▼ 静か過ぎた嵐 ※R15
今日も太宰に書類を渡され、ひたすらまとめ、処理し、整理する日々。
大体の書類は流し読んでそのまま要点を簡潔にまとめ、自分が読みやすいなと思えば完成。善く本を読んでたから速読は得意な方だった。数少ない私の長点である。
そしてデータを保存し、まとめたデータをUSBに入れ、それを事務所にある最高機密が仕舞われた金庫室へと保管する。
毎日そんなことの繰り返しだ。
けど、ある一つの書類を見つけた私は心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃を受けた。
――――「ミミックによる襲撃の被害結果」
速読とかそんな流暢なこと云ってられず、どくどくと高鳴る心臓を感じつつ、震える手で表紙をバッと捲った。
其処には調査に中った広津柳浪さんと太宰のサインが最初に書かれている。
撃たれて殺されていたのは武器庫警備の人達。
全員、9ミリの弾を10から20発受け即死。
その挙句、保管中の銃火器が盗まれた。
盗まれた銃火器は自動小銃が40挺、散弾銃が8挺、拳銃が55挺ずつ。
それに合わせて狙撃銃が2挺、手榴弾が80発。起爆式の高性能爆薬が合計18キロ。
出入りを管理していたはずの電子暗証錠は、一発で正規の番号を入力されていた。流出経路は不明―――――
しかもこれだけじゃない。
既にミミックの拳銃でありエンブレムでもある“灰色の幽霊”と呼ばれる欧州の旧式拳銃を、織田作さんが安吾さんの住んでいるホテルの部屋に忍び込んだ際に発見したことも書かれている。
そしてまた、太宰が対ミミックの戦略立案と前線指揮を受けたとも報告されているじゃないか。
つまり、もう二人は安吾さんに確かな疑いを持っている。
まさか、私の与り知らないところで、こんなに話が進んでいるなんて。
想像以上の話の速さに驚愕し、焦りが募る。
ごくり、人知れず唾を飲み込んだ。
其処でふと、太宰の机を見た。
無人の席は悲しく無機質な光沢を放っている。
じゃあ、今日は?
太宰は今日、一体何処で、何をしているのだ。
今日は何処まで話が進んでいるのだ。
既に織田作は………もうとっくの昔に森さんから命令を受けている。
もし、この報告書が最新なら…太宰の作戦に従って、既にミミックの兵が捕虜として捕まっているはず。
芥川君が太宰にぶん殴られている頃だろうか。
じゃあ、ここから状況は急展開だ。
森さんの秘書を外れ、太宰の秘書となったことで織田作が銀の託宣を受け取る場面を知れなかったのが敗因である。
道理で最近太宰の仕事で出かける頻度が多いと思った。
この間の久ちゃんとの遊園地デートだってそうだ。
秘書とは云っているものの、結局のところ太宰の仕事は凡て太宰が管理している。
私なんて本当に無限に出てくる書類をひたすらまとめ、処理し、整理して管理していただけだ。
何かあれば私に云ってくるけれど、それだって事後報告が多い。
……まあ、その中に太宰以外の誰かを決して出してくることは無いのだけど。
でも、だって織田作さんや安吾さんの事さえも話して来ないとは思わないじゃないか。
異世界から来たからと、自分を何処か特別視していた。
だからこそ気付けなかった。
そしてまた、奴は最悪なことに報告書を書くのが頗る遅い。
だから今手元にある書類が、何時の物なのか…正確には分からないのだ。
失態だ。
それも物凄くマズイ失態。
どうしよう、どうしよう。
頭の中が混乱していると扉が開かれる。
何も云わず、ノックもされないということは敵か太宰だけだ。
扉の方を見れば、そこに居たのは太宰だった。
「全く…仕事ばかりで嫌になるよ。私が居なくて寂しかったかい?そう云えば君に話が―――」
『太宰!』
「おっと」
太宰に急いで駆け寄り、腕を掴む。
どきどきと心臓が高鳴るのを止めてくれない。
断じて太宰へのトキメキとかではないけれど。
そんな甘酸っぱい青春の一頁を開いている余裕は、今の私には無かった。
でもそんな私の心情など露ほども知らない太宰は嬉しそうに腕を微笑んだ。
ごめん。そう云う意味じゃないんだケド。
「おやまあ。今日は自棄に積極的だねえ」
『今日っ…今日、何処で何をしてましたか?』
「そんなこの世の終わりみたいな顔して…さては、何か企んでいるなあ?」
『茶化さないで!』
突然声を荒げる私に太宰は驚くように目を見開いた。
『ごめん、なさい、デス。…でも、ちょっと気持ちが、穏やかじゃなくて』
「何か私の留守中にあったのかい?」
『………何も』
云えない。
というか、如何聞けばいいのか分からない。
太宰の今日の一日の行動を知りたくても、じゃあなぜ今まで聞かなかったのかってなるだろう。以前、私が太宰に突然お前使えない発言を受けた時と同じだ。
私でさえ違和感を感じるというのに、太宰がその変化に何も思わないわけがないのだ。
かと云ってじゃあカマを掛けるか?
それも否。そんな向う見ずな賭けに出る訳にはいかない。
じゃあどうすれば?
