黒の時代編 | ナノ


▼ 遊園地逃避行、一

―カツン カツン カツン


地下では空間が狭い所為で、良く音が反響する。


私の三センチほどの比較的平らなヒールでも、階段を降りるのにピンヒールの様な音がした。
じめじめと、まるで手入れがされていない此処地下牢は、宛らホラーゲームにでも出てきそうな場所である。

とても不気味だ。
一人では絶対に来たくない。

でもじゃあ、何故一人で私が地下牢へ降りる階段を歩いて居るのか。

全ては私が今握りしめている、この間、商店街の福引で初めて当てた二等の景品が原因だった。

地下牢に入る扉の前には屈強な体つきの二人の黒服が見張りとして立って居た。
男達は私に気付くと驚いたようにたじろぎ、口を開く。


「何故、貴方様がっ…!」

『退きなさい』


緊張がばれない様、強めに云う。

つい先日、太宰を訪ねてきた広津さんが私に敬語を使ってきたことから分かった事である。自分の立場がどれほどの物なのか知らない私は、その事に勿論驚いた。
広津さんに訳を聞くと、どうやら私は広津さんよりは上の、中也さん辺りという、それなりに上の地位に居るというらしい。

特定の人以外にあまり他人と接する機会の少ない仕事。
確かに今目の前に立って居る構成員も乱暴な言葉遣いをしてこなかった。

それが分かっていてこの女王様態度、である。
…退きなさい。だって!ちょっと今の自分格好良かった。

内心自分に酔い痴れていると、見張りの屈強な男は悩んだ挙句に退き、一人は扉を開いた。


開かれた扉の奥、私は視線を鉄格子の向こうで小さく座り込む小さな少年に向ける。
只でさえ小さな子供なのにこの空虚な空間で縮こまる少年は、更に小さく見えた。

男達が退いたことで道が開け、私はまた靴の音を鳴らしながら鉄格子の前に立つ。
少年の手が私に手が届かないぎりぎりの距離で。


少年はゆっくり顔を上げた。


「……誰?」

『苗字名前って云う者です。君は、夢野久作君だね』


そう。

私は彼、Qに会いに来た。

自身が持つ狂気の異能の危険性から、この地下牢へ閉じ込められた彼に。

Qはじっとり此方を睨む。
据わっている不思議な眼は、まるで全てを諦めたような闇と星を映している。


「何しに来たの?」

『実は、君に折り入ってお願いがあるんデスよ』

「お願い…?」


私は神妙な顔をして、手に握る二枚の長方形の紙を見せた。


『遊園地………行かない?』

「は?」


小さな言葉ですら反響する部屋で沈黙が訪れた。

が、それは直ぐ見張りに立って居た男達の乱入で掻き消される。


「…!?お、お言葉ですが苗字様!そんな事は」

『ああん!?モブはお口にチャァック!!出てくんじゃねえデスよ!』


見張りをしていた男達は如何やら聞き耳を立てていたようで、冷や汗を流しながら話に割り込んできた。
それに対して声を荒げ、胸元からある一枚の用紙を取り出す。

その紙を見て、男達は揃って口を噤んだ。


「それはっ…」

『この、“銀の託宣”が目に入らぬかー!!』


ででん、とでも効果音がつきそうな程に男の目と鼻の先へ突き出す。

そう!
私はこんな事もあろうかと、森さんに銀の託宣を譲り受けて来たのだ。

一日という限定を付けて。

何か色々理由を聞かれるだろうと冷や冷やしながら言い訳を考えてたけど、森さんはにっこり笑って「許可しよう」と云い、すんなり銀の託宣を書いてくれた。
…相変わらず、何考えてるか分からない目をしていたけど。

私視点では、なんだか面白そう、とでも云いたそうな感じだった…気がする。

…まあいい!

無事銀の託宣はゲットしたし、今日私の目の前に立ちはだかれる構成員は誰一人とていない!!
某ゲームで云うならチート的スターを手に入れた今の私に怖い物はないわ!

