黒の時代編 | ナノ


▼ 闇と向き合う先

敦君と話して勇気主人公パワーを注入してもらった後、私は真っ直ぐ此処、ポートマフィアの事務所へと戻ってきた。

まだ 夕方前だったにも関わらず既に太宰は戻ってきているようで太宰派の組織である構成員に真っ青な顔をされて迎えられた。中には怒りで真っ赤になっている人もいたけれど。

大方、私を見つけられなかったら殺すとでも云われたのだろうか。
ご執心、独占欲にも程がある。此処まで来たらそれは狂気だ。


でも、そんな彼を構築してしまったのは、少なくとも私の所為なのだから。


構成員四人に四方八方を塞がれ、そのまま連れて行かれたのは、朝の一件以来である予想通り太宰の執務室。

重厚な扉を介して、ガシャァンッと何とも物騒な大きな音が聞こえてきた。

…敦君。私、若しかしなくても首、絞殺されるカモ。
構成員の男が緊張した面持ちでドアをノックする。返事は、ない。

震える手で構成員が扉を開けようとするのを制し、私が扉の前に立った。
彼が開けたら、なんとなく殺されかねない気がした。


『太宰、私デス。開けるから殺さないでくださいねー』


扉開けて直ぐ、銃で撃たれ気が付かぬうちにジ・エンドになってしまうのは流石に如何しようもないので、開ける前に保険として名前を名乗る。
構成員を下がらせ、決着をつけると意気込んではみたものの…恐怖と云う感情は何とも根深く、扉をゆっくりと開けさせた。

名乗ったからなのかは分からないが、取りあえず開けても即殺されはしなかった。

部屋の中は朝、私が居た時が嘘のように荒らされていた。
以前芥川君が太宰に部屋でぶん殴られた時よりも、遥かに酷い有り様だ。

本棚は倒れ、その棚の中で整理されていた本は部屋中に敗れ、散らかっていた。飾られていた観葉植物は幹から折れている。そしてその中でも私の机とパソコンの破壊度は、尋常ではない。
太宰の怒りを体現しているかのようだ。…あれが私じゃなくて本当に良かった。

直せるけど、これを機に新しい机とパソコン買ってもらおう。
太宰の机みたいな、高級ででっかい奴。

しかし、改めて部屋を見渡すけど正に狂気の沙汰である。
部屋に入るとき、構成員ではなく私で良かったと心底思った。

そして、恐らくこの犯行をした張本人である太宰は、部屋の中で高級且つ大きな机に項垂れる様に座っており、明らかに異様な、其れこそ彼の根底にある闇を惜しみなく醸し出したような、重い空気が部屋を占めている。

構成員たちは流石危険を察知したのか、部屋に入るような勇者は一人とて居らず、皆私が扉を開くのを見届けると一目散に去って行った。薄情な奴らめ…私だって本当は逃げ出したいわ。

でも、彼に対して、そんなこと出来る訳がないでしょう。
行動的にも、勿論気持ちの問題としても。


『太宰、ただいま』

「…ただいま?善くそんな事を云えたものだ。私の元から、逃げたのに」


太宰は未だ顔を伏せたままだ。

その顔はほとんど髪で隠れ、ほんの少し覗き見える口の口角が上がっている事だけ確認できた。


『太宰から逃げるつもりは無かったし、だからこうして帰ってきたつもりなのデスが。ま、今の貴方にそれを云っても無駄でしょう』

「うふふ。私ねえ、君が一番に入ってこなかったら、入って来た者を真っ先に殺すつもりだったのだよ。良かったねえ?君の所為で誰も死なずに済んで。それに誤算だったよ、まさか君がこんなに脱出に長けているとは思わなかった。否、恐らく名前の異能のお蔭かな?まあ、その悪運の強さは伊達じゃないと認めてあげよう」


