黒の時代編 | ナノ


▼ 男と女の甘味事情

『ふおおおおうっ!!』


太宰とかくかくしかじか一悶着あり、現在私は中也さん一緒の元、この前来た赤レンガ倉庫に来ている。
解放感に思わず両手を広げ、気分のままに走り出した。

そりゃあ中也さんの部屋から出て、事務所を抜けるまではひやひやしたものだ。

まずは中也さんに部屋の外で太宰が待ち構えていないか確認してもらい、ゴーサインが出たらそれに合わせて私も移動するという所業。

しかし流石は次期幹部。
こう云った潜入(今回は脱出だったけれど)捜査はお手の物のようで、私は中也さんの指示の元、太宰に見つからずになんとか事務所を出て今この自由を手にしている。
…まあかなりの緊張感はあったけど、スニ―キングミッションみたいで楽しかった、と云うのは秘密だ。

この前のクレープ屋のワゴン車は今日も来ており、私は前回エリス嬢が頼んでいた苺とベリーのクレープを頼み、中也さんはピザ風のクレープを頼んだ。


『どうです?ピザ風のクレープは』

「案外いけるな!」

『良かったデス。中也さんの口に合って』


海を見ながらクレープを食べて。
さっきまでの悩みが嘘のように気持ちが軽くなっていく。

潮風が気持ちいい。
揺れる髪を気にしながらクレープをまた一口頬張った。


「にしても、名前も太宰に苦労してるんだな」

『そりゃもう。中也さんに比べちゃったらアレかもしれないですケド…。でも日々翻弄されてます。鬼畜な程』

「違いねェ」


他愛もない話をそれからぐだぐだと続け、

ザザーッン、と波の音と共にカモメが鳴いている。


「……なあ。さっきの、あれ……本気、なのか?」

『え、鬼畜の件ですか?鬼畜じゃないなら社会の塵と云ったところデスかねえ』

「違ェよ!じゃなくて、だな…さっき俺の部屋の で……」

『あ!そう云えば、迂闊にも机の下から出ようとしてしまった時、私の事守ってくれてありがとうございました!今更になっちゃって、ごめんなサイ。一寸気が動転してて…でもこんな風に自分を助けてくれる人が居るんだって、本当に嬉しかったです』


先程太宰に云われた、私に存在価値は無いって云う発言は結構堪えるものがあった。
太宰自身にその気がなくとも、私は私の解釈でショックを受けてしまったのだ。

…本当はかなり不安で怖くて仕方がない。

私に、ちゃんと織田作さんを守れるのか。
そして、太宰に織田作さんの生きている世界を作ってあげられるのか。

全ては私の完全な利己主義で構成された我儘である。

それで良いのか悩んだ。
でも事情を何も知らないとはいえ、中也さんに守って貰って、彼には彼の世界があると第三者の介入を経て、なんだか客観的に見れる様になれた気がする。

つまりは私だけでなく、皆だって日々ああなれば良い、こうなれば良い、と思い描き、それが現実のものとなればいいのにと心の何処かで願っている筈。

私だって、自分の理想を叶えたい。
ただそれだけだ。

そう、だから、別に太宰に存在価値を決めつけられる謂れは無い。

やりたいことは、やりたいだけやる。私のポリシーだ。だって私は世界で一番お姫様!

開き直り、最後の一口であるクレープを食べ終えた。


『だから、あの時の中也さん最高に格好良かった。女性はあんなことされたら皆惚れちゃいますね確実に!顔だって普通に綺麗だし、身長低くても威圧感があるよりマシです。優しいし、笑顔も素敵だし、一緒に居て楽しいし、お洒落だし、帽子だって中也さんだから似合うんだろうし、さぞおモテになるんで』