男達は本格的に何も云えなくなり、後ろへ下がった。其処で黙って指を咥えながら見てなメンズ。

改めてQに視線を向ける。


『実はデスね、このチケット二人しか行けないのですよ。しかも大人と子供のペア!福引で当たって、喜んで帰っている時に気付いたので、正に時すでに遅しだった訳で…。あうーこれじゃ行けまセーン。だが私は遊園地に行きたい。切実に』

「……おばさん莫迦なの」

『おばさんちゃいます。お姉さんです。名前お姉ちゃんって呼んでみ、ほら』

「五月蠅ェ、ババア!!」

『あんだとこのクソガキ!!』


―ガシャァンッ


少年の手が届かない範囲は何処へやら。

んぎぎぎぎ、と歯ぎしりをして、互いに鉄格子を掴みながら睨み合う。
こんのクソ餓鬼…思っていた以上に失礼な奴だ!

精神狂っている以前に教育がなってないんだよ、教育が。

少年は鉄格子の隙間からシュッと手を伸ばしてきた。

普通だったら若しかしたら避けられないかもしれない。
でも、一回見てきた私は軽く避けた。


「……ちぇっ…おばさんをぶっ壊してやろうと思ったのに」

『ざーんねんでーしたー!後、おばさんじゃ無いって云ってるでしょ。その口炙るぞゴラ』

「何が狙いなの…」


鉄格子を掴みながらQは私に問う。

私はにやりと悪戯めいた笑みを浮かべた。


『狙い?云ったでしょう。私は遊園地に行きたいんデス。久々に貰った一日休暇を部屋で引き籠りなんてクソ喰らえ、デス。チケットも勿体ないしー。いくらあの商店街に貢いだと思ってるの?』

「知らないよ」

『まあ兎に角ね?君が身体に巻き付けてる剃刀も、金具も全部外してくれるならお姉さんが夢の国へ連れてってあ・げ・る!』

「……やっぱり、莫迦だねおばさん」

『次、おばさん云ったら帰るかンね』


其処でばっと勢いよく、Qは顔を上げた。

その顔は如何にも行かないでと云わんばかりに歪められている。

むっふっふっふ。
やっぱりどんなに恐ろしい異能を宿していたって、狂っていたって所詮餓鬼は餓鬼。
遊園地という魅力的なドリームワールドをそう簡単に諦められる筈がないのだ。


「…僕の異能、知らないの?」

『知らないで来る訳ないでしょう?』


というか、私が行きたくて仕方がないのだよ。

Qは私を訝しげに睨んだ。


「………変人」

『うっわ。生意気』

「仕方ないから僕が行ってあげる」

『おやおやあ?如何やら何か勘違いしているようデスなあ?』


どっちが上の立場が教えてやろうじゃないか。

これも教育!
目上の人への態度を教えるのだって大事なことである。


『まあ?私は君と違って何時でも好きな時に行けますし、こんな千載一遇の機会が無かったら君を誘うこともないだろうしー。君の異能を知った上で君を誘おうだなんて酔狂な人、私以外にいないでしょうねえ。でも君がそんな態度ならやっぱり帰ろっかなー』

「…ッ待って!分かった、分かったから!」


肩を竦めQに背を向けると、泣きそうな声でQは叫び、ガシャンっと手に鉄格子に張り付いた。
振り向くと其処には矢張り今にも泣きそうな顔をするQが居て、その小さな手には鎖が巻かれていて、心がぎゅっと痛くなる。

そんな心情を悟られまいと私は顔ににやりと笑みを張り付けた。


『四十秒で支度しな』


――――――――――――――
―――――――――
――――――


『いやっふー!!遊園地だー!!』


身体に巻き付いた針金やら、剃刀やら、ありとあらゆる刃物を外させ、気味悪いあのぬいぐるみも置き、やっとこさ此処、遊園地に来た。
Qとは手を繋ぎ、私は空いているもう一方の手を突き上げる。

