▼ 遊園地逃避行、二
『だぁっ……はぁ…死んだ…これ絶対死んだわ…』
「…本当に莫迦じゃないの…」
『ああ…もーほんと無理。ほんと勘弁。生きて出れたのが奇跡じゃんね』
「たかが遊園地のおチビ向けのお化け屋敷でしょ。来るって分かってるんだから怖くないし、あんなの僕の異能に比べたら全然大したことないよ。しかも急に走り出すし、何考えてるのほんと」
『死ぬ。これ一択です』
「……」
久ちゃんは私に抱えられたままぐちぐちと説教してくる。
息も整い、そう云えば黒服…と思って見渡すが残念ながら見当たらない。
てか、ここは何処?私は誰?………とまでは云わないけど、完全に――――
「迷子」
『……あっかーん』
「まあ僕はいいけど」
『私は良くないデス!てか、ちょっと一回下ろしていい?腕疲れた』
「………やだ。自分で勝手に抱え上げたんだから、降りるのは僕の勝手だ」
久ちゃんはぐぐぐっと私の服を掴んだまま離れない。
いや、可愛いよ。
こんな可愛いショタ…男の子に耳元でやだ、なんて呟かれた暁にはなんでもしてあげてくなるよ?
けど、酸欠の上に、爆走ダッシュかました上に抱っこは、流石に運動やめて一年たった身体には堪えるものがありまして。でも首元に顔を埋め、猿の子供のようにがっしり服を伸びるんじゃないかと、いや寧ろ引き千切るんじゃね?と云わんばかりに握り締める久ちゃんは全く離れようとしない。
弱ったな…けど、仕方ない。
このまま黒服を探すか。
困りつつもそう思い立って、久ちゃんを抱えなおした時だった。
「お姉さん!何してるの?」
「それ迷子?届けてあげるから、この後一緒に遊ばない?」
「ていうか、さっきすっげェ爆走してたでしょ!アレ、めっちゃウケたわ」
…………うわ、でた〜。ベタな軟派してくる奴〜〜。草生えるわ。
如何にも軟派しそうなちゃらい三人の男に絡まれ、しらーっと方向転換し逃げようとするも、相手は三人…普通に行く手を阻まれた。
大体私の華麗なる爆走を見て、ウケるってなんだ。
もっとこうお見事でしたとか、韋駄天の如く素早くて感動しました、とかもっと他に感想があるだろうが。あーん?
『あのー…この子、私の子で』
「何お姉さん、そんな歳と見た目でやることやっちゃってんの?人は見かけによらねえって本当だな」
「あったまいー!」
身内で勝手に盛り上がる。
お前らは見たまんまだけどな。
頭すっかすかのスポンジよりも軽い、寧ろ何もないんじゃないかと心配になる低脳さである。頭いいって…それうちの首領と腹黒幹部の前で胸張って云えるのか。
はっきり云って殺されちゃうよ?
きっと生まれてきたのを後悔しちゃうような惨い死に方を強要されちゃうよ?
そう思ってしまうのは、私の周りが人知を超えた秀才ばかりな所為ではない筈。
てかやることやっちゃってるのって何それ…。どう考えても違うだろ。
そのおしゃべりな口縫い合わせてやろうか。
「とりあえず、この坊やには別のところで遊んでもらって…」
「薄汚れた手で僕に触るな!!害虫が!」
「ああ?」
『久ちゃんッ…!』
久ちゃんは伸ばされた男の手を叩き払った。
その態度にドスのきいた声を出し、怒りを露わにする男。
それに伴って周りの男達も様子が可笑しくなり、終いには凄んできた。
やっちまったな久ちゃん。
いや、分かるよ!君の云いたいことはよく分かる!
でも時と場合を考えて。落ち着いて。
云いたいことを云えるようになったんだよね!