おモテになるんでしょうね、と云いながら中也さんの方を見ると、カチンコチンに固まってしまっていた。
それはもうそのまま冷凍保存されたのでは無いかと危惧する程に。

その様子に思わず閉口してしまう。

この人、本当に初心だな…。意外だ。


『あのー』

「………」

『…中也さん?』

「おおおおう!?なっなななな!」


最早言葉になっていない。

声を掛けても反応がなく、つんつんと固まったままの中也さんの腕を突くとベンチから立ち上がり、物凄く遠ざかれた。

あ、ちょっとショック……。


その時、一段と強い風が吹いた。


突然の風に中也さんの帽子は押さえる暇も無く、まるで意思を持ったかの様に空高く舞い上がり、やがて手の届かない海の方へ飛んで行ってしまう。


これじゃ、駄目だ。


私は自分の持つ懐中時計を服越しから握りしめた。


――――チィンッ


……この音、もうちょっとカッコいい音にならないもんかなあ。電子レンジの音に近いそれを若干不満に思いつつ、横を見る。

巻き戻ったため、中也さんは先程の座った形のままで固まっていた。

中也さんに声は聞こえない。
けど触れば驚きで逃げてしまう。

考えた結果、私は同時に右手で中也さんの腕を、左手で帽子を押さえた。

思った通り、中也さんは私に触られた驚きで立ち上がろうとする。けど、私も腕を引いて立たせない。帽子から手を離さないために。

流石重力使いというか、男子というか、兎に角力強いがこっちも意地で頑張る。


「な、ななな、手前、何して……」

『ストップです!』


その時ゴォッと先程と同じように、一段と強い潮風が吹いた。
しかしそれは一瞬で、その風が吹き終わったのを確認した私は手を離し中也さんから離れる。


『済みません。こうする以外に方法が浮かばなくて…』

「名前は今の風が来ることを、分かってたのか?」


そう聞く中也さんに私は曖昧に微笑んだ。

教えても全然良いのだけど、ただ何となく云わなかった。秘密が多い程、女性は美しいってね。

しかし私を見て中也さんは私が何らかの異能を使ったのだと判ったのだろう。そうかと一言呟いて、それ以上は特に何か言及してくることは無かった。


『帽子無事で良かったデス。…あーでも、そろそろ帰らなくちゃデスね。此処まで散々付き合わせてしまった身で云うのもアレなんですけれども』

「そうだな…。手前は大丈夫か?」


そろそろ事務所を出て二時間になる。
休憩はとっくのとうに終わっているのだ。

中也さんだって何も云わなかったものの彼の仕事がある筈。
大丈夫…かはちょっとかなり切実に不安だけども。

だってあの人去り際に何て云ったか覚えてる?
首輪を着けてやるですってよ。
あの鬼畜外道の畜生ならマジでやりかねん。狂気の沙汰である。

…けど、何時までも中也さんを振り回すわけにもいかないのも事実で。
というか全面的に私の問題だし、流石にこれ以上付き合わせるのは本当に申し訳ない。


『ダイジョブ、ですよ』


そう云って笑ったのだけど表情筋は正直にも引きつってしまう。
うっわー、絶対大丈夫な顔出来てないよ自分。

そんな私を見て、中也さんは顎に手を当てて考えている。ああ、もう本当に申し訳ないの極み。今この場で土下座したい。

何時土下座しようか機会を窺っていると、中也さんはニッと楽しそうに笑った。


「一つ、寄りたい処がある」


―――――――――――――
―――――――――
―――――


『こ、ここは……』


悪戯めいた笑みで付いてきなと云われ、中也さんに連れて来られたのは、以前エリス嬢と来たときに私が諦めたネックレスを売っているアクセサリーショップだった。


「手前、この前見てたネックレス欲しがってたろ?本当だったらもっとちゃんとした奴を選んで買ってやるんだが、生憎、時間がねェ」

『え、あ、いやいや!そんな悪いデスよ!!』

「憎き太宰に対する同朋の好み(よしみ)だ。遠慮すんじゃねェよ」


まあ売れ残ってたらだけどな、と云う中也さんの笑顔が眩しくて直視出来なかった。
あんた本当にマフィアかよ。ただのイケメンになってるよ。

ここで遠慮するのも何か変だったので、今回はお言葉に甘えてネックレスを買ってもらうことにした。今度何かお返しせねば。


そう思ったのだけど――――――


『ガビィーンッ』

「申し訳ございません。先程、其方のネックレスは別のお客様がお買い上げなさってしまって…」


一点物だった私の狙っていたネックレスは、既に売り切れてしまったらしい。
しかもつい先ほど、誰かの手によって。

くっそお…どうせ何処ぞのリア充がきゃっきゃうふふ云いながら買って云ったんだろうが!
許さん。絶対に許さんぞ。

しかし無い物はない。
潔く諦めるしかなく、大いに落胆し肩を落とした。


『あうー…』

「元気出せよ。また今度別の奴を買いに来ようぜ」

『…そうですね。そうすればまた、中也さんともお出かけも出来ますしネ』

「…手前、ひょっとして態とか…?」

『……ぬふふっ!』

「あ、待て!」

『御免なさい!でもでも本心有りきデスよ!中也さんが可愛くて可愛くてっ…!』

「男は可愛いなんざ云われても嬉しかねェんだよ!」


商店街を逃げる私、それを追いかける中也さん。

端から見ればマフィアに追われる一般人だ。何それ、物騒。
聞こえは悪いけど、私は笑っているし、中也さんも本気じゃないし。
…まあ本気出されたらぺしゃんこになっちゃうから止めてほしい。