嗚呼、やっぱり私の選択は正しかったのか。構成員を先に入れずに良かった。
間接的にも私の所為で誰かが死んだとなれば、目覚めが悪い。

そう云えば、太宰はまだ私の異能を知らずにいるのか…。
きっとそれ所じゃないからだろう。織田作さんの事も、ミミックの事も…安吾さんの件だってあるだろうし。


「何にせよ、次は無い。逃げ続けていれば良かったのにねえ、名前」


表面上は悟られないように、なんとなしに後ろ手で扉を閉めた。

さあ、向かい合って、正々堂々勝負して貰おうか。


『私を殺すのは、まず私の話を聞いてからにして欲しいデス』

「おや?私が名前を殺すと思ったのかい?欠伸が出てしまう程に浅はかな考えだ。君を死なせてなんてあげないよ。名前は永遠に陽の当たらない場所で私と共に居るんだ。直に、私が居なければ生きられないようになる」


顔を伏せている太宰はきっと目を細め、狂気的に微笑んでいるのだろう。

けれど此処で恐怖して引く程、私は可愛くて潔い、儚げヒロインではない。

一歩、太宰に近寄った。


『分かりました。じゃあ、これから私が云う事が、間違っていたなら、その時こそ私は貴方に飼い殺されましょう。二度と逃げず、太宰の云う通りにします…一生』

「へえ…臆病な君が其処まで云うなんてね。一体どんな悪足掻きを見せてくれるんだい?」


太宰はそこでようやく顔を上げた。


――――嗚呼、矢張りそうだ。


気圧され、声が震えない様、私は深呼吸をしてゆっくり口を開いた。


『ずっと、今日考えていました。貴方について。何故太宰は、私に執着するのか。太宰が私の事を好きだから?狂おしい程に溺愛してるから?―――答えは、否』


また一歩、太宰に近づく。

離れてしまった心の溝を通り超えるために。


『そんな陳腐な、お茶の間の奥様が楽しむやっすい昼ドラみたいな理由で、太宰は何かにべっとりスライムみたいにくっ付く様な可愛い性格を微塵も持ち合わせていないでしょう。では何故か?思ってしまったんです、太宰は……恐らく、初めて会った、あの時から』


―――――私を知りたい、と。


まるで幼子にお伽噺を聞かせるみたいに、うっかり挑発してしまわないように、そしてまた一歩太宰へと歩み寄った。

鷲色の瞳は、此方の出方を窺う獣のように静かな光を放っている。


『太宰にとって異常だったンでしょう私は。今まで他人に嫌われた事がないとまでは云いませんが、恐らく只の自己紹介で、しかも女性にあんな冷たい目を向けられる事など無かったのだから。完璧な、重厚で精巧な仮面を張り付けていた筈なのに、何故私みたいな普通の女なんぞに、そんな態度を取られなきゃいけないのか』


一歩、一歩、また一歩。

森さん程では無いにしろ、明らかに普通の家よりも広い此の部屋では、一歩ずつ歩み寄るのが遠い気がした。

でも、きっと私たちの心の距離はこの比じゃないのだろう。

すれ違い、平行線を辿って、振り返れば既に貴方の姿は霞んでしまっていた。


でも―――――


『そしてまた、太宰は不安なんです。自分がずっとずっとその重厚な仮面の下で今まで隠してきた、まるで迷子の子供が一人不安に泣きじゃくって居る様な、恥ずかしい程に寂しがり屋な心を、何処からやって来たのかも分からない女に見透かされてしまうのが不安で不安で堪らない』


まだ、消えてはいない。

貴方が其れに気付かないのなら、私が元来た道を戻ろうじゃないか。
怖くて振り返りたくないという貴方の隣に並んで、こんな道だったと教えてあげようじゃないか。

そしてさっき貴方が浮かべた、今にも泣きそうな綺麗な笑顔を、私がぶん殴ってやるんだ。


『でも、知りたい。私の正体を、知りたくて堪らない。けど知れば知るほど、まるで私に自分の心の中を土足で踏み込まれる様な感覚に恐怖を覚えた。きっと昨日の私なんかよりも、太宰の頭の中はこの部屋の様にぐちゃぐちゃに狂っていたンでしょうね』