それはお姉さんも凄く嬉しいことだよ!喜ばしい限り。
でもね、世の中難しいことにケースバイケースって言葉もあってね、うん。
今が正にソレかな、うん。
でも久ちゃんは内心で悲鳴を上げる私の考えなど露知らず、先程まではがっしりと掴んでいた手を離し、飛び降りた。
そして短い腕をバッと広げる。
「この女は僕のだ!」
『……トゥンク』
君、本当に、何処でそんな言葉覚えてきたの。
お姉さん、歳の差なんて忘れてマジで惚れちゃう三秒前だったよ。
感動して手を口に当てながら久ちゃんの私を守る、小さな背中を見る。
にしても…弱ったなあ。
久ちゃんは私の所為で今は異能が使えない状態だし、かと云って今のほっこりホームビデオみたいな出来事を時間巻き戻って無かったことにしたくない。
なんとかこのまま逃げられないものか…。
でも目の前の三人…しかも男達に対してこっちは、か弱いタイムトラベラー女子と、ヤンデレ僕っ子だけ。どう考えても肉弾戦で敵う訳ないし、分が悪い。
弱った弱った、と考えていると後ろからもうダッシュしてくる人影が見えた。
あ、あれは…………!!
「苗字様!!大丈夫ですか!?」
『も、モブ達ーーーーー!!』
「おうおうお前ら!この方が誰か知っての狼藉か?この方はポートマフィアの大事な御人だ。口説く相手を間違えた己を恨むんだな…今この場で屍になりたくなかったら、とっとと失せろ!!」
「ひぃっ………!」
ざざざっと私と久ちゃんの前に一人、そしてもう一人の黒服は怒声で三人の男を一瞬で気圧し、その結果男達はまるで蜘蛛の子を散らすように去って行った。
お前たち…なんて良い奴なんだ!見直したぜ!
並んでるところを写真撮ったり、ジェットコースターとかお化け屋敷怖がってたことを散々莫迦にしたけど、此処で謝罪しようじゃないか。
そして内心、ちゃっかり逆ハーの図が完成していることにうはうはしていると、私の前に庇い出た一人が此方を振り返った。
「お怪我は?」
『ないデス。全く、ちっとも。君たちのお蔭で…散々モブとか云ってごめんネ』
「モブ…の意味は分かりませんが。お怪我が無くて良かった」
『そんなそんな。大袈裟デスよ』
「いえ、貴女に何かあれば我々は消されてしまいますから。文字通り」
……ほわっつ?
何やら物騒な言葉が聞こえたけど、まあいいや。
そういう世界で生きてるから言葉が癖で凄んでしまうのかもしれん。
兎に角、何もなくて良かった。しかし「そろそろ時間が…」と云われ、自分の胸元から懐中時計を出し、確認する。
ああ、確かにもう夕方だ。そろそろ帰らなければ。
『久ちゃん、そろそろ帰り…』
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!!」
『オウ……』
そろそろ帰りますか、と云おうとすると、久ちゃんは俯きその場に座り込んでしまった。
端から見ればただ遊園地から帰りたくない子供を止める大人たちだが、この子の場合は違う。
でもこの子が帰るのは暖かい家とは程遠い、冷たく無機質な地下牢なのだから。
そりゃあ折角の、久々の外だったもんね。しかも遊園地。
環境の急変化としては本当に天と地の差だ。……皮肉なことに、特に子供にとっては。
ある意味私はとても可哀想な、それこそ拷問よりも酷い事をしてしまった。
私はそっと頭に手を乗せる。
「お願い、お願い。ちゃんと良い子にするから。云う事だって聞くし、悪口も云わない。異能だって使わない。だから、お願い。やだ、やだ、やだ」
『久ちゃんが悪い子だから帰るんじゃない。みんな帰るんです、久ちゃんだけじゃない。みんな』
「…僕は帰らない。まだ此処に居たい、永遠に」
『…久ちゃん、夢はね、醒めるから素晴らしいんだよ』
「だって………だってだってだって!!」
久ちゃんはばっと勢いよく顔を上げた。