ネックレスは買えなかったものの、中也さんとまた出掛けられる口実が出来て嬉しいのは本当だった。
揶揄かっていたのがバレてしまったのは残念だけど、まあそれはそれで楽しめそうじゃあないですか。

中也さんのお陰で、先程よりは幾分か軽い足取りで私は事務所へと戻る事が出来た。


――――――――――――――
――――――――――
――――――


事務所について別れるまでずっと中也さんにはぐちぐちと説教されてしまった。
他人の気持ちを弄ぶなだとか、なんとか。
そんな奴なら今度は太宰から助けてやらないと云われた時は真剣に謝った。

逃げ道が無いのは苦しい。
まあ冗談だったようで普通に許して貰ったけど。

さて…そんな私は今、自分の職場である太宰の執務室の前で立ち止まっている。

そぉーっとドアノブを回し、ゆっくり扉を開けた。


………おやおや?誰も居ない様である。


電気も付いていない。節電大事。
太宰の机には誰も座っていない。人の気配もない。
落ちていた筈のパソコンは元に戻されている。


後ろ手に扉を閉め、静寂が張りつめた部屋にゆっくり入った。

抜き足、差し足、忍び足。


……………ほっ、一先ず太宰はふざ ――カチャッ


物音がした。絶望的な。
何か金属が回転し、心閉まるようなそんな無機質な音が静寂に包まれるこの部屋では、自棄に響いて聞こえた。

恐る恐る振り返る。


「随分と休憩が長かったねえ…名前?」


とっ、扉の裏側にいらっしゃいましたかああああ。

其処には黒い…それはもうとん、でも、なく真っ黒な含み笑いを仮面の如く張り付けた暗黒大魔王太宰様が扉に寄りかかって立って居られました。
冷たすぎるその視線に体の芯から凍らされるように、私はその場から全く動けません。

しかしそんな私にまるで流氷を滑るが如く、物凄い速さで長い足を進ませて来る太宰様がいらっしゃいました。
目の前に立たれました。
相変わらずあの冷たい、絶対零度の微笑みを張り付けておりました。


「戻ってきたってことは、如何されるか分かっての事だろう?」

『…あ、えと、首輪……とかなんとか云ってましたけど流石に冗談デスよね?いやあ太宰様の冗談は心臓に悪い!キツイッすよ、んもう!はは!』

「人並みの脳みそは持っていたようだね。もし忘れていたら心臓を刳り貫く処じゃ済まなかった」

『………』


あ、死にますわこれ。

チーン、と名前の分からない葬式の時に鳴らされる音が頭の中で響いた様な気がした。

時間を巻き戻ろうにも太宰が私の腕を、ぎぎぎと爪が食い込んで痛い程に掴んでいる所為で巻き戻る事は出来なそうだ。


「私に許して欲しいかい名前?」

『……許して欲しい?私が?はっ。何でそんな上から目線なん自分?こうなった原因は、太宰にもあるんです。何故、私だけが、責められにゃならんのさ。怒ってるのは、私も同じ、デス』

「…そう。折角挽回の機会を与えてあげたのだけど、愚かで莫迦な名前には伝わらなかったらしい」

『ど、どどどどどっからでも掛かってこいやああ!?』


レスリングの選手の様にシュバッと両手を構える。

太宰は私に呆れた目線を向ける。
終いには肩を竦めて大きなため息を吐いた。

ま、負けないんだから!
太宰が視界に入っているし、既にここで十分経過してしまっているため巻き戻るのは不可能!
が、此処で逃げたら女が廃る!命短し、戦え乙女!