目に入るのはぐるりと二回転したり急降下が何か所もあるジェットコースター、可愛らしいティーカップ、大きな観覧車、おどろおどろしい幽霊屋敷、風船を配るよく分からないマスコット。
こう云うところにあるちょっとした売店みたいなのも沢山あり、美味しそうな匂いもしてくる。


「苗字様、あまり目立つ行動はお控えくださるようお願いいたします…」


まあ、見張りに立って居たモブの男二人も一緒ではあるけれど。

でも、これはこれで面白い。
とある名家のお嬢様による御忍び旅行っぽい。
場所は遊園地だし、お金は私持ちだが。

黒服の二人は自分のお金でチケットを買っていた。
屈強な黒服の、しかもグラサン掛けた男二人が、家族や恋人たちが楽しそうに並ぶ列に肩身狭そうにして並んでいるのはとても傑作だった。

それ指差して爆笑しながら動画を撮っていたら、Qに悪魔って云われたけど。


『大体、悪魔って云うなら小を付けて貰えます?小悪魔って云われた方が可愛いでしょ』

「頭可笑しいんじゃない?僕が異能を使わなくても……名前お姉さんは充分頭が狂ってるよ」


相当私をお姉さん呼びしたくないのか、かなりの間はあったものの、渋々と云った感じで私の名前を呼んだ。


『んまー!生意気!ま、名前お姉さんと呼んだところは褒めてあげようじゃないか。ところで久ちゃん行きたい場所はあるかい?』

「久ちゃん!?」

『いえーす。きゅうりの久ちゃん、ってか!』

「……本当に頭可笑しいんじゃない」

『なんだとクソ餓鬼』


久ちゃんを見下ろすと俯いていた。
様子の可笑しい久ちゃんを覗き込むためにしゃがみ込んで、目線を久ちゃんより低くした。


『どした?トイレ?おしっこさんデス?』

「………すた……」

『おん?』

「…っ、ジェット、コースターに、乗りたい……」


顔を赤くさせつつ、空いているもう一方の手で服をぎゅっと掴んでいる。

…そうか。
彼のやりたいことなんて、今まで誰も聞いたことが無い。聞こうとすらしなかった。
だから自分の本当にやりたいことを正直に云う事が、こんなに怖くて、恥ずかしいという事を知らないのだ。

私の手を握る久ちゃんの手に力が篭った。

それに応える様に私も握り返す。


『うん。行こう』

「…っ!」

『私も行きたい』


そう云って私が笑うと心底安心したような顔をして、久ちゃんも笑った。

…精神がトチ狂ってるとは言っても、無邪気な笑顔は可愛い物だ。
例えそれが嘘だとしても。

……いや、嘘じゃないか。
だって既に彼の本性は全部暴かれているのだから。


『んじゃ行くよ!おら、護衛のお二人もちゃんとついてきな!』

「いや、我々は下でお待ちして…」

『え、まさかポートマフィアの構成員ともあろう男がジェットコースターも乗れないの?』

「そういう訳ではなくてですね…」

『ああん?如何いう訳じゃはっきり云わんかい!まあ、云ったとしてもこの銀の…』

「「かっ畏まりました!」」


そうだよ。最初っから云う事を直ぐ聞いてればいいんだよ。
人間、素直が一番。

胸元に入っている銀の託宣をちらりと光らせれば揃って返事をした後、二人は何も云わなくなった。


ジェットコースターの列に並んでいる間は久ちゃんと写真を撮ったり、携帯ゲームをしたりした。
ほとんどのゲームで私が勝ったけど、カーレースだけ勝てなかった。久ちゃん案外上手い。
本気で挑んだのに勝てなくてめっちゃムキになり黒服達が冷や汗を流し止める中、喧嘩をしていると直ぐに私達の番になった。


『うわー!この上がってる時めっちゃワクワクするわー!久ちゃん怖かったらずっと取っ手を握ってるんですよ』

「こ、怖くなんかないもの!名前こそ年下の僕の前で強がってるんじゃない?別に取っ手を握りしめてていいんだよ!」

『腹立つ、わああああああああ!!!』


云い合っている間にジェットコースターは急落下を始め、私の言葉はそのまま叫び声となった。
右に曲がり、左に曲がり、一回転したかと思えばまた急落下。
ぐるりぐるり回る視界に揺れる頭。

後ろから黒服二人組の雄たけびも聞こえてくる。
…マジで怖かったんじゃないの?