思わず目を見開く。
「もう、名前と一緒に遊べないんでしょ…!?」
その顔は鼻水と涙で、ぐちゃぐちゃになっていた。
苦しくて、喉が引きつりつつも絞り出されるその声は、最早叫びだ。
「ジェットコースターの時、手を握ってくれて、身体を寄せてくれて、嬉しかった…!お化け屋敷の時も、突然だったけどあんな風に誰かに抱っこされるなんて、初めてだった…暖かくて、良い匂いで、少し苦しくて、でも…嫌じゃなくて……、…僕が、僕がっアイツ等から名前を守れなかったから?僕が悪い子だからもう名前は僕と会えなくなったっていいと思うんだ!!……僕なんて……いらないんだ…」
小さな体を震えさせながら、消え入るような声で云った。
その言葉は、云いたいことをきっと半分も伝えられていないんだろう。
でも、苦しくて、それでいて何処か歯痒そうな久ちゃんの顔が何よりも久ちゃんの心情を語っている。
それを見て、ハイ帰ろうとすんなり云えるほど、私は冷たく優しい良い人になれなかった。
『……黒服、二人組』
「は、はい…何でしょう?」
『ソフトクリーム、買ってきて。君たちがさっき食べてたやつ、二個ね』
「あ、ああれは!その…『急いで!ダッシュだよ一年!ダッシュ!!』…少々お待ちを!!」
黒服二人を部活で後輩を走らせる先輩のように声を掛けた。
久ちゃんは驚きに大きなくりんとした目を見開いて私を見る。
私は笑った。
『ちょっぴりお話ししましょうか』
空はもうとっくに夕暮れていた。
――――――――――――――――
――――――――――
――――――
『ほら。美味しいですよ?甘くて』
「……ありがと」
『おやまあ、今日一日で随分素直になったデスこと』
「…五月蠅い…」
ベンチに座り、黒服をパシらせ買ってこさせたソフトクリームを頬張る。
うーん、ミルクの味が濃厚で美味しい!練乳の如く甘い。
走って疲れた体が生き返るようだ。
身体を片手で後ろに重心を掛けている私とは違い、久ちゃんはちゃんと座っている。
お行儀が悪いのはどっちだ、ってか。
ぱくぱく食べている私とは裏腹に、隣でブルーになってる久ちゃんは全く食べようとしない。
『早く食べなきゃ溶けちゃいますよ』
「……食べたくない…」
『あら、甘い物はお嫌いデス?』
「違う」
『じゃ、どして?』
「だって…食べたら……無くなっちゃう、から…」
俯き、小さく消え入るような声で話す久ちゃん。
私はそれを見て、ソフトクリームを口に咥え、アイスを持っていた手を久ちゃんのおでこに近づけた。
「いたっ!」
『何辛気臭い顔して暗い事云っちゃってんですか。餓鬼のくせに』
「理不尽!」
『こンなんで理不尽云ってたら、世の中理不尽だらけですぞ』
まあ君は特に、だろうね。
そう云うと久ちゃんはまた押し黙ってしまう。
ソフトクリームが解けそうだ。
『ねえ、さっき私夢は醒めるから素晴らしいって云ったでしょ』
「………」
『ソフトクリームも同じデス。いずれは消えて、無くなってしまう。君の食べる、食べないの選択に問わず』
「……」
久ちゃんは黙ったままだ。
顔は俯いていて聞いてるのか如何か分からないけど、聞いてると信じて話を続けた。
『でもだから良いんですよ。無くなってしまうから、醒めてしまうから…また食べたいと思い、また夢を見たいと思えるんです。この瞬間を、一瞬を大切にしたいと思える。永遠だなんて…そんなの、最初から無いのと同じなんですよ』
「…じゃあ、知らなきゃ良かった」
『本当にそう思いマス?あんなに楽しんでいたのに?このソフトクリームも、私がもう食べきってしまうくらいとーっても美味しいのに食べなくても良いって、本当にそう思いマスか?』
「………」
そう。本当は時間を巻き戻るなんて事、出来て良い訳がないのだ。
私はさっき襲われた時、久ちゃんが私を守ってくれた時に直ぐ巻き戻す、という選択肢が出てきた。