既に私は太宰の目の前に立っている。

そして驚かせないようにそっと手を伸ばして太宰の右手を優しく取り、その手を私の首へ当てた。

なんて冷たい手なのだろう。その冷たさに、思わず首が粟立った。
冷え切り、骨ばったその大きな手は、片手だけで簡単に私の首を覆える。

力は込められていないものの、その手は首元にあるネックレスの感覚も思いださせた。

凡てを剥ぎ取られ、床に投げ捨てられた中で、唯一太宰に取られなかったものだ。


『何時でも私を殺せたはずです。其れこそ顔、性格のみならず戦闘に対してだって一般人を代表する私ですから。銃殺、撲殺、毒殺、刺殺……何でもありです。そして――――――例えば、今も』


虚ろな闇を宿す瞳は手よりも冷え切っていた。


さあ?―――私を殺してみる?


普通の人間だったら、今この場で自分の心情をぐちゃぐちゃに脅かす不穏因子を消していたかもしれない。でも、僅か18歳でポートマフィアの幹部にまで成り上がった貴方にはそれが出来ない。

殺さないんじゃない。殺せないんだ。

歴代最年少で幹部の座に就き、ポートマフィアの生ける伝説とも云われ、畏れられたあの最恐最悪、ミスター腹黒ハイスペックチートの、太宰治ともあろう人が、高が少し前までは只の女子高生だった普通の女を殺せない。

何とも滑稽なことじゃあ、ありませんか。喜劇、ここに極まれり。

でもそんな事、如何して太宰が歴代最年少幹部としてその席に座われているのか考えれば、何とも容易に想像はついた。


『殺せないでしょうねえ。貴方はさっき私の考えを浅はかだと嘲笑してましたが…正直浅はかなのは貴方の方では?だって、死んでしまっては自分の知りたい、心の蟠りの正体を永遠に闇に葬ってしまう。そんな事は出来ない、という何とも単純明快、普通の女でも簡単にまるっとすみっと御見通しされてしまう、只の知りたがりしか其処には居無いんデスから』


そしてまた恐らく、これが太宰が私に心中を誘わない大方の理由だ。

私が美人じゃないからとか、そんなの私が受け付けんわ。断じて。


『情報が如何に大切なのかを知っている太宰の事デスからねえ。知識欲とは、時に人間を可笑しくする。好奇心は猫をも殺す、知りたがりは身を滅ぼすとは善く云ったものですなあ』


さあ、これでようやく同じ土俵に立てただろうか。


『試行錯誤して私を知ろうとしたのに、全く思い通りにならない私はそりゃあもう目障りだったでしょう。が、残念ながら私は誰かの操り人形になって踊らされるような柄じゃあないのデース。その上私はどんどん太宰の根深い処まで掘り下がって、入り込んできそうになる。知りたいのは自分で在る筈なのに、逆に暴かれていくような、そんな屈辱。…だから太宰は私を監禁してしまえば、その恐怖だって閉じ込められるとそう思ったのでしょう』


未だ何も云わず、只じっとりと此方を見続ける太宰を、私も見返した。
手は、未だ首に当てたまま。

もう片手にはこの部屋に置いてあった、私が持ち逃げしたデジタル時計で塞がっている。


正直、ここからはもう賭けだ。生と死のシーソーゲームである。


今一度、深呼吸をした。


『――――ね、太宰。難しく考えすぎなのですよ、あんた。確かに平々凡々極める私の頭じゃ、太宰の考えは少しとて理解することが出来ないかもしれない。否、出来ないでしょう。それは太宰に限らず、デス。でも…少なくとも、私達の関係に、何か理由を付けようと、しないでください』


これが私の、太宰への嘆願。

最後の方は、若しこれで太宰に拒絶されたら、届かなかったら如何しようという不安と恐怖で歯切れ悪くなってしまった。

声が、震える。


けど―――――


これが今、私が太宰に持ち得る感情の凡てだから。


僅かな沈黙の後、太宰は綺麗な形をした唇を開けた。


「………いつも、名前は、まるで夢を見ているみたいだった」


私の声なんかよりも、太宰の声の方がよっぽど震えていた。




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