ふと久ちゃんは大丈夫なのか気になり、隣を見た。


…………すっごく怖そうに身体をこれでもかと縮こませ、取っ手を握っている。


…おおう。これはアカン。
これじゃ只の拷問だ。他の構成員と同じになってしまう。

慌てて久ちゃんの手を握り、出来るだけ身体を寄せた。
遠心力に負けてなるものかああああ。


―――――――――――――
―――――――――
――――


『あー楽しかった!ごめんね、まさかあんなに怖がるとは……計算外でした』

「ち、違う!怖がってなんかなかった!ちょっと衝撃が強かっただけで…」

『ふーん』

「信じてないな!!」


にたぁっと私は久ちゃんを見下ろし笑う。

それに逆上してぎゃんぎゃん騒ぎ、私を殴る久ちゃんの手を握った。
あ、てめくそ。態と足踏んだな、今。

君の異能は人に傷つけてもらって初めて発動する奴だろう。
逆に私を傷つけてどうする。…まあ此処には人形もないし、異能は使えないけど。


『はいはい。さ!次はどうする?』

「…じゃあ、あれ!」

『……え、あれ?』


久ちゃんが指差したのは見た目も名前もおどろおどろしい幽霊屋敷。

…君、本当にそういう不気味系が好きね。
お姉さん君の将来が心配になっちゃったヨ。

でもぐいぐいと今日一で楽しそうな顔をする久ちゃんにそのまま手を引かれ、今日は平日と云う事もあってか人の数も少なく、直ぐに私たちの順番が来てしまった。

二人ずつ、と云う事もあってモブを先に生贄に……げふん!優先させて行かせたが、入って間もなくぎゃあああと何とも不穏な叫び声が聞こえてきたので、帰っていいですか?


『久ちゃんやっぱり止め』

「お次の方どうぞ」

「ほら行くよ!ここまで来て止めるの?只でさえブスなのに、女が廃るね」

『そんな言葉何処で覚えてきたんだよ手前ェ……』


さては太宰が教え込んだな!!
地下牢に入れたの太宰だって原作で久ちゃんがヤンデレな感じで云ってたし。
彼奴、碌な教育してねえな。…まあご本人様もご本人様ですしね。

思考を飛ばしていると、久ちゃんがぐいぐい引っ張るせいで結局幽霊屋敷に入ってしまった。

薄暗い道、恐ろしいBGM、前の黒服二人組の悲鳴…全てが私を恐怖に誘う。
舞台はどうやら昔の日本の様だ。ろくろ首とか、傘お化けとかが居る感じ。

そして私達の歩むべき道の先には、これ見よがしに落ち武者が顔を俯かせて立って居る。


『久ちゃんヤバいって、これ。マジのヤバい奴だって。絶対わぁ!って云ってくるやつだって。一番の驚かせポイントだって。ほら見てあの落ち武者。あれ完全に私たちを狙ってるわ』

「こんなのが怖いの?臆病なんだね名前って」

『うん。怖い。超怖い。弱いし。私ほら、見た目通りか弱い乙女だから』

「弱虫」

『もうこの際、弱虫の蛆虫のおしりかじり虫でいいから、はやく』

「うぉおおおお!!」

『んぎゃああああああああああああ!!!!!』

「名前の方が五月蠅い、って、ちょっと…!!」


落ち武者はフェイクで、その横から出てくる貞子が狙いだった。
そんな貞子の地を這う様な怒声よりも大きな叫び声が私の喉を傷める。

文句たらたらな久ちゃんを抱き上げて走る、走る、走る。

ダッシュで屋敷から逃げ、最後にお姉さんが良い笑顔で「有難うございました」と云うのも聞かず、黒服二人が楽しそうにアイスを食べて談笑しているのも見ず、兎に角この場から逃げたかった。



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