じゃあ遠慮なくと云われ、太宰が拳を作り振りかぶった。

ぬおおおお。太宰の拳を真面に受ける訳にはいかず、私も手をクロスさせガードする。
衝撃に耐える為、目を閉じた。


するり、何か冷たい感触が首に巻き付いたような感覚がし、また髪に違和感を感じる。


……………、衝撃は、無い。


目を開けた。

前に奴はいない。


「何時までそんな間抜けな格好してる心算だい?」

『ほげっ…!?』

「暗いから電気付けて」


声のした方を見れば、太宰が肩肘を付きながら座って何か書類を読んでいた。

今、一体何が…。
状況が全く把握できない。

釈然としないままに健気にも太宰の云う通りに電気を付ける釦を押す。

夕暮れで暗くなっていた部屋は一気に、人工的な光で眩しさを取り戻した。

ふと自分の首元にある無機物な冷たさに違和感を感じ、自分の鞄から手鏡を出して確認する。

そこには先程、中也さんと行った時に購入することが出来なかった、あのネックレスが掛かっていた。


…………は・い?


『これって……』

「うん。首輪」

『はん!?』


こ、こここれが…首輪、だと?

ごくり。唾を飲み込む。

え、何。え、ちょっと。
一回落ち着こう。うん。一回ね。

ハイ吸ってー、吐いて―。よし。

もう一度手鏡に映るネックレスを確認した。

銀のチェーンにシンプルな丸い水色のガラスが通され、地味なデザインでも何処か高級そうな雰囲気を出している。

間違いない。
私が欲しいと思っていたネックレスである。

でも一点物で、今日どっかの誰かが買い上げたって店員さん云ってたのに…。

…ふと、太宰を見た。


どっかの、誰か。


『…有難う、ございマス?』

「君が一々五月蠅いから物で黙らせようと思って買っただけだ。名前が期待する様な他意はないよ」


此方を見ずに、太宰はぶっきら棒に答えた。

まさか、君が買ってくれるとは。


『…ええ、そうでしょう。そうでしょうとも』

「判ったなら、その目障りで不快な笑みは直ぐ止めてくれないかな?」

『うふふのふー。如何です、似合ってます?大人な女性?フェロモン出てます?』

「哀れなネックレスの泣き声が聞こえてくるようだよ。私がこんな野蛮人に贈りさえしなければ今頃美しい人の胸元で光り輝いていただろうに!豚に真珠、猫に小判とは正にこのことだ。全く嘆かわしい…」

『……太宰に感想を聞いた私が莫迦だった。良いもんねー、別に!』


きゃはあっと思わぬ贈り物に先ほどまでの云い合いも蟠りも忘れ、手鏡を見ながらネックレスの輝きに酔い痴れる。

そう云えばなんで私がこのネックレス欲しがったことを知ってるんだろう。
………いいや。何でも。知らぬが仏とも云うし。


「そんな玩具みたいな安物で喜ぶだなんて、君も大概安い女だね」

『値段に価値なし。あるのは心、デスぞ太宰君』

「なんとも君が好みそうな安い台詞だ。まあ、でも何より―――――」


太宰が言葉を止めた。

途中で会話を止めた太宰を不審に思い、手鏡を見る振りをして太宰の横顔を見る。


「君が誰か別の奴から貰った物を身に着けるだなんて、私が許さない」


此方を見て云われた訳じゃないのに、背筋が凍った。
手鏡を持つ手が震える。

書類に向けられたままの薄く伏せられた瞳は、まるで目に入り込む全てを拒絶するように冷たい眼光を宿し、薄い笑みはまるで見えない誰かを嘲笑っているようだった。


「だろう?名前」


此方に視線が向けられ、鷲色の瞳を細め微笑まれる。
妖艶なその笑みは、私に何を求めているのか。

その鷲色からは見えるのは嫉妬だとか、そんな可愛いものじゃない。

只、純粋すぎるほどの独占欲。

息が苦しい。

まるで見えない誰かの手で首を絞められて居る様だ。話を躱す事も、上手い言葉も見つけられなかった私は返事すら出来ず、ただ生唾を飲み込むのが精一杯だった。

しかしそれはほんの一瞬、たった一秒程の出来事で、今の張りつめた空気が嘘のように太宰はぱっと笑う。


「なーんてね!冗談だよ。無愛想な名前は心配せずとも、私ぐらい心優しい人間からしか贈り物なんてされやしないさ」

『…マフィアの歴代最年少幹部様がそれ云います?』

「おっと。こいつは一本取られたね」


なんなのだ。一体。

私は未だ太宰の核心に宿る闇と向き合えずにいる。


でも――――


いつかはその闇と、向き合わなければいけない日が来るのだろう。

突然の太宰からの贈り物に喜ぶ一方、心の何処かにしこりを残したまま、その日は終わった。

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