無い脳みそを絞り、足りない頭で熟考する。
でも、私は既に―――――
太宰という闇に足を踏み入れていたのだ。
「………ねえ、名前」
後ろにある陰に、自分では見えない様に。
「今、誰の事を考えてるんだい?」
足元まで忍び寄る君と云う闇に、気が付けなかったのだ。
「誰が、私の許可無く君の思考を占めているのかな?」
『………っ…』
また、だ。
あの時と同じ……ネックレスを貰った、あの時と。
冷たく、でも何処か何かを熱望して止まない捕食者の様な瞳。
蛇に睨まれた蛙が如く、身体が硬直してしまう。太宰の腕を掴んでいた、今は力の入らない私の手をそっと外し太宰は私の頬に手を滑らせた。
「今日は久しぶりに時間がある。ゆーっくり話が出来るよ?」
にっこり笑っているのに、目は少しも笑ってなどいない。
先程からばくりばくりと脈打つ心臓が、口から零れそうだった。
「そうと決まったら、こっちにおいで」
『やっ…此処で、大丈夫なのでは……』
「仕事で疲れた私を立たせたまま話させる気?」
普通に正論を云われ、何も言い返せず唖然としているとそんな私に構わず、ぐいと力強く腕を引かれ執務室の隣にある太宰の部屋へと連れて行かれる。
入ったのは初めてだ。装飾品とか如何にも高級そうで、まるでお姫様が眠りそうなベットに通常だったら興奮していたことだろう。
でも頭の中が原作の中での現在地点を少ない情報で詮索することで一杯になっているため、それが何を意味するのかとか、そんなこと全然考え付けなかった。
「さ、こっちだ」
『………ねえ、太宰…』
「まあまあ、まずは座り給え」
ささ、と手を引かれながらこれまた高級そうな革張りのソファに座った。
革張りなのにふっかふかで、どうなってんだこのソファと疑問に思う。…ああいや!今はそんなことどうでも良くて。
隣に座った太宰は足を組んで私の方を向き、頬杖を付いた。
相変わらずその眼は冷たい、けれど熱い瞳で、黒を基調としたこの部屋で、太宰の鷲色の瞳はまるで光り輝く宝石のようだ。
でも何を考えているのか、分からない。
それは、太宰の事だけじゃない。
織田作さんはもうジイドと会ったのか。
子供たちは生きているのか。
安吾さんはもう自分が三重間諜だとばらしたのか。
今ここは本当の世界なのか。
まだ私のしたいことは間に合うのか。
私のすることは、誰の為を想ってなのか。
分からない。
もう何も分からないよ。
『…太宰…私もう、分かんなくなっちゃった……』
俯いて蚊の鳴くような声で呟いた。
嗚呼、なんだか泣きたい。でも泣いても何も解決しない。
でもそんな私に悪魔は優しく耳元で甘言を呟くのだ。
「何も分からなくていい」
太宰を見た。相変わらずにこり、笑みを浮かべている。
でもそこには先ほどの冷たさは微塵も無く、何処か熱っぽい、何かに飢えている二つの瞳があった。
「それでいいじゃないか。本当は君にQと出かけた事を咎めようかと思ったけど…辞めた。どうやらその必要はなさそうだしね」
何故、此処でQの名前が出てくるのか。
…分からない筈がない。
だってこう云う時、この人の瞳はいつも、私しか見ていないのだから。
既に無気力で何の力も入らない私の身体は、太宰の手によってソファの上に押し倒される。
「私を、見ていればいいのだよ。名前の瞳に入るのは私だけで充分だ」
顔が、唇が、自分の唇とすれすれの処で太宰はその感触を楽しむように話す。
ソファにだらしなく放り出された私の手に太宰の大きな骨ばった手が絡まった。
「私だけを見て、感じて、知っていれば良い」
唇が触れた。
まさか接吻までされると思っておらず、驚いて息を吸おうとした。
それを逆に利用され、太宰の舌がぬるりと口内に入り込む。
舌を引込めるも、そんなの無駄だと云わんばかりに絡め取られ、くちゅくちゅと厭らしい水音が、沈黙した部屋では耳に嫌でも入り込んできた。
まるで噛み付くような今までされたことのないその接吻に、焦り、心臓は高鳴り、酸欠となり、思考は強制終了される。
ぎゅっと太宰の熱い手が乗っけられた私の手を掴んだ。
『…っ…ふ、…ぁ……』
「…ん……可愛いね、名前」
『…やだっ!や、デス…太宰っ!』
太宰の胸を空いているもう一方の手で押した。
でも此方は女である上に、片腕のみ。
方や細身ではあるものの、男である上にマフィアの幹部。
どちらが強いかなんて、火を見るよりも明らかだ。
太宰は胸を押す私の手を掴み、自分の頬に当てた。
「拒絶するだなんて、許さない。私を見ろ」
『……うぁ…ん、やめっ…!』
両方とも掴まえられた私の手は頭上でまとめられ、固定される。
首元に顔を埋められ、ぬるりとした生ぬるい触感に背筋が震える。
それは首元に飽き足らず、耳たぶ、そして耳の中までに至り、何も抵抗出来ない私はいとも簡単にその侵入を許した。
ちゅくちゅくと自分が犯されるという事実がダイレクトに聞こえる。
嗚呼こんな処でさえ皮肉にも王道を辿るとは。
何も出来ない自分が情けなくて、もう何も考えたくなくて。
自分の不甲斐無さが憎くて、思わず涙が出る。
太宰はそんな涙でさえも流させてくれない。
涙腺から溢れたそれは、直ぐに彼に舐め取られた。
「君も…そして君の涙の一滴でさえも、凡て私のものだ」
相変わらず、綺麗に泣きそうな顔をして笑うのだね、太宰は。
時間は早くも遅くもならない。
同様に戻らない筈なのに。
戻る力を理不尽にも手に入れた罰なのか。
その日は自棄に時間が進むのが遅い気がした。
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