これはとても恐ろしい事だ。
一回きりだから、全力になれるというのに。
私は必死になって久ちゃんを守ろうとすることが、出来なかった。
既に溶け始め、その手に伝うソフトクリームを久ちゃんは睨みつける様に見る。
『知ることは世界を広げるだけでなく、事の脆さを、そしてその儚さを感じれる唯一の行動です。そして次に活かす為の糧となる。久ちゃんは今日、遊園地を初めて知った。そしてその楽しさを、そして終わる切なさを知った。大切なことです。終わることが悲しいと思うのは普通のこと』
「……普通…?僕が…?」
『そう。超普通です。みーんな、みーんな楽しいお遊戯が終わってしまうのは至極切ない。勿論、私だって。胸が張り裂けそうなほど……でも時間は誰も待っちゃくれない。いつかは終わる。そしてこう思うんです、次はもっと楽しもうって』
「……次、なんて…僕にはないよ」
『なら、私が作ろうじゃないか』
俯いていた久ちゃんがやっと私の方を向いた。
「名前が?」
『そう、君にとっての次を。また今度、を。時間がある限り、終わりがある。でもそれと同時に人間には次が確約されてます。…まあ、生と死以外ですが。そして、生きている間の次は、未来への期待となり、見えない明日を生きる糧になる。それが自分の知りたいことなら尚更。…何故なら、人は皆、知りたがりだからデス』
だから、ね?
そう云って笑うと久ちゃんは目を見開いた。
『また今度、私と遊園地行かない?』
生きて。明日も、その次も。
そう願いを、希望を、欲を久ちゃんに云い付ける。
風が吹く。だんだんと周りの人も帰り始め、空はほの暗くなってきた。
久ちゃんは私の顔を見て莫迦だよ、と呟くと、何を思ったのか今まで食べなかった溶けかけのソフトクリームを頬張り、あっという間に食べ終わってしまった。
下げていたポシェットから手拭きを出して、ちゃんとべたべたになった自分の手を拭く。
…案外、女子力高いな。
そして久ちゃんは手を拭きながら呟く。
「仕方ないからまたついて行ってあげる」
『またそれデスかあ?その件は出会った時に終わってるよ』
「ふん。…きっとその時はジェットコースターだって普通に乗れる」
『うん』
「次は僕が弱っちい名前を守ってあげる」
『それは楽しみデスなあ』
「……そ、れで…今度は…僕が、名前を抱きしめる!」
今度は久ちゃんの云うことに私が驚く番だった。
目を見開いて久ちゃんを見る。
「云っておくけど、仕方なく、だからね!それにしわくちゃのおばさんになってたらしてあげないから!名前がどうしても僕を抱き締めたいならそれでもいいけど!!でもその頃には若しかしたら身長だって抜かして――――」
『久ちゃん』
必死に、そして息吐く暇も無く、矢継ぎ早に捲し立てる久ちゃんの言葉を遮った。
『期待して待ってンよ』
「…っ今、僕のこと馬鹿にしたな!僕の異能が使えたらお化け屋敷如きで怖がる名前なんて簡単に壊れちゃうんだから!」
『うんうん』
「聞いてる!?」
『久ちゃんは可愛いって話でしょ』
「違う!!」
ぎゃんぎゃん騒ぐ久ちゃんが可愛くて可愛くて、私は頭を撫でるけど、その手は掴まれ小指を親指をこれでもかと引き離された。
………って、うえええ!?なにこれ!?
新手の拷問!?
クソ痛いんですケド!!?
『いたたたたたたたっ!』
「僕の話を真面目に聞け!」
『聞いてた!超聞いてたし!!なんなら復唱してあげても――――』
「やっぱり莫迦にしてる!」
『あだだだだだだ!!』
結局私達最初っから最後までこんなんだね。
エゲつない拷問をしてくる久ちゃんだけど、その手を振り払うことも出来ず、痛みに耐えるほかなかった。
ムキになる少年の、なんと愛おしいことよ。
私達の影はもう無くなり、すっかり夜の闇に溶け込んでしまっていた。
prev / next