一方的に悪くなる。

相手は幾多もの戦場を生き抜いてきた手練れだ。それが分かるようでなければ司令官などにはなれないだろうし、ましてや今日まで幽霊として過ごすことはできなかっただろう。


なのに、奴は彼女を寝かせるとそのまま先程立って居た場所まで戻ってきた。


本気で彼女をこの戦いに巻き込む気は、微塵も無いのだろう。
先程上着を掛けた事が何よりもそれを証明していた。


「御足労感謝する」


ジイドがそう云ったと同時に、俺は狙いを付けて拳銃を撃った。
頭を振って、ジイドは弾丸を回避する。


「子供たちには申し訳ない事をした」


ジイドは表情を変えずに、再び同じように歩き出した。


「だが、その価値はあったようだな」


ちらりと名前に視線を向ける。

一体名前と今までに何があった?

先程まで俺を止め、倒れ込んでいた名前があの戦場を生き抜いてこれるとはとても思えない。ましてや俺の方が先にこの洋館へと足を踏みいれた筈。

なのに、俺が来る以前に名前はジイドと何かを話し、そして互いに銃を向け合っていた。

何時の間に俺を抜かしたというのか。

その時、先程彼女が云っていた事を思い出した。

……彼女の異能は、過去を遡る。

なら彼女はあの後、俺を自分で止められないと悟り、もう一度あの瀕死の状態で異能を使って遡ったのか。

何故、俺にそこまでしてくれるのか……あの時、お前に訊いておけば良かったと後悔した。

入って来たときに一瞬見えた向かい合う二人の姿は、ここが舞踏室というのもあってか、二人でペアを組み、踊っているようだった。その姿を見た俺は、自分の中で何かがきりきりと痛んで悲鳴を上げたのを感じ、そして今もその痛みは心臓辺りでしこりとなって残っている。矢張りこういった事は、俺には難しいようだ。

一瞬ジイドの視線が名前に向いたのを見た俺は、ジイドの頭部を狙って再び撃った。

その次はジイドの回避方向を異能で右と予測し、弾道をわざと右にずらして撃った。

だがジイドもまた異能を使い、頭を逆、左側にそらせて回避した。


「貴君の目は乃公と同じだ。乃公や部下と同じ、生存の階段から降りた目だ」


ジイドは薄笑みを浮かべ、元々持っていた銃と名前の手から抜き取った銃を俺に向けた。


「ようこそ、サクノスケ。乃公達の世界へ」


戦いはまだ、始まったばかりだ。



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